介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

日髙健太

新潟 管理者

誰かの強さを「当たり前」「前提」にしない、誰もが弱さを出せる空気が、わたしは好きです。

 《interview 2026.03.16》

ホームケア土屋新潟で管理者として働く日髙健太(ひだかけんた)。
10代の頃は囲碁クラブに通い、居酒屋で働く中で人と関わる楽しさを知った日々。
そしてとあるきっかけで出会った重度訪問介護という仕事と、ある人との関わりが、人と仕事への向き合い方を大きく変えていきます。
「介護の仕事をするなんて、絶対にないと思ってた」という彼が、仕事を続けていく中で気づいた“やりがい”とは、そして人として対等であることとは。
そして、「この人のために働きたい」と思えた瞬間のこと――人と出会い、出会うことの楽しさを重ねた先にあった、介護の仕事。
今に至るその過程を訪ねました。

CHAPTER1

学校が終わると、友達と遊ぶか、囲碁をして親の仕事が終わるのを待ちながら

中学生の頃に出入りしていた囲碁クラブ。自分にとってはたまり場のようなところだったんでしょうね

―日髙さんはどんなところで生まれ育ったんでしょうか。

沖縄県の名護市で生まれました。

育ったのは結構田舎の方なんですが、田舎と言っても、田園風景が広がってるような田舎ではないし、家はあるんですが、都会って感じでもなく、山や畑があったりするところでもなく――なんとも言いづらいようなところで育ちました(笑)。

―こどもの頃は、どんなことをして遊んでましたか?

ゲームやカードゲームで遊ぶことが多かったです。

客人が多い家で育ったので、友達が家に来て遊んだり、公園で遊んだり。友達の家に行ったりもよくありましたね。

―10代の頃に熱中していたもの、よくやっていたことについて教えてください。

10代の頃――中学の時はほぼほぼ帰宅部で、部活はしてなかったんです。

ただ、友達に囲碁をやってる子がいて、その子と一緒に囲碁クラブに通っていました。

福岡で国際大会があって、そういう場にちょくちょく出たりもしてたんですが――レベルが高い大会じゃないですよ。

学校が終わると、友達と遊ぶか、囲碁をして親の仕事が終わるのを待ちながら時間潰して――そんな感じで過ごしてました。

―囲碁はもともとされていたんですか?

いえ、全くです。
中学校の時に仲がよかった友達に一緒についていってはじめて。

囲碁クラブにもちゃんと入ってるんだか入ってないんだかよくわからない――ぐらいな感じでした(笑)。

どちらかというと、自分にとってはたまり場のようなところだったんでしょうね。

―囲碁のどんなところが面白かったんでしょう。

もともとボードゲームが好きだったので、囲碁も「カードゲームやオセロって楽しい」の延長線上にありました。

うちの姉が定時制の学校に通っていたので、学校が終わると母親がまず姉貴を迎えに行って、そのまま囲碁クラブに僕を迎えに来てくれて、家に帰っていたんです。

囲碁クラブにいたちょっと年上のお兄ちゃんたちも僕らのことを可愛がってくれてました。

それもあって、「囲碁が好き」というよりかは遊びの延長線上で、そこで過ごしていたんだと思います。

―その頃の日髙さんと、今の日髙さん。変わらない部分ってどんなところだと思われますか?

自己分析みたいなものがあまり得意なタイプではないのですが――親父がTHE・亭主関白みたいな人だったのもあって、人の顔色を伺うような子だったと思います。

多分、体に染みついてるんだと思うんです。
人の表情の変化を見るのが、習慣として。

「この人、今、どう思ってるんだろう」ってよく考えてしまうし、時には考えすぎちゃう部分もあって。

そこは今もあまり変わってないかもしれないですね。

まさしく今(インタビューを受けてる)がそうだと思うんですけど(笑)。

パッって聞かれた時、すぐに感情が出てこないというか――自己表現があまり得意じゃないところはあります。

“顔色を伺う”って、良くない言い方かもしれないですが(笑)、ただ表情の変化を見るっていい部分もあって。

高校の時に居酒屋でバイトしてたんですよ。

その時に、「お客さんにどんなものを勧めたら喜んでくれるだろうか」「◯◯を飲んでるから逆にこういうものをおすすめしてみようかな」みたいなことを考えるのは好きでした。

もともと、あまりおしゃべりするようなタイプでもなかったので。
高校の頃、居酒屋でアルバイトを始めてからは喋るようにはなりましたね。

―居酒屋で働いてみて初めて、自分のそういうところに気づいたんですか?

気づいたというか、今、聞かれて考えてみたら、そうかもしれない――ぐらいな感じです。

「俺ってどんなふうに構成されてるんだろう」みたいなところは、あまり振り返らないタイプなんだと思います。

そのタイミング、タイミングというか――うまく言葉にできてるかわからないんですが(笑)。

その居酒屋では高校1年生から3年生までアルバイトをして、そのまま就職をしました。

もともと人と喋るのは嫌いじゃなかったのと、その居酒屋がすごく大きなお店だったんですよ。

1店舗で年商1億円くらい売り上げてるようなお店で、200席以上あって。

観光地やリゾートホテルの近くにある居酒屋だったので、1日の中でいろんなタイプのお客さんと触れ合う機会が多かった。

そういう雰囲気も好きでしたね。

沖縄って、1年に1回は訪れてくれるようなお客さんがいるんです。

その時に「会いに来たよ」なんて、自分に会いにお店に来てくれるお客さんもいて、それは嬉しかったですね。

CHAPTER2

「この人が生きていく上で必要な仕事なんだ」って思えた時、「この人のためにやりたいな」って思った

「介護の仕事なんて、絶対やらないだろうな」と思っていた自分――自立生活センターで、重度訪問介護の“しごと”と出会う

―日髙さん、それから日髙さんのお姉様が自立支援センターに関わられていた、というお話をコラムで読みました。

そうなんです。

沖縄に自立生活センター(C I L/Center for Independent Living)という障害当事者の団体の事業所があるんですが、その後、姉貴の紹介でそこに転職をしました。

うちの姉貴は障害を持っていて、C I Lでヘルパーや事務の仕事をやっていました。

その頃、私は居酒屋で働いていたんですが、「居酒屋の労働と賃金が全然釣り合ってないな」って思ってたんです。

この業界には「介護がやりたくて」「障害を持ってる人に興味があって」といった思いを持って働いている方が多いと思うんですが、私は全く別で――。

単純に「居酒屋より給料が多くなる」っていうだけの理由での転職でした。

―自立支援センターで働かれてからはいかがでしたか。どんなことを感じながら、働かれていたんでしょうか。

そうですね。
正直、介護の世界ってあまりプラスな感情を持ってなかったんですよ。

姉貴からもそうだし、母親も精神病院で働いていたり、高齢者の介護もやっていたので、介護の仕事の話を聞いていました。

よく『3K』なんて言われてますが、「きっとそういう仕事なんだろうな」「自分は介護の仕事なんて、絶対やらないだろうな」ぐらいに思ってたんです。

だから最初は、介護の仕事をやってることに違和感もありましたね。

その頃は「ある程度やって、次にやりたい仕事が見つかったらそれをやろう」ぐらいに思ってたので、一生、やり続けるようなイメージは働き始めた頃は全然なかったんです。

―自立支援センターでは、ヘルパーとして関わられていたんですか?それとも、事務局の方に?

私は基本的には重度訪問介護のヘルパーとして関わっていたんですが、C I Lは障害を持つ当事者が中心となって運営している団体なので、事業所主催のイベントや会議に出たりもしてました。

当事者団体というのは簡単に言うと――たとえば日本人の中には「海外の方と英語で喋ろう」ってなった時に抵抗感を覚える人が多いと思います。

でもそれって、英語を知らなかったり、海外の方と関わる機会が少なかったからじゃないかな、と思っていて。

「でも小さい時や若い時から、海外の人たちと関わっていたら、大人になった時にその抵抗感は減るんじゃないか」――。

じゃあ、障害を持つ当事者たちと関わったり、どんな生活をしてるかを知り合うきっかけをつくることで、「地域で生活する当事者たちのことを知ってもらおう」、そんな意図があって活動をしている団体でした。

たとえば、地域の中高生と1泊2日を過ごす事業所主催のイベントや、看護学校への奉仕に利用者さんが参加する時、ヘルパーとして同行させていただいたり、

それから、地域に球場が新しくできる時に、当事者の「バリアフリーの席が少ないから行きづらい」「もうちょっとバリアフリー席を増やせませんか」という意見を行政機関に訴える活動をしたり。

それから、一緒に旅行に行ったりもしましたね。

みなさんアクティブな方たちで、「地域にどんどん出ていこう」「私たち当事者がどういうところに困ってるかを他の人たちが見ることによって、バリアフリーな世界に変わっていくんじゃないか」っていう動きが常にありました。

―最初は「介護の仕事をするなんて」というところから、障害当事者の方たちと出会っていく中で、日髙さん自身は考え方や仕事についての捉え方が変わった部分ってありましたか?

そうですね――いちばん最初に支援に入らせていただいた方が、脊椎損傷の方で、首から下が動かない方だったんです。

交通事故に遭われて、後天的に障害を持った方だったんですが、自分たちヘルパー側の思いをすごく汲み取ってくださる素敵な方で。

その方とのやり取りは、自分がそれまで思っていた介護に対するイメージとは違ったかもしれないですね。

ただ、人工呼吸器をつけられていて、喀痰吸引が必要な方だったので、最初は「(吸引をすることが)すごく怖いな」とは思いました。

でも、「この人が生きていく上で必要なことなんだ」って思えた時、「この人のためにやりたいな」って思った。

そこからこの仕事に対する気持ちが変わった気がします。

C I Lは当事者さんたちが集まってる団体だったので、「地域で生活したい」っていうみなさんの思いを直に感じられるようになったことも大きいですね。

もちろん、介護の仕事への抵抗がまったくなかったわけではなかったんですが――当初持っていた、排泄に対する「汚い」というイメージは、「やってみたら、意外と仕事として割り切れるんだな」と思えたところはありました。

イメージしていたより、全然気にならなかったですね。

その後、コロナの時期もあって――今、自分は結婚してるんですが、嫁さんが福島出身なんです。

もともとは沖縄で一緒に生活する予定ではいたんですが、事情もあって、福島で一緒に暮らすことになりました。

それで福島に引っ越した時に出会ったのが土屋でした。

―どんなきっかけで土屋と出会われたんですか。

土屋を選んだ理由は単純に――私、高卒です、居酒屋でしか働いたことないです、ってなった時に、それまでやってきたCILでの仕事をそのまま活かせるような仕事の方が採用してもらえるんじゃないかと思ったのが大きかったです。

いろんな経験があって、その経験を活かせる会社――みたいな選び方とは違って、これまで重訪をやってきたので、重訪をメインにしてる会社を探してる中で、土屋と出会いました。

CHAPTER3

ことばの奥の、クライアントの本当の“声”を探して

お互いに、弱さを見せられる関係性というか――。きっとその方は、人として対等に思ってくれてたからこそそんなお話をしてくださったんだろうな

―これまで関わられてきたクライアントの中で、日髙さんが今も心に残ってるやり取りがあったら聞かせてください。

そうですね……ありすぎて(笑)。

―そうですよね……皆さんに伺うといつもそう言われてしまうんです(笑)。

これまで重訪で働いてきて、いちばん学ばせていただいたというか、考えることが多かったのは――先ほど話をした、沖縄で働いていた時にお世話になった方なんですよ。

その方が、いち居酒屋店員が介護士になるにあたって、人としていろいろな経験を私にくださった方かな、と思います。

当時働いていたC I Lの事業所では、「ヘルパーと当事者は対等な立場なんだよ」っていう考え方をしていて、土屋の理念や姿勢に似ているところもありました。

その方のことで今、パっと浮かんだのは、すごく重たいやり取りなんですが――。

僕のことを息子みたいに可愛がってくれた利用者さんだったんですが、その方がいちばん――なんだろうな。

なんていうか、「本当は俺は、事故に遭った時に死にたかったんだ」っていう話をされたのがすごく心に残ってて。

その時、その人の思いにどう向き合うか――。
そこをすごく考えさせられたというか。

その方が話された気持ちに寄り添うには自分はどうしたらいいのか、すごく悩んだんです。

当時は傾聴とか共感とか、受容とか、介護士が必要とされてるコミュニケーションの取り方みたいなものを全く知らなかったので、どう答えたらいいかわからなかったんですよ。

いまだにその時の自分の答えが正しかったのかわからないんですけど――。

1度だけ、支援中に、その人が「生きることがつらいと感じている」ということを仰ったことがありました。

でもそれって――その方が仰った言葉の意味をそのまま受け取るのは違う、と。

その方のことばの奥には、きっと私に心を開いてくださって、「聞いてほしい」っていう思いがあったからこそ話してくださってるんだろうな、って、まず最初に思ったんです。

ただ、その思いに「私は共感はできないな」って思ったんですよ。

「今しんどいよね」「それが正しいよね」――みたいに共感すると、「お前に俺の何がわかるんだ」って言われるんだろうな、って思って。

一瞬でめちゃくちゃ頭が回ったような感覚があって、その時、どう話していいかわからなくて、自分はその方を突き放すみたいなことをしちゃったんですよね。

「そんなこと言われても困るから、そういうこと言うのは良くないんじゃないですか」みたいなことを――本当にまっすぐ、大谷翔平ぐらいのストレートな球をその方にぶん投げたんです。

ただ――ただ、ですよ。
「そういう気持ちがあるのはわかったけど、今こうやって生きてるから、一緒に飯食いに行ったり、一緒に釣りしに行って遊んだり、一緒に旅行も行ったわけじゃん」って。

「だからそうやって生きてくれてたことに俺は感謝してるし、って思うけど、どう?」っていうやり取りで、その時は話が終わったんです。

その返答が正しかったのかも今はわかりません。

私は、統合課程(重度訪問介護従業者養成研修)の講師をやっていた時期があって、コミュニケーションの授業をする時、生徒さんを前に「傾聴や受容が大事だよ」なんて話をしながら、いつもその時のやり取りを思い出していたんですよ。

そのやり取りが今もいちばん記憶に残ってる、いちばんインパクトのあった瞬間だったかもしれないですね。

もう――海沿いに夕日が沈んでるぐらいの時間帯でした。
オレンジ色の空で、2人でテレビ見ながら、そういう話になって。

今も連絡を取ったり、沖縄に帰った時には会ったりする方で、関係性は続いてます。

なかなか、そういう経験ってないと思うんですよね。
弱さを見せてくれる人って少ないイメージが私にはあって。

きっとその方は、私を人として対等に思ってくれてたからこそ、話してくださったんだろうな、って今でも思いますし。

だから、俺も「向き合わないといけないな」って――。

逆に、自分が気持ちが落ちた時にも「ちょっと話聞いてよ」なんて話せたり、ちょっとでもそういう弱さを見せられる関係性というか――。

「クライアントとアテンダントの間で、そんなコミュニケーションができたらいいな」とは、今にしてみれば思います。

ただ、その時の自分としては、「やべ、どうしよう、こんなこと言っちゃったよ」みたいな感じでしたけどね(笑)。

CHAPTER4

クライアントも、アテンダントも。「ちょっと話を聞いてほしいな」って思った時に、顔が思い浮かぶ人になりたい

悩みそのものは解決できなかったとしても――その人の心がちょっと楽になるんだったら

―仕事や生活の中で、人と関わる時、日髙さんが大切にしていることを教えてください。

そうですね。
私は――「みんなで楽しく働きたいよね」っていうタイプなんです。

だからこそ、みんなが楽しく働ける環境づくりってすごく大事だと思っていて。

たとえば、クライアントから見て、「コミュニケーションを取りたいな」って思ってもらえるスタッフになりたいし、アテンダントから見て、「なんか話したいな」って思った時に「日髙に聞いてもらいたい」って思ってもらえるような働き方をしたいな、と思っていて。

郡山でコーディネーターをさせていただいていた時に、アテンダントの方と電話で長話することがよくあったんです。

事業所で顔を合わせた時も声をかけたり、かけられたり――「話しかけられやすい人になりたいな」って思っていました。

クライアントも同じだと思うんです。
気分が沈んで「ちょっと話聞いてほしいな」みたいな時って誰にでもあると思うんです。

「今までこういうことがあって、今、こんなふうに思ってて……」――そんな話ができるアテンダントさんだ、って思ってもらえたらいいな、と。

そうだ、さっきの沖縄の話で今思い出したんですが――。

―ぜひ。

その方が障害を持ったきっかけになったのは、友人のバイクに乗っていて事故に遭われて。

いつもと違う道を通った時、直感で「いつもの道から行きたい」って思ったんだそうです。

「あの時、そのことを友人に伝えられていたら、今こうじゃなかったはず」――みたいな思いもきっとあったんじゃないかな、と思います。

これは私の憶測なんですが。
気分が落ち込んだ時って、そういう感情がスッと入ってきてしまうんだと思うんですよね。

そういう弱さとか悩みを聞くことができるように、自分も弱さや悩みを話せるような人になりたい、っていう思いでコミュニケーションを取ってます。

「自分の心に余裕がないと、他の人のことを思いやってあげられないんだよ」っていうことはよく統合課程の授業でも話をするんですが、それを体現できるようにありたいですね。

実際、自分が「話を聞いてほしいな」って思う時に、話せる人がいてくれると嬉しいじゃないですか。

―そうですね。

悩みそのものは解決できなかったとしても――「日髙に話すと、心がちょっと楽になるわ」みたいなところに自分がなれたらいいのかな、なんて思いで働いています。

CHAPTER5

いちばんの息抜き

福島に引っ越してきて、ダーツのお店に行くようになってから友達ができて。休日は一緒に遊びに行ったりしてます

―お休みの日はいかがですか。「こんなことしてます」「こんな趣味があります」みたいなことがあったら、教えていただきたいです。

そうですね。
最近だと――8月にこどもが生まれたんです。

嫁さんが今、育児休暇中なので、一緒に子供と遊んだり、母親とも一緒に住んでるのでみんなで出かけたり。

そんなことをして休日は過ごしてますね。

趣味でいうと、高校を卒業したかしてないかぐらいの時に、ダーツを趣味としてはじめました。

一緒にダーツを投げたり、遊んだりする友達がいるんです。

沖縄の時もそうだったし、今、福島でもちょっとした大会に出たりもあって、それがスポーツ感覚で続けてる趣味かもしれないですね。

「プロのライセンス持ってます」っていうわけではないんですが、楽しみながら、“ちゃんと”やってるんだと思います(笑)。

毎朝、ダーツの試合の動画を見たりしますしね。
暇さえあれば、ダーツ持って出かけてます。

―あぁ、ダーツってそのまま持ち運びができるんですね。

そうなんですよ。
ダーツを持っていって、出先にあるお店に入って、投げに行ったり。

沖縄から引っ越してきた時は、知らない土地で知り合いがいなかったんですが、ダーツのお店に行くようになってから友達ができて、休日は一緒に遊びに行ったり、「今日、暇?遊ぼう」みたいな感じで、投げに行ったり。

それが自分にとって、いちばんの息抜きなんだと思います。
あとはこどもと遊ぶことですかね。

―可愛くて仕方ない年頃ですね。

そうですね。
「自分にお金を使うよりはこどもに使いたい」みたいな思いは、増えたかもしれないですね。

よくお洋服買いに行ったりして甘やかしてます、ちゃんと。
いわゆる親バカというやつになってます(笑)。

CHAPTER6

人のために働くってむずかしさもある仕事だと思う。そこにやりがいを見出せるか――

失敗も試行錯誤も。その悔しさも嬉しさも。そこに僕はやりがいを感じたんだと思います

―じゃあ、ちょっとこれからのところも伺えたらなと思うんですが、

よく思うのは、働き手が少ないんだろうなっていうのは思っていて――。

それこそ自分自身が、「介護なんて絶対やりたくない」なんて思ってた立場の人ですから(笑)。

「介護やろう」って思う人がそもそも少ないと思うし、労働環境や賃金がいいイメージもないでしょうし――その時に「介護って素敵な仕事なんだよ」っていうイメージが世の中に伝わって、「介護士になりたい」って思ってくれる人たちが増えたらいいなと思ってます。

それは多分、サービスを提供してるスタッフもそうですが、サービスを受けるクライアントの方たちがどう思われているか、もあると思うんですよね。

「重訪っていう素敵なサービスがあって、使ってみたらすごくよかったよ」って思っていただけるようなサービスを自分たちはやっていかないといけないと思います。

介護業界で働いていて、これだけ稼がせてもらって、こういう生活ができてて――「介護って、やりがいがある仕事で、人の命や生活を支えてる誇りある仕事なんだよ」っていうことを発信していけたら、この仕事を志したい人も増えてくると思うんですよね。

介護職を志す人が増えるように私たちも働いていきたいなとも思いますし、「いい会社だね」「いい事業所だね」ってクライアントやご家族にも思ってもらえるようになるのが、今、私にできることなんだろうな。

それがクライアントに向き合うってことだし、アテンダントに向き合うことなんじゃないかな、と思うので。

それをみんなが体現できるようになると素敵な社会になるんじゃないかな、と思いますね。

すごく抽象的な話なんですが。

―いえいえ、全然、抽象的ではないですよ。

そうですか(笑)。
やっぱり先々を見て話す、って難しいですよね。

今どう働くとか、今どうしなきゃいけない、っていうところは多く考えるんですけど、「10年後、20年後、どう?」って言われて思ったのはそんなところです。

―最後に伺いたいのが、日髙さんは、なぜ介護の仕事を続けているのか、そこを聞かせてください。

すごく答えづらい質問です(笑)。

なんなんでしょうね……シンプルに、自分が思ってたより、やりがいがある仕事だったんだと思います。

人のために働くって、結構むずかしさのある仕事だと思うんですよね。そこにやりがいを見出せるか――。

この仕事はダイレクトに反応が返ってくるものなので。

自分が目の前の人に対してしっかり向き合わなければクライアントからも満足いただけないし、逆にすごくいい関わりができたら「日髙さんがいてくれてよかった」ってなる。

ある方法が失敗だったら反省して次に向かわないといけないし、試行錯誤することに悔しさも嬉しさも味わいながら働いてる――そこに自分はやりがいを感じるのかな、と思うんですけど……どうなんでしょうね(笑)。

居酒屋の時もそうだったんですよ。

「覚えてる?一年前、このお店に来たんだよ」ってまた会いに来てくれるお客さんに今まで出会ってきてて。

それって、「このお店に来てよかったな」って思ってもらえたからこそだと思うんです。

1年の中のほんの1日だけど、その人の人生を彩る1ピースになれたような接客だったのかもしれない――それが、介護職になったとしても、クライアントに日常的に関わらせていただけることで、その人の人生に必要な人になれる、というか。

「こんなに長く働くなんて思ってなかった」ぐらいのモチベーションで始めた仕事が、ここまで続いてるっていうことが、思っていたより自分がやりがいを感じられてることなんだと思うんです。

それは「考えて感じる」よりは、「なんで?」って問われた時に「考えるとそうなんじゃないかな」っていうぐらい本能的に思うというか――。

今までの仕事と違うのはそこかもしれないですね。
もともと僕は情報処理の高校に通っていたんです。

プログラムをつくる授業がメインだったんですが、就職する時に「この仕事、向いてないだろうな」って思ったんですよ。

授業やってても、やりがいを感じなかった――だから、居酒屋で働いてた時に「ヤッホー、また来たよ」なんて来てくれるお客さんがホント嬉しくて。それで、この選択をしたんでしょうね。

―私自身もですが、「考えて選ぶ」というよりかは体が素直にいく方に行ってみた結果、「こっちだったのかもしれないな」っていうことが何年も経ってからわかったりしますね。

そうですね。

自分も10年も20年も介護やってます、みたいなスペシャリストでもなんでもないし、10年後の自分からしたら、「(介護に)関わってたのはその時だけだったじゃねえか」って言われるかもしれないんですけどね(笑)。

この仕事って――明確に良し悪しがわかりづらい、答えがわからない、難しい仕事だと思うんです。

でも、誰かの中には何かしらの正解があって、それをみんなで考えながら、“その人にとっての正解”を探してるというか――。

でも「難しい仕事なんだろうな」と思うからこそ、多分、できた時に「やってよかったな」って思えるような仕事なんだろうな、とは思います。ちょっとカッコつけて言うと(笑)。

TOP
TOP