赤國幼年記⑰ / 古本聡

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ニャーニャたち

ニャーニャとはロシア語でもともと「乳母」という意味だが、子供の世話をする、家族以外の女性という意味の方が今は一般的だろう。英語で言えば「シッター」に当たる職業名だ。

私が入所していた旧ソ連の障害児施設には常に20人ほどのニャーニャたちが働いていた。厳格なプロレタリアート・ヒエラルキーの中でその人たちの地位は最も下だった。最上位が医師たち、次が看護婦、教育係、そしてニャーニャという構造になっていた。

この人たちの仕事は、看護婦や教育係の「後片付け」、すなわち治療や体罰の後に入所児がしてしまったお漏らしや吐しゃ物の掃除、入所児一人一人にあてがわれていたオマルの洗浄から始まって、入浴、着替えや移動といったものだった。そして、今の日本で言うところの3Kだった。

ニャーニャたちの多くが年金受給年齢を超えていて、彼女たちの貰う給料はお小遣い程度だったと、後になって知った。因みに当時のソ連における女性の老齢年金受給年齢は50歳位だったと記憶している。

元々周辺のコルホーズ(集団農場)や、工場の製造ライン、建築現場の作業員だった彼女達は、旧ソ連では学歴も資格も何もないのが普通だった。元々低賃金で蓄えるという習慣のない当時、低すぎた額の年金だけでは生活できなかったようで、少しでも収入を得るために私たちの施設に働きに来ていたのだろう。

旧ソ連の年金制度を研究している日本の文献を今調べてみると「十分に支給されていた」などという文言が頻繁に見られるが、私は「一体何をもってそう言えるのか」と首をかしげてしまう。平均値だろうか、それとも旧ソ連の政府発表を鵜吞みにしたのだろうか。

私達入所児はそんなニャーニャたちを二つの種類に分けていた。「優しく人間らしいニャーニャ」と「情け容赦ない鬼のようなニャーニャ」である。
鬼のようなニャーニャたちは入所児を自分たちの不平不満の捌け口として使っていた。殴る蹴るは当たり前、モップで拭きとった排泄物や吐しゃ物を子供に擦り付ける、床掃除をしたバケツの水を子供に向かってぶちまけるなど、今から考えてみればとんでもない人たちだった。

私も勿論、彼女たちのこうした行為の被害に何度も遭ってきた。糞尿の溜まった琺瑯のオマルで頭を思いっきり殴られ脳震盪を起こしたこともあった。その時浴びせられた言葉を今でも忘れない。

「昨日の夕方綺麗にしてやったばっかりなのに、もうこんなにいっぱいにしやがって!この黄色いサルが糞ばっかり垂らしやがって!」

ともかく彼女たちにとっては何もかも嫌気がさしていたのだろう。自分にも糞尿がかかることを厭わずに怒りを爆発させるくらいの酷い精神状態だったのか。子供だった当時の私にはそれが実に理不尽に思えたが、今となっては当時のあの国の状況では、あの人たちがスタンダードだったのかもしれないと思っている。

その一方で、優しく人間らしいニャーニャたちが居たのは、地獄で天使に会ったかのような気持ちだった。

他の入所児と同様に、あのニャーニャたちを見て私の対人評価の基準が決まったような気がする。それは単純なもので「良い人」と「酷い人」の二つである。そして私はある日ある事に気が付いた。それは、良い人に分類されたニャーニャたちの殆どがキリスト教徒だったということだ。

彼女たちは、よく手術の後で苦しんでいる子の傍に寄り添って、十字を切ったり祈りを捧げたりしていた。更に教会の話や神の話を時々聞かせてくれることもあった。

ロシアの人々は昔から信心深い。神の慈悲に縋り、そしてその力を恐れることに関しては世界でも類を見ないくらい、と言っても過言ではない。社会主義・共産主義時代に宗教は激しく弾圧され、信仰心は徹底的な思想教育によって弱まったはずだ、と考えられがちだが、それはものの見方として一面的過ぎる。

第2次世界大戦勃発時、ナチスドイツ軍が破竹の勢いで侵攻する中で、ソ連国民は、あの恐ろしい独裁者スターリンの命令をもってしても中々立ち上がろうとしなかった。そこでスターリンは自らが弾圧してきたロシア正教会に助けを求め、信者たちに祖国防衛を呼び掛けてもらったのだ。そうして国民はやっとドイツ軍に向かい立ち上がったという歴史の裏話が残っているぐらいだ。

庶民は、国家体制や政治思想など関係なく庶民であり続け、宗教観を含め、その生活様式は、体制がどんなに大きく変わろうとも、あまり変わらないのも現実だ。そして、庶民の生活が貧しければ貧しいほどその傾向は強くなる。

あるニャーニャが次のようなことを語ったことがあった。確かニャーニャの名前はイリ―ナ。入所児たちは愛称で「チョーチャ・イーラ」と呼んでいた。チョーチャはおばちゃんの意味。そしてイーラはイリーナの愛称形である。

『あたしがここに初めて来たときゃ、そりゃおったまげたよ。聞いていた年齢にしてはもの凄く痩せこけて小さい子が冷たい床にゴロゴロ転がされていて、その傍に満杯のオマルが蓋を開けたまま置いてあって・・・。手足はひん曲がっているし、言葉は呻き声にしか聞こえないし、ここは本当に地獄かと思った。おまけに食事が運ばれて来てもだぁれも食べさせてやらないのさ。洗ってやったって、拭いてやったって、汚れがこびりついて全身垢だらけで、そりゃあ臭かったさ。あたしは次の日に朝一番で教会の司祭様の所に行ってあそこを逃げ出していいかって聞いたさ。そしたら司祭様が言うには、逃げちゃいかん、その子たちの世話をして看取るのもお前の運命だと言われたんだ。だからあたしはそれからずっとここに居ることにしたんだ。』

この話をしながらチョーチャ・イーラの目には涙があふれていたのを今でも覚えている。

 

◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

 

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