この世にバカでない人は無い / 牧之瀬雄亮

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バカでない人はいないんです。本当です。

主義主張、右も左もぶつかって、角を立てないようにするなら綺麗事を言う人に流される。ややもすれば抗う気持ちさえ覆い隠し、仮面を付けたつもりで幾星霜、気づいた時には仮面が我で、何をするかで人生は語られ、私の人生、仮面でございということになりはしまいかと、私も焦るし、そう振る舞っているけれど、その顔には苦悶が滲んでおられる他人様があれば、それはこちらもいたたまれず、「あんた大変そうだね」なんて口にすれば、「だまらっしゃい」とくる。
仮面が厚けりゃ厚いほど、怒りの初速も温度も高い。そんなことを考えております。

テレビをつければ「〇〇の専門家が言うには〜」などと言い、合っていれば褒めそやし、間違っていればタコ殴り。
法が施行された後には科(とが)を受けねばならないが、立法以前の同行為を遡及して法適応はできないはずです。

しかしムードは、流行りはどうか。

ある時期の流行を振り返って、「あ〜そんなのあったね〜」なんて言いますね。

いじめられた方はずっと恨みが消えないことはよくあっても、いじめた方は「いたねそんなやつ」なんて言っているということもよく聞きます。

80年代ファッションなんて2000年過ぎてもついこの間まで「ダサさの象徴」でしたよね。

特に何かしなければ、30代前半に獲得した知見で、人は一生考えを根本的には変えずにその後の人生を送るとも言います。

「忘れる」ということでしょうか。
「思い出したくない」のでしょうか。

私の尊敬する野口晴哉は
「人は一度経験したことは忘れない。思い出し方を『忘れている』だけだ」
と言います。

眠気が体に染み込んで、満ち切る一瞬前に、急に昔の、それも普段はほとんど忘れていたことを思い出すことが、皆さんにもあると思います。そんなことから野口の言うことも、あながち突飛なことではないとご理解頂けるのではないでしょうか。

この頃私がとみに考えているのは、「人間はどうやって生まれたのか」ということです。母親から出てきたには違いないのですが、もっと前、人間が今の形になった頃のことを言っています。
その頃のことを、どうにか思い出せないかと思っています。

そして、人生に必然性があるのであれば、私は何のために今時分、生を受けて、生き延びているのか。真面目に考えたいと思っています。

私のこういった考えごとにエネルギーを割くことは、この資本主義社会にあって、なかなか効率の良いこととは受け取られません。
言って見ればバカにされます。
締め切りまでに何も生まない(ように見える)からです。

反対に私から見れば、そうやってバカにする人たちの心の奥には、そういうことを考えることに対する恐怖があるのかなと感じています。
生の始まりを遡ってみようとすればそれは同時に、死について考えることでもあるからです。

だから私は、
「よく本当のことを知らないで生きていられるものだ」
とも思うのです。

実際私だって、色々と人間の始まりについて調べたりしていますが、気にしていない方とそう違わない程度かもしれないとは思っています。

また、愚かさを伴わない人というのもいないのも事実で、その人の愚かさがその人の「味」だったりもします。

自動車の仕組みを熟知しなくても、無論交通ルールが及第点でわかって実行できれば、自動車は運転できます。

しかし自動車の仕組みがわかっていれば尚更上手に運転できます。

仕組みだけわかっていて、交通ルールがわからないと事故を起こします。

交通ルールは日頃使うものだけ覚えていて、緊急時の対応がわからないというのでは、頼りないものです。

ここまで言えば、人間にバリエーションが必要なことがわかると思います。

自身の煽り運転を大々的に報道され、法改正のきっかけとなった事件が2件思い出されます。彼らがいなければ悲しい事件の被害者がいなかったことも事実ですが、法改正の機運が高まり、ドライブレコーダーが普及し、法によって人生を助けられる人が増えたことはこれもまた事実なのです。

悪いことはしないに越したことはないです。

日本では「他人に迷惑をかけるな」という風潮ですが、インドでは「自分も他人に迷惑をかけるのだから、他人の迷惑も赦そう」という社会通念があるそうです。流石はヒンドゥーの民。

他人の愚かさから見える大事なことというものはあります。自分の愚かさも直視したいものです。「何か」があります。

それではまた。

 

◆プロフィール
牧之瀬 雄亮(まきのせ ゆうすけ)
1981年、鹿児島生まれ

宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている。

 

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