私が出会った「カッコイイ女たち」① / 鶴﨑 彩乃

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「支えるよ。それが、私の仕事だから。」洗濯物を干しながら、彼女はものすごーくサラッと言った。思わず私は、「めちゃくちゃかっけーな。」と返した。すると、彼女はニッと笑った。

このやりとりは、つい最近のものである。しかし、このやりとりを通して私は、思い出したのだ。今までアテンダントという「カッコイイ女たち」に何人も出会ってきたことを。

私は大学で福祉を学び、精神保健福祉士と社会福祉士の2つの資格を取得することができた。もちろん、幼少期から福祉サービスを利用していた私にとっては、福祉という言葉は日常的なものではあったが、だからといって福祉を勉強しようとか、福祉に興味があるとか、そういったことはまるでなかった。むしろ、敬遠すらしていたかも知れない。

理由は、感覚的なもので「グッ」とこなかった。という表現がその当時の私の気持ちに一番近いのかもしれない。そんなことを思っていた中学生のとき、私は「障害受容」という敵と戦いを繰り広げていた。

「障害受容」は十人十色。色々な考え方がある。その「得体の知れない魔物の登場」に、誰かにその恐怖を話す。という基本的な思考回路にすら、たどり着けないほど私の心は暗かった。そんなときに出会ったのが「1人目のカッコイイ女」である。

彼女の第一印象は、とにかく「変な人」。そんな人が人生を切り拓くきっかけを与えてくれ、連絡が取れなくなって15年経つ今でも忘れられない人生の恩人になるのだ。第一印象とはあてにならないものである。

彼女との出会いは、入浴介助。先輩のアテンダントに連れられて家に来たのだ。私はそのとき、同行という事態に緊張のあまり、トイレに座っていた。うちの実家は、玄関を開けた真正面がトイレとお風呂だった。間の悪いことにトイレのドアもフルオープン。なんとも気まずい「はじめまして。」となったのである。

同行が始まってからの彼女の姿は、なんといえばいいのだろう。異様というか、独特だった。メモもとらない、質問もしない。ただ、私の身体の動き方や表情の変化を捉えることだけに神経を集中させていたのだと思う。

私がなぜそう思ったのかといえば、彼女の視線が痛いのだ。小心者の私は、「なんか変なことしてるんかな。」とオドオドしていたが、彼女は、目線が合うたびにニコッと笑って「緊張させてごめんね。」と言った。その度に私は、「い、いえ。大丈夫です。」と返したが、内心では「ココロ、読まれてるー。エスパーかよ。」とビビり倒していた。

同行も終盤になったころ、彼女は笑顔だけれど少し真剣な顔で「次から私1人で来てもいい?」と言った。私は無意識のうちにうなずいていた。母にバイクで来ることの許可だけ得ると、風のように去っていった。

彼女は、ダブルワーカーで大阪の吹田から神戸の私の家までバイクで来ていた。いつも、紫色のライダースジャケットを羽織って。そのライダースジャケット、めちゃくちゃダサかったけどね。

入浴介助は、驚くほどスルスルと進んだ。彼女の話は、とてもおもしろかった。博識で、ユーモラス。しかも、エスパー。すごい人だ。私の「障害受容」という、ドス黒い悩みもすくいとって、ぽたぽた流れる涙が止まるまで、いつまでも待ってくれる人。

あのとき彼女と出会えていなければ、私は確実に「死」を選択していただろう。
「生きなさい。彩乃だからできることがあるのよ。」
押し付けるわけではない、優しい声色に背中を押してもらった。

ある日の入浴介助でのことだ。唐突に「彩乃ってさ、福祉に興味ないの?」と聞かれた。
「ない。だって、なんか施しって感じするやん。誰も施してって頼んでねーもん。」と答えたら、彼女はカラカラ笑って「彩乃らしい。でもさ、彩乃が私達のこと助けてくれたらうれしいな。」と言った。

その数ヶ月後、彼女は突然いなくなった。しかし、このやりとりがいつまでも私の心に刻まれる。そして、数年後の進路選択の決め手になったのだ。

私が出会った「カッコイイ女たち」。少し続けたいと思います。初の連続ものだー。次回もよろしくお願いいたします。

 

◆プロフィール
鶴﨑 彩乃(つるさき あやの)
1991年7月28日生まれ

脳性麻痺のため、幼少期から電動車いすで生活しており、神戸学院大学総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科を卒業しています。社会福祉士・精神保健福祉士の資格を持っています。

大学を卒業してから現在まで、ひとり暮らしを継続中です。
趣味は、日本史(戦国~明治初期)・漫画・アニメ。結構なガチオタです。

 

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