デイホーム

デイホーム土屋

小池光恵

真駒内 管理者

笑顔と安心が生まれるデイホームの日々

 《interview 2025.10.27》

家族の介護をきっかけに飛び込んだ福祉の現場で「小さな声」に耳を澄ませながら日々の業務に向き合う、小池光恵(こいけみつえ/デイホーム土屋真駒内 管理者)。
病を転機に「やりたいことをやる」と決めてから、仕事もプライベートも一層充実したと語ります。
北海道で生まれ育ち、幼い頃から冒険心旺盛で、困難に直面しても前向きに行動する性格は、高齢者の日常を支えるその姿勢にも、色濃く反映されています。
そんな彼女の仕事観と暮らしぶり、未来への希望について聞きました。

CHAPTER1

秋刀魚の香りに包まれたひととき-季節の行事が紡ぐデイホームの日常

クライアントさんを喜ばせたい。日々のレクリエーションや行事は職員の腕の見せどころ。

ー現在働いていらっしゃる場所について教えてください。

北海道札幌市の南区で本当に自然が豊かなところです。
車で5分10分走るともう熊が出るような。

私は高齢者向けのデイホーム土屋 真駒内(まこまない)で管理者の仕事をしています。

真駒内のデイホームは、高齢者の方が通っていらして日中の時間を過ごされる場所で、私たち職員は、入浴介助を軸に身の回りのお世話をしながら、日々を楽しめるような活動を提供したり、季節ごとの行事を企画したりしています。

特色は、お泊りデイサービスという宿泊利用ができることですね。

―小池さんはいつからそこで働いてらっしゃるんですか。

2016年頃からです。

当時は別の会社でしたが、2022年にM&Aがあり、職場は変わらずに、土屋に入社する流れになりました。

今は管理者となりましたが、職員が手薄の時は私も現場にも入って支援をおこなっています。

ーデイホームの日常ではどんなところに力を入れていますか。

毎月、予定表を作ってレクリエーションを企画しているんです。

お料理レクとか外出レクをするんですが、そういうイベントでちょっとでもクライアントさんが楽しんでくれたらなって思っています。

企画作りは、私の考えばかりじゃなくて、上司も色々助言してくれますし、他の職員も考えてくれるので、みんなでアイデアを出し合いながらやっています。

―どんなレクリエーションを企画したんですか。

今年、北海道はすごく暑かったんですね。

例年通りだと8月に屋外でお肉を焼いてバーベキューをするんですけれど、そのバーベキューが暑さで秋に延期になったんですよ。

それで、ちょうど先週、秋刀魚の炭火焼きをしました。

今年は豊漁で油がのっていて香ばしく焼けたので、クライアントさんにも「美味しい、美味しい」と、とても喜んでもらえました。

来月は運動会をやります。
私が担当で取り仕切るんですが、毎年盛り上がるので、私自身もすごく好きで楽しみにしている行事です。

欠かせない競技の一つは昔ながらの飴食い競争。

飴はのどに詰まると困るので、袋に入ったお菓子を片栗粉の中に入れて、それを顔を真っ白にして口で取るんです。

やっぱり恥ずかしいって敬遠される方もあるんですけど、片栗粉がついた顔を見て笑い合ったりしていますね。

普段は過去におこなった運動会の動画をみんなで見て楽しんだりもしています。

ハロウィンの仮装をして写真をパシャリ。季節行事のひとコマ

CHAPTER2

考えるより先に一歩踏み出す-夢だったバイクと走り出したターニングポイント

迷うよりまず動くこと。昔から変わらないこの性格と、思い切って始めた趣味が、新しい景色を見せてくれる。

ーご自身の日々の習慣や楽しみにされていることはどんなことですか。

バイクに乗るのがすごく好きです。41歳の時に免許を取って、それからずっとバイクに乗っています。

ただ、北海道だから冬は乗れないんですよ。
だから春から秋までは休日の度にバイクです。

バイクの旅がすごく好きですね。

そろそろ寒くなってきて、朝はもう10度以下になることもあるんですが、地面が凍ってるわけじゃないからまだ大丈夫。

あちこち乗り回していますね。

日々の自分の生活では、早起きをして、30分でも1時間でも歩こうと思っています。

子どもの頃からスポーツをやっていたので、結構汗をかくのが好きなんです。

小学校高学年の時からバレーボールをやっていて、社会人になってからはソフトバレーを続けていました。

でも今はちょっと時間を確保するのも難しい。

簡単なスポーツってなると、ジョギングだったり、散歩だったりなので、そちらの方にちょっとシフトチェンジしています。

ーアクティブに活動されているんですね。とくにバイクを好きな理由、その魅力はどんなものなんでしょう。

私がバイクを好きなのは、風を切って走る時、匂い、気温が、肌でわかるからですね。

自分の手で操縦することで、スピード感を直に感じることができる。

未知の道を走って、そこでしか出会えない景色に対面した時の感動は、一生忘れられないくらい目に焼き付きます。

ーバイクに乗りたいと思った最初のきっかけはなんだったんですか。

私が10代の頃、「ミツバチ族」と呼ばれる北海道に走りに来ていたライダーたちがいたんですね。

最北端の宗谷岬を目指して何台も来ていたんですが、記念碑の前でバイクと一緒に記念撮影をしてとても喜んでる姿を見て、「バイクってとっても楽しそう」と思ったんです。

その後、深夜番組でF1レースを見て、命がけでスピードを追及する生き方を「カッコイイ」と思いました。

そこから、「いつかバイクに乗りたい」と思うようになりましたね。

ー北海道をバイクで駆け抜けるのは気持ちがいいでしょうね。

そうですね。

北海道をバイクで走ることの魅力は、やはり、体全体で感じる風が冷たく澄んでいることです。

時には険しい道を走りますが、そこを乗り越えて目標地点にたどり着いた時には強い感動があります。

北海道は、本当に想像していた以上の景色に出会える場所なんです。

―それはきっと素晴らしい景色なんでしょうね。小池さんはずっと北海道にお住まいなんですか。

私は稚内出身なんです、北海道の北端ですね。

観光大使になりたいと思っていた時期もあって、いろんな名所も見に行っていて、北海道のことは結構勉強してるつもりです。

思い入れがあります。なので、北海道のことなら私にぜひ聞いてください。

ーそうなんですね。では、北海道の魅力とはなんなんでしょう。

北海道の魅力といえば、景色が他の地域とはひと味違うところだと思います。

とても印象的に残る。

バイク以外に以前は登山もしていたんですけど、頂上に着いて達成した時の気持ち、北海道の大きな景色は爽快感が倍増するなと思っています。

それから、利用者さんや職員も北海道出身の方が多いんですが、人が優しいところも魅力ですね。

親身になってくれる人が多いと思う。

本州の方が来たとき、もし困ってたら、手助けしてあげるのが北海道の人だと思います。

ヒッチハイクやってる人がいると乗せてあげたり。

私も何度か女性を乗せたことがありますし、そういう話も周りで聞いたりしますね。

ーお話をうかがっていて、北海道の大きな景色の中で人の心も広く優しくなるというイメージが浮かびました。ご自身の性格で、昔からここは変わらないなというところがあったら教えてください。

昔から変わってないのは、無計画なところ。
まず先に飛び出していこうって、考えるより先に行動しちゃうんですよね。

それで周りの人に怒られることもあるんですけれど、あらかじめ考えておくことが得意ではなくて。

「何かあった時どうするの」、「クマが出たらどうするの」って未だに言われるんですよね。

ちょっとまずいなと思って最近はちゃんと熊スプレーを用意しています。

―それは小さい時からですか。

そうなんです。
小学生の時は探検みたいなことがすごく好きでした。

学校の遠足で歩いて行ったところに、また行きたいなと思って1人で自転車に乗って行ったりとか。

田舎は自然の脅威も怖いので、クマが出るんじゃないかってドキドキしながら。

それでも、遠くや知らないところに探検に行くのが大好きで、それで今に至るんですね、繋がっています。

高校生になったら、父がちょっと本格的な遠くまで行ける自転車を持っていたので、それに乗って、宗谷岬の方まで行ってみようとか、隣の街に行ってみようとか、親戚の家に行ってみようとか、稚内から結構距離があるところにも40kmくらいかけて行ったりしていました。

後から思うと、「タイヤがパンクしたらどうしよう」とか全く考えてなかったので、無謀だったなと思いますが、そんなことをよくやっていましたね。

無我夢中になったら、もう途中で止めるのはダメなんですよね。

成し遂げるまで、ちゃんとやりたい。
一生懸命になると、徹夜してでもやってしまうところがあります。

楽しいイメージとか、「やるぞ」っていうやる気が燃えると、もうじっとしていられないんです。

ー目のキラキラした探検家少女が思い浮かびました。ご自身の情熱にまっすぐな一面をお持ちなんですね。小池さんは、今までに人生のターニングポイントといったものはおありですか。

40代のはじめに子宮がんになったことです。

手術してすぐ取れたんですけど、その時に、自分でやり残したことがあったんじゃないのかって、ちょっと振り返って、18歳の時から「バイクの免許を取りたい」とずっと思っていたことに行き当たりました。

それをきっかけに、41歳の時にバイクの免許を取ったんですよ。
だから、ターニングポイントは子宮がんのところかなって思っています。

そこからずっと今もバイクに乗ってます。

北海道の広い景色のなかをずっと走っていきたいというようなイメージがありました。

―バイクって、なかなか高いですよね。しかもバイカーの乗るものはこだわりがあるって聞いたことがあるんですけど。どんなバイクに乗っていらっしゃるんですか。

身長が低いので、教習所で使用していた脚付きの良いバイクに乗っています。

ホンダのCB400SF(スーフォア)とCB400BD(ボルドール)の2台持ちです。

VTEC(ブイテック)というエンジン技術を使っていて、大型バイクにも負けないくらいのパワーを持っています。

エンストしないこと、加速が良いことが自慢です。

そのバイクを買ったのも、私、へそくりを貯めるのが好きでコツコツ貯めていたんですね。

バイクの免許は、夫には最初一度は反対されたけど、そんなにやりたいならやりなさいっていうことで了解を得て。

無事に免許を取って買ったんです。

ー時を経て、10代の頃の夢を叶えられたんですね。ご自身のこれまでを振り返って、印象に残っている方、影響を受けたと感じる方はありますか。

印象に残っているのは、やっぱり父かな。

父は去年亡くなったんですけど、小さい時からあちこちいろんなところに連れていってくれたんです。

お金をかけずに、山に行ったりとか、山菜採りに行ったりとか。

山菜の処理とかもさせられたんだけども、そんな体験がすごく印象的な思い出として残っています。

それで、私も山や自然のなかがすごく好きなのかなって思いますね。
実は父とは、私が保育園に通ってる時に一緒にバイクに乗ってるんですよ。

今私がバイクに乗ってるのも繋がりがあるのかなと思っています。

いつでもお気に入りの愛車と

CHAPTER3

何気ない会話の中にある今しか聞けない物語-介護の世界との出会い

家族の介護をきっかけに福祉の道へ。対話にはその人の人生が詰まっている。同じ話も遮らずに、話したい気持ちを尊重したい。

ー大人になられて、最初はどういったお仕事に就かれましたか。

北海道の北端で生まれ育ったので、当時は都会にすごく憧れていました。
社会人になってからはまず東京で就職したんですよ。

警備会社に就職して、ビルの受付と警備を兼ねる仕事をしていました。
ビルの中を巡回したりとかそういうお仕事です。

5年ほど東京にいたんですが、ちょっと空気が合わないなと思って、田舎の方に戻ってきました。

北海道に戻ってからは印刷会社で働き始めました。

じっとしている事務の仕事よりは、手先を動かしたり何か作業している方が自分には合っているなと思って、製本をしたり校正をしたり。

けっこう器用にこなしたと思います。

紙の枚数を数えるのが早くなったり、触って紙の厚さがすぐわかるようになったりしましたね。

そのあと、結婚を機に一度仕事は辞めて、今度はパートで働くようになりました。

夫が転勤族だったので、引っ越してもできるパートを探して、飲食業やレンタルビデオ店でも働きました。

-介護のお仕事にはどういった経緯で出会われたんですか。

夫のお母さんが認知症になったんですよね。

それで夫も一生懸命実家に通ってたんですけど、ひとりだけでは足りないので私も通って介護していた時に、「介護を仕事にするのはどうだろう」と思ったのがきっかけです。

仕事内容にも興味あったし、資格さえあれば就職先にも困らないなってことも考えて、はじまりはそんな感じです。

当初はちょっと気軽な感じでした。

息子が大学に行きたいということだったので、学費を稼がなきゃいけないと思って、それで就職しました。

まず勉強をして、介護職員初任者研修と介護福祉士実務者研修の資格を先に取ってから、デイホームに就職して、クライアントさんのお世話や調理、夜勤も始めましたね。

-お仕事を始める時に、高齢者介護に対して、思い描いていたイメージはどんなものだったでしょう。

お年寄りの話をたくさん聞きたいな、と思っていました。

実は私は、人生経験や戦争体験のようなその人の歴史の話を聞くのがすごく好きなんです。

父がよく話してくれたんですよ、戦争当時の話とか。お年寄りの話は、今しか聞けないじゃないですか。

そういうものがたくさん聞けるだろうなという興味がありました。
そして実際に日々聞くことができていますね。

例えば、働き始めて実際に聞いたのは、ニッカウイスキーが北海道で創業された当時のようすを間近に見ていたというクライアントさんの話。

テレビドラマの演出部分と実際の記憶を比較してお話してくださって興味深かったですね。

-なるほど。確かに、長く生きて来られた方の人生のエピソードを生の声で聞けるのは、このお仕事ならではという感じがしますね。では、働き始めた当初にインパクトがあったこと、記憶に残っていることはありますか。

初めて仕事をした日に、着替え中の男性のクライアントさんに「寂しい」と言われていきなり抱きしめられたことがあって、それが衝撃的でしたね。

すごくびっくりしました。

正直、それがちょっとトラウマ的な経験になってしまって、この先自分は続けられるのかなとか、認知症がある方なので仕方ないかなとか、当時は葛藤がありましたね。

相談した当時の上司の対応にも少し不満がありました。

今私は管理者の立場になったので、こういうことがあったらちゃんとご家族にお伝えしたり、働く方を支える行動をしたいなと思っていますね。

-このお仕事を続ける中で、ご自身のなかで変化していったことや見えてきたものはありますか。

同じことを何回言われても聞けるようになりましたね。
認知症の方は、何回も何回も同じお話を繰り返すことが多いんです。

10回ぐらいでは済まなくて、1日20回とかそのくらい何回も同じことを話されます。

そこで感情的になってしまうと、「後にして」とか言ってしまうと思うんですけども、その人のことを考えたら、それほど話を聞いてもらいたいんだなと思えるようになりました。

同じことを延々と言われても、私が遮断するのはまずいと思って、なるべく話を聞く時間を取れるように仕事をしています。

-人と関わる時に大切にしていることはどんなことですか。

言葉遣いですね。

クライアントさんはちょっと年上の方ですし、言葉遣いはきちんと丁寧にしないといけないな、といつも心がけてます。

一緒に働く年下の方に対しても、自分が年上なんだという圧力を感じさせるような度を越した馴れ馴れしい話し方はしないように心がけていますね。

-お仕事中のどんな時に喜びを感じられますか。

「ありがとうね、ありがとうね」ってクライアントさんはすごく言ってくれるんです。

「こんなことぐらい気にしないでいいんですよ」と言っても、それでも「ありがとう」って言われる。

そんな瞬間が1番やりがいがあるかなって思います。

-管理者のお仕事はいかがですか。

私を含めて10名のスタッフがいて、ほぼ毎日夜間のお泊まりデイサービスを利用されているクライアントもいるので、夜勤者もあります。

まだ1年しかやってないので、まずは言われたことをしっかりやろうとしているというところですね。

管理者はなかなか難しいです。

室蘭の蓬莱門(ほうらいもん)にて

CHAPTER4

ためらいの向こうの小さな声に気づいたとき-頼れる場所として、この施設を未来へつなぎたい

相手が遠慮してしまうような場面こそ、そっと寄り添うことを大切にしていきたい。安心できる場所であり続けることを目指して。

-土屋に就職された当初で印象に残っていることがあったら教えてください。

土屋グループは会社理念のなかに「探し求める 小さな声を」というミッションを掲げていますよね。

そのなかの「小さな声」という言葉が、私はすごく印象的でした。

今まで勤めた会社はそういうものを大きく掲げて取り組んではいなかったので、土屋で出会ったその言葉が強く響きました。

クライアントさんは、本当はこんなことをしてもらいたいなっていうときに、ほんのちょっとしたことでも、声に出せないことがある。

それを、私も汲み取ってあげたいなっていう気持ちが湧きました。

実際、日々そうした小さな声を感じる場面はたくさんあって。

だいたいが多分遠慮して口にされていないんだと思うんですが、例えば、トイレに行きたいとき、そのことを私たちの方に感じてほしいとか、すんなり立ち上がれないから手伝ってほしいとか、そういうことにいかに気づいてあげられるか、が肝心なんですよね。

ちょっとわからない時もあるんですけども。

うまくいくと、うん、よかったなとこちらもほっとするし、ありがとうって言ってもらえて、やりがいを感じます。

-クライアントさんご本人に加えて、そのご家族や周りの方からはどんなことを期待されていると感じますか。

やっぱり「介護疲れで困ってる」という方がいらっしゃいますね。

昨日も急遽泊まられたクライアントさんがいらっしゃいました。

娘さんがおひとりでお母様とお父様両方を自宅で見ているというケースで、ちょっと2人見るのは大変だっていうことで、急遽宿泊の利用となりました。

お母様だけがお泊りにいらして、お父様はお家で過ごされたんですが、娘さんは、「どっちか1人でも、一晩だけでもデイに泊まってくれると、いつもよりちょっと楽なんだよね」っておっしゃっていて。

そういう頼れる場所が必要ですよね。

うちのデイホームのサービスは、通常より遅めの時間まで滞在していただく夕食後送迎もあります。

ただ、別のご家族で、それをもうちょっと遅めに、21時ぐらいまで預かってほしいという要望があったんですが、

その時間には宿泊利用のクライアントさんは就寝時間だし、職員の人員配置的にも対応しかねるので、お断りせざるを得ませんでした。

難しいですね。

暮らし方や働き方も多様になっている昨今で、それぞれのお家の細かい事情を聞いているので、

それと現場の事情との調整をどうしようかなっていうのはいつも悩むところです。

-最後に、これからこんな世の中になっていったらいいなという希望と、土屋でおこなっていきたいことについて教えてください。

まず、差別のない世の中というものが、私がいつも意識している理想です。

とくに、「男女の差別がない世の中になってほしいな」って強く思ってます。

戦争とかない方がいいですよね。

野蛮さや暴力も性差別の延長線上にある、映画などを見ていてもそういうことを感じることが多いので、差別のない平和な世界を願っています。

福祉のことでは、この先もずっとこの施設が続くことですね。

この施設がなくなると困る人がいると思うんです。

その存在が、私がこの仕事を続ける原動力でもあります。

やっぱりデイホームとして通えて、必要に応じて宿泊も利用できるということへのニーズがありますね。

本当に困っている場面やご家庭があって、必要とされていることを日々感じるので、この施設がなくならないように、これからも頑張っていきたいです。

ともに働く仲間と力を合わせて

大きな景色。道はつづく

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