今度の誕生日は① / 古本聡

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この記事を書いているのは3月16日だが、あと10日経つと私は、父が亡くなった年齢の64歳に達してしまう。今から29年前のことだが、当時としても若死にの方だったと言えるだろう。そしてその最期が余りにも人として憐れなものだったので、胸に去来する様々な想いが日に日に増えていくのを感じている。

父は重度のアルコール依存症だった。彼の人生で最後の10年間は、ドライ(アルコールが体内に全くない)な日がなかったほど、その症状は酷かった。とにかく家の中が滅茶苦茶な状態だったのだ。

特に家族に対して、あるいは勤め先の部下に対する態度は、もう手の付けようがなかった。朝昼晩、時と場所・場合を考えないで酒を飲む。家庭内では、家族なのだから当然だと言わんばかりに暴言を吐き暴力を振るう。みりんや料理酒に至る酒類を一切家からなくしても、隠れて酒を買ってきては飲み、問いただすと「飲んでない」と言い張り、「俺の金だ、飲んで何が悪い」と開き直る。前言を次から次へと覆し、嘘や弁解が多くなる。家の中では、女子大生を下宿させていたにもかかわらず、常に下着姿で歩き回る、といった状況だった。

また、懐疑心が強くなり、嫉妬心が強くなるのも顕著で、彼の不運や身に起こるトラブルは全て、他の誰かに原因があり、そして「よそ様に見せられないカタワ」に生まれ、自分に向けられるはずだった妻の愛情を搔っ攫った私のせいだった。

当時、アル中、酒乱という言葉は一般的だったが、アルコール依存症という病名を知らなかった私達家族は父に文字通り振り回されっぱなしだった。「酒が悪い」と思いこんでいたし、「酒さえやめてくれれば」と頭を悩まし、母は酒で仕出かした父の失敗の尻ぬぐいをする、周囲の目を恐れて本人をかばうことに懸命なるといった、典型的な機能不全に無意識に陥ってしまっていた。

しかし、それも限界が来た。兄は就職と共に家を出て、その2年後には結婚をし、仕事の都合で地方で別世帯を構えた。母はちょうどその頃に大病を患い、それを契機に私も家を出た。

父が亡くなった年、私は、家を出て8年目で、車で10分ほどの場所に同じマンション建物内に2室を持ち、一方に住まい、そして他方を会社オフィスとして使っていた。そこには、頻繁に、と言おうかほぼ毎日母が避難してきていた。商売は順調に伸びていたし、洗濯や晩飯の心配をせずに済むということが、正直私には安易に好都合に思えていた。

そんなある暑い夏の晩、母を家まで車で送って行った。実家の近くまで行くと、すでに日が暮れているというのに家の明かりが一つも付いていないではないか。私も母も恐らく同じ胸騒ぎを感じたのだろう。私は車を実家のカーポートに置いた後、母に続いて8年ぶりに実家に上がった。ムッとカビと埃の匂いが鼻を刺した。

次回につづく

 

◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

 

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