土屋の挑戦 インクルーシブな社会を求めて

/高浜 敏之

 

2 なぜ土屋?
たびたび聞かれることがある。
ところで、社名はなぜ土屋というんですか?
無理もない。代表の私をはじめとして、中心メンバーに土屋さんという方は今のところ一人もいない。
また、本社所在地も土屋という地名ではなく、本社が土の屋根でできてるわけでもない。
しかし、私たちはこのベタな、決しておしゃれとは言い難い社名に、それなりのこだわりと愛着がある。そもそも、この社名は株式会社土屋の立ち上げに関わってくれた中心メンバーの多くがかつて働いていた高齢者対応のデイサービスセンターに由来する。
そのデイサービスの名前は、デイサービス土屋、といった。
このデイサービスは、もともと産婦人科であった場所をリノベーションするところから生まれた。その産婦人科は、土屋先生という方が長年地域に根差して運営されていたそうだ。ご高齢になり、土屋先生が引退され、空き家となった場所を改装して、認知症の方々を主な対象にしたデイサービスセンターがスタートし、もともと認知症対応型グループホームのケアワーカーだった私がそのセンターの所長を任された。
介護現場を担いながら、障害者、野宿者、移住者など社会的マイノリティーの方々の支援活動に没頭してきた私が、高齢者施設の管理者になる。もともと集団行動が苦手であり、管理職になるなどもってのほか、というのが自己理解だった。私のことを知ってる多くの仲間が、その距離が近ければ近いほど、「やめたほうがいいよ」「君には管理職は無理だよ」「受けるのはいいけど、ご愁傷様としかいいようがない」と反対された。
そのような反対の弁の根拠について、身に覚えがないわけではなかったので、基本このオファーは断るつもりだった。そもそもできもしない管理職を担って仕事に忙殺され、ライフワークの社会運動に参加できなくなるのは、私の望む人生ではなかった。
ケア現場を担いながら、活動家として生きる、このライフスタイルは自分のアイデンティティーとして実にマッチした。
ある日、仕事終わりに歯科医にいき、親知らずを抜いた。治療中に何度も見慣れない電話番号から着信があった。治療が終わったら折り返そう。そう思った。
歯科を出て、見慣れた商店街を歩きながら、電話してみた。
救急隊員の方だった。
いま、妻となる人が、取材で福島にいく途中、高速道路で交通事故にあった、意識はあるが、このあとどうなるかわからない、本人から私に電話するように言われて電話した、そのような応答だった。
その足で、職場に電話し、明日仕事をお休みいただくかもしれないと伝え、彼女が救急搬送された病院に向かった。生まれて初めてのる東北新幹線だった。なにを思ってその時間を過ごしたか、記憶にない。郡山駅でおり、タクシーで病院に向かった。彼女がいるICUの前で、2時間ほど待っただろうか。やっと入室が許可された。
全身を包帯で覆われた彼女が、私を見るや、泣きながら、謝っていた。
予想をはるかに超える重体だった。あとで知ったが、全身を骨折し、顔面の半分がほぼ全壊していた。最重度の全身性障害者がそこにいた。
こんな体になってしまった、ほんとは子供が欲しかった。ごめんね、ごめんね、と繰り返していた。泣きながら、繰り返していた。
意想外のコメントに戸惑ったが、全く問題ない、と答えた。
彼女の手を握って、私も、泣いた。
ICUの前で待つ間、時が経てばたつほど、不安が高まり、生きていてくれればいい、そんな思いが強まった。生存をただただ祈った。絞殺されてしまうような時間だった。ゲートが開いたとき、生きている彼女が、そこにいた。
それだけで十分だった。
以来、グループホームの夜勤明けに、高速バスで毎週郡山にいる彼女のお見舞いにいく日々が始まった。毎週行った。東日本大震災は2011年3月に起きた。事故は2012年3月に起きた。
1年後の福島はまだ、震災の爪痕が肌で感じられた。
数か月後に彼女の退院が決まった。ほとんど歩行すらままならなかった。これからリハビリの日々が始まる。彼女を支えていこう、そう思った。支えていかなければならないと思った。みんなに、無理だ、やめとけ、と言われたが、デイサービスの所長のお仕事を引き受けることにした。時給1100円の現場ヘルパーよりはだいぶ給与がよかった。副業すればしばらく経済的に彼女をささえることができるかもしれないと思った。
ケアワーカーをやりながら活動家を生きる、というお気に入りのアイデンティティーをしばらく脱皮することにした。せざるをえなかった。
2012年5月、デイサービスの所長さんというお仕事をスタートした。外では認知症の方々を支え、内では事故後後遺症のリハビリに努める彼女を支える、そんな生活がスタートした。
いま、妻と私には、二人の娘がいる。平和な家庭生活がある。嘘のようだがほんとの話だ。いたって普通のことだが、あの時を振り返ると、あまりにも過剰なことのようにすら思える。
生きている、ただそれだけでいい、それで十分、そう思った。
障害を持つ方々と長年共に過ごす中で、あるがままの生を肯定する思想、が無意識に刷り込まれた。そんな思想に基づいて、デイサービス土屋を作っていきたい、そう思った。障害運動の思想に立脚した高齢者と支援者のコミュニティーづくりが始まった。
デイサービス土屋のご利用者様のご家族で、土屋産婦人科で生まれた方々が、何人もいた。生まれる場所が、人生の最終ステージを送る場所に変身した。
株式会社土屋、その社名の由来はこのデイサービスセンターに由来し、地域医療を長年担われ、生と死を見守った女医さんのスピリットを継承し、障害者運動とデイサービスセンターを貫く全肯定の思想からやってきたのだ。
高浜敏之
株式会社土屋 代表取締役 兼 CEO 最高経営責任者
慶応義塾大学文学部哲学科卒。
美学美術史学専攻。
大学卒業後、介護福祉社会運動の世界へ。自立障害者の介助者、障害者運動、ホームレス支援活動を経て、介護系ベンチャー企業の立ち上げに参加。デイサービスの管理者、事業統括、新規事業の企画立案、エリア開発などを経験。
2020年8月に株式会社土屋を起業。代表取締役CEOに就任。趣味はボクシング、文学、アート、海辺を散策。