有限会社プレムダン

有限会社プレムダン

高橋正子

統括マネージャー

こどもの頃、いろんな人の家に行くのが好きだった

 《interview 2025.11.19》

山と海に囲まれた愛媛・今治で生まれ育った高橋正子(たかはしまさこ)。
スカートのまま木登りをし、毎日泥んこになって母に叱られるほど、好奇心旺盛なこどもだったと言います。
その後、進学や就職、結婚を経て――「本当は何をしたかったんだっけ?」と立ち止まった35歳の頃、ふと心に浮かんだのは「そういえば福祉の世界に興味があったな」という思いでした。
それからも幼少期からの好奇心を失わず、介護の現場で働きながら学び、学びながら現場に立ち続けて三十余年。
今、有限会社プレムダンの統括マネージャーとして、あらたな使命とともにいます。
「私はこの仕事でなければ生きてこられなかった」――そう語る高橋に、これまでとこれからを尋ねました。

CHAPTER1

山と海のまちで生まれ育って

男の子に負けるのが嫌で、スカートのまま木登りをしたり。活動的で好奇心旺盛な子でした

―愛媛で暮らしてらっしゃると伺いました。

はい、愛媛の今治にずっとおります。

私は高度経済成長期の真っただ中に生まれまして、その流れに乗って大きくなりました。

当時はまだ「女子は学校でも行って、2、3年でも勤めてお嫁にいく」――そんな社会事情が一般的で、私もその流れに乗って京都の大学で学生時代を過ごしましたが、その後、今治に戻りました。

―生まれ育った今治はどんな場所なんでしょう。

今治は、産業で言うと、タオルと造船が有名ですね。

それから中心に商店街があって、高度経済成長期の頃は夜店も出ていて、人がぎゅうぎゅうなくらい賑わっていました。

今は期間が短くなっていますが、当時は夏のあいだ中、夜店が出ていました。

今治という場所自体は山あり海ありの土地で、物価もそんなに高くない。

こどもの頃から大変暮らしやすい場所かなと感じてましたね。

―高橋さんはどんなお子さんだったんですか。

他の方のインタビューも拝見させていただいて、こどもの頃のことを思い出してみてたんですけれども――大変、活動的な女子だったんじゃないかなと思います。

母やおじいちゃんの言葉で思い出すのは、「この子は体育の先生か、バレリーナにした方がいいんじゃないか」って話もあったくらい(笑)。

男の子に負けるのが嫌で、スカートのまま男の子と同じように木登りをしたり。

洋服が毎日ドロドロになるので、よく母に叱られていました(笑)。

―「ここは今も変わらないな」というところはありますか?

「もっと知りたくなる」っていう好奇心旺盛なところでしょうか。

凝り性なところがあって、ひとつのことをし出すと、とことん極めたくなるところはもしかしたら変わってないかもしれないですね。

―熱中されてたもの、どんなものに興味がありましたか。

小学校の頃はコーラス部に入っていて、その後もやはり音楽が好きで、ピアノも習っていたり。

その頃は歌謡曲が大変ブームで、歌番組も多くあったので、よくお友達と歌を歌っていたのを覚えています。

写真は、散歩の途中で出会う風景。「いつもの散歩コースからはしまなみ海道も見え、石鎚山に守られた穏やかな自然環境の地域です」

CHAPTER2

「そういえば、福祉の“世界”に興味があったな」――暮らしのそばへ

お友達の家に遊びに行って、暮らしの中のさまざまな場面を経験して

―大学で一度、京都に行かれて、その後、今治に戻られたんですね。

そうですね。
私はふたり姉妹のお姉ちゃんだったので、中学生の頃から「親を見てあげなくちゃ」っていう思いがあって。

それと、たまたま地元で就職が内定してしまったのもあって、今治に戻り、最初は大手損保会社で事務職をしていました。

その後、家庭に入るので退職をしたんですが、建設会社の事務職に再就職をして、経理を6、7年経験しました。

1日中、朝から夕方までずっとお金の計算――電卓を叩いて、試算表をつくったり、税理士さんと打ち合わせをしたり――をやっていたんですが、金額も、動かすお金も大きかったし、神経がすり減るような日々だったんです。

その時ふと「私、一生これを続けるのかな」って思った。

「方向転換をしたいな」という思いが35歳くらいの時にあって、「何がしたかったんだっけ?」と考えてみたら、「そういえば福祉の仕事に――いえ、“仕事”というより、福祉の“世界”に興味があったな」って思い出したんです。

その頃は児童分野に興味があったんですが、当時は再就職がしづらかったんですね。

それでたまたま、高齢者分野の募集があったので、応募させていただいて福祉の仕事に就くことになりました。

―福祉の世界に興味を持たれたのは、何かきっかけがあったんでしょうか。

父が長男だったので、父と母がおじいちゃん・おばあちゃんの身の回りのことを一生懸命してあげていた姿を見て、私は育っています。

それから、こどもの頃、お友達の家を順番に遊びに行くのが好きだったんですね(笑)。

行った先にお家の人がいなかったら、「じゃあ、次の人のとこ行こう」とお家に上がって遊べるまで、お友達のお家を訪ねていました。

そのことを今回、思い出しましたね。

そこでは、自分の家とは違った雰囲気でみなさん暮らしていて――ちいさいながらも家庭内の大変な場面にも遭遇していました。

福祉の世界に興味を持ったのは、そういった暮らしの中でのさまざまな場面を経験する中で、「人に役に立てるようになれるといいな」っていう自分への期待があったのかもしれませんね(笑)。

CHAPTER3

働きながら、学びながら――福祉の世界に引き込まれていって

思いがあるだけで、何をどうしたらいいのかが全くわからない状況から、学びと実践の現場へ

―最初に福祉の仕事に関わられたのは高齢者の分野だったんですか?

そうですね。
半年だけ障害福祉の分野で勤めたんですが、その後、同じ系列の別の部署で正職員になりました。

それが在宅介護のホームヘルパーでした。

当時はまだ介護保険もない措置の時代で。

私は何の資格もなく、何の勉強もしてない状況で、この業界に入ってきた。

正直なところ、思いがあるだけで、何をどうしたらいいのかが全くわからない状況だったんです。

一緒に訪問先に行ってくれた先輩方からは、「こうしてあげるんよ」って手取り足取り教えていただいて。

なかなか厳しかったですが、いろんなことを教えていただきましたね。

それからこの業界にすっぽりはまってしまったというか――吸い寄せられるように引き込まれていって。

「最初はヘルパー2級(現在の初任者研修)の資格を」と職場から言われ、資格を取って。

次の年にはヘルパー1級(現在の実務者研修)、翌年に介護福祉士――そうやって年にひとつ、資格を取るようになって、そこからマイ勉強が始まってしまったんです。

―“マイ勉強”ですか?

私は大学を出てすぐ働き始めた人より10年以上遅れてこの業界に入ったので、「その分を取り戻したい」という思いがあって、実践もしながら自分の視野を広げたかった。

「出会えた人を少しでもいい方向に持っていってあげられるような知識を学びたい」と、社会福祉主事の勉強をしに学校に行ったこともありました。

その学校では、当時、業界では有名な先生の講義を直接聞けたり、これから先の福祉の方向性のお話を聞けたり、“目から鱗”でしたね。

日本の社会保障制度の話から始まって、この先、超高齢社会になって、みんな介護に困る事態が起こるとか、介護保険制度や財政の動きなど――当時から現在の状況は推測がついてたので、そういう話が前もって聞けたのもよかった。

「大きな林や森の中で自分はどこに立っているんだろう」と思っていた状況から、「どっちを向いていけばいいのか」「ここだったら私も少しお役に立てるかもしれないな」という、

自分の立ち位置や方向性が見えてきて、自分のやりたいことがわかってきたんだと思います。

通信教育で、スクーリングで通いながらの資格取得だったんですが、もちろん勉強そのものも面白かったし、

出会った人たちがみんな熱心な人ばっかりだったので、いろんな出会いがあって「もっと学びを深めたい」と思ってしまったんですね。

その後、息子が高校に入るタイミングで全寮制の学校に入ったので、私の手元を離れたので「これはポカンとしてしまうといけないな」と思った時に、今度は京都の大学に編入したんです。

―ホームヘルパーのお仕事も続けながら……?

そうです、そうです。

金曜の夜に今治から船に乗って、朝に神戸に着いて、そこから電車で京都に行って。

大学が終わると、日曜の夜に神戸を出て、月曜日の朝早くに今治に船が着くので、そこから仕事に行く――そんなふうに勉強した期間がありましたね。

―すごいバイタリティーです。どんな勉強をされていたんでしょうか。

社会福祉学部に通っていました。

勉強自体も面白かったんですけれども、いろんな出会いがあって。

ストレッチャーに乗って、ボランティアの人が付いて受講に来られる障害当事者の方もいらっしゃれば、シルバーカーを押して、ジョギングパンツを履いて来られる年配の方もいらっしゃった。

校内に段差があった時なんか、車椅子の方がSOSを出さなくても、受講生がみんなワッと寄っていって車椅子ごと担ぎ上げる――そこに集まっていた人たちにはそんなふうに自然と助け合えるような雰囲気がありました。

それが「すごくグローバルな雰囲気だな」「私が大好きな雰囲気だ」って。

毎週末、行くのが楽しみになっていきましたね。

CHAPTER4

山あり谷ありの人生――いのちが終わりに向かっていく過程を受け入れ、最期までその人らしく過ごせるように

認知症の方に関する学び、そしてグループホームで24時間ともに過ごす生活を通して

その後、ケアマネージャー(ケアマネ)の資格も取り、居宅介護のケアマネを何年かしてから、団体職員として地域に関連する事業にも関わりました。

その頃に職場から「認知症介護指導者の研修で、仙台に行ってみませんか」という声がかかって、何も考えずに「はい」って言ってしまったんです。

そこから今度は「在宅じゃなくて、認知症の方は24時間をどんなふうに生活しておられるのだろう」「どういう生活のしづらさがあるんだろう」という疑問が出てきてしまった。

これもやっぱり「経験しなくちゃ」って思ってしまって、グループホームへの転職をしたんです。

ただ当時は地元を離れて転職したものですから、「そろそろ親の介護で地元に帰ってあげないとな」という思いもあって、今治に戻って――就職を迷ってる時に、プレムダンに声をかけていただきました。

―転職をされて、認知症の方と過ごす中で見えてきたのはどんなことだったんでしょうか。

ホームヘルパーをしてる時も、在宅のケアマネをしている時も、支援が途切れていたんですよね。

ホームヘルパーという立場からは、支援に行っている時間しかその人の生活が見えてこないんです。

ところがグループホームに行って、1日をいっしょに過ごしてみた時に、自分の中では「つながった!」という思いがありました。

そして、そこからその人自身、ひとりひとりがよく見えてきたんです。

やっぱり人っていろんな場面があると思います。

喜怒哀楽、それぞれの場面、フラットな場面――同じような関わりをしても、私が関わるのと、他の職員さんが関わるのとは、また違った表情を見せたりもなさる。

「この人はこうだけど、あの人はこう。100人いたら100通りのやり方がある」ということが実感を通して、よく理解できました。

―高橋さんの中でのターニングポイントというか……考えや行動が変わるようなきっかけや出会いがあったら教えてください。

そうですね……。

プレムダンとの出会いは、大きなターニングポイントだったなと思います。

ひとつ前に働いていたグループホームもターニングポイントだったかな。

認知症について専門的な勉強の機会をいただけたことは、その後の自分にとっても大きな糧になりました。

その人がその人らしく生きていけるように、人としてどう支援できるのか――じっくりと突き詰めて考えていくいいきっかけをいただけたな、と思います。

―学びを続けていく中で、選択肢の幅も出てきたと思います。例えば、障害福祉に関われたのかもしれないし、児童の方にも行けたかもしれない――その中で、高橋さんが高齢者の分野にい続けているのはどうしてでしょうか。

これは今も続いてることなんですが、人それぞれ、人生山あり谷ありじゃないですか。

その中で、年を重ねた時期を穏やかに過ごせていけると、いろんな山も谷も、痛みがなく、穏やかに懐かしく思えるようになって――

言い方は悪いかもしれませんが――いのちにも限りがある気配を感じる過程を受け入れ、いのちを生ききってほしいな、という思いがあります。

私も含め、どんな方であれ、いのちを終えてゆくのは自然のことですので、避けては通れない。

そういった時期をその人らしく過ごせるように――そう言うのもおこがましいんですが――その方の何かお役に立てるといいなという思いでいますね。

CHAPTER5

いつも“クエスチョン”を胸に――24時間生活をともにすることから見えてきた、クライアントの姿

その人にはその人の価値観があって、違いをいろいろ楽しめる。広く深くいろんな人と接することで今でも教えていただくことが日々あるんです

―高橋さんが人と関わる時に大事にされていることはどんなことですか?

そうですね。

今、私は小規模多機能事業所にいて、ここはある意味、共同生活というか、ともに過ごす場なんです。

その中である程度の流れ――大まかに「何時ぐらいにはこんなことをする」みたいなもの――はありながらも、その人の生活リズムや体調を早くにキャッチしつつ、その日の気分も受け止めながら。

なるべくその人の希望に沿ったかたちで過ごしたいな、ということは思ってます。

なので、「この方は何を望んでるんだろう」っていうクエスチョンはいつも持っていますね。

―この仕事を続けていく中でご自身が変わってきたところについても伺いたいです。

そうですね。

私は福祉の仕事と出会えて本当に感謝してますし、天職に巡り合えて幸せだなと思ってもいるんです。

福祉の仕事は当時、“3K”と言われていたので、正直なところ不安はあったんですが、慣れれば大丈夫でしたね。

自分が変わってきたところは――自分の価値観はあるんだけれども、それはちょっと横に置いておいておく。

「自分だけの意見を通す」ことはなくなってきたかな、と思います。

この仕事に就く前は、価値観が違う人と会うと、「あの人ちょっと変わってるよね」なんて密かに心の中で思うこともあったんです。

でも今は、「あの人にはあの人の価値観があって」、その違いをいろいろ楽しめる。今でも教えていただくことが日々あるんですよ。

広く深くいろんな人と接することで、そういうことを教えていただいたかなと思います。

CHAPTER6

ともに笑い、ともに生きる――プレムダンの現場から

最近ではクライアントとみんなで映画を見に行ったり、夜マルシェに行ってみたり、おやつをいっしょにつくったり。

―高橋さんがいらっしゃるプレムダンについて教えてください。

プレムダンは、「ちっちゃな多機能事業所 おかげさん」(岡山県岡山市)、「倶楽部壱番館+reha」(愛媛県今治市)という名前の小規模多機能型居宅介護がふたつ。

それから、「グループホームおかげさん」(岡山県玉野市)「グループホーム凛として」(岡山県岡山市)という名前の認知症対応型共同生活介護施設がふたつあります。

私自身は今治にある居宅介護支援事業所の管理者、倶楽部壱番館+rehaの管理者・ケアマネージャーを経て、統括マネージャーとして勤務しています。

スタッフはみんなみんな、明るくって、楽しい方が多いですね。

クライアントさんのことを大変大切にしてますし、ひとりひとりをしっかり見てる。

“パーソン・センタード・ケア“をいつも意識して、「その人が何をしたいのか」を中心に関わっています。

今治では、みんなでレクレーションをする時間があるんですが、最近では映画『国宝』をみんなで見に行ったり、市内の夜マルシェに行ってみたこともあります。

それからかき氷が食べたくなったらかき氷をみんなで必死につくったり(笑)。

いろいろ取り組んでいますね。

要介護度が重度の方についても、家で家族と一緒に過ごせる時間を提供できるように、と相談して帰宅の機会を設けたりもしています。

―高橋さんご自身はどんな仕事に関わられているんでしょうか。

今は、法人全体のコンプライアンス関係の仕事に関わっています。

それから、事務関係の取りまとめをさせていただいたり。

それから、私の経験からアドバイスできることであれば各管理者さんの相談のお電話を頂戴することもありますね。

―ちょっと伺ってみたかったのが……プレムダンでは、2025年からベトナムから来られたスタッフが一緒に働いていますよね。

そうですね。岡山のグループホームにひとり、小規模多機能にひとり、おられます。

私は岡山に月に何回か伺うので、その時には会ってお話する機会もあります。

岡山の管理者の方が、時々そのおふたりの写真を送ってくれるんですが、クライアントと一緒にラジオ体操をしてたりとか、一緒にお出かけしたりもしているそうです。

一一緒に働かれるようになって、高橋さんはどんな印象をお持ちですか。

ふたりともいつもニコニコとっても明るくて、とっても元気があって。

礼儀正しいし、漢字も書けるんです。

言葉遣いは丁寧だし、話しやすくて、謙虚だし――本当に頭が下がる思いです。

ここまで、大変な努力をされてこられたのだろうな、と感じますね。

正直なところ、私の中では長い間、「海外の方が介護のお仕事って大丈夫なのかな」「言葉がわかりにくかったり、習慣も違うから馴染んでいけるかな」っていうクエスチョンマークがあったんですが、

そのおふたりの姿には長らくの疑問を払拭していただきましたね。

CHAPTER7

“いま”を楽しみながら、グローバルな福祉の“これから”へ

映画、音楽、お散歩、ウィンドウショッピング――気分転換のあとはとってもいい感じ

―ここまでお仕事の話を伺ってきたので、プライベートの部分、趣味や日々の習慣などを伺ってみたいです。

今の楽しみは孫と遊ぶことですね。

1歳の孫がおりまして、その孫が片言で話すのが可愛くて、会うのが楽しみです。

あと私が昔は手芸や洋裁といった、ものづくりが好きだったんですけれども、今はなかなかまとまった時間も取りづらいので、音楽を聞いたり、映画を見たりするのが好きですね。

―映画はネットで見られるんですか?

今は映画が見やすい環境なのでネットでも見ますし、「映画館で見たいな」と思うものがあったら映画館に行ってみたり。

シニア割引がききますので(笑)。
とてもいい気分転換になってます。

映画を見出したきっかけは、「いかに早く気分転換ができるかな」っていうところだったんです。

見てる間は映画に集中して、頭の中が空っぽになって、切り替えられる自分がいて、後がとってもいい感じなんです。

あと、お散歩も好きですね。
海辺を散歩に行ったり。

夏場は暑かったですが、今の時期はとっても気持ちがいいので。

綺麗な白い砂の海岸があるので、その辺りをお散歩したり。

海辺に座って空気を吸うだけでも気持ちがいいので、そういったことで楽しんでます。

あと、買い物も好きですね。

何も買わなくても、ウィンドウショッピングとか大好きです。

―これからのところを伺えれば、と思います。「これからプレムダンでこんなことを行っていきたいな」という思いがあったら聞かせてください。

そうですね。今の自分の立ち位置は、現場と上層部/運営側をつなぐ立ち位置なのかな、と思ってます。

なので、現場の状況を運営側に伝えていくこと、他方で運営側の意図を伝わるかたちに転換をしながら、現場にアプローチできるようになりたいな、とは思います。

―ご自身のこれから、のところではいかがですか?

そうですね。

福祉の世界に入って自分が本当に吸いつけられるように、引き寄せられるように猛勉強した自分がいるんです。

数学や物理といった分野にはもともとあまり興味がなくて、そういった分野を勉強した記憶が乏しいんですが(笑)。

私は2013年のプレムダンの立ち上げ時からずっと携わってきました。

これまでは忙しく過ごす時間も多かったので――たとえば、ゆっくりと本を読んでみたいな、とか。

あと、私自身はいろんな人とたくさん出会って、福祉の業界以外のことも、視野を広げてみたいなっていう思いはありますね。

あと、美術館にも行ってみたいし、音楽のコンサートにも行ってみたいし――「死ぬまでにやりたい10のこと」みたいなリストアップは密かにしてみたんです(笑)。

これは内緒なんですが、「○○のコンサートに行くこと」とかね(笑)。

そういうふうにこれからを楽しんで、悔いのないように生きていきたいなと思ってます。

―高橋さんは長く福祉の業界に携わてこられて、いろんな変わり目を見てこられたのかな、と思います。今また社会全体が大きく変わっていく中で、「10年後、20年後、こんな社会になってたらいいな」っていうところはありますか。

そうですね。

制度的に言うと、障害福祉、高齢者、児童福祉といった制度面は縦割りになっているんですよね。

もちろん、それぞれに専門の分野があっていいんですけれども、これからは縦割りだけではなく、もう少し分野を超えて横の行き来ができたらいいですね。

そのことで必要な方に必要な支援が届くようにみんなで過ごせていけるといいな――という希望は、なんとはなくありますね。

私自身はグローバルな社会になるといいな、と思っているので、社会保障制度もグローバルなものに整っていくといいな、と思います。

CHAPTER8

「この仕事じゃなかったら生きていけなかったんじゃないかな」――福祉とともに歩んで

クライアントさんがふっと心を開いてくれる時がある。そのひとつひとつが私を支えてきてくれたのかな

―最後に、なぜこの仕事を続けられてるか、その理由について伺ってもいいでしょうか。

介護の仕事というのは――もちろん仕事は仕事なんですが、私自身は介護の仕事を超えた部分で感じることも多いです。

例えば、この仕事をしていると日々、関わる中で、クライアントさんの心を感じますよね。

そのクライアントさんの心のあったかさであったり、言葉にならない思い――「この人、こんなふうに言葉ではきつく言ってるけど、心の中でありがとうと言ってくれてる」みたいに感じられる時があるんです。

一生懸命できる仕事に巡り合えた。それはやっぱり、心を閉じていた人が、一生懸命関わっていると、ふっと心を開いてくれる時があって。

そのひとつひとつ――クライアントさんの笑顔とか、元気になること――が私を支えてきてくれたんだなって、感謝の思いでいっぱいなんです。

私は――この仕事じゃないと多分生きていけなかったんじゃないかな、と思ってるんですね。

多分、他の仕事をしても不完全燃焼で(笑)。

きっと完全燃焼できなかったんじゃないかな。

―土屋グループとして一緒に働くようになった一方で、グループ全体が従業員数が増えて、全国各地に拠点があり、土屋という会社に属していることが、なかなか意識しづらいところがあるのでは、ということを感じています。2023年にプレムダンが土屋グループの一員になってからの変化や「こういうところが土屋らしいな」と高橋さんが思われたところを聞かせてください。

そうですね……。

M&Aの当初は、最初は戸惑いと不安がいっぱいでした。

「私たちこれからどうなるんだろう」「土屋ってどんな会社なんだろう」って。

ホームページを開いても、たくさんの情報があるわけではなくて。

お電話でお話しするとしても「どういう方たちとお仕事してるんだろう」という感じでした、最初は。

それがだんだんと変わってきて――今治から岡山の事業所に伺って、上長や取締役、代表に実際に会って会話をする中で、お人柄がわかってきて、だんだん安心に変わっていきました。

「あぁ、土屋でよかったな」と思ったのは、先日、土屋グループ創立5周年記念イベントをオンラインで見させていただいた時のことですね。

ここも“目から鱗”だったんです。

「大きな組織の中で自分たちがどこにいるのか」がよくわかって、土屋のカラー、代表の考え方や方向性が見えてきました。

組織が大きくなる時というのは――私は大手にいたことがあるので、見てきたところもあるんですが――体制が整うまでは大変な時間と労力がかかると思います。

一方で、「じゃあ、人がたくさんになった時、交流はどうするのか」「相手がどういう人かわかるまで時間ばかりがかかるんじゃないか」といった課題も出てくると思いますが、

土屋の方々と出会ってみて、本当になんていうんでしょうか――上長たちがとても人間味があってあったかさを感じて、かしこまってなくて、堅苦しくないところが土屋の魅力だな、と感じました。

今は、スタッフみんなにも「土屋ってこういうところだよ」っていうことを共有していってます。

きっと、これからをつくってくれる若い人たちがどんどん希望を持って、明るく楽しく仕事をしていける会社なんじゃないかな、成長していく会社じゃないかなって思いましたね。

―私自身は働いているみなさんと実際にお会いすることなくオンラインのやり取りで働いているので、「全国にいるスタッフの方々にどこまで自分たちの仕事を受け入れていただいているんだろう」という不安を感じながら、インタビューをお願いしたり、やり取りしていたところがあったんです。高橋さんのお話を伺えて、正直ホッとしてます……

5周年イベントを見ていて、「あーほんと、土屋でよかった」ってスッキリ感と安堵感があったんですよ。
今は上長を遠くにいながらも身近に感じております。

―なんだか言わせてしまったようです(笑)。

本当です、本当です。

ぜひ、ああいうイベントにみんながもっと参加して、見られるといいなと思いますし、参加できない方には私からも「こんなところ良かったよ」って伝えていきたいと思います。

職員さんもみな、喜んでくださってますしね。

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