介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

佐藤洋子

ホームケア土屋 大宮 アテンダント

出会う出来事と握手をするように歩む

 《interview 2022.02.10》

埼玉で生まれ、イギリスに渡った佐藤 洋子。これまで生きてきた折々の場面で、出会う出来事と握手をするように歩んできました。ディスクレシア(学習障害)と診断された息子がくれた、お告げのような言葉とは。佐藤の選んだ重度訪問介護という仕事から見える世界とはいったいどんな風景なのでしょうか。

CHAPTER1

15歳で単身渡英。埼玉生まれの「変な子」を包む世界

ホームケア土屋大宮で、非常勤アテンダントとして入社したばかりの佐藤 洋子。イギリスに長らく留学していた佐藤は、海外の文化で育まれた思考で、介護の在り方に多様性をもたらす一人。

埼玉県熊谷市で生まれ育った佐藤ですが、もう一つの故郷は海外にあります。

佐藤 「幼いころから、古い洋楽や洋画が好きでした。フレッド・アステアやフランク・シナトラ。父はジャズファンで、私も小学生から米軍のラジオ放送でよく聞いていました。夜中に布団をかぶりながら。田舎では変わった子で、誰とも話が合わない。それでずっと留学したいと思っていました」

佐藤は中学卒業後、15歳でイギリス・ブリストルに渡り、長期ホームステイ生活を始めます。

佐藤 「お世話になったホストファミリーは60代のご夫婦で、ご主人は元海軍のエンジニア。とてもフレンドリーで、英語もほとんど話せない10代の私を孫娘のように受け入れてくれました」

佐藤は語学スクールに通い、さまざまな国籍の学生と交流を深めます。

佐藤 「語学スクールの一番下のクラスから始まり、言葉もほとんど分からない中で学校生活が始まりました。ただ、私は知らない言葉をひたすら何時間でも聞き続けられるんです。英語を早く習得するために日本人とは話さないようにしていました」

埼玉県熊谷市から、イギリスへ。居心地があまり良くなかった日本から、開放感のある海外での生活。そこには、ありのままで暮らす心の自由が。

佐藤 「食事や気候はあまり好きじゃなかったんですけど、建物や文化はすごく好きで。子どもの頃から自分が持っていた感覚や、音楽や絵画の趣味では、日本にいたら変わり者扱いだったのが、ここではむしろ自然で。すごく楽でしたね、変だって言われなかったので(笑)。
それに、イギリスではミュージカルや美術館の学生割引がすごいんです。ロンドンに出向いて『オペラ座の怪人』とか『キャッツ』を観たり、カフェでバイオリンを聴いたり。カレッジではGCSEを勉強しましたね。生物学・歴史・芸術・数学・力学などです。でも、3年が経つ頃、ホストファミリーのご主人が心筋梗塞の発作で急逝してしまったんです」

学校の送り迎えや、いろいろな面で支えてくれた優しいおじいさんの突然の死。佐藤はその家を離れて、シェアハウスで暮らし始めます。19歳になる前の頃でした。

佐藤 「大学進学に必要な資格であるA levelで数学やビジネス関連の資格を取って、卒業後は半年以上、バックパッカーでトルコやヨーロッパ諸国を旅していました。ただ途中で、育ての祖母が手術をするという連絡が母から受けて、帰国したんです」

7年ほどの海外生活に別れを告げ、佐藤は生まれ故郷の熊谷に戻ります。

CHAPTER2

「伝えたい」という気持ちが、雑音を潜り抜けて繋げる「魂と魂」

イギリスで暮らすことを考えていた佐藤ですが、祖母の手術をきっかけに帰国。そこには祖母との深い絆がありました。

佐藤 「両親が共働きで、私はおばあちゃん子だったんです。美容師で、とても面白い祖母。気が合うというのか、帰国したときもハグしてキスしてくれて。外国に行ったこともないのに(笑)」

家族の希望でイギリスには戻らず、佐藤は地元で働き始めます。

佐藤 「ただ、長い間、日本語を使っていなかったので、聞いたことは理解はできるけど、言葉が口から出てこないんです。変にかしこまったり、結論から話す癖も付いていたので、地元の知人には『日本の文化では物事をハッキリ言わないんだよ』と注意されましたね」

言葉に苦労しながらも、佐藤はジュエリー関係の営業・販売をしたり、語学カウンセラーとして留学の相談やマネジメント業務をしたり、外資系の企業で社長秘書をするなど忙しい日々を送ります。

そんな中、祖母の認知症が進み、脳梗塞も併発、半身不随で車いす生活に。ある日、介護施設で介助者を噛んでしまいます。

佐藤 「母がパニックになって祖母を精神病院に入院させてしまったんです。けれど、しばらくして病院から、『食事も取らなくなってやせ細って、このままだと死にそうだから』と連絡があって、急いで病院に行きました」

佐藤はそこで衝撃的な光景を目にします。

佐藤 「縛り付けられていたんですよね。すごくびっくりして、慌てて自宅に連れ帰りました。人間の尊厳が損なわれていると感じて。先進国の中で、日本の精神医療は遅れているというか。薬漬けにしちゃうみたいな印象を受けましたね」

海外と日本の違い。幼いころから培われた、個というものへの意識。佐藤は手探りで、祖母への24時間のリハビリ在宅介護を始めます。

佐藤 「大変でした。睡眠時間もほぼなくて、食事の準備や、トイレ介助に至っては1日20回くらい。祖母はすぐ忘れちゃうので。でも、私は改善させられる、絶対大丈夫っていう変な自信があったんです(笑)」

子どもの頃に大切に育ててくれた祖母。その祖母との最後の日々の中で、佐藤は今でも忘れられないことがあるそう。

佐藤 「祖母が一日だけすごく意識がクリアな時がなぜかあったんです。『自分の中で分かんなくなっちゃうんだよね』って言ってました。色々と説明してくれて、一生懸命に『ありがとうね』って。大正生まれで、自分で何でもやってきた人だったので、その分、お世話されるのも本当はきっと嫌だったと思うんですね。でもやっぱり人の世話にならないとっていう葛藤もあったんだろうなって」

祖母が呑み込みやすいように食事の工夫をしたり、薬や精神科を探したり、ハーブを試したり。認知症が進行する祖母の混乱を避けるために、問いたださないように気を付け、メンタル的にも過ごしやすい環境を作る毎日。

次第に筋力も付き、元気を取り戻した祖母はデイサービスに行けるようになり、最終的には介護施設に入所。穏やかに過ごした後、老衰で亡くなります。

CHAPTER3

佐藤の善き協力者、9歳の息子アラン君

30代半ばで佐藤は結婚、37歳の時に男の子を出産します。名前はアラン。自然体で生きる佐藤の在り様そのままに、子育ても自由でオープンなものでした。

佐藤 「祖母の介護で忍耐力が付いたのか、子育ては楽でした。ただ生まれるときは、切迫流産の可能性が高くて、大変でした」

出産時、入院して安静を保っていたため、筋力がすっかり落ちていた佐藤は、不思議な出来事を語ります。

佐藤 「緊急入院をしたのが夜中だったんです。でも、私は昼間に生まれて欲しくて、『15時くらいに生まれて』ってお腹に語り掛けたら、14時45分前に生まれてきてくれたんです。そして、初産で、踏ん張る力もなかったので、『3時間以内にお願い』って言ってたら、それも叶えてくれたんです。始めからママ想いだなって(笑)」

息子が4か月の時、パートナーとのトラブルで佐藤は息子を連れて家を逃げ出し、その後、離婚。新たな人生を始めます。

佐藤 「亡くなった祖母の家で二人暮らしを始めました。自分自身があまり親とのコミュニケーションがなかったので、そこには絶対に責任を持とうと。そして、オープンであろうと。息子の前で、これは言えないというのが一つもないんです。その代わり、ちゃんと説明します。息子も性格が穏やかで、しっかりと理解してくれます」

パートをしながら、大学の親教育支援プログラムに参加するなどして子育てについて考え、子どもと過ごすことそのものを楽しむ佐藤。そんな中、息子が幼稚園に上がる頃に、足の異変に気づきます。

佐藤 「アランは幼稚園ぐらいの頃、結構転びやすくて、あまり運動もできなくて。でも、良くなるって絶対の自信があったんです、毎度のことながら(笑)。だから、名医を探したり、カンフーや水泳とか、彼に合った学習法を見つけて、ゆっくりと」

9歳になった息子のアラン。今は運動が得意で、足はむしろ速いとのこと。幼稚園の時から伸ばしている髪の毛はすっかり長くなりました。そして小学生の時、ディズレクシアと判明します。

佐藤 「学習障害です。失読症で、トム・クルーズもそうだったと。字が突然消えて見えなくなったり、歪んだり」

アラン君によると、「字が飛び飛びになっちゃう。漢字は書けるけど、ずっとやんないと書けないか、似たような漢字がつながっちゃう」とのこと。

佐藤 「『なんでまた字を間違えたの』とか思われがちですけど、努力家なので、何百回も同じ字を学習しています。それでもやっぱり忘れてしまったり。定着しているのもありますね」

紆余曲折ありながらも、試行錯誤しながら互いに協力して成長してきているという佐藤。オペラやミュージカルの好きなアラン君は、最近、オペラ歌手直々にレッスンを受けているとのこと。

佐藤 「こんな風に好きなものを見つけて、どんどん伸びていって欲しいですね。人生の幅を広げて、色々なお友達も作って。例えばイタリアに行って、その土地の歌をみんなと一緒になって歌えたりすると楽しいじゃないですか。単純にそういうことなんですよね、私が求めているのは」

そうして佐藤は2021年11月、重度訪問介護の世界に足を踏み入れます。

CHAPTER4

「結局、運命だったんだよ」流れるように。

祖母の死から10年弱。佐藤は今度は仕事として介護の道に入ります。「結局、運命だったんだよ」という息子の言葉の通りに。きっかけは、ワーキングスタイルにありました。

佐藤 「息子と何十回も話し合って、夜勤が良いねと。自分が寝てる時や、学校に行っている時に仕事をして欲しいと。それで土屋に辿り着きました」

初めての研修。右も左も分からない中、佐藤は医療的ケアの資格取得に挑みます。

佐藤 「覚えることが多くて、介護用語も分からず。それでも皆さん優しくて、どんな質問にも答えてくれて。いい会社だなって思いました。それに、社内にも文化的な雰囲気があって、私みたいに、ちょっと変わった人がいても大丈夫かなって」

そして、いよいよ佐藤は現場へ向かいます。週3回、クライアントは筋力が低下するミオパチーの女性です。

佐藤 「医療的ケアは最初はすごく緊張しました。看護師や先輩方のやり方を見てシュミレーション。でも実践とはやはり違うので、現場で学ぶことは多いです。クライアントから介助方法を教えてもらったり、先輩にフォローしてもらいながら、日々成長していければと」

喀痰吸引や排泄介助、食事の準備や見守り。呼吸音に耳を澄ませ、一つ一つ丁寧に行いながらスキルを上げようと努力する日々。長い時間、ベッド上にいるクライアントの痛みを和らげようと、腰をさすり、話をし、夜を過ごします。

佐藤 「彼女は声は出ませんが、こちらに理解しようという思いがあると伝わります。分からない中でも通じ合った海外での経験が役立ってるのかも」

クライアントに向き合う仕事の中で、佐藤の支えは事業所の上司や仲間たち。

佐藤 「皆さん、前向きでオープンで、助け合おう、新人を育てようという思いが強い!それが私のモチベーションです。励ましのアドバイスやトレーニングもしてもらっています。スーパーカインド、スーパーポジティブなメンバー。とてもいい環境です」

そんな佐藤。障害者介護に関わる中で、息子とよく話すことがあるそう。

佐藤 「『スターウォーズ』では色んな特徴をもった宇宙人がいて、みな違ってます。だから、『もしディスレクシアの人ばっかりのプラネットに行ったら、ママが逆に障害者だよね』って。みんなが車椅子を使っていて、社会がそれに合わせた作られていたら、今健常者と言われる人達が、逆に障害者に変わるんだろうなって。どうして障害者、健常者って意識しちゃうんだろう。我々親や大人が心の垣根を作ってるのかなと思います」

一見苦しい経験も明るく笑い飛ばす佐藤。そんな彼女からの、介護職に就こうか迷っている人へのメッセージとは。

佐藤 「いろいろな視点から物事を見られて、心が豊かになります。さまざまな前職や年齢の方がいる業界ですが、例えばトークが上手いとクライアントの心をライトアップできるし、今までの経験を違う形にして仕事ができる面白い職業です。あと、土屋は重度訪問以外の事業も展開していて、社内ベンチャーなど、新しいことに取り組んでいく前向きなスピリットがあるので、チャレンジしてみる価値はあると思います」

自分が置かれた現実に、愚痴を言い続けるのか、プラスマイナス両面を見つめて対応していくのか、佐藤は後者を選んだようです。

息子のアラン君と、何十回も仕事の話をしたというエピソード、あなたにはどう映りましたか?

あなたが人生の流れに舵を切るのは「いつ」でしょうか。


TOP
TOP