今度の誕生日は② / 古本聡

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2階にあった父の寝室に先に入った母の、父の様子がおかしいので兄を呼び出せとの、普段よりも大きめで早口の声がした。

その頃、兄は東京に戻っていて、実家からそう遠くない場所に居を構えていた。すぐに兄に電話をした後、私も2階に上がって行った。

開け放たれた障子の向こうには、8年前と同じ、ステテコ姿の父が、ベッドから足を下ろして座り、すぐ傍に置いてあったテーブルに、顔を部屋奥の方に向けて突っ伏していた。よく見ると、彼の右手は酒の入ったグラスを握ったままだった。

「息、してへんねん。」

と母が妙に落ち着いた口調で呟いたのをはっきり憶えている。

やがて兄がタクシーでやってきて、開口一番、私にこういった。

「今から救急車を呼ぶから、その後、警察も来るだろう。お前がここに居ても足手まといになるだけだからマンションに帰っとれ。」

「足手まとい」という言葉は、実家では私が幼いころから使われていた、いわば「日常語」だった。言われるたびに何かひっかかるものを感じてはいたものの、長い年月の中で聞き流すようになっていた。

私は自宅に帰って、まずは顧客や外注先に、父が急逝したため今預かっている仕事の締め切りを1週間ほど延ばしてほしい旨の連絡を入れ、あとは実家からの電話を待つことにした。

結局、実家から連絡が入ったのは、翌日の夕方。その間、刑事と鑑識班、さらには警察医が来て捜査・事情聴取・遺体検視が行われたそうだ。出された検案書・死亡診断書には「アルコール性心不全」と記されていた。それとともに、兄にこう言われた。

「こっちに来るのは明後日くらいにしろ。15年前のことで刑事が疑ってるから。そっちに警察から電話があっても、何も様子が分からないと言っとけ。」

15年前のこととは、私が20歳の時に父に大怪我を負わされた時の話だ。救急隊からの通報で警察が動いたので、その記録が残っていたらしい。報復殺人を疑われたようだ。

ちょうど友引、3連休の祝日などが重なり、最終的に父の遺体を荼毘に付すことができたのは、発見から6日後だった。その6日間、自分が何を感じて、何を考えていたのか今は全く憶えていない。親戚、知り合いへの連絡や葬儀屋との打ち合わせでバタバタしていた、というのもあるが・・・。通夜、葬儀中も全くの無感情だった。

葬儀が終わってから大学の友人たちと飲み屋に行った。その中の一人が私にこう言った。

「やっと敵から解放されたな。だけど、解放されたってことは、敵を失ったことにもなるよね。」

凄く重い言葉だった。私は父を憎んでいたが敵だとまでは思ったことがなかった。しかしその実、私たち家族は父を共通の敵として、言うならば団結していたのではないか。共通の敵がいた間は、お互いに作戦として意見をすり合わせたりすることができたのではないか。たとえ一人一人の想いや鬱積した感情が違っていてもそれを無視できたのではないか。また今後、その共通の敵がいなくなったら一体どうなって行くのだろうか。そんな思いが次の日からどんどん心に湧き上がってきた。

どれだけ憎んでいた相手でも、私を無視し続けた父であっても、同じ家に家族として一定の期間暮らせば何らかの影響は受けているはずだ。シラフの時は実にお人好しで、その一方で用心深く気が小さい、依頼心の強い、そして自分にしかわからない勘に頼る父だったが、そのシラフの時の性格も、酒に侵されていた時の性格も私の中にないとは言い切れない。あの封建主義的なものの考え方も少しも遺伝していないとは言えないだろう。そんなことを考えた時、私は自分を変えようと心を決めた。

しかし変えようにもやり方がわからない。でもとりあえずやってみたことは父がやりそうなことはすべて否定するということだった。稚拙な方法だと思われるかもしれないがそれは重々承知だが、自分の内臓を全て引き摺り出して洗い直すような苦しく辛い作業だということは、ここでいっておこう。

今では様々な心理カウンセリングや心理分析をしてもらえる機関があるし、もっと高度な方法があるのかもしれない。

あれから29年が経った。今言えることは、私は父のように権威欲と権力欲に囚われていないということ、また他人を恫喝して言うことを聞かそうなどとは絶対に頭に浮かばなくなったこと、そして、実力と実経験に裏打ちされない勘というものに従って行動しないこと、更には人を評価するときには必ず長い期間をかけて観察させてもらうこと、これらの事はようやくできるようになったのではないかと思っている。

しかしながら、父の影響は絶大であると言わざるを得ない。この歳になってもだ。なんせ今も尚、彼は反面教師として私の中に居続けているのだから。

 

◆プロフィール
古本 聡(こもと さとし)
1957年生まれ

脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。

早稲田大学商学部卒。
18~24歳の間、障害者運動に加わり、障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。

2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。

 

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