本社管理部

株式会社土屋 第二本社

青山純二

事務局長 / 本社・新規エリア開発部門 シニアディレクター

安心して身を任せてもらえたり、頼りにしてもらえることが介護の本質

 《interview 2022.06.21》

仕事選びや、今後のキャリアのことを思うとき、「こうあらねばならない」「こうしなければならない」という言葉が頭に浮かびませんか?それらを前にして、今まで生きてきたあなた自身の心の奥底では、どう感じているのでしょうか。たとえそれが世間で賞賛される人物の言葉だとしても。迷う前に、実はもう決まっていることがあるかもしれません。

CHAPTER1

株式会社土屋の名前を、福祉の街・東京国立から広めています

2022年6月現在、株式会社土屋・第二本社(東京都国立市)で事務局長を務める、本社・新規エリア開発部門 シニアディレクターの青山 純二。第二本社を関東圏に浸透するべく、日々活動しています。

青山 「株式会社土屋は重度訪問介護(重訪)を主軸とし、全国に事業所を設置していますが、障害者支援に関する認知度は十分ではなく、まだ支援を待っている障害をお持ちの方は数多くいらっしゃいます。当社が関東圏に事業を展開していく中で、重訪、ひいては当社の認知度を高める活動を展開していく拠点として、2021年12月に東京第二本社が設立されました。第二本社は国立の繁華街の中にあり、富士山の見える開放的な環境です」

現在、青山は第二本社の事務局長として、当社の広報活動をメインに行っています。

青山 「国立を中心として関東全域の市役所や区役所など、関係各所へあいさつ回りをしています。数多くあるケアマネや相談員の事業所と異なり、市役所や区役所は数が限られます。

なので、まずはそこからですね。役所関係から話が広がり、紹介もしてくれます。『小さな声』を拾い上げるためにも、役所へのあいさつ回りはとても大切ですし、実際に市役所の基幹相談支援センターから多く依頼が来ています」

また第二本社では、当社の子会社・あぐり工房土屋で制作している「さをり織り」の販売もしています。

青山 「さをり織りのディスプレイなどを見て、町の人がふらっと気軽に立ち寄れる場所になれればと思っています。各種障害福祉サービスを受けたい方や、ご相談したいことがある方にはいつでもご相談に乗ったり、ホームケア土屋の各事業所をご紹介したりと、地域の中で第二本社を育てていきたいですね」

地域に根差した活動を行い、近隣住民や施設と共に、地域福祉をより一層広げる拠点である第二本社。もともとの開設は、当社の常務取締役兼CSOの笹嶋 裕一によることから、ここでは笹嶋が率いる経営戦略室も稼働しているとのこと。

青山 「経営戦略室は代表取締役・高浜 敏之の直轄の部署として設置されたものです。社長自らが客観的見地から経営判断ができるように、当社の事業に関するさまざまな情報を収集し、各セクションの状況や課題を社長に提示・提案しています。

私自身は経営戦略室に所属していませんが、会社の運営に関わる情報収集をしている同僚と、ふとした会話などで視点を共有しながら仕事ができるというのはありがたい環境ですね」

東京第二本社では経営戦略・人事関連のみならず、青山が所属する内部監査室のミーティングや業務が、オフライン・オンライン問わず、活発に行われています。

事務局長として株式会社土屋の魅力を発信していきたいという青山は、当社の魅力についてこう語ります。

青山 「私が思う当社の魅力は、何と言っても高浜代表です。当社はやはり高浜代表の存在が最も大きいですし、何か大きな転機があるときは、確かな根拠はないのですが、代表についていけばなんとかなるだろうと常に思っていました。

プライベートなことも相談させていただいていた時期もあり、そういう時もちゃんと話を聞いて、助けていただきました。代表がいなかったら、私もこの会社にはいなかっただろうと思います」

青山が高浜 敏之代表に寄せる信頼は、青山と介護との出会いに始まります。ただその原点は、生まれ育った故郷にありました。

CHAPTER2

雪深い土地で生まれた少年の、「大変さ」を受け入れる目

1978年、青山 純二は青森県つがる市で生を受けます。

青山 「雪の深い津軽地方の出身です。子どもの頃は、無口でおとなしかったようです。今でもよく言われますが」

多い時で1日3回ほど雪かきが必要だったという津軽地方。青山は実家のリンゴ農園を手伝いながら育ち、中学でバスケットボール部に入ります。

青山 「100点ゲームをされるような弱小チームだったんですが、バスケ自体は好きで、放課後や休みの日も懸命に練習しました。ポジションはポイントガード。4キロくらい離れたコートに通って、よく友人と3on3もしていましたね。

でも、ほんとに勝てないんです。地方大会に出ても散々な結果で。ボランティアの外部コーチに教わり始めてからは少しは強くなりましたが、勝てないことには変わりなく(笑)」

試合に負けても、不思議と悔しいとは思わなかったそう。なぜなら、チームの実力が知れているから。そんな青山の憧れはNBAのスター選手。

青山 「マイケル・ジョーダンが好きで、当時はオリンピックモデルのシューズも買っちゃいました。今でもジョーダンのバスケはよく見ます。同じシカゴ・ブルズのピッペンやロッドマンも好きですね」

卒業後、青山は高等学校の農業土木科に進学します。

青山 「農業土木科は測量や橋の設計などを勉強する科です。ただ入学の動機は不純で、いわゆる短ラン、ボンタンの制服に憧れて。もっとも、僕が入った年からなぜかブレザーに変わっちゃいましたが(笑)」

高校では帰宅部となった青山。次第に勉強もしなくなり、少々不真面目に。

青山 「段々成績が下がってきて、担任から真剣に怒られたんです。『真面目にやれ。勉強しろ』って。それが心に響きました。僕のことをちゃんと考えていてくれたんだなと、嬉しかったんですね。そこから少しずつ勉強を始めました」

そして青山は将来に向けて動き出します。

青山 「橋の設計に関係する仕事に就きたいと思い、市役所や区役所、都庁なども受けたんです。でもことごとく不合格で。やはり不勉強がたたったのかなと。それで、実家の手伝いを始めました」

2月は枝の選定作業。春から初夏にかけてつぼみが出始めて、しっかり育つように適度に摘み取り、袋をかけます。晩夏に袋を外し、日が当たるように葉っぱを取り、育ったリンゴに日が当たるようにリンゴを回します。

1本の木に何百個と実がなり、それが何百本もあるリンゴ農園。一個一個のリンゴを丁寧に育てていく青山。

しかし、20歳くらいの頃、母の肺に癌が見つかります。

青山 「癌がどんどん進行して、入院せざるを得なくなりました。僕もほぼ毎日病院に通いましたが、その時に初めて人の世話をしたんです。嫌いじゃないなと思いました。好きかもしれないと」

けれど青山が介護の仕事に出会うのは、まだ先のこと。青山には何よりもまず、東京に出たいという夢がありました。

青山 「リンゴ農家だけだと生活は厳しいです。両親も本業を持っていて、昔から仕事が終わると畑をして、その間は祖父母が手伝っていました。なので、実家を継ごうという考えはなかったんです。それに、東京に憧れていて、何度か東京に働きに出ましたね」

そうして青山は30代で、本格的に東京で暮らし始めることになります。

CHAPTER3

思い出した。母の世話をしたとき「嫌じゃなかった」

憧れの東京。青山は自動車や電機会社の工場で5年ほど働いた後、ふとしたきっかけで前職の介護の求人を目にします。

青山 「まず時給に惹かれました。それに母の介護の影響は大きくて。その経験がなければ介護業界に向かわなかったと思います」

青山はまず、デイサービスで非常勤ヘルパーとして働き始めます。けれど2、3日後、重訪への誘いを受け、資格研修を受講することに。

青山 「実は現代表の高浜さんもそこで働いていて、面接も採用もしていただいたんですよ。この研修も高浜さんと一緒に受けに行って。それが嬉しくて、今も自慢です」

入社後すぐに高齢者介護から障害者介護に移った青山ですが、医療的ケアにも怖さを感じなかったと言います。

青山 「無我夢中で怖がる余裕はなかったのかもしれません。ただ、当時は領域的にあいまいな医療的ケアをする場面もあったので、その時は焦りますし、迷いました。

けれど、気になったことは当時の上司に支援中何回も電話して、上司もしっかり指示を出してくれたので安心できました」

コミュニケーションの面でもそんなに苦労はしなかったという青山ですが、あるご利用者宅での出来事は青山を深く傷つけるものでした。

青山 「ALS(筋萎縮性側索硬化症)の男性ご利用者のお宅に初日に入った時、奥様の指示に従ったら、それが問題となって。奥様は『そんな指示はしていない』と食い違いがあり、それからご夫婦に嫌われ出しました。何もさせてくれなかったり、無視をされたり。他のヘルパーとの接し方の落差にショックを受けました」

そんな逆境の中、青山は週2、3回の夜勤を1年半にわたり続けます。その後、常勤勤務にシフト、新たに開設された大阪事業所の手伝いに行くことに。

青山 「大阪でコーディネーターに昇格しました。管理業務もしながら、ご利用者宅に通っていたのですが、半年後、新規開設の札幌事業所に異動することが決まったんです。ご利用者に『札幌に転勤で、今日が最後です』とご挨拶すると、後ろを向いて泣いちゃって。僕も感動して泣きそうになったんですけど、あの人の涙は嬉しかったな」

青山は心を残して札幌に。サービスマネージャーに昇格し、現場にも変わらず入ります。

青山 「大変でした。週6で夜勤をしつつ、請求業務も。けれど札幌事業所の立ち上げ時期だったので、ダウンするわけにはいかず、頑張りましたね」

今までで最も大変だったというご利用者宅にも一人で入る青山。

青山 「細かい指示やこだわりの多い方で、みんな辞退してしまい、僕まで辞退するわけにもいかず……。オムツが肌に少しでも触れると擦れて痛いと仰るので、その作業だけで3時間。朝の9時で終わるはずの支援が14時になったりと、大変でしたね。でも『痛いのを我慢して』なんて言いたくなかったんです」

札幌事業所のサービス提供責任者兼管理者の立場を務めながら、青山は札幌に来て数か月後、エリアマネージャーに昇格。旭川事業所も管轄します。その頃から徐々に現場を離れ、管理業務と運営に専念することに。

青山 「現場ではご利用者ファーストでしたが、管理・運営となったら事業所の拡大や売上に重点を置くようになりました。それで当時の部下には『ご利用者のことをもうちょっと考えて下さい』と批判されました。

けれど立場上、事業所の維持や発展に責任がありましたので、やはりそちらを意識していましたね。そうすることで、困っている人も助けられるのではと」

前職の方針に基づき、青山は営業を掛け、事業所拡大に邁進します。

青山 「札幌は依頼のチャンスはあまりないんです。少ないチャンスをいかに生かすかが、僕の中では勝負でした。次はいつ依頼が来るか分からないですからね。だから会社に発破をかけられても、そんなに嫌じゃなかった。やらないといけないと、そういう気持ちでした」

札幌に来て3年ほどが経った2020年10月、青山は前職を退社、株式会社土屋に入社します。

CHAPTER4

一つひとつ、一歩一歩、地に足をつけて歩いていれば大丈夫

2020年10月、株式会社土屋に入社した青山 純二。翌年の春に北海道を離れ、東京で内部監査室に所属。全国にある当社の各事業所のコンプライアンスについて、監査・監督・レビューを実施します。

青山 「役割としては、事業所が制度に沿って適正に運営されているかの確認です。具体的には、厚生労働省令に基づいて運営されているか、厚労省発出の通知内容に応じているか、あとは介護報酬改定後にはきちんとそれに基づいて運営されているかなどです」

北から南まで、全国にある当社の事業所。青山は内部監査員と全国を飛び回ります。

青山 「当時、メンバーは2人だけでしたので、事業所を半分ずつ担当しましたね。各事業所を訪問して、各自治体から出ている自己点検表に基づいてチェックします。

例えば、個別計画書やアセスメントシートをちゃんと作っているか、契約はきちんと結んでいるか、個人情報同意書を得ているかなどです。また、事業所の運営規程が契約書の重要事項説明書どおりに記載されているのかなど、一つひとつチェックしていきましたね」

年に2回、内部監査を実施し、2021年はそれに明け暮れた青山。並行して、新規エリア開発部門に所属し、新規事業所の申請の手伝いもします。その後、第二本社の事務局長に就任し、現在は日々、あいさつ回りなど、当社および重訪の浸透に力を注いでいます。

そんな青山の楽しみとは。

青山 「動画配信サイトでお笑いを見ています。特に好きなのは『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで』のトークのコーナー。毎日見ても飽きないです」

最近は、料理にも凝っているそう。

青山 「パラパラのチャーハンを作りたくて、中華鍋を購入しました。チャーシューも1時間半くらいかけて作りました。今までは簡単なものしか作っていなかったので、今後は手の込んだものにチャレンジしていきたいです。以前、調理支援もしていたご利用者に、『青山さん、居酒屋やったほうがいいよ』と言われて嬉しかったのを今、思い出しました(笑)」

現在、介護に携わることができて、とても充実しているという青山。今後はHPを作ったり、SNSを活用して、第二本社自体の認知度を拡げたいと模索しています。そんな青山が、介護について思うこととは。

青山 「重訪では、よそ様のお宅に伺って支援するので、クライアント本位ですべきというのがあります。また、例えばトイレをお借りするときでも、一言声を掛けるなど、きちんと礼儀を守ることも必要です。アテンダントの都合で動かず、クライアントに不快感を与えないことが大切です」

今までも、クライアントは「自分にとって大切な存在」と思いながら支援をしてきたという青山。そうすることで、必然的に何事も雑になることはないと言います。

青山 「介護では、基本的なスキルはもちろん必要ですが、クライアントときちんとコミュニケーションを取り、安心して身を任せてもらえたり、頼りにしてもらえることが介護の本質だと思います」

最後に青山からのメッセージです。

青山 「訪問介護は基本的に1対1の支援ですが、実は後ろに大人数の味方がいます。何かあれば、医師や看護師が駆け付けてくれますし、ケアマネや相談員もいます。チームとして動いているので、1対1でも決して孤独な仕事ではありません。安心して介護業界に来ていただければと思います」

青山の言葉は、飾り気や売り込みのない、シンプルな響きがあります。マスコミやSNS上に日々新たに湧き出て人々を揺るがすカタカナ言葉たちは、青山の前ではその色を失ってしまうかのようです。

あなたももし、自分のキャリアや仕事選びに迷ったとき、他でもないあなたの人生を子どものころから一度今の目線で振り返ってみてはいかがでしょうか。

記憶の中の自分は既に、あなたに合った仕事をみつけているのかもしれません。

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