「面を打つ③~師匠~」 / 富田祥子

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師匠という存在。
伝統芸能や職人の世界においては、唯一無二の存在です。
そこに師匠はただ一人しか存在せず、その世界にいる限り、師匠を変えることはできません。

私の師は、奈良の高名な面打ち師です。
私が師匠の門を叩いたのは、遡ること17、8年前。師匠の面を見て、この方に教わりたいと思ったからです。

もともと私が能面を始めたきっかけは、仏像彫刻への興味にありました。高校時代に興福寺の阿修羅像に感銘を受けて以来、主に奈良や京都の寺々を巡り、仏像とともに彫像や建築、歴史などを趣味の一環で学んできました。

好きが高じて、大学では一年間東洋哲学を勉強しましたが、結局、もともと好きだった文学や芸術の方に移行してしまいました。

それはともかく、大学を卒業して数年経ったころ、なぜか忘れましたが、仏像彫刻をしようと思い立ち、インターネットで教室を探し始めました。けれど、探しても探しても、師匠に巡り会わなかったのです。そして、その過程で思いもかけず、現在の師匠のHPにたどり着きました。

その時まで私は能を見たこともなく、ましてや能面についても全く無知でした。しかし、師匠の面に圧倒され、この人しかいないと、門を叩くに至りました。

その時から、私の師匠は一人であり、師匠の言われたことに逆らったことはありません。もっとも最近は師匠も優しくなって、私も意見を言ったりもしますが、当初はかなり恐ろしかったので、「はい」としか言ったことはありません。

なぜ逆らわないか。私は悪気はないのですが、思ったことを言ってしまうことが多々あり、その意味では逆らう型の人間ではあります。しかし、師匠は逆らうなどとは思いもかけないほど、技が圧倒的なのです。それゆえ、自然に「はい」という言葉が出てくるのです。
そうした存在が師匠というものだと感じます。

一流の職人を目指すものや、一流の芸能を目指すものは、偉大な師匠について学びながら、いずれ師匠を超えることを目標とします。
私はさすがにそこまでは思いもよりませんが、師に習い、能面を打つ。それを繰り返し、心にかなう面を打っていけたらと思います。

以前、師匠に言われた中で、こういう言葉がありました。
「今、能面をいくつもいくつも打っているのは、いつか、これぞという一つの能面を打つためだ」と。

長い時間をかけ、失敗をいくつも重ね、何度もやり直し、迷ったり苦しんだりしながら、さまざまな種類の面を打っていくのは、その先にある、ただ一つの素晴らしい面を打つための道のりなのでしょう。

一つの物事を追求していくのは、すべてにつながると私は考えています。趣味も多く、いろいろなものに手を出してしまう性質ではありますが、本質を捉えるには一つのものを追求することでしか為しえないと思います。

師匠の言葉にしても、面を超え、人生につながるものだと感じます。さまざまな思い、経験、失敗、悩み、苦しみ、哀しみ、喜び、その一つ一つがあってこそ、一人の自分というもの、一つの人生というものが現れてくるのだと。

師の言葉を胸に能面を打ち、失敗にへこたれる今日この頃です。

 

富田 祥子(とみた しょうこ)
本社

 

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