重度訪問介護制度とは何か / 安積遊歩

  • sns

私たち障害を持つ当事者が運動の中で作ってきた、介助システムの中に重度訪問介護がある。このシステムが介護保険と明確に違いユニークな点は、「見守り」という行為が介助であるということを認めさせた点だ。

私たちの様々な要求を親や施設のスタッフだけがすると、徹底的に管理が先行する。管理が先行すれば自由が奪われる。施設や親元での生活は自己選択権・決定権という人間にとって基本的人権である自由が奪われている。それは時に惨めで悲惨な生活となる。施設の職員や親の思いひとつで、殺されてしまうことさえある。2016年7月に起きた山ゆり園事件に象徴されるように、介助を施設の中で行い続けることも、また家族にだけ任せることも、時に生命をも抹殺して良しという状況を作り出すのだ。

障害を持つ人の解放を求めてきた運動は、管理されない地域生活を模索し具現化することから始まった。身体が他の人と違うということによって、生活を全面的に管理され、生まれてきた喜び、生きる自由を手放すことはできない。私は身体が他の人と違うからこそ、さらに人間的に周りの人と関わって互いの尊厳と自由を大切にした生活を目指してきた。

この介助制度の始まりにはそうした生活を創出したいという意思と思索があった。介助の基本とは何だろうか。まず側にいて耳を傾けることが最も大切である。それによってクライエントのニーズを把握し望みを実現していく。障害を持つ人が呼吸し、排泄し、食べ、眠り、自分や周りの生命とコミュニケーションすること。そして移動して他の命と出会っていくこと。非障害者が当たり前にしていることの数々を形にしていくこと。「見守り」という介助はそれを切れ切れにしないで、生活全般を一人一人に合わせて保障することができる。

この「見守り」という介助は重い障害を持つ人だけに必要なものというわけではない。全ての人が赤ん坊で生まれ、子どもと呼ばれる時期を経て大人になり、この社会を作っているのだ。しかし、全ての人が赤ん坊の時から、その生理的欲求を見守られ、それらに丁寧に答えてもらっているとはとても言えない。「見守り」は成長の根幹に関わる最重要なものであるに関わらず、その重要性はほとんど認識されてはきていない。

そのような中、重度訪問介護制度が作られたことによって、命の根幹を守る見守りの重要性を再認識、再評価してきた。大きな視点で見ればこの制度の活用こそが平和を作るための活動とさえ言える。赤ん坊や年寄りの「見守り」も含め、この介助制度の「見守り」は、この経済至上主義社会から見れば、無駄な時間、生産性のまるでないものと見えるだろう。しかし、この重度訪問介護制度は、いつでも障害を持てる全ての人の生活や暮らしを見守ることによって作っている仕事だから、これこそが互いの平和を作る礎だといえる。

ところであなたは一人でいることが好きだろうか。それとも、いつも誰かと居たいと思っているだろうか。私は1人でいることを「強さ」と考え、それを奨励する社会のあり方に忸怩たる思いである。

これは優生思想を拡散させて、人々を孤独に追い込みさらに消費を煽るための戦略だろうとさえ考えている。孤独であることは本質的には辛いことだ。だからその現実を見ないために様々な依存や中毒を身につける。それらで満足しようとすればするほど、消費社会が肥え太る。それは、凄まじい環境破壊にも繋がっている。

そこに登場したのが、重度訪問介護制度である。この制度は人が1人になることを止める。一見具体的な介助が必要だという人にとってのみ機能するかに見えるが、介助者にとっても1人にならないで済むという時間でもある。つまり今までの労働のイメージとは遠く、どこかの誰かのために自分が仕事をするのではなく、目の前の人のために自分が存在する制度なのだ。

2人で作る時間をどのように豊かに心地よく過ごすかを考えられる仕事。素晴らしいのは、長時間2人でいることが保証されているので、障害を持つ人にとってはしょっちゅう人が変わることで気疲れがなくて済む。また、介助者にとっては、目の前にいる人の命を分かち合うという緊張感もあるが、それは、時に生きるという一点で闘い続ける人を前にして、命の深淵を見いだす時間ともなるだろう。つまり、障がいを持つ人の人生が人はなぜ生きるのか、なんのために存在するのか等の、問いを私たちに呼び起こし介助する人を在野の哲学者にもする。

もちろん財政的には税金で支払われているわけだから、1人の人間にそんなにも大きな額を投入することは不公平であるという議論もある。しかしこの不公平感は無知から来るものでしかない。重度訪問介護制度に関わる人の給料が飛び抜けて高額であるという事は残念ながら全くない。不公平などと言っている場合ではなく、介助者の得る待遇をもっともっと良くすることが急務だ。それが良くなれば良くなるほど、介助の受け手もする側も安心して過ごせる穏やかな時間や状況がやってくるだろう。

この世界に生まれてきた時、私たちは全ての人に愛され、愛しているという確信を持って力強く生まれてきた。もしそうでなければ、私たちは素っ裸で2年も3年もケアの必要な傷つきやすい存在として生まれる訳はない。しかしその強烈な確信は大人たちの凄まじい混乱によって少しずつ潰されてきた。

その中で重度訪問介護は人間の可能性を諦めていない制度なのだ。時間も空間も介助者という全く見知らぬ人によって分かち合われることで、障害を持つ当事者は赤ん坊のように、大いなる期待と好奇心を持って介助者に向き合う。また、介助者の方も長時間を、仕事として側にいることで、世話をしてあげるという気持ちだけでは続かないことに、すぐに気づかされる。

その出会いは、初めは世話される世話するという関係性であってもお互いに強烈な意志を持った大人としての出会いなので、お互いに様々な感情が湧いてくる。重度訪問介護制度に登場する双方にとって必要なのは、お互いへの完全なる尊重、そして状況への理解と思いやりである。命が命をケアするという時に、重度訪問という介護システムに「見守り」を入れたことは、人類がさらに向かうべき平和な社会への重要な一歩であるに違いない。

 

◆プロフィール
安積 遊歩(あさか ゆうほ)
1956年、福島県福島市 生まれ

骨が弱いという特徴を持って生まれた。22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。

著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。

2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。好評で再放送もされた。

 

  • sns