平和を求めて/安積 遊歩

平和は福祉の具体化、そして日常化。私は平和学会のメンバーだ。平和学会は全国で多数の会員、地区ごとに研究会も開催され、その運営を通しても平和とは何かが学べる場であると考 えている。互いの企画を尊重しお互いにサポートし合って様々なそれぞれの平和についての研 究を深める場。その取り組みがある場所である。
障害を持っていると、障害学会とか、社会福祉学会とか福祉関係の学会に入った方がいいのか なと思った時期もあったが、私が心から一番欲しいと思っているのはまず平和だった。だか ら、5年前から平和学会に入り、最近、障害学会に入った。
ところで学会というのは研究者や大学の教員などの集まりで、自分には関係ないと思っている 人が多いかもしれない。私も、学問としての平和を追求するより、実践的に平和が欲しいと障 害を持つ立場から、様々な活動をしてきた。懸命に活動をしているときには、平和学会という のがあると知っていても、そこのメンバーになりたいとはあまり思っていなかった。
しかし、自分の身体が人々の感性に平和でない存在と見えていると知れば知るほど、平和を求 めそれに恋焦がれてきた。そして、障害者福祉とか子供の福祉とか女性の福祉とか、分類して 研究していったとしても、そこに平和というキーワードがなければ本当の福祉はないと思うよ うになった。十代の早い時期の頃に読んだトルストイの『戦争と平和』という本や、様々な戦 争の記録本を読んで、平和は戦争がなければ平和なのだと狭い狭い枠に呪縛されていると思う に至った。
特に2011年に私の大事なふるさとで、原発が爆発してからは戦争がなければ平和なのだという まやかしがいっぺんに吹っ飛んだ。そして2016年やまゆり園事件が起きたときには、施設の暮 らしに平和は無かったのだということをはっきりと思い出した。私は子供時代、2年半施設にい たが、11歳ぐらいであったにもかかわらず、施設の天井裏にはガスパイプが通っていて、何か あったら私たちは簡単に殺されるのだと空想していた。施設を出てからは高校進学の希望も障 害ゆえに絶たれ、もちろん大学は諦め、障害を持つ者にとって幸せとか平和は無いのだなと思いながら障害を持つ人の解放運動に邁進した。
2014年に原発避難の日々を過ごしたニュージーランドから日本に戻ってからは、いよいよ平和 を考えた。凄まじい環境破壊をしてきた人間たち、特に大人たちは、未来に向けて戦争を仕掛 けているのだ。もう少し丁寧に言えば、大人たちは言葉の無い生命たちに対して、あるいは言 葉を持っていても徹底的に支配関係にある生命たちから平和を奪いまくっている。その気付き が原動力になって、私の身体になんらかの違和感を感じている人々の中に飛び込むことにした。
平和学会のメンバーになるには2人の推薦人が必要と聞いて、友人である北大の教員の2人に頼 んだ。私にとって平和とはどんな世界、どんな場で生きていようとも、穏やかで安全な日常が 必要であることを感じ、それを共有すること。そのためには互いに耳を傾け合い、対話をし続 けることを諦めないこと。わたしはまだまだ平和学会では新しい会員ではあるが、平和は人々 の日常に中にこそ気付き、築かれるべきものであることをを伝えたい。平和を生きることの素 晴らしさ、大切さ。私たちの人間関係が様々な場での良きロールモデルになれるよう、ベスト を尽くしていこう。
安積遊歩プロフィール
1956年、福島県福島市に生まれ。骨が弱いという特徴を持って生まれた。
22歳の時に、親元から自立。アメリカのバークレー自立生活センターで研修後、
ピアカウンセリングを日本に紹介する活動を開始。障害者の自立生活運動をはじめ、
現在も様々な分野で当事者として発信を行なっている。 著書には、『癒しのセクシー・トリップーわたしは車イスの私が好き!』(太郎次郎社)、
『車イスからの宣戦布告ー私がしあわせであるために私は政治的になる』(太郎次郎社)、
『共生する身体ーセクシュアリティを肯定すること』(東京大学出版会)、
『いのちに贈る超自立論ーすべてのからだは百点満点』(太郎次郎エディタタス)、
『多様性のレッスン』(ミツイパブリッシング)、
『自分がきらいなあなたへ』(ミツイパブリッシング)等がある。 2019年7月にはNHKハートネットTVに娘である安積宇宙とともに出演。
好評で再放送もされた