人工呼吸器を付けますか?-求められる仕組-⑤ / 田中恵美子

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前回、呼吸苦に対してモルヒネの使用が許可されるようになったことをお伝えした。「ハッピー・ハイポキシア」“幸せな低酸素症”についても述べたが、要するに死に向かう人たちの苦しみ、そこに関わる人たちの苦しみが軽減されたことを述べたのである。

翻って生き続けようとする人たちの苦しみについては、その前の号に書いたように、環境が整わない中で必死に闘う人たちが、今なお存在することを述べた。私たちにできることは環境を整えることだという主張もした。

しかし、昨年7月に明らかになったALS女性林優里さんの嘱託殺人事件について考えると、他にもやるべきことがあったことが見えてくる。事件は昨年7月の医師逮捕の報道で明るみに出たが、実際の事件は一昨年11月に起きていた。

林さんは大学卒業後、一旦就職したが、その後退社して設計士を目指し、ニューヨークで長く暮らした。2011年に帰国し、間もなくしてALSと診断され、実家近くのマンションで一人暮らしを開始した。

発症から7年経ち、ハワイ旅行に父を連れて行った。明るく気丈な女性だった。患者会には所属していなかったが、ツイッターなどSNSで知り合った難病患者には「生きる望みはある」と励ましつつ、しかし自分は、一度は人工呼吸器装着に同意したが、その後翻意し、以降は、人工呼吸器は付けないと主張を変えなかったという。

林さんは24時間の介助保障を受けていた。使っていたヘルパー会社は、2013年ごろは3社だったが、2018年には17社に増えていた。日中は2,3時間で交代もあったという。また夜間には入れる介助者がいないため、男性がヘルパーとして派遣されていたこともあった。

また、ある記事には猫を飼いたかったが、支援側に猫アレルギーの人がいて、立ち消えになり、ヘルパーの一人が猫を飼ってそれを連れてきていたとか。

林さんは球麻痺が先に来ていたのか、コミュニケーションがとりにくかったという。友達が来ても自分ではうまく話すことができなかったようだ。介助者が言葉を拾って、あるいは補って、時に先んじて話していたという。徐々に友人が来ることも少なくなったという記事もあった。

ヘルパー会社が増えていたことについて、林さんの立場で考えると頻繁に介助者が変わり、夜には男性も来る。そんな状態で日々消耗していったのだろうと想像できる。少なくとも私が林さんだったら、とても耐えられない。ほんとにつらかっただろうと思う。

だが一方で、介助者の方の見方から話す人がいて、こんなにたくさんの会社が関わらないと支えられない人だったのではないかという意見があった。正直驚いた。しかし確かにそういう見方もあるだろう。

猫の件についても、自分で世話のできない林さんが猫を飼いたいなんて、無責任だという意見もある。しかし、私には50代の一人暮らし、ましてや常に誰かに何かをしてもらうことしかできない自分が、何かを愛おしみ、何かが成長していく様をそばで見ていたいと思うのは、わかる気がする。

友の訪問について、50代ともなれば、もう友がいなくては生きていけないなどという若いころとは違うだろう。訪問が減っても、それは仕方ないと思えるかもしれない。しかしコミュニケーションのやり取りの細部で、自分のことを抜きにしたようなやり取りがあったら、むしろ彼女の方から友との連絡を絶ち切ってしまったのかもしれない。何もできない人、何もできなくなった優里ちゃんとしてみられること、そして語られることほどつらいことはない。

すでに亡くなってしまった彼女の思いは誰にもわからない。ましてや一度も会ったこともない私にわかるはずもないだろう。だが、しかし、彼女は私と同年代だ。林さんに死の決断をするきっかけとなったというNHKスペシャルで主人公だった小島ミナさんも私と同世代だ。不思議なことに、彼女らも私も海外での生活経験がある。おこがましいのは承知の上だが、なんとなくわかるものがあるように思う。

その上で、どうしたら生きようと思えただろうかと考える。ある医師は音楽療法を取り入れて呼吸器装着後の生活がより充実したものになるようにと積極的に進めている人がいた。私は当時介助制度が確立していないのに、音楽療法?と思っていた。モルヒネの導入に意欲的だった医師には、介助制度の充実が大事だと主張したら、それだけでは解決しないといわれたこともあった。

林さんの事件を通して、私は改めて介助制度だけではだめだったということには同意せざるを得ないと思う。しかし、介助制度の保障は土台として必要だ。その他に求められることは派遣の仕組であり、派遣されるヘルパーの教育だ。同時に、患者あるいは障害者自身の自らの身体を受け入れるための学びである。

 

◆プロフィール
田中 恵美子(たなか えみこ)
1968年生まれ

学習院大学文学部ドイツ文学科卒業後、ドイツ・フランクフルトにて日本企業で働き2年半生活。帰国後、旅行会社に勤務ののち、日本女子大学及び大学院にて社会福祉学を専攻。その間、障害者団体にて介助等経験。

現在、東京家政大学人文学部教育福祉学科にて、社会福祉士養成に携わる。主に障害分野を担当。日本社会福祉学会、障害学会等に所属し、自治体社会福祉審議会委員や自立支援協議会委員等にて障害者計画等に携わる。

研究テーマは、障害者の「自立生活」、知的障害のある親の子育て支援など、社会における障害の理解(障害の社会モデル)を広めることとして、支援者らとともにシンポジウムやワークショップの開催、執筆等を行い、障害者の地域での生活の在り方を模索している。

 

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