介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

親川いづみ

沖縄 アテンダント

私もあなたも凸凹凸凹で、そんな二人で今日、何しましょうか。

 《interview 2025.12.17》

ホームケア土屋沖縄でアテンダントとして働く親川いづみ(おやかわいづみ)。
リハビリの仕事を通して、1対1で人と関わる喜びを見出した親川はその後、自身の自立を見越しながら介護の仕事に足を踏み入れます。
施設での経験を経て、今、ふたたびクライアントと“1対1”で関わる重度訪問介護に携わるようになって3年ほど。
「コミュニケーションを取り続けていけば、きっとうまくいく」――人と接することがあまり得意ではなかったという幼少期を過ごした彼女が、“ありのまま”をお互いに出していった先にあった関係性とは? 楽しく、そして心地よく。
“仕事”に留まらない、ケアにおける関係性を考えます。

CHAPTER1

こどもの頃はおてんばで、いじっぱり。ひとりで過ごすことが多かった

ひとりでいるのはその頃の自分にとっては楽だったんですね、きっと。「誰にも何も言われない」っていうのが。

―どんなところで生まれて、お育ちになったのかを教えてください。

生まれたところは沖縄の名護市です。
町から少し離れていて、5分10分ぐらいで町まで行けるようなところでした。

近くにお宮があって、その下に公民館があって。
5、6歳まで隣近所のこどもたちと幼児園で過ごしていましたね。

―親川さんはどんなお子さんでしたか。

自分では意外とおてんばな方だったのかな、と思ってます。
それと、いじっぱりというか、頑固なところがあって。

人の言うことを素直に聞けないタイプ(笑)。
それから、人がいなくなってもずっとひとりで何かをやり続けていたり。

―みんなで遊ぶこともあったけれど、ひとりで遊ぶことも。

ひとりで遊ぶことが多かったのかなぁ。
いつの間にか、まわりがいなくなってたこともよくありましたしね。

夢中になると時間を忘れる感じがあったので。
帰りが遅くなって、親からもよく怒られてました(笑)。

―その頃はどんな遊びをされてましたか。

家の前がね、サトウキビ畑だったんですよ。

サトウキビの枯れ葉で基地をつくったりして、そこに座ってぼーっと過ごすこともありましたね。

何かに興味があったわけではなくて、ただそこで過ごしてたことが多かったですね。

―その後、中学生や10代になってから夢中になってたものがあったら教えてください。

小学校2、3年生ぐらいからひとりで過ごすことが多くなって、中学くらいまでは大体ひとりで過ごしてましたね。

―その時はどんなことをして過ごされてたんでしょう。……読書とか?

私は本は嫌いで読書はしないんです(笑)。
ただ、漫画はよく読みましたね。

漫画を読んでストレス解消して。

コーラを飲んだり、あと天ぷら屋さんが近くにあったので天ぷらを食べたりね。

中学までは家も近かったので、終わりのホームルームの鐘が鳴ったら、すぐに教室を出て、鳴り終わる頃には家に着いていて。

学校の時間以外はほとんど部屋で過ごすような、引きこもりタイプでした(笑)。

―おひとりで過ごす時間が親川さんにとっては大事な時間だったんですね。

楽だったんですね、きっと。
「誰にも何も言われない」っていうのが。

小さい時から大人から責められてきたようなことがよくあったので。

その頃は人と接するのがあんまり好きじゃなかったんでしょうね。

―ご自身の性格で、今も変わらない部分ってありますか?

先ほども言ったけれど、頑固なところかな。
人の話を聞かなかったり、都合が悪いのは端折ったりしますしね(笑)。

今はなるべく、ちゃんと聞くようにはしてるんですけれど。

人と対話する時、1対1、2対1、3対1ぐらいまでだったら話がしやすいところがあって。

人数が多くなると自分の中でブロックがあるような感じがしますね。

―私自身も大人数が苦手なところがあります。でもそのことになかなか気づけなかったんです。親川さんがご自身のそういう特徴に気づいたのはいつ頃だったんですか。

自分は小学校の時から気づいてたけれど――なかなか気づけないですよね。
学校だと、「グループでこれをやりましょう」みたいなことってありますよね。

そうすると参加したくなくなる。
「参加したくない」というか、「そこにいたくない」みたいな感じがありました。

そのきっかけになったのは、誰かを差別するような発言を聞いていたことがあったんですよ。
「○○さんはこうだよね」「△△さんはこうだよね」っていう話を先生や親から聞いていたんです。

こどもの頃ってコミュニティーが小さいから、大人の話に出てきた人が、集団の中にかならずいますよね。

「こういう人がいて、こういう人がいて」――いろんな人の、その人についての話が自分の頭にずっと残ってしまって、その人との接し方がわからなくなる。

「○○さんはこんな人」ってある人からは言われてるけど……なんていうのかな、頭がこんがらがっちゃうんです。

私は理解の仕方がストレート型なので、人間関係が複雑化すると、なかなか難しいものがあって。

―うーん、なるほど。

今なら「ただ置いとけばいいこと」なんだけど、当時はその話を自分の中でずっと持ってしまっていたんですね。

今は「そういう人ね」っていうだけで置いておけるんだけど、その頃はできなかったのね。

CHAPTER2

1対1で接することができる仕事だったら、自分に向いているのかな

おじいちゃんおばあちゃんとは「こういう時は、どんな感じがする?」なんて感想を聞きながらリハビリの仕事をしていました

高校を出てからは、事務の仕事をしたんですけれども、机に座って仕事をすると眠くなるので、「体を動かす仕事がいいな」って思って(笑)。

事務の仕事はしばらく続けていたんですが、結婚してこどもが生まれると、働く時間が限られてきますよね。

そんな事情もあって、県立病院でリハビリ助手として8年ほど働いて。
その後もリハビリに携わる仕事をいくつかしました。

でも何も資格は持っていなかったんです。

ただ、人と1対1で接することができる仕事は自分に向いていたし、その人の要望を聞ける――その感覚は喜びとしてあったので、「1対1だったら自分はいけるのかな」って思うようになったんですね。

―リハビリ助手というのはどんなお仕事だったんですか。

助手なので、電気治療のお手伝いをしたり。
脳神経外科で働いていた時はマッサージをしていましたね。

理学療法士の先生がいて、患者さんに沿ったリハビリの仕方を教えてもらったり。
そこで、すこしずつ人の体にふれるようになりました。

リハビリの仕事は、大体、お相手がおじいちゃんおばあちゃんだったので、電気治療をしていると「今、こういう感じだよ」って教えてくれるんですよ。

年配の方とは話が合ったので、「こういう時は、どんな感じがする?」みたいに感想を聞いたり。
それが楽しかったですね。

―先ほど、「1対1で関わる喜び」という言葉がありました。今も覚えてらっしゃる方っていらっしゃいますか?

そうですね。
なんだったかな……。忘れてしまいますね(笑)。

楽しかった思い出はあるんですが、忘れるのも早いタイプなので――あ、でも、楽しかったと言えば、訪問でリハビリに伺っていたおばあちゃんと、リハビリに来ていたおばあちゃんが姉妹っていうことを知って。

一度、そのおふたりを会わせたことがあります。
おふたりとも、「何十年も会ってない」って話されていたので。

これは仕事場には内緒で(笑)。

―会話の中で、そのおふたりが姉妹だってわかったんですか?

そうですね。

「どこどこに○○っていうお姉さんがいるんだけど、もうずっと寝たきりで」っていう話をしていて、「その方なら私、訪問で行ってるよ」ってお伝えしたら、「会いたいね。でも無理だよね」なんて話になって。

そのおばあちゃんは、いろんなものをつくる方なんです。

沖縄で、満月の時によく食べるお餅に“ふちゃぎ”っていうのがあるんですけど、「ふちゃぎをつくったから取りにおいで」って言っていただいて、もらいに行きながらその話をしました。

その方の娘さんもちょうどいらしていたので、許可をいただいて、会うのが実現したんです。
お姉さんは寝たきりだったので、妹のおばあちゃんとお姉さんのお家に伺って。

―何十年ぶりにお会いして。

あの時は嬉しかったですね。自分も嬉しかった。

CHAPTER3

ヘルパーの資格を取ったのは50代になってから。遅めのスタートでした

何十人を相手に関わっていたら、だんだん、「人」が「もの」みたいな感じに思えてきて

―介護の仕事にご興味を持たれたのは、きっかけがあったんですか。

ヘルパーの資格を取ったからかな。
あの頃はヘルパー2級の資格(現在の介護職員初任者研修)を取る人が多かったんですよね、まわりで。

それで「じゃあ、私も取ろう」ってなったのが30代後半。
そこから介護の仕事を始めたのは50歳近かったので、結構、遅めのスタートでした。

―初めてお仕事をされたのは、どんなところだったんですか。

最初はグループホームで働きました。
初めてだったので、ドキドキだったんですけれども、いろんなことをさせてもらって。

その後、「もっといろんなことを学べるところがいいな」と思って、特別養護老人ホーム(特養)に応募したんです。

「まぁ、落ちてもいいか、年も年だし」なんて思いつつも、定年を考えると「あと10年くらいしか働けないんだなぁ」なんて。

特養はすごいですよね、何十名っていらして。
グループホームは入居されている方が12、13名だったので、「そんなに人がいるんだ」ってびっくりしましたね。

「職員もこんなにいるんだ」っていう戸惑いもありましたし。

―医療から介護の仕事に移った時、変化などありましたか?

接し方としては、それまでと大きく変わらないと思うんですけれども、その人の――なんていうのかな、要望がもう目まぐるしくて。特に特養は時間に追われる職場だったので。

「○時から○時まではこれをする時間」「次はこれ、次はこれ」って1日のルーティンが決まってるんです。

その中でお話ができる時間帯って、食事介助する時とか、おやつの時間にちょっとゆとりがあるかなっていうぐらいで。

夜勤になると20名ほどの入居者を職員ひとりで見るんですよ。
それもおむつ交換とか、トイレ誘導とか、そういった関わりのみで。

会話する暇もなく、オンコール対応しながら、他の利用者の要望に応えられず、ほぼ作業してるような感覚で心苦しい感じがずっとあったんですよね。

だんだん、「人」じゃなくて、「もの」みたいな感じに思えてきたことがありました。

―そこから重度訪問介護の方に?

特養を辞めた時は、自分で事業をしようかなと思ってたんです。
でもスキルも何もないので、ほとんど自己流で始めていた時だったんです。

離婚もしていたので、「すこしずつでも経済的に自立したい」っていう思いがあって。
アルバイトをしながらやっていたんですが、ちょっとつまずいてしまって。

そこで「夜勤だけでもやりたいな」って思っていたときに、ホームケア土屋の重度訪問介護の仕事を見つけました。

ホームページを見たら1対1での介護だったので、「これは自分に合ってるな」って思えて。

CHAPTER4

重度訪問介護は最初から楽しくて。

人として、仲良くなればいい。「この方と仲良くなるにはどうしたらいいかな」を考え続けて

―重度訪問介護はいかがでした?

最初から楽しかったです(笑)。
不安がなくて――というか、「その人とコミュニケーションを取る仕事なのかな」と思ってたので。

「コミュニケーションを取っていけば、きっとうまくいくんじゃん」と思ってたんですよね。
ごめんなさい、私ってこんな感じで、いつも軽いんですよ(笑)。

「コミュニケーションを取っていればいい」し、その人がすこし苦しんでいるような時は「見守りしてたらいい」って――。

もちろん、必要なところは介助をしますが、その人ができそうだったら「『できたらやってね』って言えばいい」――そういう感じで関わっていたので。

最初から「人として、仲良くなればいい」と思っていたんですよね。

そうすれば「この方と仲良くなるにはどうしたらいいかな」を考え続けていけばいいだけだし、仲良くなること自体も私は得意だったので。

その中で、「この方ができないことを私がすればいい」って思ってました。
重訪についての説明を読んでいた時に、「できるところはやってもらう」。

それからすべてをアテンダントがやるわけではなく、「見守りも重要な仕事」って書いてあった。

なので、「そっか、基本は見守りをしてればいいんだ」って。
間違ってたら教えてくださいね(笑)。

たとえば、自分でお料理ができるクライアントがいらっしゃるんです。
「お料理ができるなら、自分でやった方がいいよね」ってお伝えして。

でももしその方が具合が悪くて、「やってほしい」と言われた時は、「じゃあ、そばにいてもらえますか」っていつもお伝えするんです。

「何を炒めて、何をどのぐらい入れて、調味料何を入れたらいいか、わからないから教えてほしい」って話しながらお料理をするんですよね。

「お椀も洗ってほしい」って言われる時もあるんです。
「でも、できたらやってほしいな」ってお伝えすると、「疲れてるから」って仰ることもあります。

でも、その時のそのクライアントの様子を見ながら、「今日は甘えたいのかな」って思う時もあるし、「休んだら体力が戻るはずだから、その時やったらいいよね」って話をしたり。

洗うことそのものは遅くなってしまったりもするんですが。
他に関わっているクライアントの方では、寝たきりの方もいらっしゃいます。

その方には触れるようにして、声かけを多めにしてますね。

すると、「はい」の時は瞬きをしたり、「いいえ」の時は横を向いたり、目で合図してくださるのでとっても助かってます。

他の感覚器の機能が落ちてきたとしても、耳は最後まで聞こえるって聞いたことがあるので。
毎回そんなやり取りをして、たまに笑ってくださる。それは嬉しいですね。

CHAPTER5

どちらも、ありのままで

「自分のそのままを出していこう」っていう感覚を持つことで、相手もそのままを出してくれることがわかったんです

―仕事でも、生活の中でも、親川さんが「こういう部分を大事にして人と関わってます」っていうところってありますか。

最近思うのが、「どちらも、ありのままで」。
「ありのままを受け入れて、ありのままを出していった方がいいのかな」って思っているんです。

今、関わっているクライアントさんが言うには、「嘘は嫌いだ」、と。

「アテンダントたちが、取り繕っていろんなことを言うとわかるんだ」って仰ります。

それを聞いた時、「ありのままの自分で接する方がいいんだな」って思ったんですよ。

たとえば「○○をやってほしい」と言われても、自分ができないことだったり、立場としてできないことであれば「これは規則だから、できないよ」って私はそのままお伝えします。

中には「本当はダメだけど、しょうがない」って思ってされる方もいらっしゃるかもしれません。

でも私はそういったところを分けて、「できる・できない」をハッキリお伝えした方が、クライアントにとっても関わりやすいのかなって思ってます。

たとえば、こちらがリラックスしていつもの感じで接すると、クライアントさんもリラックスされますよね。

でも急に「あっ!○○さん」なんて緊張した感じでご自宅に伺うと、クライアントさんも緊張されて身構えてしまう。

それと同じことだと思うんです。

いつも、アテンダントのみなさんとも「そういう時ってどうしたらいい?」って話をしてるんですが、「その人がリラックスできる方法を考えたらいいんじゃないかな」って話してます。

クライアントさんに神経を使わせてしまうのではなくて、アテンダント側がまずはリラックスした状態になって、そこから関わっていくというか――。

―そうですよね……。その「お互いがありのままで関わる」というのは、重訪の1対1の関係の中で親川さんが気付いてきたことだったんですか?

今、いろいろ他の勉強もしている中で、「自分が我慢をする」っていう癖がついていることに気づいたんです。

だから「我慢している自分を外していきたいな」っていう思いがあって。

「自分のそのままを出していこう」っていう感覚を持つことで、相手もそのままを出してくれることがわかったんですよね。

クライアントさんに対しても、先にそれをしたんです。

支援現場で独り立ちした時に「私は料理もできないし、掃除もできないし、本当にできないことが多いかもしれない。でも、よろしくね」って。

そのことをクライアントさんはずっと覚えてくれてます。

だから今も「親川さんは料理苦手だったよね」「熱いの苦手だったよね」って。

たとえば「炊き立てのご飯をおにぎりにしてほしい」って言われた時に、「ごめんね、熱いから触れないんだ」ってそのままを伝える。

そうすると、「そうだった、親川さんは熱いのが苦手だった」ってクライアントさんもわかってくれてるから、「じゃあ、ちょっとして、ご飯が冷めてからでいいよ」って言ってくださる。

そうやって、お互いに同じところで気を配り合って、できないことはできないままでも、コミュニケーションだけはずっと続けていく。

その中で、「じゃあ、○○ができないなら、△△はできる?」ってクライアントさんの方もまた別の方法を考えてくれるんですよ。

そうやって「みんな、お互いさまなんだよ」っていうことを、私もクライアントさんも、体感として知っていくんですよね。

でももしかしたら、そういうやり取りを「わがままだ」って思う方もいらっしゃるかもしれません。

でもそれは、お互いにそのままを言ってきただけなのでね。

―自分からオープンになることで、お互いがそうやって自然体でやり取りができるというか。

会話をされる方はそれである程度はやり取りができると思うんです。

ただ、アテンダントも然りですが、ところどころでクライアントもご自身の都合でお話しされる時もあって。

そういう時にこちらが「ん?」って思うと、その瞬間に「あっ!」ってわかるような感じもクライアントさんの側にもある。

そういう空気感の変化をキャッチするのは本当に感覚が鋭くて――みなさん、察する天才ですよね。

だから、やり取りそのものを正確にカッチリするというよりは、ゆる〜くできる感じの方が相手も疲れないのかなって思いますね。

自分も疲れないし、相手も疲れない。

こんなことを言ったら失礼かもしれないけれど、私は気軽に、“遊びに行く”くらいの感覚でクライアントのご自宅に伺っているんです。

それが、先ほどのリラックスっていうお話しともつながってますし。

―そうですね。インタビューも1対1のやり取りなので、「ほんと同じだなぁ」と思ってお話を伺っていました。私自身も自然体で、素直に質問できている時は、お互いが頑張らずに、でもすごくいい時間が過ごせちゃうんですよね。

CHAPTER6

人と人って、たとえ言葉が通じなくても絶対に通じるものがある

“障害を持ってる人”と思って見ていないんです。“普通の人”というか、ただ「特徴のある方」というか。

―介護のお仕事と出会ってから、親川さん自身が変わってきた部分ってありますか。

そうですね。
障害を持っている人と接していると、普段から目に入るようになりますよね。

ただ、どうなんだろう、自分は――。
“障害を持ってる人”と思って、見ていないんです。

“普通の人”というか、ただ「特徴のある方」っていう感じです。まだ人数としては、たくさんの方とは接してないんですが。

今、関わっているクライアントさんとは、そこまで身構えることがないんです。

気持ち的には同じところで接していて、「ただ、○○はできないから、お手伝いをしている」っていう感じが自分の中でありますね。

ただひとつね、重訪に入る前に、講演を聞きに行った時に「ユマニチュード」という関わり方を知ったんです。

ご存知ですか?

―はい。本でしか読んだことはないんですが。ちょっと共有しておくと――フランスで生まれたケアの技法で、「見る」「触れる」「話す」「立つ」――といった4つの動作を通じて、「あなたを大切に思っている」ということを相手にわかるように伝える技術、と書いてあります。「人間らしさ」を尊重するケアの技法として、これまでの親川さんのお話と通ずるところもありますね。誰かとコミュニケーションを取る時、特にケアを行なう時は非言語のやり取りが重要になってくる、と。

そうですね。
その講師の話を聞いた時に、「人と人って、たとえ言葉が通じなくても絶対に通じるものがある」って思ったんです。

それは“目”ですよね。視線を合わせること。同じ姿勢でいる。

そうすると自分の視界の中に入ってくる人に、あたたかいものを感じられる――その講演で学んだことを今も感じながら、クライアントとも接しているのかなって思いますね。

―ちなみに、その講師の方、なんていう方ですか?

なんだっけな……。
ごめんなさいね、私、名前とかすぐに忘れちゃって。

だからカラオケとかも行けないんです(笑)。
曲名が思い出せないから、曲を入れられないんですよ。

私、ちょっとぬけてるので。
これもある意味、先ほど言った“特徴”と言えるかもしれないですね。

ある人からすれば“特徴”、別の人からすれば“障害”と呼ばれるものを自分も持っているのかも、とも思っています。

でも、このままでいいと思ってるので。

CHAPTER7

「心も体も整える」を目標に

海に行ったり、山に行ったり、風を感じたり。ワンちゃんにも癒されてます

―お休みの日はどんなふうに過ごされているんですか?趣味とか、「こんなことしてます」といった習慣みたいなものがあったら伺いたいです。

最近は、米粉にハマっていて、米粉でパンづくりをしたり、お菓子をつくって人にあげたり。
ご飯はつくれないんですけどね(笑)。

香りも好きなので、アロマのポプリを買って、ポプリに香りをつけて。
ペパーミントとか、いい石鹸の香りをつけて、友達にあげたりしてますね。

自分が「好きだ」と思ったものを人にあげたくなるんです。
夢中になってしまうので、いろいろつくり出すと、材料ばかり増えて娘に怒られます(笑)。

あとはチョコザップに行ってるので、運動したり、ひとりカラオケしたり。

それから今は神社とか御嶽めぐりをしてますね。
昨日も買い物しながら、友人から勧められた場所に行って。

徳をもらってきました。
そんなことをしてると、自分の中に幸福感みたいなものを感じるんです。

今年の初めから、「心も体も整える」っていうことを目標にしてます。

体の方は、以前は整体に行ったり、食生活もできるだけ外食しないようにしてますが、心の方も整えることを今年は目標にしてやってるので。

来年も多分、それが目標になりそうです。

―自分にとって心地いいものだったり、場所だったりを、いくつも持ってらっしゃるんですね。

そうそう。
海に行ったり、山に行ったり、風を感じたり。

うちはワンちゃんを飼ってるんですよ。
ワンちゃんにも癒されたりしてますしね。

CHAPTER8

人が好き。人間も動物も、生きているものが好きなんですね、きっと

“コミュニティー”のような、アテンダントさん同士でお茶をしながら話ができるような場を持てたら

―「今後、ホームケア土屋でこんなことに関わっていきたいな」というところを伺いたいです。

自分が何ができるのかはちょっとわからないんですが――。

あるクライアントさんが言うには、「重度訪問介護では、アテンダントさん自体が孤立するっていうことがある」、と――。

同行の時はアテンダントがふたりで一緒に支援に入って、相談しながら支援するんですが、「そのあとはひとりになってしまうのが不安なんです」っていう話を聞いたので。

“コミュニティー”のような、アテンダントさん同士でお茶をしながら話ができるような場を持てたらいいのかな、と思ってます。

そういう場があることで、会話ができて、アテンダントの気持ちも解消できるんだな、とは感じたことがあって、今、アテンダント同士で時々、ランチをしたりはしてるんですよね。

そちらはどうですか?孤立してるようなことってありますか?

―そうですね。私はバックオフィスなので基本が在宅勤務なんです。直接、社内の人と会うことってほぼなくて、気づけば「今日、喋ってなかった」みたいな日もありました。だから家の外で仕事をしたり、お休みの日に友達と会う機会を積極的につくってます。本社でも毎週上司との1on1をしたり、在宅勤務の課題にも取り組んではいますが。ただ一方で、在宅だと落ち着いて仕事ができる良さもあるんですよね。私も大人数の中にいるのが苦手なので。

そうですね。

私も苦手なんですけれども、「そういう場をつくる」っていうだけで――そうすると、あとはお互い同士で話してくれるので。

―あぁ、そうですね。

そうそう。

そうすると、「あの人、こういう時どうだった?」「こんなことで嫌がってるのかな」「これはした方が良かったのかな」っていう、自分の中にあった変な不安感が取れてくる。

やっぱりそこは、お互いに話していくことでその人の心持ちや捉え方も変わってくるのかな、と思いますね。

―そうですね。ありがとうございます。親川さん自身は「これからこんなふうに生きていきたいな」ってありますか?

自分は自由に生きていきたいな(笑)。
なにも心配なく。

でもね、時々、変なところに首を突っ込みたくなるんです(笑)。
急に「これしたい」っていう時が出てくるので。

そういう時もありますが、普段はのんべんだらり、寝たり起きたり。
2、3日に一回くらいはYou Tubeでヨガしたり。

―医療の仕事も含めると、ケアの仕事を長くされてきていますが、親川さんはどうしてこの仕事を続けられてきたと思いますか?

ひとことで言えば、人が好き。人間が好きなんですね、きっと。動物もですし。

ただ集団に対応できないっていうだけで――。
原動力としては笑顔が見られるのがいちばんですよね。

自分はいつもクライアントから学ばせてもらってるので。

訪問の最後に「ありがとうございました」ってお伝えして帰るんです。

そこで笑ってくださる。
その笑顔を見られるのが最高の喜びだと思います。

―今のお仕事で親川さんが感じてる喜びってどんなところなんでしょう。

自分が関わっている方たち――クライアントやご家族――の日々がスムーズに、気持ちよく過ごせていけるお手伝いをしてるので、それができていたらいいのかなと思ってます。

その中で私もみなさんから恩恵をもらって、心地よく、気持ちよくなれたらいい――そんなふうに思いますね。

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