―日髙さん、それから日髙さんのお姉様が自立支援センターに関わられていた、というお話をコラムで読みました。
そうなんです。
沖縄に自立生活センター(C I L/Center for Independent Living)という障害当事者の団体の事業所があるんですが、その後、姉貴の紹介でそこに転職をしました。
うちの姉貴は障害を持っていて、C I Lでヘルパーや事務の仕事をやっていました。
その頃、私は居酒屋で働いていたんですが、「居酒屋の労働と賃金が全然釣り合ってないな」って思ってたんです。
この業界には「介護がやりたくて」「障害を持ってる人に興味があって」といった思いを持って働いている方が多いと思うんですが、私は全く別で――。
単純に「居酒屋より給料が多くなる」っていうだけの理由での転職でした。
―自立支援センターで働かれてからはいかがでしたか。どんなことを感じながら、働かれていたんでしょうか。
そうですね。
正直、介護の世界ってあまりプラスな感情を持ってなかったんですよ。
姉貴からもそうだし、母親も精神病院で働いていたり、高齢者の介護もやっていたので、介護の仕事の話を聞いていました。
よく『3K』なんて言われてますが、「きっとそういう仕事なんだろうな」「自分は介護の仕事なんて、絶対やらないだろうな」ぐらいに思ってたんです。
だから最初は、介護の仕事をやってることに違和感もありましたね。
その頃は「ある程度やって、次にやりたい仕事が見つかったらそれをやろう」ぐらいに思ってたので、一生、やり続けるようなイメージは働き始めた頃は全然なかったんです。
―自立支援センターでは、ヘルパーとして関わられていたんですか?それとも、事務局の方に?
私は基本的には重度訪問介護のヘルパーとして関わっていたんですが、C I Lは障害を持つ当事者が中心となって運営している団体なので、事業所主催のイベントや会議に出たりもしてました。
当事者団体というのは簡単に言うと――たとえば日本人の中には「海外の方と英語で喋ろう」ってなった時に抵抗感を覚える人が多いと思います。
でもそれって、英語を知らなかったり、海外の方と関わる機会が少なかったからじゃないかな、と思っていて。
「でも小さい時や若い時から、海外の人たちと関わっていたら、大人になった時にその抵抗感は減るんじゃないか」――。
じゃあ、障害を持つ当事者たちと関わったり、どんな生活をしてるかを知り合うきっかけをつくることで、「地域で生活する当事者たちのことを知ってもらおう」、そんな意図があって活動をしている団体でした。
たとえば、地域の中高生と1泊2日を過ごす事業所主催のイベントや、看護学校への奉仕に利用者さんが参加する時、ヘルパーとして同行させていただいたり、
それから、地域に球場が新しくできる時に、当事者の「バリアフリーの席が少ないから行きづらい」「もうちょっとバリアフリー席を増やせませんか」という意見を行政機関に訴える活動をしたり。
それから、一緒に旅行に行ったりもしましたね。
みなさんアクティブな方たちで、「地域にどんどん出ていこう」「私たち当事者がどういうところに困ってるかを他の人たちが見ることによって、バリアフリーな世界に変わっていくんじゃないか」っていう動きが常にありました。
―最初は「介護の仕事をするなんて」というところから、障害当事者の方たちと出会っていく中で、日髙さん自身は考え方や仕事についての捉え方が変わった部分ってありましたか?
そうですね――いちばん最初に支援に入らせていただいた方が、脊椎損傷の方で、首から下が動かない方だったんです。
交通事故に遭われて、後天的に障害を持った方だったんですが、自分たちヘルパー側の思いをすごく汲み取ってくださる素敵な方で。
その方とのやり取りは、自分がそれまで思っていた介護に対するイメージとは違ったかもしれないですね。
ただ、人工呼吸器をつけられていて、喀痰吸引が必要な方だったので、最初は「(吸引をすることが)すごく怖いな」とは思いました。
でも、「この人が生きていく上で必要なことなんだ」って思えた時、「この人のためにやりたいな」って思った。
そこからこの仕事に対する気持ちが変わった気がします。
C I Lは当事者さんたちが集まってる団体だったので、「地域で生活したい」っていうみなさんの思いを直に感じられるようになったことも大きいですね。
もちろん、介護の仕事への抵抗がまったくなかったわけではなかったんですが――当初持っていた、排泄に対する「汚い」というイメージは、「やってみたら、意外と仕事として割り切れるんだな」と思えたところはありました。
イメージしていたより、全然気にならなかったですね。
その後、コロナの時期もあって――今、自分は結婚してるんですが、嫁さんが福島出身なんです。
もともとは沖縄で一緒に生活する予定ではいたんですが、事情もあって、福島で一緒に暮らすことになりました。
それで福島に引っ越した時に出会ったのが土屋でした。
―どんなきっかけで土屋と出会われたんですか。
土屋を選んだ理由は単純に――私、高卒です、居酒屋でしか働いたことないです、ってなった時に、それまでやってきたCILでの仕事をそのまま活かせるような仕事の方が採用してもらえるんじゃないかと思ったのが大きかったです。
いろんな経験があって、その経験を活かせる会社――みたいな選び方とは違って、これまで重訪をやってきたので、重訪をメインにしてる会社を探してる中で、土屋と出会いました。