グループホームKOTO

グループホームKOTO

秋田君子

管理者

いつか枯れるこの花が、その花らしく咲いてたんだって、誰かにも伝わるといいな

 《interview 2025.10.20》

京都で生まれ育った秋田君子(あきたきみこ)は、施設や訪問での介護の経験を経て、2018年から障害者向けグループホームKOTOで管理者として働いています。
今もグループホームに帰ってきたクライアントに必ず「おかえり」と声をかける毎日。地域に根ざした“家のような居場所”をつくり、“みんなのお母ちゃん”として場を守り続けてきた彼女の次の夢は、「女性のグループホームを立ち上げること」。
福祉という仕事に携わるなかで、別れと出会いを繰り返しながら歩んできたこれまでの日々を、秋田がつくる押し花の作品とともに振り返ります。

CHAPTER1

病弱だった幼少期の記憶と、介護の仕事と

あの人の、最期のときをみんなで見送った

―こどもの頃の話から伺っています。秋田さんはどちらで生まれ育ったんですか。

京都市内で生まれて、育ったんは長岡京市です。
のんびりしたとこかな。

ちっちゃい時、体が弱かったんで、「ちょっとでも空気のいいとこに」って長岡京市に引っ越しました。

それから「亀岡の方が空気がいい」って言って、亀岡市に引っ越して。

―小さな頃は、どんなお子さんでしたか。

聞くところによると、体が病弱で入院が多かったらしくて。
性格は内向的な感じかな。

リカちゃん人形の着せ替えとか、家の中で遊んでる姿を思い出しますね。

あんまり運動神経も良くなくて、自転車もなかなか乗れなかったそうです(笑)。

―10代はどんなふうに過ごされていたんですか。

18ぐらいの時かな。

ちょうど高校卒業して、進路が決まったぐらいの時に、父親が脳血栓で右半身麻痺になって、いろんな方のお世話になったんです。

その時のこともあって、「今度は私が誰かに恩返しできたらいいな」って思ったのが介護の仕事をはじめた第一の理由です。

最初は呉服屋さんとか病院で受付の仕事をしていたんですが、それからすぐに結婚したので、あんまり社会の経験はないんです。

何年かして、子育てがひと段落してから「ちょっとでも収入があったらいいな」と思って介護の仕事を始めました。

いくつぐらいの時かな。

介護保険制度が始まる前、措置の時代から介護をしてます。

―お父様のこともあったとお話しされてました。「子育てから手が離れたら介護の仕事に」といった思いはあったんですか。

そんなに思ってもいなかったんですが、やってみたら介護の仕事が楽しかったんかな。

―最初はどんなところに勤められたんでしょうか。

最初は訪問介護のヘルパーでしたね。
お家に伺ってご飯をつくったり、おむつ交換したり。

でも、ヘルパーとしてお家をまわっていた時、行った先で亡くなられていた利用者さんがおられたんです。

それで「訪問介護はひとりでいろんな対応をしないといけないから大変やな」と思って。

そこから老健のデイサービスで働くようになって、病棟で夜勤をしていました。

施設で働いていた時は「教えてもらうことがいっぱいあった」と思うのと同時に――「施設は私にあんまり合わないな」とも思って(笑)。

その後、また訪問介護のヘルパーに戻りました。

ある訪問先に、末期の癌の方がいらしたんです。

その方の最期を、ご家族や訪問看護さん、みんなで見送ることができました。

すごく安らかに眠っていかれたんです。

これまで介護の仕事をしてきた中では、その時のことがいちばん心の中に残ってるかな。

訪問看護さんが体を拭いておられて、その方が好きな歌をかけてあげて――その時の、にこっと笑ってはる姿がまだ心に残ってる感じです。

CHAPTER2

訪問介護から障害福祉へ――KOTOとの出会い

KOTOに来たはじめの頃は、私、クライアントさんに騙されてばっかりでしたね(笑)

―たくさんの出会いがあり、お別れもあったかと思います。これまで仕事を続けられてきた中で、秋田さんの中で変わってきた部分ってありますか。

先ほど話した方のように家族に見守られながら、穏やかに最期を迎えられる方もいらっしゃれば、中にはおひとりで亡くなっていかれる方もいらっしゃるんです。

どんな人にも最期があって――私なんて微力だから、何もしてあげられないけど、でもやっぱり気持ちよく見送ってあげられたらいいな、っていうことは介護の仕事をしていた頃は思ってました。

でもやっぱり介護の仕事は、見送るのがしんどくて。
障害福祉の分野で仕事をするようになったんです。

―2018年にKOTOに入社されたきっかけは?

たまたま、求人が出ていて。

その前から障害を持ってる方の移動支援の仕事はしてたんですよ。

それで「障害福祉の仕事の方が自分には向いてるかな」と思って、KOTOに入社しました。

KOTOに来たはじめの頃は、私、騙されてばっかりでしたね(笑)。

クライアントさんの話を真剣に聞いていたら――みなさん、「障害を持ってる人はピュア」とか言わはるけどそんなことなくって。

すごく賢くってもう騙されっぱなし。

今やから笑えますけど、最初は「え――?!」ってことばかりでしたね(笑)。

―KOTOは、障害を持つ方のグループホームと聞いていますが、秋田さんはどんなお仕事をされていたんでしょう。

KOTOに入った時から、管理者として働いてきました。

今はみなさんのシフトをつくったり、日報をつくったり、いろいろ準備をしたり、事務的な仕事ですね。

スタッフが入れない時もあるので、その時は夜勤に入ったりもしてます。

管理者としての仕事は、正直なところ、苦手だなと思う部分も多いのですが、みなさんの協力のもと、頑張ってやっています。

KOTOは、最初、ひとつのグループホームから始まりました。

KOTO1(ワン)って呼んでいるんですが、1は2018年に、それから2019年にKOTO2(ツー)というグループホームをちょっと離れたところにオープンしました。

KOTO2はオープン当初、ご近所の方の反対があって。

私は立ち上げから関わったので、土屋グループに入る前の当時の代表と一緒にご近所の方に説明に行ったり、挨拶回りに一緒に行かしてもらったり。

説明会を開いて、開設の経緯を説明するということもありましたね。

今は、KOTO2には5人のクライアントが入居されてます。

昼間に入居されてる方の体調不良などがあれば、私が日中を見守ったり、お昼ご飯つくったりという形で、これまで関わってきました。

CHAPTER3

毎日が平凡じゃなくて、いろんなことがあるからこの仕事を続けられるのかな

人と話をする時は、時間をかけて話できたらな

―秋田さんは人と接する中で、どんなことを大事にして日々過ごされていますか。

障害を持つ人の中には自分の思ってることをなかなかお話できへん人もいるので、

なるべく人と話をする時は、時間をかけて話できたらいいな、っていつも思ってます。

中途半端に聞いて、「わかった」となるものではないので。

そこが私にとっては大事かな。

―KOTOでの関わりはどんな感じなんでしょう?スタッフ同士の連携や、普段からみなさんでいろんなことを共有したり……

そうですね。

たとえば私はスタッフのひとりずつに「○○さんがこんなふうなんだけど、何かわかることある?」みたいに問いかけてますね。

グループL I N Eやったら言いにくいこともあるやろうし、ひとりずつに「こんなことあったんやけど、どういう考えしてる?」「○○さんには、どんな対応をしてる?」って。

本当は同じ対応してもらわないと困るところもあるけれど、それぞれ対応も違うかもしれないし、考えもみんな違う。

だから、それぞれの考えを聞いて、「そうなんや」って思うことは私もよくあります。

―そういうやり取りを大事にされてるんですね。

そうですね。
うちのスタッフには、ダブルワークの人が多いんです。

例えば、転職した先が合わなくて、一回辞めてからまたKOTOに帰ってくる人もいるんです。

辞める時、相談もしてくれて、いろいろ考えて、辞めたんやと思います。

その時は「また、KOTOが良かったら帰ってきてね」って伝えているんです。

それもあって、他に仕事しながらも長く続けてくれてはる人もたくさんいらっしゃいます。

ただ、働くスタッフの年齢は上がってきてますね。

スタッフは全員で13名いるんですが、上は70代から、いちばん下が40代。

40代の方が今ひとりしかいないんですよ。

先のことを考えたら、若い人がもっと入ってきてくれたらいいなって思いますし、「若い人の考えも聞きたいな」って思うことはありますね。

―この仕事を続けてきた中で、出会ったものとか、秋田さん自身が変わってきた部分とかってありますか。

昔はもっととげとげしかったかもしれません。

年齢的なものもあって、あんまりこの頃は怒らなくなってきたかな。

「諦めてるのかな」って思う時もありますけど(笑)。

スタッフが私が怒らへんのを見て、「秋田さんは怒らなあかん時に怒らなあかんねんで」っていうことは時々言われます(笑)。

優しすぎるのもあかんし、なんでもかんでも自分でしようとするから、「次の人が育たへん」っていうことも言われますし。

―日々の中ではいかがですか。管理者として、というところでも、普段の関わりの中でも、喜びとか、「こんなことあると嬉しいな」、とか感じる瞬間があったら教えてください。

喜び――そうですね……。

毎月15日に「スペシャルデー」って言って、ホームで出す食事をいつもと違うスペシャルの食事にしているんです。

この間はお寿司とか、そうめんを夏バージョンで出しました。

その翌日に出勤すると「美味しかった」「よかった」って言って、クライアントが喜んでくれるのが嬉しいことかな。

喜びといったらそれぐらいかな……正直、「また今日何が起きるかな」とか思うことの方が多くて。

この間は突発的に救急車で運ばれた人がいて、遠くの病院まで迎えに行って――毎日いろんなことがあって、楽しいって言えば楽しいんかな(笑)。

「毎日が平凡じゃなくて、いろんなことがあるから、私、この仕事続けられるのかな」っていう思いもありますね。

毎日15日のお楽しみ。スペシャルデーの食事

CHAPTER4

お庭でお花を育てるのも、押し花も好き。犬とずっと穏やかに過ごせたら

押し花のインストラクターとして、1ヶ月に1ぺん、老人施設に教えに行ってます

―ここまでお仕事のお話をたくさん聞いてきたので、秋田さんがお休みの日どんなふうに過ごされてるかを伺いたいです。

私ね、押し花のインストラクターの資格を持ってるんですよ。

老人の施設にボランティアで教えに行ったり、お教室にも1ヶ月に1ぺんいってます。

老人ホームでは、押し花を小さなキーホルダーに入れてつくってあげてます。

押し花は、バラの花びらを1枚ずつ押し花にして、紙の上でまたバラの花にして飾るんです。

今まで話をしてきたのとはまったく違う世界ですね。
始めて12、3年になります。

毎年5月に押し花の作品展があって、その作品展に向けて作品を一生懸命つくるんですが、私の場合はなかなかつくれてません(笑)。

―どんなきっかけで始められたんですか。

「もらった花束を取っておきたかった」っていう思いがあったんです。

でも、その時はまだ押し花自体上手にできなかったですね。

作品ができたら額に入れて飾るんですが、額って高いので。

私がここで働いてるお給料は、全部額代に消えます(笑)。

―秋田さん自身が「これからこんなふうに生きていきたいな」っていう思いはありますか。

お庭でお花を育てたり、ガーデニングをしたり、押し花も好きやし――それから今、犬がいるんですが、その犬とずっと穏やかに過ごせたらなって思いますね。

自分の時間を「押し花とかしながら過ごせたらな」って思うのと、反面、私の夢はKOTOに女性棟をつくることなんですよ。

今は男性だけのグループホームなので。

この間も植松さんと一緒に物件を探しに行ったんですが、なかなかいい物件がないんですね。

「KOTOに女性棟をつくって、もうちょっと頑張りたいな」っていう両方の思いがありますね。

CHAPTER5

みんながもっと優しく見守ってくれて、クライアントもいろんな福祉制度を利用して、豊かに生活ができたらいいな

私がこうして元気でいられるのもみんなに頼ってこられるから

―KOTOと長く関わられてきた中で、世の中が変わってきたところも見られてきたと思います。「これから社会がこんなふうになってたらいいな」という思いはありますか。

障害者を差別的な目で見てることが今もあるのかな、と思います。

みんながもっと優しく見守ってくれて、KOTOのクライアントもいろんな福祉制度を利用して、豊かに生活ができたらいいな、って思うことはよくありますね。

みんなが思ってるよりも、障害を持ってる人って――もちろん悪い人も中にはいはるけれど、悪い人ばかりでもないし、もっと優しい目で見てあげてほしい。

「同じ人間として生まれてきてるんだから、平等であってほしいな」と思ってますね。

―KOTOで暮らしているクライアントさんと地域の方が交流する機会というのはあるんですか。

KOTO2は住宅街の中にあるんですが、地域の溝掃除があって、その水蓋を開けるのにKOTOの若いクライアントが手伝いに行ってるんですよ。

地域に住んでる方の高齢化も進んでいるので、力仕事の時に「KOTOのメンバーが手伝ってくれた」ってみなさん喜んでくれはります。

昔やったら地蔵盆とか、季節ごとに地域行事があったと思うんですが、今はあまりないですよね。

だから、そんな機会がもっとあったらいいし、KOTOのメンバーが地域の行事にどんどん参加していけたらなと思います。

―秋田さんはKOTOの立ち上げから関わられてきて、福祉の仕事をずっと続けられてきて――。なぜ、この仕事を続けられてきたと思われますか?

入居してる人がみんな可愛いというか、すごく憎めない方たちなんですよ。

いろんなことしてくれはるけど(笑)、やっぱり憎めないから、毎日関わってるんだと思うんですよね。

私の体が元気でいる間は仕事を続けられたらなって思います。

お休みの日でも「こんなことがあった」「こういうことで困ってる」とか、私を頼って電話をかけてこられるんです。

やっぱり私がこうして元気でいられるのも頼ってこられるから――そういうところはありますね。

もちろん、お金も必要やから働いてるんですけどね(笑)。

CHAPTER6

その人の居場所として、ここにKOTOがある

KOTOは、家族がいらっしゃらない人が多い。ここで「みんな家族」みたいな感じで暮らしてはります

―KOTOはクライアントが入所されたり、退所されたり、ということはよくあるんでしょうか。それとも長く暮らす方が多いですか?

そうですね。
行くところがない方もいらっしゃるし、ここで最期を迎える人もいらっしゃるかもしれません。

一方で、高齢になって老健に移られるといったケースもあります。

KOTOは、家族がいらっしゃらない人が多いんです。
養護施設から来た方がいらしたり、小さい頃から家庭的なあたたかさを感じてきた経験が少ない人が多い。

ずっと昔の話ですが、日本では、知的障害の人を家で隠して育てていて、隠しきれなかったら病院にずっと入れておくーーなんて時代もありました。

今いらっしゃる人の中でも、ずっと病院におられて、KOTOに来られてから「今、ここが楽しい」って言ってる方もいます。その方は身内もいないし、帰るところもないんです。だから、「その人の居場所としてKOTOがある」っていうことでいいかなって思ってますね。

―クライアントさん同士は、日頃どんなやり取りをされているんですか?

たとえば、就労先から旅行に行かれて、お土産を買ってきて、みんなにちょっとずつクッキーをあげたり、「こんなとこに行ってきた」っていうお話をされたり。

休みの日にクライアント同士でご飯を食べに行かれたりとか、そんなんもありますね。

今のグループホームというのは、何かあった時にすぐにスタッフがかけつけられて部屋に入れるように、大体がワンルーム型になっていて鍵がついてるんです。

でもKOTOはひと部屋ずつの鍵がついてないんです。

もちろん、プライベートはプライベートとしてあるんですが、お部屋で一緒にお話してるクライアントもいるし、「みんな家族」みたいな感じで暮らしてます。

―KOTOは、2024年に土屋グループの一員になりました。そこから変わった部分ってありましたか?

そうですね。

食事の面や、直接、クライアントさんに関するものについては予算がだいぶ緩くなったので、少しでもクライアントさんにいいものを食べさせてあげたいなって思ってます。

例えば、食事については「できたらおやつも出してあげられたらな」とか。

それから、クライアントの誕生日にはいつもケーキを買ってお祝いをしてるんですが、土屋グループになってからは、ホールのケーキを買えるようになりました。

変わったのは、それぐらいかな(笑)。

―先ほど仰っていた毎月15日の“スペシャルデー”もずっと続いてきたものですか?

そうですね。スペシャルデーも、土屋になってからちょっと上等になりました(笑)。
クライアントにはいいものを食べていただいてます。

クライアントと、スタッフで野菜と花を植えました

CHAPTER7

私にとっての毎日は、「おかえり」って言ってその人の話をちゃんと聞いてあげること

KOTOでの私は“みんなのお母ちゃん”みたいな感じ

―最後に、“らしさ”について、みなさんに伺っています。KOTOという場所が持ってる“らしさ”ってどんなところだと思いますか。

KOTOはグループホームなんですが、本当にアットホームな場所で、最初から私は“お母ちゃん”みたいな感じでやってきたんです。

それが“らしさ”のところなんかな。

あんまりギクシャクせずに、みんな仲良くやっていく場所、というか。

―一方で、秋田さん自身の――“自分らしさ”みたいものがあったら聞かせてください。

“自分らしさ”――ないですね(笑)。

私、のんびりしてるのもあって、この頃はちょっと優しくなったかな。

年齢ですかね。

でも――みんなが帰ってきた時に、私がいつも言うのは「おかえり」って。

「今日はどうやった?」って、一人ひとりに毎日聞いてます。

その時のみんなの表情をよう見たら、「あぁ、今日、なんかあったんやな」っていうのもわかる。

だから、ほんまに私は“みんなにとってのお母ちゃん”みたいな感じでここにいます。

もちろん、聞かれると「わー」ってなってしまう人もいるし、話したくない人もいる。

でも、中には「こんなことあった」とか、その時には言わなくても、後で夜になってから電話で話してくれることもあります。

休みの日でも、気になることがあったら、「どうやった?」って確認の電話もしてますしね。

だから私にとっての毎日、それが“私らしさ”かな。

その人の話を、ちゃんと聞いてあげること。

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