わたしの支えてる(?)人 〜知的障害のあるひとたち〜

/牧之瀬 雄亮

 

私は田舎で祖父母や猫と牛を眺めながら育ったせいか、人間もただの動物だと思っています。
違いといえば大脳が脊髄方面からの指示をキャンセルできることで複雑な経路、フローチャートで行動を取れるということでしょうか。
社会性など他の動物にも、植物や石にもあります。
先日息子と海に行きました。穏やかな海でした。生まれて初めて見た海に、彼は小さくない衝撃か感動を覚えたようで、ずっと波打ち際で、波で削られて角の擦り減った滑らかな石や貝殻を、沖に向かって投げては拾い、拾っては投げていました。
私は何故か夕方が一日の中で一番好きで、夕陽の中ではしゃぐ息子のいる海の光景が、今思い返すと、現実と接続された天国のように感じられました。
何故大人は石を投げ続けないのか。
さて、私は知的障碍者支援に、これまでの労働に分類される時間の多くを割いてきました。
「支援員」と、仕事は何をしているか問われるときとか、そう言う場面で記入します。
彼らを私は支えているのだそうです。
不思議な形容です。少なくとも私は金銭的に彼らに支えられています。
「制度がそれを可能にしているからだ」
いえいえ、彼らがいなければ、いや、「そこに確かにいるから」発生した制度ではありませんか。
制度や法律もいいですが、事実が先ずあります。
私がなぜ知的障碍者支援をやっているのか、好きだから、食うに困らなくなるから、気持ちいいからなのでしょう。
さて、社会は怖がりなので、「お前は何か“分かるように”言え」と言います。
私は「あんたと同じ食ったらうんこする人間っていう生き物だよ」と内心言いたいところですが、そう言うことを真顔で言うと、
“社会的に変”
らしいので、一応ボールペンなどで決められた枠内に「支援員」「福祉施設職員」とか書きます。
私は幸運にも、知的障碍のある人に威圧感を与えないで済むらしく、「やれ、あれしてくれ、これしてくれ」とか頼まれたり、ちょっかいを出してもいい相手と判断され、デスクワークが全く進まなかったりします。
渾身のギャグを披露する相手にも数えてもらっているで、定時に帰れないこともあります。
あと、「お前、この間上着忘れてたから取っておいたぞ」、と優しくしてもらったり(涙が出そう)、「洗濯機、もう回したほうがいいぞ」と指導・助言もしてもらっています。
わたしの子供がいずれ大きくなって、
「とうちゃん、なんの仕事してんの?」
と訊ねてくる場面がおそらく来るのだと思いますが、
「わかんねえ」
と答えてみようかな。と思っています。
私は重度訪問もやっていたし、高齢者施設も短い間居ました。みんな利用者、被支援者と言われる方たちが私を迎え入れ、応援し、支えてくれました。私がやったことはちょっとしたことです。
皆さんほんとうに、ありがとうございます。
牧之瀬雄亮プロフィール 1981年、鹿児島生まれ 宇都宮大学八年満期中退 20+?歳まで生きた猫又と、風を呼ぶと言って不思議な声を上げていた祖母に薫陶を受け育つ 綺麗寂、幽玄、自然農、主客合一、活元という感覚に惹かれる。思考漫歩家 福祉は人間の本来的行為であり、「しない」ことは矛盾であると考えている