定期巡回

定期巡回サービス

千葉香織

札幌白石 管理者

支援者主導ではない、一対一の介護は、本当にあります。

 《interview 2024.10.11》

定期巡回サービス札幌白石で管理者として働く千葉香織(ちばかおり)。
病院や老健での経験を経て、出会った重度訪問介護の仕事。“コミュニケーション”というものを捉え直すことになったひとりのクライアントの出会いを胸に、今、仲間たちに支えられ、この春に立ち上がったばかりの定期巡回サービスの管理者へ。「定期巡回を使って、在宅生活ができてよかった、と言ってもらえるように」――今日も千葉は、クライアント本来の力を信じて、“ほんとうに必要なもの”、“最小限の関わり”を携えて、地域をめぐっています。

CHAPTER1

北海道のほんとうに広い土地で育ちました

自由奔放に、マイペースに。そこは今も変わらない。

―千葉さんは、どんな風景の中で育ったんでしょうか。

私が育った北海道の中標津町は、牛の方が多いようなところなんですよね。
もう本当に広い土地で育ちました。

川で遊んだり、小学校の裏山で遊んだり――いとこが年齢が近かったので、よく一緒に遊んでいましたね。

しょっちゅう転んで、怪我もよくしてました。

―当時〜10代の頃に、熱中していたことや興味を持っていたものってありましたか?

高校の時に合唱部に入っていて、部活三昧でした。
「その年、合唱部で全国大会に行けますよ」って聞いて、「なんか楽しそう〜」って(笑)。

実は中学校の時、本当は吹奏楽部に入りたかった――っていう思いがあったんです。

でも親から「吹奏楽部なんてお金かかりそうだからダメだよ」って言われて、「でも音楽系の何かやりたいな」と思っていたら、高校に行ったら合唱部があって。

「合唱部だったらそんなにお金かからなさそうだし、いいかな」っていう単純な気持ちから始めました(笑)。

―大会で、全国あちこち行かれたんですか?

はい、1年生の時、全国大会2つ行かせてもらえて。そのあとは、北海道内の大会に3年間出て。

練習も、昼休みも音楽室に入り浸って、放課後もすぐ音楽室行って――そんな高校時代でした。

―「小さい頃、自分ってこんな性格だったな」というところはありますか?

どうでしょうね……。私は1人っ子なのもあって、すごくわがままだな、とは思うんですよ。
それこそ自由奔放に育ってきたので(笑)。

そこは今も変わらないと思います。

マイペースだし、誰かといてもすぐ、勝手に路線変更してたり、話をしてても急に話が飛んだりしますしね(笑)。

CHAPTER2

病院と消毒の匂いが好きで、「看護師になりたかった」

ちっちゃい頃から何かあったらすぐ、「じゃあ、病院行く!」って言ってました

―その後は?

高校を卒業して札幌に出て、医療事務の専門学校に行ったんです。

―「医療系の仕事に就きたいな」という思いがもともとあったんですか。

病院に行くのがすごく好きな子だったんですよ。

今もなんですが――注射が大好きで、ワクチンを受けるのも、みんなが行列して前の人から受けるのを後ろからワクワクしながら「なんで泣いてるの?!」って見てるような子だったんです(笑)。

ちっちゃい頃から何かあったらすぐ、「じゃあ、病院行く!」って言ってましたね。

―病院っていう場所が好きなんでしょうかね…?

場所とか、あと――消毒の匂いが多分好きなんですよね。
幼稚園の時は「看護師になりたいな」って思っていたんです。

なので、周りにも「大きくなったら私は看護師になるんだ」って言っていたんですが、いざ小学校、中学校にあがるにつれ、

今度は周りから「大きくなったら看護師になるんだろう」って言われたら、どんどん嫌になってきて――。

「なんで私の将来を勝手に決めるの?!」って(笑)。

―最初は自分で言っていたのに(笑)。

そうなんです、勝手に反抗期(笑)。

だから、一度は「もう私、看護師になんて絶対ならない」って思ったんですが、でもどこかで「病院で働きたいな」っていう夢はやっぱりあったんですね。

専門学校を決める時は、看護に行くか介護に行くか迷ったんです。

でも、その時は“介護の勉強をして、病院でも働ける”っていうことを知らなかったので、医療事務の専門学校に行くことにしました。

―卒業されてからはどんなお仕事をされたんですか?

眼科と耳鼻科で医療事務の仕事をしていました。

耳鼻科で働いていた時は、ダブルワークをしてましたね。血液の検体の回収をするバイトです。

―ダブルワークの先もやっぱり医療系なんですね(笑)。

そうですね。

もともとは「このまま医療事務として働いてていいのかなぁ」っていう思いもあって、「介護の仕事やりたかったし、介護の専門学校に行こうかな。

でも今のお給料じゃ、そんなに貯金もできないしな」「よし、だったらダブルワークしよう」と思って。

探した先が……そう、やっぱり医療的なところでした(笑)。
たまたま見つけて、「面白そうだな」と思って始めました。

CHAPTER3

「高齢者の人と色々やりとりするのって楽しいな」――老健と、病院での日々

利用者の「〇〇をやりたい」という思いに対してのアプローチを考えたり、関わっていくことがすごく楽しかった

―そこから介護の学校に行かれたのが……

26歳の時ですね。

―看護から介護の世界に行ってみて、見えてくるものは変わりましたか?

入学した当初は、「やっぱり病院で働きたい」っていう思いが強かったんです。

でも実際、介護老人保健施設(老健)や障害者施設で実習していたら、職員から「介護で病院に勤めるのは辞めた方がいいよ」なんて言われたり。

そこから、老健で実習した時、「高齢者の人と色々やりとりするのって楽しいな」と思うようになったんですよね。

「医療的なところにも関われるし、それなら老健で働いてみようかな」と老健に就職しました。

―老健ではどんな関わりをされていたんですか?

老健に入って配属されたのが、デイケア(デイ)だったんです。

リハビリに力を入れているデイだったので、職員の方と一緒に「利用者の方が在宅生活を長続きさせるためには、何をやってあげたらいいかな」を考えました。

実際に「温泉に行きたいんだ」と思っている利用者の方がいたら、「じゃあ、温泉に行くために何が必要かな?」を考える。

まずお風呂。

「デイのお風呂に入れたら、家族と温泉に行って楽しめるんじゃないかな」「だったら温泉の大浴場に入れるように、機械浴じゃなくて、階段の上り降りから頑張ってみよう」と――。

利用者の「〇〇をやりたい」という思いに対してのアプローチを考えたり、関わっていくことはすごく楽しかったですね。

老健のデイを経験したことで、「じゃあ、今度は、その前のステップの回復期がある病院で働いてみたい」と思って、その後、病院に転職しました。

回復期だと、ご自宅に戻るまでの過程を経験できるので。
でも病院に入って配属されたのは回復期じゃなくて、介護病棟だったんですよ。

介護病棟に行ってからは、今までおむつ交換とかもほとんど経験がなかったので、最初は覚えるだけでてんやわんやっていう感じでしたね。

ただ――今、定期巡回がある同じ事務所内にホームケア土屋白石が入っているんですが、管理者の熊谷さん(熊谷真代;くまがいまよ)とは、実はその病院で最初に出会っているんです。

たまたま同じ病棟で、仕事のやり方やおむつ交換とかも教えてもらって。
私より年下なんですが、当時からすごく信頼できる先輩でした。

CHAPTER4

あるおばあちゃんとの出会い

憎まれ口をきくおばあちゃん。でも、実は人のことをめちゃくちゃ思っている方だったんです

―老健や病院で過ごされた中で、今も心に残っている人っていますか?

すごく口の悪いおばあちゃんがいたんです。
「どうしてそんな言い方するの?!」っていうようなおばあちゃん。

近くに行くと、「また来たの、あんた!」なんて言われるんですが、「ちょっと顔見に来ただけだよ」なんて返して――私もそう言われたいがために、あえて何もないのに話しかけに行ったりして(笑)。

でも、心を開いてくれると、実は人のことをめちゃくちゃ思っているおばあちゃんだったんですよね。

―病院で出会った方ですか?

そうです。病院なので、みなさん、水分制限とか食事制限とか、制限がある方が多かったんですね。

だからこそ、「その中でちょっとでも楽しんで生活してもらえたらいいな」と思って私は関わっていました。

病院では、おじいちゃん、おばあちゃんとなんてことないおしゃべりをしたり――患者とか介助者っていう立場を超えて、“遊んでる”ような感覚でやり取りしている雰囲気がありましたね。

そのおばあちゃんは、私たちが話していると「うるさいね」なんて言ってくるんです。

でも、一緒に喋ってると、すごく楽しそうで――。息子さんのことも悪く言うんですが、実は大好き。
「息子さんのこと、大事に思ってるんだなぁ」ってわかりました。

いろいろと話を聞いているうちに、「自分はこういうところでお世話になってるけど、本当はお世話されてるのがあんまり好きじゃないのよ」なんて話してくれたことがありました。

息子さんやお嫁さんに対しても「自分のことでいっぱいになってほしくない」っていう思いが、ご本人にはあったみたいで……。

息子さんにも「私のところなんて来なくていいから、自分たちが好きなことしなさい」って言ってましたね。

それもよくよく聞いてみると、「そんなね、人のことばっかり気にしたらね、自分の人生楽しくないでしょ」って。

私は「いや、十分楽しいよ」って思って聞いてましたね。「その憎まれ口がまた可愛いなぁ」って(笑)。

―その方とは長いお付き合いだったんですか?

私は病院で10年間働いたんですが、最初、介護病棟に行って、回復期病棟に行って、最後、療養病棟に行った時に出会ったおばあちゃんでした。

最後にいた療養病棟は、お亡くなりになる方が多くいらっしゃいました。

私はそれまで病院で働いてきて、ご逝去される場面に立ち会っても、うるっときたことって実はなかったんですが、でもそのおばあちゃんは――クリスマスの日の朝に亡くなったんですよ。

さすがにその時はうるっときました。
今までで看取ってきた方の中で、いちばん辛かったですね。

いろんな関わりもあった分、余計に――。
しかも、「私の夜勤明けの日の、クリスマスに亡くなるなんて〜!」っていう思いもあって。

―あぁ、それは「タイミングまで、そのおばあちゃんにやられたなぁ」って感じますね。

そうなんですよ。
最後は、「エンゼルケアもすごく綺麗に可愛くしてあげよう」と思って――。

その病院では、ご逝去されてからエンゼルケアというものをしていて、清拭して、体を綺麗にして、担当の看護師さんが事前にご本人に聞いて用意していた洋服を着ていただいて、綺麗にメイクして――。

ご家族の意向によって、「一緒にしましょう」って声をかけることもありましたし、ご家族の中には、「今はそういう気持ちになれない」という方もいらしたので、私の方で行うこともあって。

「昔、どんな感じでお化粧されてました?」なんて、ご家族の方とお話ししながらしてましたね。

そのおばあちゃんには、いつも以上に気持ちをこめてエンゼルメイクをした気がします。

CHAPTER5

「私」が、「その人の生活の一部」にいる。

「重度訪問介護?えっ、楽しそう。しかも1対1?そんな仕事があるんですか?!」

<定期巡回サービス土屋白石のメンバー。>

その病院の介護病棟で熊谷さんと2年、3年ほど一緒だったんですが、その後はお互いに務める病棟が変わったり、熊谷さんが先に退職をされてはいたんですが、やり取りは続いていたんですね。

何年か経った時に「今、何の仕事をしてるんですか?」って熊谷さんに連絡したら、「実は今、土屋という会社で、重度訪問介護(重訪)で働いてるんだよね」っていう話から、

「重訪ってなんですか?」という話になって――1回会って話をすることになったんです。

私はいちばん最初にデイにいた時も、「在宅介護、やってみたいなぁ」と思っていたし、病院だとどうしても、

4、50人の患者さんを次から次にオムツ交換して、お風呂に入れて――「そういう流れはせわしないなぁ」「1人とちゃんと関われる時間がなかなかないなぁ」とは感じていました。

だから、熊谷さんから最初に重訪の話を聞いた時は「えっ、楽しそう。しかも1対1?そんな仕事があるんですか?!」って驚きました(笑)。

ただ、その時、興味は持ったんですが、ちょうどコロナが始まった頃で、病院を辞めるタイミングを見失ってしまって――。

数年経って、コロナも落ち着いてきて「四類から五類感染症になるよ」っていうタイミングで、「よし、転職しよう」と。

すぐに熊谷さんに「病院辞めるの、決めてきました。いつでもいいので面接の設定してください!」って言ったのが2022年の10月でしたね。

―重訪の仕事はいかがでした?

本当は年が明けてからの4月から正社員として働く予定だったんですが、2022年の12月から非常勤として、お一人だけ、現場に入らせていただいたんです。

30代の脳性麻痺の女性で、独居だったんですよね。

その方は、ご自分で体が動かせなかったり、お話ができない方なんですが、

最初にその方に会った時――本当に言い方は悪いんですが――「こんな障害をお持ちの方が、1人でどうやって生活してるの?」って衝撃を受けた記憶があります。

でも、重訪のヘルパーが常に24時間、365日、その人を支えることによって、施設じゃなく独居で、自分の自由に生活ができている――という事実を知りました。

元々は施設に入居されていたんですが、ご家族の協力を得て、ご家族の元からも離れて、独居で暮らしてらっしゃる。

最初、私は「喋れないし、意思疎通もできないし、どうやってコミュニケーションをやっていけばいいんだろう」っていう思い込みと、不安があったんですよ。

気管切開もしてる。胃ろうも繋がってる――私は病院でもそういう状況の患者さんをいっぱい見てきました。

だから逆に怖かった。
ここには病院と違って、「ヘルパーの、私1人しかいないんだ」っていう不安がすごくあったんです。

でも――関わっていくうちに、“コミュニケーションが取れないって私が勝手に思い込んでただけ”だった。

声かけをしたり、ちゃんと観ていたら、表情で訴えてくれたり、嫌だっていう時はぐーっと体に力が入ったり、「今、こういうこと訴えてるんだな」というのがわかるようになった。

「全然、コミュニケーション取れるじゃん!」って思って。そしたら最初にあった不安がだんだん取れてきたというか――。

もちろん、「今から〇〇するよ」とか、「あ、今怒ってるでしょ」とかひたすら私だけが喋りかけてるので、はたから見たら1人で喋ってるようには見えると思います。

でもその方なりの、やり取りの方法がわかってきたら、「すごく楽しいな、この仕事」って。
本当に、「自分が、その人の生活の一部にいるんだなぁ」っていう感じがしました。

病院の時は相手のちょっとした表情の変化はお構いなしに、「はい、もう時間なのでおむつ交換しますよ。お風呂入りますよ」っていう流れ作業で、自分本位で関わっていたところがあったと思います。

でも重訪にきたら、時間もそんなの全然――だって人間って、決まった時間におしっこをするわけじゃない。

出たタイミングを本人が教えてくれて、「じゃあ、替えようね」ってそのタイミングで私たちが動く。

そういう“その人の時間に合わせて動く経験”ができたのはすごくよかったなって――。

熊谷さんには「わぁ、すごく重訪楽しい!なんでこんないい仕事、早く教えてくれなかったんですか?!」って言ったら、

「早くおいでって言ってたのに、あなたが来なかったんでしょう」って言われましたけどね(笑)。

CHAPTER6

「その人が必要としてる部分だけを支える」――定期巡回サービスへ

あたらしい事業の立ち上げ、事業所の開設、管理者として――「二人がいなかったら、私は今の立場は絶対に引き受けてないなと思います」

―重訪から定期巡回に移られたのは?

そうですね。
まず2023年の4月に正社員としてホームケア土屋に入って、北海道ブロックマネージャーの三浦さん(三浦耕太;みうらこうた)さんから、

7月には「(ホームケア土屋札幌の)サービス提供責任者をしてみない?」っていうお声がけをいただいて、「じゃあ、やってみます」ってやらせていただいていてから2ヶ月ぐらい経った頃ですね……。

「実は新しい事業を立ち上げるかもしれない。そうなった時に管理者をやってみない?」って言ってくださった。

でもその時は「えっ、ちょっと考えさせてください」って(笑)。

ただ、当初は、新規事業が定期巡回なのか、就労支援なのか、どの事業になるかはわからないっていう話だったし、私も勝手に「そんなにすぐじゃないだろう」って思ってたんですよ。

でもよく考えてみたら、立ち上げに関わるなんてなかなかできる機会なんてないし、同じ事務所内にはホームケア土屋白石で働く熊谷さんという先輩もいるし、「いいんじゃない」って思って。

「何かあったら、熊谷さんに助けてもらおう」と思いましたし、三浦さんも「何かあったら、すぐ助けるよ」って言ってくれました。

それで――次に三浦さんに会った時に、「前回いただいたお話、受けようって思います」ってお伝えしたら、「あ、ごめん、もうオッケーだと思ってた」なんて言われて(笑)。

―(笑)。

「前向きに検討します、とは言いましたけど――」みたいな(笑)。

それが2023年の8月ぐらいです。

秋頃には「定期巡回で決まりました、おそらく4月にはオープンすると思う」っていう話を聞いて、「じゃあ、重訪に携われるのもあと半年もないのかぁ」なんて考えていたんですよね。

そうこうしてるうちに、11月ぐらいに事業所開設の申請業務も全部やらなきゃいけないことが判明して――その時は熊谷さん、三浦さんに助けてもらいました。

二人がいなかったら、私は今の立場は絶対に引き受けてないなと思います。

そこからは、4月オープンが2月からの異動に繰り上がったりもあって、慌てて「既に定期巡回サービスを始めている他の地域の事業所に見学に行かせてもらえませんか?」っていう話をしたんです。

―どちらに行かれたんですか?

熊本と、粕屋(福岡県)です。

―どんな思いで見学をされました?

実際に見学に行って、日が経つにつれ、その時はもう不安でしかなかったですね。

「札幌に帰りたくない」って――。
「札幌に帰ったら(定期巡回が)始まっちゃうんだな」と思ったら、もう怖かった。

管理業務なんてしたことないのに、人も入ってくるし、「どうしよう、どうしよう」ってなりました。

―実際に定期巡回の仕事をご覧になって、その思いは変わりましたか?

そうですね。熊本と粕屋で、クライアントのお宅に行かせていただいた時は、「本当に地域に住んでいる人のお宅に行くんだな」っていう実感をようやく持てました。

定期巡回サービスについては、YOU TUBEやネットで色々調べてはいたんですが、なんとなくしかイメージができてなかったのが、実際に行って経験できたことで、ちょっとずつイメージが増えていったんです。

勝手に「訪問介護に近い感じかな?」って思っていたら、「あれ、全然違う」。
安否確認と、世間話をして帰ってくる――正直、「これくらいで帰っていいの?!」って思いました。

でも逆にそういう状況を体験できたからこそ、今、支援を組む時も、「それくらいの支援の組み方でいいんだな」って思えるんですよね。

“その人が必要としてる部分だけを支える”というか――。

やはりお家で生活をしてる方たちなので、私たちが支援として必要以上に関わってしまうことが、その人の在宅生活を短くさせてしまうこともあるんです。

「それは、私たちの役割じゃないな」っていう思いを、実際に熊本と粕屋の見学に行った時に思い浮かべることができました。

CHAPTER7

「コミュニケーションって言葉だけじゃないんだよ」――クライアントが教えてくれたこと

「ずっと在宅で」と自分が思うからこそ、同じ思いを持っている方たちをこれからも支えていけたらいいな

―ここまで仕事について聞いてきたので、「お休みの日こんなことしてます」なんてお話を聞かせていただきたいなと思います。

お休みの日は今、犬を飼っているので、犬と遊んでるか。
あとは私、野球観戦がすごく好きなんです。コロナ前は北海道外も行ってました。

よく友達に言われるんですが――大阪だったら京セラドームに野球の試合を見に行く。

「じゃあ、そのついでにUSJに行こうかな」って言うと、「いや、ついでが違うよ」って(笑)。

私の中では野球がメインなんですよね。

ただ、コロナが流行ってからは、全然動かなくなってしまったのもあって今は行けてないんですが、また行きたいなとは思ってますね。

―これからについてはどんなことを思っていますか?看護や介護の仕事を経て、今、定期巡回という新しい仕事に関わるようになって――。

そうですね。

今はまた、高齢者に移ってきました。定期巡回も4月から始まったばかりで、ちょっとずつクライアントが増えてきたかなっていうところです。

お1人暮らしの方が多いんですが、みなさんが少しでも長く在宅生活ができるように支援できればいいなと思います。

今はそのために定期巡回サービスを知ってもらうことをメインでやってます。

ケアマネさんや病院のソーシャルワーカーさんのところへ周知活動で行かせていただいてるので、定期巡回っていうサービスをもっとみんなに知ってもらって使ってもらうことで、

1人でも多く、「定期巡回を使って、在宅生活ができてよかったよ」って言ってもらえるようになったらいいな、って。

今はもう、日々バタバタしながらやってる感じですかね。

札幌市っていう場所は独特で、サービス付き高齢者向け住宅についてる定期巡回が多いらしくて、実際に地域に出ていく定期巡回は市内でも数箇所しかないようです。

ケアマネさんからも「家で暮らしている方のところには巡回してくれないんでしょう」と、まだ理解してもらえないことも多いです。

それを「土屋の定期巡回は違うんですよ」「ちゃんと地域の方のところを回って支援をするんですよ」っていうところはもっともっと広めていきたいなと思います。

正直なところ、最初、周知活動があるって言われた時には、「介護なのに周知活動しなきゃいけないんだ?!」なんて私も思ってたこともあったんですが、幸いにも、札幌白石の事業所のメンバーはすごく協力的。

みんな、「周知活動に行ってくるよ」って言ってくれるし、「周りから支えられてるなぁ」って思います。
いろんな人に広めていって、支援が広がっていったらいいなって、今は思ってます。

―介護というのはいろんな人の人生に触れる仕事なので、出会った方を鏡として、色々思われることあるのかな、なんて思います。千葉さん自身はこれから、こんなふうに生きていけたらいいなっていう思いはありますか?

私は本当、好きなことをして――それこそ今だったら野球観戦して、自分の趣味や楽しみを持って、仕事もしつつ過ごしていければ楽しいな、そういうふうに生活していきたいなって思います。

正直なところ、この仕事をしていて、自分が「施設に入りたいか」って言われたら、「入りたくないな」って思っちゃうので。

できることならずっと在宅で、自分の好きなことをしながら生活していきたいですね。

「ずっと在宅で」と自分が思うからこそ、「同じように思ってる人っていっぱいいるんだろうな」と思えるんです。

そういう思いを持っている方たちをこれからも支えていけたらいいのかなって思いながら――ですね。

―今まで20年近くされてきた看護や介護の仕事の中で、千葉さんが大切にされてきたものや出会った方からいただいたものってありますか?

土屋に入って、重度訪問介護でいちばん初めに入らさせていただいたクライアントの方が、本当に私の中では――多分、今まで介護してきた中でいちばん大きい存在というか。

―先ほどお話しされた女性ですか?

そうですね。私は勝手に「何も伝えられないんだろう」って思い込んでいたんですね。

でも自分の思いをその人なりの方法でちゃんと表現――言葉だけじゃなくて、態度だったり、表情だったり――してくれた。

そのクライアントに出会って、「私はそんなに非言語のコミュニケーションに注視してきたことってあったかな?」って思ったんです。

専門学校の授業の中でも「コミュニケーションって言葉だけじゃないんだよ」とは言われてきたけど、

実際、コミュニケーションを取る時、私は喋ることができるのでどうしても言葉でのコミュニケーションが主になっちゃってたところがあったんです。

でもその方は喋れない。

でもすごく感情豊かに私たちにいろんなことを伝えてくれる――そういうコミュニケーションの仕方があることを教えてもらいました。

ほんっとう、今まで出会った人の中で、こんなにその人のことを思って接したことないんじゃないかな。

その方との出会いがなかったら、私は多分、こちら側の流れに沿った介護しかできなかったんじゃないかな、と思います。

そのクライアントのお家はご家族もすごくいい方で――たまにお父さんがいらして娘さんのマッサージをされるんですが、時々、すっごく嫌な顔をするんです。

で、お父さんと、「やっぱり30代(の娘)にもなって、お父さんにベタベタ体を触られるの嫌だよなぁ」ってお父さんが言ったことに、「いやぁ、そうですよね」なんて私も言って(笑)。

お父さんと一緒に「(娘は)今、こういうことを思ってるんじゃないか」とか、「この表情は絶対怒ってる。今、触ったことで怒ったな?」とかよく話をしました。

そういうちょっとした表情の変化から思いを汲み取れる力をその人はくれたかな――と思います。


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