「訓練」と「くつかくし」。 / 鶴﨑 彩乃

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「おいっ。お前ら!俺の靴どこやってん!」と保育士さんが吠えた。そのとき、私はうつぶせ寝の状態で乗ることができる手で漕ぐタイプの移動ツールに乗っていた。それに乗る意味は筋トレだったらしいが、筋肉がついたなぁー。という感想は一切抱くことはなかった。

しかし、5歳の私にとっては自分で車いすを漕ぐことより、その名称不明の移動ツールの方が早く移動できたので、施設内ではそれを愛用していた。

そう、当時の私は入院中。どこが、悪いとかではない。リハビリに集中して取り組むためや、筋肉の緊張を軽減する手術を受けるために入院していた。

私の場合は手術が決定した時期が、入院から既に1年ほど経ったころだったらしいので、トータルの入院期間が2年半ほどだったと思う。

なーんてことは、知る由もない当時の私は、仲のいい保育士さんの靴を隠して遊んでいた。

「知らんで。脱いだとこ忘れてるだけやん。」とニヤニヤしながら答えると、ケンケンで追いかけてきた彼は、「んなわけあるか。なんでかたっぽだけきれいにないねん!絶対お前らやろ。」と言った。

大正解です。片方だけ隠すのがコツです。
しかし、今の靴の居場所を私は知らない。彼に捕まる前、こっそりツレにパスしたからである。

「ねー。ちょっといい?」
彼の上司から彼に呼び出しがかかったので、片方裸足のまま彼は走って行った。

さて、今日のゲームは見事勝利したようだ。ツレ達に勝ったことを伝え、片方の靴をナースステーションに返却に行った。

「ねーこれ、返しといて。」と見知った顔しかいないので、誰ともなく声をかけた。すると、手が空いていた看護師さんが屈んで受け取りながら、「今日は勝った?」と聞いてくれた。その人は、答えた私の顔を見てゲームの結果を察してくれたらしい。

「あんまりいじめたらあかんで。あ。あーちゃん。もうすぐ訓練やから、トイレ行っとこ。車いす持ってくるわ。待っとって。」

車いすに乗り換えてリハビリの先生を待つことになった。そのときの私は、「行きたくないなぁー。うざいなぁー。」と思っていた。

私は脳性麻痺という先天性(生まれつき)の障害のため、物心つく前から日常の一部だったのだが、友達と遊ぶ時間や好きなことに使える時間を搾取するもの=リハビリだったため、幼少期の私にとっては、敵意むき出しな存在だった。

しかも、私の幼少期は「リハビリ」という名称ではなく、「訓練」と言われていた。実際、名前通りな感じできつかった…。訓練中、よく泣いて怒られておりました。はい。

リハビリには種類があって、理学療法士(PT)・作業療法士(ОT)・言語聴覚士(ST)というそれぞれの専門職が各分野を担うのだ。当時の私の訓練プログラムは、PTが立位・座位保持・歩行訓練。ОTが書字訓練というものだった。私に関わってくれたPT・ОTの先生はキャラの濃ゆい人達だった。

ОTの先生は、男性でよくギャグをいうおじさんだった。しかも、ネタが古い。ぜんじん北京?とか知らねぇよ。母とは盛り上がっていらしゃいました。
そんな、寒いギャグをいうおじさんだが、その先生に出会ったおかげで字が書けるようになった。間違いなく恩人である。

PTの先生は、眼鏡をかけた女性の先生で、訓練の最中によそ見をすると、「そんなに気になるんやったら、見学いっといで!」とよく怒られたものだが、私の身体や障害のことを冷静に理論的に説明してくれた人だったため、私の「身体への向き合い方」の基盤となる考え方を育んでくれた人だと思う。

病院に入院していた、というと「かわいそうに…。」と言われることも多いが、当時の私にとっては保育所であり、友達との合宿所みたいだったな。と今、振り返ってみて懐かしい気持ちになった。

追伸。
靴を隠した保育士さんに小学校入学のお祝いに海遊館に連れていってもらったのは、めちゃくちゃいい思い出。

 

◆プロフィール
鶴﨑 彩乃(つるさき あやの)
1991年7月28日生まれ

脳性麻痺のため、幼少期から電動車いすで生活しており、神戸学院大学総合リハビリテーション学部社会リハビリテーション学科を卒業しています。社会福祉士・精神保健福祉士の資格を持っています。

大学を卒業してから現在まで、ひとり暮らしを継続中です。
趣味は、日本史(戦国~明治初期)・漫画・アニメ。結構なガチオタです。

 

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