介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

坂口翔太

長崎 アテンダント

「“神様に選ばれた人”といっしょにいる仕事」――と言ったら驚きますか?

 《interview 2025.09.29》

「介護の仕事のイメージを変えたい」――。
ホームケア土屋長崎でアテンダントとして働く、坂口翔太(さかぐちしょうた)。
おしゃべり好きの少年時代から、やりたいことが見つからず迷っていた青春時代、その後、姉の病をきっかけに介護の世界に飛び込みました。
そこで「人に喜んでもらう、喜び」を知った坂口。
クライアントや家族との出会いの中で自らの感性を耕しながら、今、介護という仕事と自身の新しい可能性を紡ぎ続けています。
出会いを通して豊かに広がってきた介護の道を、彼が育て慈しんできたバラの花の写真とともに振り返ります。

CHAPTER1

とにかく人と話すこと、楽しいことが好きだったこどもの頃

相手が喜んだり、楽しんでもらったら自分も嬉しい気持ちになる。そういう部分は今も変わらない

―ご出身はどちらになるんでしょう。

長崎県の諫早ですね。
出身地を言うのはとても恥ずかしかったですね、田舎なので。

学校自体も人数が少ないので、小学校は1クラス、中学校で何とか2クラス。

とにかく学年が上がる時のクラス替えの経験もしたことがないんです。

それもあって、男女隔たりなく仲が良かったですね。

―坂口さん自身はどんなお子さんでしたか?

めっちゃおしゃべりで、小学校の低学年の時は「吉本に行く」とかよく言ってました(笑)。

とにかく人と話すこと、楽しいことが好きでした。

諫早はみかん農家さんが結構いらっしゃるんです。
なので、みかん畑にみかんがいっぱいあるんですよ。

そのみかんに爆竹を詰めて、投げ合うっていう遊びを小学生の頃はよくしてました。

今じゃ考えられないですけどね(笑)。

それから住んでいたのが山の麓だったので、クワガタとかカブトムシを捕まえにもよく行ってました。

―今も変わらない部分ってどんなところでしょう。

仕事にしても、プライベートにしても、“楽しむ”っていうことを、いちばん気にかけてるかもしれないですね。

相手が喜んだり、楽しんでもらったら自分も嬉しい気持ちになる。

そういう部分は今も変わらないですね。

―中学生、高校生の頃はどんなことに熱中されていましたか。

高校は部活で一生懸命で、勉強は全くしてなかったです。

小学校の2年生から中3までは剣道をしてたんですが――ぶっちゃけ嫌々ながらしてました(笑)。

高校ではバレー部に入って。
高校の頃は部活に熱中してましたね。

CHAPTER2

卒業後、やりたいことが全然なくて――姉から勧められた介護の仕事

仕事を始めたばかりの自分は、認知症のおじいちゃん、おばあちゃんとのやり取りを楽しく感じたり、面白く感じたんだと思います

高校を卒業してからは、自分の中でやりたいことが全然なくて、仕事を転々としてた時期があったんです。

パチンコ屋さんで働いていたこともあったので、18、19、20歳ごろはギャンブルにのめり込んでいた時もありました。

朝から晩までギャンブルして、その後、友達と飲みに行くか、カラオケに行くか――そんな1日を過ごしてました。

介護の仕事に就く前の話です。

―そこから介護の仕事に興味を持たれたきっかけになったのはどんな流れがあったんですか。

姉がいるんですが、その姉が難病になって下半身付随になったんです。

自分がそうやって遊んでる時に姉が難病になって。
姉は看護師なんですね、もともと。

正看護師資格を取った年に車椅子生活になりました。

成人式が終わって、「ちゃんと仕事せんば」と考え始めた時、姉から介護の仕事を勧められたんです。

介護の仕事は本当に軽い気持ちからというか――正直なところ、最初はそんなに興味もなく、「やりたいことが何もないから、とりあえずしてみよう」ぐらいの感じだったんですよ。

周りからも「どうせすぐやめるんやろうね」って言われてましたし(笑)。

―実際に働いてみて、どんなふうに感じましたか。

最初に働いたのは介護老人保健施設(老健)でした。

自分が最初に就職をしたのが、私のおじいちゃんが自分が高校生ぐらいの時に入所していた施設だったんです。

今からは考えられませんが、その当時はまだ、高齢者施設で身体拘束をしていた時代でした。

おじいちゃんは認知症があったので、ステーションの横で車椅子に縛られていた記憶が自分の脳裏にあって。

正直なところ、自分にとっての“施設”とか、“介護の仕事”ってそういうイメージだったんです、最初は。

でも、自分が働き始めた頃には、業界全体での身体拘束に対する考えは変わっていて。

認知症を持っている方が多い施設だったんですが、そのおじいちゃんおばあちゃんたちを、なぜかわからないんですが――「かわいい」って思ってしまったんですよね。

もちろん、目上の方なので、失礼に当たると思いますが。

認知症があるので、普通と違うやり取りをされるんですが、その部分を――本当に失礼な言い方なんですが――仕事を始めたばかりの自分は、楽しく感じたり、面白く感じたんだと思います。

自分が入社した時、ちょうど同世代ぐらいの子たちが何人もいたんです。

和気あいあいと働いていたので、そういった雰囲気も、今考えたら助けになっていたのかなと思います。

CHAPTER3

“バラの花が咲く喜び”との出会いは、介護の現場から

利用者と一緒に育てた花が、介護と人生を豊かにしてくれた

―その後、同じ福祉法人で、違うお仕事をされてきたとお聞きしてます。

老健で12年ほど働いて、その間に介護福祉士とケアマネージャー(ケアマネ)の資格をとりました。

ちょうどその頃、結婚をしたのもあって「上を目指したい」っていう思いもあったんですね。

ケアマネの資格をとって2年ほど経った時に、「軽費老人ホームの相談員をしないか」っていう話があったので、興味があって軽費老人ホームに異動して。

4年ほど相談員をして、その後、居宅介護のケアマネも4年ほど経験しました。

―実際の支援の現場から、また相談員ってなると関わり方が変わってくると思うんですが、仕事内容の変化は坂口さんにとっていかがでしたか。

現場にいる時は、利用者さんに対しての支援でよかったんですが、

相談員になると、ご家族だったり、他の事業所さんだったり――周りとの関係性や全体を考えた上での支援になります。

利用者さんは、相談員を頼って些細なこともご相談してくださるんですよね。

考えることがかなり大きくなったので、そこは大変さもありましたが、楽しさもあったかなと思いますね。

―印象に残ってる利用者の方はいらっしゃいますか。

自分はバラが大好きで、バラをめっちゃ育ててるんですけど、花好きになったきっかけというのが――軽費老人ホームの相談員をしていた時に、100歳のおばあちゃんがいて。

お花が好きな方で、よく通信販売でユリやチューリップの球根を買われていたんです。

それで「(植えるのを)手伝ってほしい」と言われて、一緒にしたんですよ。

そしたら、花が咲いた時の喜びが――それまで花を見て、「きれいだな」なんて感覚をもったことなかったんですけど、その時初めてそう感じて、なんか嬉しくて。

そこからバラにのめり込んでしまったんですね(笑)。

その頃、自宅の庭には何も植えてなかったんです。

でもそこからどんどん、どんどん庭に植物を植えていって――あっという間に花だらけになりました(笑)。

バラのおかげで、今までそんなに接点がなかった職員さんとも仲良くなったり。

同じ趣味を持つ方とは今でもずっと繋がりがあって、春には一緒にバラを見に行ったりしてますね。

CHAPTER4

やりがいだけじゃ続けられない――介護の仕事の“現実”と向き合って

給与の壁を超えて――土屋への転職

―その後、2023年に土屋に転職されます。きっかけはどんなところにあったんですか。

前の仕事を辞めた理由というのが、こどもたちが成長して、高校へ、大学へ、となった時に、どうしても給与面を考えるようになったんですね。

福祉業界で、長年同じ法人にいても、大体、“先”が見えていた。その時、将来の給与の金額を見て、不安になったんです。

「このまま福祉で働き続けるのは難しいな」と思って、1回、介護の仕事を辞めたんですね。

それで全然違う仕事をしたんですが、それはそれで「自分に合わないな」と思ってしまって――。

自分にできることと言ったら、やっぱり今までずっと続けてきた介護の仕事だった。

自分は19年間、同じ法人にいたんですが、後輩がどんどん入ってきて、でも給与の低さを理由に辞めていく人をたくさん見てきたんです。

結婚のタイミングで「介護じゃ、ご飯が食べれないから」って言って辞めていった人もいて――「こんなにいい仕事なのに、やりがいがある仕事なのに生活ができない」っていうことがずっと引っかかってたんですよね。

そういう現状を見てきたので、本当に正直な話ですが、土屋は介護業界の中でも給与面がよかったことが転職の理由のひとつとしてありました。

重度訪問介護という仕事自体は――ケアマネをしていた頃は、重訪を利用してる人が周りにいなかったので知らなかったんです。

でも土屋という会社を知った時、「この仕事だったら頑張れる」と思って。

面接の時にも、上を目指して頑張っていきたいこともお伝えしました。

CHAPTER5

「神様に選ばれてA L Sになった」――そう語るクライアントからの学び

「頼りにしていただいてる」ことの嬉しさ。だから、「自分ができることで、その方のお役に立てたら」

―最初に重訪の支援に入られた時、坂口さんはどんなことを感じましたか。

ケアマネだった時、現場のヘルパーさんの大変さをわかっていたつもりでした。

でも重訪は本当に初めてだったので、実際、自分がしてみて――12年間、現場でしてきたけど、本当に同じ“介護”でも全然違うなということをものすごく実感しました。

自分の中でもしかしたら「介護の現場を10何年してたから、(重訪も)できるだろう」って考えてた部分もあったんでしょうね。

自分が想像してた以上に難しい仕事でした。

最初の頃に入った支援現場では、1年以上通って、私ではこれ以上信頼関係を築くことができない、良い支援を提供することができないと思い、外させてもらった現場もあります。

でもその次にご紹介していただいた訪問先で、自分は本当に救われて――そのクライアントから重訪の楽しさとか、やりがいを実感させてもらったな、って今は感じてて。

―どんなところにやりがいを感じられたんですか。

今、支援に入っているクライアントさんやご家族からは、信頼を感じていて。

自分で言うのもどうかと思うんですが(笑)。

でも、「頼りにしていただいてる」っていうのはものすごく感じます。

それってやっぱり嬉しいんですよね。

それによって、「何かお役に立ちたい!」ってより思いますし。

だから今、充実してますね。

そのクライアントさんは、発症前から放送大学に通われていて、入院などでブランクがあったんですが卒業まで頑張られて。

ものすごく前向きな方なんです。

その方のすごいところは「自分は神様からスカウトされて、A L Sになったんだ」と仰るんですよ。

「神様に選ばれて(ALSに)なった」、と。

そういう言葉を聞くと、自分たちのちょっとした悩みなんてアホらしく感じてくるんです。

自分はめっちゃ尊敬してますね、そのクライアントを、人として。

その方は立ち回りも素晴らしいんです。

よく外出の支援にも入らせていただくんですが、外出先でも昔からの知り合いの方が声をかけてこられるんですね。

「あらー、◯◯さん」って言われて、抱きついてこられたり(笑)。

外出すると、毎回、毎回誰かしら知り合いの方と会いますもんね。

今は支援に入っていないアテンダントさんとも、その後も繋がりがあったり。

そういう姿を見ていると、その方の今までの歴史というか――これまでの人生のつみ重ねや関係性が今のその方の人間性になってるんだろうな、と。

もちろん自分が知らない部分もいろいろあるとは思うんです。

でも「すごい方だなぁ」と思ってます。

CHAPTER6

「あたりまえと言われてることをあたりまえにすること」が、自分にとってのあたりまえ

正解はないから、そのクライアントにとって“いいこと“を、みんなで出し合って、みんなで考えて

―坂口さんの価値観のところを少し伺えたらなと思います。人と関わる時、どんなところを大切にしていますか。

自分が土屋に入社して最近思ってるのが――重訪は長時間の支援なので、

クライアントさんに限らず、クライアントのご家族のいろんな面も見えてくる。

ご家族も、みなさんそれぞれの考え方を持ってらっしゃいますし、でも介護って正解はなくて――

みんながみんな、本当に一生懸命そのクライアントのことを思って、考えて、支援をされてるんですよね。

ご家族も、その他の事業所さんも、同じ土屋の同僚も。

「正解がない」という時、例えばクライアントにとっていいことであれば、

いろんな案を出し合って、その案をしてみるのはいいことかな、と思うようになりました。

考え方って本当に人がいるだけあるので、自分の常識が相手にとっては常識じゃないっていうこともいっぱいあるし、家族の形もいっぱいある。

ある人はその人のやり方で一生懸命だし、別の人はその人のやり方で一生懸命クライアントに接している。

お互いのやり方が違うから、例え家族だったとしても、ぶつかることもあると思います。

でも――見ている方向は一緒なんですよね。

クライアントにとっていいと思われることを一生懸命考えて、されているのが自分からは見えるので――。

だから、やり方が違ったり、家族の中で一致しないことがあったとしても、それはそれでいいんじゃないかなって思いながら今はいます。

もちろん、ケアマネとして相談に行ってた時も、いろんな家族の形は見てきたつもりでした。

でも重訪は、その方の“ホーム”に入り込むし、長時間いる分、ご家庭のいろんなところが見えてくる。

それが、その方たちにとってあたりまえだった生活だから――クライアントとのやりとりも楽しいけれど、ご家族との日々のやり取りも大きな学びがあります。

関係性の中でのさまざまな支援のやり方に今は面白さを感じているのかもしれないですね。

みなさん、本当に違うので。

自分も重訪を始めて3年目になって、最近は指導の立場に回ることも出てきました。

基本的には計画書や手順書があるので、その方に対する支援の手順は決まってはいる。

でも、「もっとこうすればもっといいんじゃないか」とか、「もっとこうしたらクライアントに喜んでもらえるんじゃないか」っていう、

クライアントやご家族が望まれていることを考えたり、支援の質を上げる事は常に意識するようにはしてます。

教える時も、「本来の手順としては○○だけど、もっとこうしたらいいんじゃないか」とか、

「提案はどんどんあげてください」って言ってるんですよね。

「○○だから、それしかしたらいけない」ということではなくて。

上長の永田健一さん(ながたけんいち/ホームケア土屋長崎 管理者)も相談しやすく、意見を言いやすい雰囲気をつくってくださってます。

そういう雰囲気が、ホームケア土屋長崎はできてるんじゃないかと思いますね。

土屋で働き始めて、最初はいろいろ教えてもらっていたんですが――みなさん、すごいんですよ。

教え方ももちろん丁寧だけど、何をするのも上熟されてるというか。

「技術的なものも、知識も、マインドもすごいな」って思える方がいっぱいいらっしゃるんです。

その中でも、自分はそんなに器用ではないし、頭が良いタイプではないと思っているので、

ひとつひとつ丁寧にすることだったり、話をしっかり聞くことだったり――

あたりまえって言われてることをあたりまえにすることが、自分にとってのあたりまえなんですよね。

「そこだけは正直、誰にも負けない」って思って働いてます。

難しいことはできないからこそ、あたりまえにしてることを、どんな場面でもする。

そこは意識してますね。

CHAPTER7

庭に咲く90種類のバラと過ごす休日――坂口さんの園芸の日々

お店にある全種類の植物を育ててみたくて、自分が興味がない花も買って、育ててみることから始めました

――坂口さんはお休みの日はどんなふうに過ごされているんですか。

休みの日は、ひとりの時は大体庭にいます。

掃除が大好きなので、掃除をしたり。
家族サービスも忘れないようにしているつもりです。

―お庭はどんな植物が植わってるんですか。

庭は今、バラだけで、大体90種類ぐらいはあると思います。

仕事の前も、天気がいい時は大体1時間ぐらい掃除をしたりしてから出掛けていますね。

時間がある時は、園芸店を覗いてみたり、お店の人と喋ったり。

最初に花にハマった時は、とりあえずお店にある全種類の植物を育ててみたくて、自分が興味がない花もとりあえず買って、育ててみるっていうのを2、3年ぐらいしてたんです。

だから今も、近所の園芸店さんで置いている植物は、どういう植物なのか――例えば、夏越しができるのか、冬越しができるのかとか、関東地方ではできても九州ではできなかいとか――は、大体わかります(笑)。

園芸店でも、お客さんが店員さんと喋ってる時に、その店員さんが私に相談される時もあって(笑)。

自分が花のアドバイスしたりもしてますね。

―(笑)。バラって奥深いですよね。ちなみに坂口さんがいちばんお好きなバラは…?

いちばんは、チャットワークのアカウントの写真にもしてるんですが、「パシュミナ」っていう名前のバラがあって。

小ぶりで香りはしないんですが、花持ちがめっちゃいいんですよ。

アンティーク調のバラが好きなんですね。

そのバラがいちばん好きです。
可愛いんですよ(笑)。

CHAPTER8

好きな仕事で、家族を養えることができる介護職へ

若い人たちが、他の仕事と同じように「介護の仕事をしたい」って少しでも思えるように

―これからについて伺いたいです。ホームケア土屋長崎でどんなところに関わっていきたいか、それから坂口さん自身がこんなふうに働いていきたいかを聞かせてください。

そうですね。

もちろんコーディネーター、管理者――と上を目指していきたい思いは第一にあります。

それから「土屋の職員や他の事業者さんからも、もちろんクライアント、ご家族からも、何かあったら自分の名前が最初に出てくるような存在になりたいな」とも思ってます。

縁の下の力持ち的な――「困った時には自分に言えば自分がどうにかしてくれる」っていうような存在に自分も憧れてるし、なりたいなっていう思いはありますね。

先ほど、給与面の話も出たんですが、その課題ってものすごく大事だと思ってるんです。

業界全体を見ても、「福祉だから給与的なところはあまり言ってはいけない」みたいな風潮が昔からあると思いますし、今もそういう考えの方が多い。

もちろん、考え方はそれぞれだとは思います。
でも自分は案外、綺麗事ってあまり好きじゃないんですよ。

土屋の代表の高浜敏之さんの著作『異端の福祉 重度訪問介護をビジネスにした男』(幻冬社/2023年刊)を読んだ時、

「介護=低賃金じゃない」「介護職でも、年収を上げていくことが可能だ」っていうことを謳ってらっしゃった。

自分には家族がいるので、自分が好きな仕事で家族を養えることは、働き続けていく上での基本になってくるんですよね。

そこは強く感じてるところです。

自分たちが介護の仕事を始めた時は本当に低賃金で、ユニフォームも地味で、ボロボロの車で訪問して――そんなイメージがあったんですよ。

でも「介護に対するマイナスなイメージをみんなで変えていきたいよね」っていうことはよく話してます。

それは今の時代、やっぱり大事だと思うんですよね。

例えば、小さなことですが、「汚れてもいい服」ではなく、綺麗な服を着て支援に行ったり――それはクライアントに敬意を表することでもあると思うんです。

若い人たちが、他の仕事と同じように、「介護の仕事をしたい」って少しでも思えるように。

そのためにも、自分たちも頑張って、給料を上げて、そういう生活ができるようにしたいなって今、めちゃくちゃ思ってます。

CHAPTER9

誰かの喜びは、自分の喜びでもある

クライアントに限らず、同僚にも、こどもにも「どうすれば今日、喜んでくれるかな」をいつも考えてます

―最後に――坂口さんはなぜ、介護のお仕事をずっと続けられてきたんでしょうか。そこを伺えればな、と思います。

自分の姉が障害がある、というのはあるとは思うんですよね。

将来、絶対に不自由な生活はさせない、そういった知識を今後のために得たいっていう点も、少なからずあったと思います。

あとはとにかく、自分ができることで喜んでもらえるんであれば、それがものすごい充実感になる。

自分は介護の仕事を通して、日々、クライアントやご家族から充実感をいただいているので。

それがやりがいになって続けさせてもらえてるのかなって思いますね。

それは前の仕事の時もそうです。

昔からプライベートでも、相手に喜んでもらったらめっちゃ嬉しい、っていう思いはずっとあって。

普段の会話の中でも――例えば、一緒に働く職員さんの中で、「もうすぐあの人の誕生日だ」とか、クライアントさんとも、「もうすぐクリスマスだね」とか。

だったら、相手に負担にならない程度に、どうやって喜んでもらおうかな、って常に考えるんです。

それは――クライアントに限らず、同僚にも、こどもにも。

「どうすれば今日、こどもたちが喜んでくれるかな」って。

それがいい方に行く事ばっかりじゃないかもしれないんですが、誰かに喜んでもらえるのは、自分にとってのいちばんの喜びになってるかもしれないですね。

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