ゴーゴリの「狂人日記」に思う Part 2

精神病院送致
こうした一連の事件の後、彼は精神科の病院に入院させられるのだが、彼は自分が強制入院させられたとは思っていない。入院後も彼は、自分は王様として使者たちに案内されてスペインに招かれたという勘違いをし続けるのである。
そうして彼は、当時のロシアの精神病院内の劣悪で過酷な実態を見て驚くことになるのだが、その実態についても、とっつきの部屋には、頭をくりくり坊主にした者たちが大勢いたり、彼の眼には総理大臣に映った、体中から威厳を発する人物が、
「これからフェルジナンド王なぞと名のったりしてみろ、もう二度とそんな口がきけない目にあわせてやるから」
と脅してきたのに対し、主人公が抗議すると、背中を棍棒で二度ひどく殴られたり、また、
「坊主なんかになるのは御免だと、声をかぎりにわめき立てたのも虚しく、とうとう頭を剃られてしまった」
というように、彼の思い込みと幻覚にすり替わってしまうのであった。さらには、
「冷たい水を頭へぶっかけられはじめたとき、どんな気持ちがしたか、そいつはよく思い出せない」
「ああ!なんてひどい目にあわせやがるんだ!頭から冷水をぶっかけやがる」
などと、被害妄想からくる反抗心を丸出しにする。そして、彼はこう思い始める。
「情けもなければ、容赦もない、てんで俺の言うことに耳を貸そうともしない。いったい、おれが奴らにどんなわるいことをしたというのか?なんだって、こんなにおれを苦しめるんだ」。
結局、精神病院でも過酷な扱いを受けた主人公が
「おっ母さん、このあわれな息子を救っておくれ!この痛い頭に、せめて一滴、涙を注いでおくれ」
と、母親に助けを懇願する場面で、この物語は終わる。
晩年、ゴーゴリは実際に精神障害に陥るのだが、この小説を著した当時25、6歳だった彼が、どのようにして、未来の自分を予見させるような作品を書いたのか、それはわからないが、ともかくリアルなのは間違いないだろう。
ただ、荒唐無稽、あるいは、今の言葉で言えばウケ狙い的な表現が散見され、また障害者蔑視的な描写も多い。しかしながら、それは、帝政ロシア、旧ソ連、そして現代ロシアの伝統のようなものなのだろう、ロシア人のクセ、彼らの言語の強いクセなのだろうと、あの国と深く長く付き合ってきた私としては言わざるを得ない。
その一方で、主人公が「わからない、なにもかもさっぱり見当がつかぬ」、と現実と妄想との間で揺れ動き、葛藤し、混乱する様子や、「いや、よそう、黙っていることだ」と非常に冷静な判断をして、周りを警戒し、自分を制する態度、さらには、「広い世の中に身の置き所がないんだ」といった率直な想いなどは、幻覚・妄想に襲われ支配されながらも、どこか理性的で、ふと正気に戻る、精神障害者の心理を見事に捉えていると言えるだろう。
注目すべきは、精神病院内の患者への対応だろう。本人の同意なしの強制入院、棍棒などを用いた暴力、強制丸刈り、頭から冷水を浴びせるなどの野蛮そのものの行為だ。
実は、ロシアでは、ゴーゴリが生きたあの時代から旧ソ連時代を通して、そしてつい最近も、精神病院は矯正労働収容所(GULAG)と同じ機能を果たす施設だったのだ。ただし、この2つの種類の施設には違いもあった。
精神病院に送致されるのは、主に回復の見込みがない精神病患者および、政府当局にとって不都合な人々、すなわち政治犯、特に反体制活動家、テロリスト、大量殺人犯などで、これらの人々は様々な精神疾患の診断名を付けられ社会から隔離されてきた。
強制隔離の非人道さだけではなく、戦慄を覚えるのは、それら収容者たちはいろいろな人体実験や研究材料にされた挙句、あるいは拷問、容赦ない暴力にさらされて廃人になり、二度とまともな社会生活を送れなくなるか、死に追いやられるかのいずれかであったことだ。闇から闇へと・・・。
一方、矯正労働収容所に入れられるのは、この世から消してしまうと返って民衆の反発を招く恐れのある活動家、洗脳と監視によっておとなしい市民になり得る者、無法者ながらも鉄道建設などの重労働に耐えうる、比較的軽犯罪者だった。
このことは、帝政ロシアから現代にかけて書かれた多くの文献や、実際にそういう経験をした人たちの証言などで裏付けられている。
ゴーゴリがこの短編を書いた時代も、ロマノフ家を頂点とするロシア帝国政府の圧政に苦しめられていた。そんな時代の空気をこの作家は鋭い感性で描写したのだろう。そしてその感性の鋭さゆえに、自らも耐え切れなくなり精神を病んでしまったのではないか。私にはそう思えてならない。
そう言えば、19世紀ロシアの精神病院を舞台にしたガルシンの『赤い花』(1883年)やチェーホフの『六号室』(1892年)などの作品でも、患者の人権を完全に無視した非道で暴力に溢れた精神科病院の内情が描かれている。ゴーゴリから40年もの年月を経た後に…。
この「狂人日記」で私いとってもう一つロシア的精神世界として印象的だったのは、精神病院に閉じ込められた主人公が、最終的に母親に助けを求める場面だ。
このシーンで主人公は、すでにスペインの王様ではなく、素に戻ったロシア人青年なのだ。
彼は訴える、
「あんたの息子がどんなにひどい目にあわされているか、まあ見ておくれよ」、「この病気の息子をあわれんでおくれよ」
ロシア人にとって母親は、絶対的な憐れみと愛情を与えてくれる存在なのだ。その存在は、聖母マリアに直結するものだからだ。
私はこの小説をロシア語と日本との両方で読んだ。ロシアにいながらこれを読んだ時のリアル感は、もの凄いものだった。19世紀半ばと20世紀後半とで、あの土地の空気があまりにも変わっていなかったからだ。
あの国のそういう現実を目の当たりにすると私はなぜだか深い憂いにも似た感情に陥ってしまう。ロシアを知って60年近くたった今でも、私には分からないのだ。あの国と、そこの人々の非常なる慈しみ深さとおおらかさと、それらとは正反対の残酷さと非道さとの落差の理由が。
古本聡 プロフィール
1957年生まれ。脳性麻痺による四肢障害。車いすユーザー。 旧ソ連で約10年間生活。内幼少期5年間を現地の障害児収容施設で過ごす。 早稲田大学商学部卒。 18~24歳の間、障害者運動に加わり、 障害者自立生活のサポート役としてボランティア、 介助者の勧誘・コーディネートを行う。大学卒業後、翻訳会社を設立、2019年まで運営。 2016年より介護従事者向け講座、学習会・研修会等の講師、コラム執筆を主に担当。