介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

辻経子

奈良 管理者

自己弁護と自己弁護がぶつかる世界を思い出の中に追いやって

 《interview 2025.09.10》

ホームケア土屋奈良で管理者として働く辻経子(つじきょうこ)。
大阪の下町で生まれ育ち、3人のこどもを育てながら歩んできました。
その後、こどもたちから手が離れたタイミングで彼女が選んだのが介護の仕事。
グループホームでの経験から、重度訪問介護との出会い、そして管理者としてアテンダントとクライアントとともに歩む現在までーーその中で辻は、“どんな人も受け入れていく”という多様性を、土屋という会社に感じてきたと言います。
「“その人らしく“っていうことが何の隔たりもなく大事にできて、誰かが”その人らしく生きれない“ことがないように」――そう願う辻の、これまでの歩みと今をめぐります。

CHAPTER1

こどもの頃は『じゃりん子チエ』みたいな環境で育ちました

高校はソフトテニスに明け暮れて。ボールしか追いかけてなかった頃

―どちらで生まれ育ったんでしょうか。

生まれも育ちも大阪市です。
生まれたのは下町で、父親と母親は商売をしていました。

お父さんがお寿司屋さんで、お母さんがお好み焼き屋さん。

漫画の『じゃりん子チエ』みたいな環境で育ちました(笑)。

―お店のお手伝いもよくされていたんですか?

いえ、そんなに大きなお店ではなくて。
小学校ぐらいの時に2人ともお店を辞めちゃったんです。

でもお店に食べに行くのはしょっちゅうしてました(笑)。

小さい頃はよく「◯◯屋さんになりたい」なんて言っていましたね。

お店をやりたい感じだったんでしょうね、親を見ていたので。

親が年いってからできた子だったので、めちゃくちゃ甘やかされて育ちました。

こどもの頃は頑固な子だったみたいです。

何か買ってくれなかったら、泣いてその前から動かなかったそうです(笑)。

―その後、10代の頃はどんなことに熱中されてたんでしょうか。

中学校はバレーボールをやってたんですが、そんなに気合い入れてはしてなくて。

その頃、ちょっと道をはみ出しそうになって、親が心配してたんですよ(笑)。

8つ上の兄からは「お前はもっと世界を見た方がいい」なんて言われて、いきなりフィリピンのスタディツアーに参加させられたことがありました。

そのツアーは、フィリピンのピナツボ火山の巨大噴火後に、スモーキーマウンテン(かつてあったフィリピンのスラム街)や避難民が暮らす地域に1週間滞在してお話を聞く、という現地の情勢を歴史から振り返るようなツアーでした。

そのツアーが新聞に載ってしまって(笑)。

「誰にもばれへんから(取材を受けても)いっか」と思っていたら、しっかり社会の先生に見つかって教室の後ろに新聞の切り抜きを貼られてーーその頃ってすごく多感な時期じゃないですか。

なので、「嫌やなぁー」って。
すごく気まずかったのを覚えてます。

でもまぁ、そのおかげか、横道にはそれずに10代を過ごせましたが(笑)。

高校はソフトテニスに明け暮れてました。

テニスをしたことがなかったので、「なんか楽しそうだな」っていうだけで入ったら、全国大会に出ている部やったんですよ。

それで「これは辞められないな」と3年間続けて、主将もやらせてもらってーーあの頃はボールしか追いかけてなかったですね(笑)。

CHAPTER2

「働き始めたら、楽しくって」――グループホームでの仕事との出会い

入居者のおばあちゃんの言葉――「しんどかった時を思い出すこともあるけど、前見て歩いていかなあかんと思う」

高校を卒業してから、最初に就いたのが事務職です。

そのあとは介護の仕事しかしてないんじゃないかな。

事務の仕事をしていた20代の時に結婚をしたので、そこからはずっとこどもがいる生活でした。

こどもが3人生まれて。

それで離婚して、そのタイミングで就いたのが介護の仕事でした。

「介護だったらこどもがいてもできるかな」と思って。
初めて働いたのは、高齢者のグループホームでした。

―介護の仕事で働き始めた時、どんなことを感じられたんでしょう。

最初はパートで働き始めたんですが、楽しくなって。

「おじいちゃん、おばあちゃん、可愛いな」っていうところから面白さも感じるようになって、「社員になりたい」まで思いましたね。

ただ最初に勤めたグループホームは家から遠かったので、近くのグループホームに転職して、社員として働かせてもらうことになりました。

そのグループホームでは認知症の方が暮らしていました。

私にとっては“同じことを何回も言うこと”も“同じ話を何回も聞くこと”も、全然苦じゃなくてーー利用者さんは認知症やけど、「自分は認知症だ」っていう理解はほとんどないです。

毎日いろんなことを忘れていくーーそういう葛藤がある中で、その中でも楽しく生活して私が声掛けすることで笑顔になってもらえたりする。

そんなところをやりがいに感じたんだと思います。

―今も記憶に残ってる方はいらっしゃいますか。

そうですね。

こどもさんが3人いらっしゃったおばあちゃんなんですが、不慮の事故で2人のこどもさんを亡くされて。

ご主人が亡くなった後、ご本人が認知症になって入居されたんです。

お話を伺う中で、自分はこども3人いて、1人で育ててるけど、そのおばあちゃんはもっと辛い思いしてるのに笑ってて、すごく強いなーーって思えたんですよ。

「時々、しんどかった時を思い出すこともあるけど、振り返ったりせずに、前見て歩いていかなあかんと思う」「あんたも若いから、そうやってやっていかなあかんよ」って言ってくださったのは覚えてますね。

乗り越え方も含めて、その方からは学ぶことがたくさんありました。

今でも「どうされてるのかな」って思ったりしますね。

辻さんの3人のお子さんたち

CHAPTER3

「他の介護の仕事にもチャレンジしてみたい」――重度訪問介護との出会い

「普通に生活していたら、次に何をするかなんて決まってない」っていうあたりまえのことに気づいた

いちばん下の子が高校に入るタイミングで「やっとこども3人が大きくなって、自分の興味ある仕事につける」って思って、グループホームを退職しました。

以前から土屋の前会社の求人広告が気になっていたんですよね。

「他の介護の仕事にチャレンジしたいな」と思ったのが転職のきっかけでした。

―重度訪問介護(重訪)の仕事の、どんなところにご興味があったんですか。

医療的ケアですね、やっぱり。

介護施設にいると、医療的ケアに直面する場面があっても、看護師さんが来ないと、介護スタッフは何もできない状態があったので。

―実際に重訪を始められて、いかがでしたか。

いちばんに思ったのはーーグループホームに勤めてる時はスタッフ側はやることがたくさんあって動いてばかりだったんです。

でも重訪の支援現場に最初に入った時は「こんな感じでゆっくり時が流れていいんだ」「(クライアントの)お宅に入らせて頂くってこういうことなんや」――っていうことは感じました。

施設は「次これやって、その次はこれやって」っていうのが決まってるんですよね。

前に働いていたグループホームと、重訪で働き始める間にちょっと期間があったので、そこで派遣で別の施設で介護の仕事をしてたんです。

でも毎日、スケジュールが一緒だった。

「朝は散歩に行きます」「3時になったらおやつ食べます」――その流れが毎日全部一緒なことにちょっと絶望したというか。

それもあって在宅介護にも興味が湧いたんです。

あの後も施設で働いていたら、「普通に生活していたら、次に何をするかなんて決まってない」っていうあたりまえのことに気づけなかったなっていうことは思いました。

―仕事や立場が変わると、見えるものも変わってくると思います。

そうですね。

施設は「誰が何をするか」が明確に決まっていて、すべて会社が決めたルールでやっている。

でも重訪は、その度にいろんな人と向き合いながら関わっていくところが違いますよね。

「これだけ人と会って喋ることないわ」っていうぐらい(笑)。

「私がいかに人と浅く今まで付き合ってきたんやろうな」っていうことは思いましたね。

すごくしんどかったので、仕事を始めたばかりの頃は。

その後、ホームケア土屋奈良の管理者になったのは2022年。

2019年に重訪の仕事と出会って、最初はアテンダント、そこからコーディネーターとして支援にも入りながらコーディネーターの業務もしていました。

重訪は施設介護とは違って、支援現場に直行直帰なんです。

その分、顔を合わせることも少ないので、アテンダントとの距離感も違う。

立場が変わって、人を育てていく場面に立ち会うことが多くなって、マネジメントという面では「本当に難しい面のある仕事だな」とは思いました。

CHAPTER4

大事にしてるのは「自分の価値観を人に押し付けないこと」

「話を聴く側がそういう姿勢でいないと、人の心の扉をひらくことなんてできへんねんな」

―人と関わる時に辻さんが大切にされていることを教えてください。

そうですね。

「自分の価値観を人に押し付けない」っていうことは思ってます。

ものさしを自分でつくったら、そこから何も広がらないなっていうのを勉強したので。

あとは、男であっても女であっても、年も国籍も関係なくーーっていう感覚を常に持ってますね。

―「ものさしを持たない」というのはどんなご経験から?

アテンダントの方とのやり取りから学んだことは大きかったですね。

「自分はこういうふうに思っていて、こうしてほしい」っていうことをアテンダントに伝える時に、以前は「こうあるべきだ」「普通はこうやろ」と思ってたところが私にはありました。

そんな中で、自分が考えていたことを、相手は全くそんなふうに思ってなかったことがあったりーー相手によって受け取り方がそれぞれ違うことに気づいたんですよね。

そういう経験を重ねていった時、「『普通はこうだ』っていう言葉を持つこと自体を、絶対にやめよう」と思うようになって。

「話を聴く側がそういう姿勢でいないと、人の心の扉をひらくことなんてできへんねんな」って思いました。

それはクライアントさんも一緒ですね。

―今のお話とも重なると思うんですが、これまで介護の仕事を長く続けられてきた中でご自身が変わってきた部分はありますか。

初めて働いた施設でも学んだことはたくさんありました。

もちろん施設なので、毎日、同じ流れで進めていかないといけないところもある。

そこは「そういうものなんだな」って。

でも重訪と出会ってからは「介護の中でももっと個別性の高いサービスができる仕事もあるんだ」ということを知りました。

重訪を始めて最初に支援に入ったのが、気管切開をされていた方だったんです。

正直なところ、それまで気管切開をされている方を見たこともなかったし、「大丈夫かな」「怖いな」「何かあったらどうしよう」という思いが先立っていたんです。

重訪の支援時間って1回の支援が10時間と、長いんですよね。

そのクライアントの方はたくさんお話をされる方やったので、いろんなお話をしました。

「なぜ障害を持ったか」という話や、その人の人生とか、背景の話までがっつり伺ったんです。

そういうやり取りが、“見守り”と呼ばれて、重訪のサービス内容として明記されている。

いろいろな方のご自宅に伺ったんですが、「私自身がこんなに人に興味を持って、支援させてもらってる」っていうこと自体が初めてで、結構衝撃的でした。

そこが多分、自分自身が変わっていったところなんだろうな、と思います。

なんか、その人に興味持っちゃうんですね、すぐ。

「どういうふうなことがあって、今ここにいるんやろう」って。

もちろん喋りたくない方もいらっしゃるので、そういう方には伺うことはしませんでしたが、心を許してくださってる方には普通にーー障害を持ってるとか持ってないとか関係なく、無邪気に私の方からいろんなことを聞いてたんじゃないかな、と思います。

今思うと、失礼にあたっていたこともあったかもしれないですが。

―施設で働いていた時とはまた違うご自身が見えてきたんですね。

そうですね。

正直なところ、そこまで人への興味も湧かなかったし、やるべきことがたくさんあって、そんな時間もなかったんですよね。

でも、重訪でこんな長いこと同じひとりの人と関わってると、相手のクライアントさんも私に興味を持ってくださる。

それがいいか悪いかは別として、深く関わるようにはなりましたね。

CHAPTER5

新しいクライアントさんに出会った時は喜びを感じます

自分をつくってくれたのはやっぱり、こどもやと思います。こどもが自分を成長させてくれた

―今、関わられてるお仕事ではどんなところに喜びを感じていますか。

そうですね。

やっぱり新しいクライアントさんに出会った時は喜びを感じるというかーー「自分たちが役に立つ場所がまたあるんだ」っていうことを感じられると嬉しいです。

奈良は、私が入社した頃は重訪が誰にも知られていないような状況だったので。

営業も含め、勉強会をさせてもらったり、重訪自体を多くの方に知ってもらうためにこれまでさまざまな取り組みをしてきたんです。

最近は「ホームケア土屋って言ったら、重度訪問介護やんね」って電話してきてくださるケアマネージャーさんもいらっしゃるんですよ。

「重訪が着実に広がっていってるな」って実感できるのはすごく嬉しいですね。

―今の辻さんをつくってくれた人――例えば一緒に働いてきた人でも、クライアントさんでも、お仕事以外でも。もしいらしたら教えてください。

これがなかなか出てこなくって(笑)。
でもやっぱり、こどもやと思います。

こどもが自分を成長させてくれた。
私は22そこらで最初の子を産んで。

22、23、24って産んでるので、みんなが、3人が私を母にして大人にさせていったんだと思ってますね。

―たとえば、こどもたちとのどんなところですか。

こどもたちの“成長”ですよね。

成長する姿を見てて、「私がしっかりしないといけない」とか、「私がおらんと食べていけないんや」とかいうのを日々感じるので。

3人のお子さんたちの「今」

CHAPTER6

“どんな人でも受け入れていく”――土屋という会社の多種多様性

“らしく“っていうことが何の隔たりもなく大事にできて、社会のルールによって誰かが”らしく生きれない“ことがないように

―これからのことを伺えればと思います。ホームケアの奈良で、今後こんなことに関わっていきたいなとか、こんなふうに事業所がなっていったらいいなっていうところがあったら聞かせていただいていいですか。

自分自身は「取り繕わずいきたいな」っていうのはずっと思ってますね。

土屋の中にはさまざまな事業があると思うんですが、自分が役に立つ場所があるのであればーー

「『◯◯の部署に行ってほしい』と言われたら行きます」っていうぐらいいろんなことに興味があるし、やりたいと思ってます。

事業所としては、クライアントもアテンダントもすべての人間に丁寧にしっかり向き合っていくことはこれからも続けようと思っているところですし、そういうふうになっていけばいいなって思ってます。

―10年後とか20年後こんな社会になってたらいいな、こんな会社になってたらいいなというところはありますか。

そうですね……。

しょうもないことが多いじゃないですか、今の世の中って。

誰かと誰かが争ったり、ネット上で争ったり。

でもそういうエネルギーを、争うことじゃなくて、みんなが生きやすい社会にしていく方に使えたらいいですよね。

“自分らしく生きる”って土屋も掲げてるとは思うんですが、“らしく“っていうことが何の隔たりもなく誰でも大事にできて、

誰かが”らしく生きれない“ことがないような、人が人を除外したり、人が人を拒否するようなことがない世界にはしたいです。

―今、らしさのお話が出てきました。辻さんにとってのーー“自分らしさ”みたいなところってどんなところにあると思いますか。

自分らしさは、良くも悪くも正直なところーーになると思います(笑)。

― “土屋らしさ”についてもみなさんに伺ってます。これまで働いてきた中で、「こういうところを土屋らしさと呼んでいいんじゃないか」って思えるような部分ってありますか。

これも答えるのが難しいんですが……

人と人として丁寧にしっかり向き合って、支え合って、その人らしくーーどんな人でも“受け入れていく”っていう、この会社の多種多様性は「土屋らしいな」って思ってるし、好きなところですね。

やっぱり人って、取り繕って生きてるところもあると思うし、すぐに自分を出して生きていくってなかなか難しい。

でもそんな中でーー「どんな人でもいいやん」っていう姿勢は上司から教えられてきたことやと思います。

“どんな人でも受け入れていく”ーーそれはアテンダントだけじゃなくて、クライアントさんもそうですよね。

それぞれにいろんな背景がある中で、「そんなんどうでもいいやん」「ほっといたらええやん」って思ってしまうようなことにもちゃんと向き合って、受け入れていく。

そこが「この会社らしいな」って思いますね。

CHAPTER7

自分がそこにいられる場所

介護の仕事には、“どんな自分でも役に立てる場所”っていうことをすごく感じるんだと思います

―今までお仕事のことを伺ってきたので、お休みの日はどんなふうに過ごされているのか、それからどんな習慣があるかを伺えたら、と思います。

休日はほとんど家にいて、本当に韓流ドラマを見てますね。

習慣についてはーーちょうど、毎月ある会議の今月のテーマが「支援前にしてるルーティンは何ですか?」なんです。

私は車で通勤をしているので、その時は音楽をガンガンにかけて、めちゃくちゃ歌って、声を出すっていうのを絶対やってます(笑)。

―(笑)。どんな音楽を聞かれているんですか。

いろいろ聞きます。

「この人」にこだわってるっていうことはないんですが、最近はONE OK ROCKだったり、Mrs. GREEN APPLEだったりが多いですね。

奈良は基本、車移動の方が多いので、歌っているとこ誰かに見られてないかなーって思ったりしています(笑)。

―辻さんは17年のあいだ、介護のお仕事をされてきてます。最後にーーなぜ、そんなに長く介護の仕事を続けられてきたんでしょう。そこを伺いたいです。

なんでやろうなぁ(笑)。

求められてるっていうよりも、“自分がそこにいられる”っていうことの方が強いかもしれないですね。

私は自己肯定感がもともと低いほうです。

だから“そんな自分でも役に立てる場所”っていうことをすごく感じれるんだと思います、介護の仕事には。

仕事を続けていく中で「こんな自分でも誰かの助けになれる、働いていけるんや」っていうことは感じたし、充実するんですよね、毎日が。

必要とされてるって感じられる。

「天職」とまでは言わないですけど(笑)。

なんか……やめないんですよね、介護(笑)。

―なんででしょうね。ふしぎです。

本当に。
ただ、「人が好き」っていうことは理由としてあると思います。

「ありがとうって言われて嬉しいから」といった理由は介護の仕事に就く人からよく聞くんですが、そういうのも私自身はあまりないんですよ。

人と直に関わって、いろんな人の人生を見られるーー昔は違っていたんですが、今は本当にそのことが楽しいって思ってるので。

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