本社管理部

株式会社土屋 本社

外村優樹

人事労務部 部長

誰もが活躍したいはず、力を発揮したいはず。その気持ちを活かすために。

 《interview 2025.04.22》

本社・人事労務部の部長として働く外村優樹(ほかむらゆうき)。
未経験から始めた介護の仕事でしたが、今後のキャリアを考えた時、これまでとはちがった道を歩むことに。
それは、自身の視野を、そして自身の可動域を広げていくことでもありました。
たくさんの、さまざまな人が交錯する“組織”という場で、外村は今、人と人のあいだに立ち、絡んだ糸をじっくりと解いていく――そんな仕事をしています。
労務や人事という業務に関わりながら、見えないところで従業員の生活を守り、組織の基盤をつくる、外村を訪ねました。

CHAPTER1

“みんなの弟“みたいなところにいた――子どもの頃

中学、高校、気が付いた時には体が人一倍大きく、柔道を始めました

―最初に、ご出身や育ってきた場所について聞かせてください。

出身は熊本です。
今は全国的に有名になったんですが、T S M Cという台湾の半導体の工場ができている地域の出身なんです。

ただ、もうちょっと阿蘇寄りといいますか、山に近い田舎で緑豊かな町で育ちました。

―小さい頃は、どんなことをして遊んでましたか?

年代的に、スーパーファミコンが流行り始めた頃だったんですよね。
なので学校終わりでみんなで集まってゲームしたり。

自然が多いので川で遊んだり、釣りをしたり。
そんなことして遊んでいた子どもだったなっていうことは覚えてますね。

まわりには、歳の近い“お兄ちゃん”みたいな人が多くて。
よく一緒に遊んでいました。

その中で自分は、“みんなの弟”みたいなところにいたのかな、と思います。

―10代の頃はどんなことに熱中されてましたか。

中学、高校は、気が付いた時には体が人一倍大きかったので――中学校から柔道を始めたんです。

一般的にサッカー、野球をする子たちは多かったんですが、自分は体格がよかったので「柔道をやってみようかな」と。

小学校の頃から身長は高かったので、大体いちばん後ろの席だったし、並ぶ時もいちばん後ろから外れたことがなかったんです。

中学校1年の時に出場した郡大会では、中3の子と当たって、「自分よりこんなに体の大きな中学生がいるんだ」と驚きました(笑)。

―その後も柔道は続けてらしたんですか?

そうですね、10代の頃は柔道に専念してましたね。
その後、高校は特待生で行ったんですよ。

郡大会では優勝できたんですが、今度、県大会になった時に、同世代に全国優勝するような人がいて――184センチで120キロとか、194センチで146キロの人がいて。

そのふたりにはどうあがいても勝てなかったですね(笑)。

CHAPTER2

製造の仕事から、介護の仕事へ

無資格、未経験でも働くことができたので、「介護には救われたかな」という印象は今も持ってます

その後、実家の近くに工場地帯があったこともあって、「機械系の製造業に就きたいな」と工業専門学校に行きました。

ただ不景気だったからなのか、当時は卒業後もとにかく求人が少なくて――製造業には就いたんですが、数年後、リーマンショックでいきなり仕事がなくなってしまって、そこから介護業界に転職したんです。

ちょうど“年越し派遣村”と言われた生活困窮者の避難所が年末に開設されて、不況が顕著にあらわれ始めた頃でした。

ハローワークに通っていても、製造業はひとつの求人に100以上の応募がきてるような状況で。
「今、どの業界で人が不足してるのか」というニュースが流れた時に「介護業界」があがっていたんです。

それから「介護の仕事ってどう思われますか」「応募状況はどうですか」といった相談をして、特別養護老人ホーム(特養)で夜勤専従のアルバイトから始めました。

無資格、未経験でも働くことができたので、介護の仕事の間口の広さと言いますか、「介護には救われたかな」という印象は今も持ってます。

―介護の仕事は、もともと外村さんの中に選択肢としてあったんですか?

もともとはなかったんです。
ただ、田舎育ちなので、お年寄りに慣れてるというか、それはあったんですよね。

祖父や祖母とも一緒に住んでいたので。

―一緒に住んでいた頃、おじいさまやおばあさまとはどんなふうに過ごされていたんでしょうか。

病院に連れていったりはよくしていましたね。
じいちゃんは、畑仕事をずっとやっていて、優しいおじいちゃんでしたね。

ばあちゃんは――私の母は3姉妹だったので、男の子がいなかったんですよ。
それもあって、長男の私を可愛がるところがありました。

今はもう90代ですが、私が実家に帰った時は「風呂入ったか」「飯食ったか」なんていまだに言われますね。

ばあちゃんの方が世話される状態なのに(笑)。

―最初に特養で働かれた時は、どんな印象がありましたか。

現場の仕事って“流れ”なんですよね。
時間帯で動いているし、みなさん、その流れを体で覚えてる。

そのやり取りが全部、“阿吽の呼吸”でされていて――。

最初は指示がなくて「あとから教えるからちょっと見ておいて」って言われて見ていたんですが、正直なところ、「どういうふうにやってるんだ、これは……」「自分にできるかな」と不安になりました。

その特養では3年ぐらい働きましたね。

その後は、他の福祉施設にも興味があったので、救護施設という身体や精神の障害や依存症を持つ方やホームレスの方が生活する施設で勤務して、

そこから以前の特養で一緒だった同僚と出会って、戻ってこないかという誘いもあり、元働いていた特養に戻り働きました。

CHAPTER3

現実で夢を見せてくれたひと

“天井が見えて”いるキャリアではない、自分にとっての挑戦ってなんだろう

―土屋の前会社に転職されたきっかけは……

当時、特養の副主任という役職に就いていたんですが、副主任といっても、一般の従業員と給与面でもほぼ変わらないという現実がありました。

年齢的にも30歳を過ぎていたので、「役職に就けたとしても、生活的には結構厳しいんじゃないかな」という不安もありましたし、なんとなく先が見えてるというか、天井が見えているというか――。

「じゃあ、次のキャリアってなんだろう」って考えた時に、社会福祉士やケアマネージャーの資格を取ることも考えたんですが、自分にとってはそれも“天井が見えて”しまっていた。

「そういうレールの上のキャリアではない、自分にとっての挑戦ってなんだろう」と考えた時に、「大きな組織の管理職を目指せるところはないかな」という思いで前会社に応募しました。

重度訪問介護の事業が全国に広がっている時期でしたし、事業所をエリアごとにマネジメントしていくような視野の広い仕事に興味が持てたので、「頑張ってみようかな」と思ったんです。

―これまでの中で、外村さんにとって印象に残っている人との出会いや出来事ってありますか?

そうですね。

それこそ――2020年に土屋の前会社に入社したんですが、その当時、採用の面接をしてくださった小黒昭洋さん(現・土屋副社長 兼 最高執行責任者)との出会いは自分にとってインパクトが大きかったですね。

それまで受けた面接って、“採用するかしないか”――自分の品定めをされているような印象が強かったんです。

でも小黒さんの面接は、具体的な夢を見させてくれたというか――。
自分はもともと「キャリアアップしたい」という思いがあって面接に行きました。

その時に入社後のキャリアプランをスライドにして小黒さんが図解をしてくれたんです。

それぞれのレイヤーでの目標値が設定されていて、「じゃあ、まずは管理者を目指してみよう」「その次はコーディネーターを目指せばいいんだな」っていうイメージがしやすかった。

そんなふうに入社後のキャリアイメージを見せてくれる人に今まで出会ったことがなかったんです。

入社して最初は熊本で勤務して、事業所の立ち上げから関わり、管理者も経験しました。

それも努力した分は後からちゃんと評価をしてくれるし、報われる――キャリアイメージを入社時に持てたことで、その後の流れをイメージして働くことができたんですよ。

そこは原動力になりましたね。

CHAPTER4

“給与以外の原動力”ってなんだろう?

文化や理念といったものは、自然と馴染ませながら浸透させていくっていう形でしか伝えていくことができない

―土屋に移られて、エリアマネージャーから立場や場所が変わっていくところで、見えてくるもの、変わったものってのはありました?

「マネージャーの“色”で、組織って変わるんだな」ということは思います。

これまで、九州、沖縄、四国……とエリアを移動して働いてきたんですが、地域性や働く人によって、それぞれに文化がありました。

その“色”にまず自分を馴染ませることも大事だったんですが、同時に、自分はマネージャーという立場にいたので、一緒に働く人たちに会社の方向性をちゃんと伝えることも重要だったんです。

ある一定の方向性をみなさんの中に浸透させていく時というのは、それぞれの中に抵抗感が強く出ますよね。

だからこそ、「マネージャーがどういう情報を伝えていくか」は本当に大事で――マネージャーしか持ち得ない情報があって、正直なところ、その取捨選択を間違えて、情報がねじ曲がって伝わってしまったこともありました。

でも、自分がその伝え方を間違えてしまったところで、部下の方たちの側からその情報を確認できる術ってないんですよ。

その時の上長の責任は大きくて、「会社が見ている方向に向かってみんなで進むためには、一人ひとりに適切な情報と、伝え方をしていかないといけないんだな」ということは考えましたね。

そこでマネジメントスタイルの重要性を学びましたし、それは、一緒に働くみなさんに、給与以外の原動力を持ってもらえたらいいな、っていうことでもあったのかなと思います。

―外村さんはこれまで、部下の方たちにどんな伝え方をされてきたんですか?

そうですね。

たとえば、ここにジュースがあったとして、ストレートにいきなり「飲め」って言われても、普通はなかなか飲めないですし、飲みたくないですよね。

文化や理念といったものは、自然と馴染ませながら浸透させていくっていう形でしかどうしても伝えていくことができないと思います。

そこには、上司と部下というパワーバランスもありますから、「部下がどう受け取ってくれたか」にも注意を払わないといけない。

コミュニケーションを日頃から取りながら、もちろん自分の方が至らない部分もあるので「すみません」って言いながら、

「ただ、こういうふうに仕事をやってもらわないといけないんです」ってお願いをすることもあります。

そういう時ってトラブルも起きやすいんですよね。

でも、「じゃあ、どういうふうに解決していきましょうか」って話になった時だからこそ、いろいろお互いの深い話ができることもある。

対話を続けながら、考え方や捉え方の変化を相手にも、そして自分自身にも促していくというか――。

そこはやっぱり、すべての人に受け取ってもらえるわけではないので、実際に方向性が合わずに、キャリアチェンジをした方や辞められた方もいらっしゃいました。

やっぱり “特効薬”みたいなものってないんですよね。
時間をかけてじっくり話し合うっていう形しかないのかな、と思います。

CHAPTER5

人と人のあいだに立って、それぞれを尊重し、絡んだ糸を解いていく

会社の方向性を軸として持ちつつ、できる限り柔軟に

―人事労務部は、どんなお仕事をされているんでしょうか?

人事労務に関しては、私を含めた2名が中心になって進めています。
それから採用の部分に関わってくれてる労務チームが4名です。

全員で6名の部署です。

人事に関しては、人事評価制度の設計や規定類の見直しを今、やっています。

いろんなルールや「役職に応じてこういった権限があります」といった職務分掌をつくったり、採用では、「どういった媒体にどういった内容の求人を出すのか」を考えていますね。

それから、社内でのトラブルの対応もあります。

労務では、入社関係の手続きや雇用契約書の送付、社会保険関係、育休や有休といった勤怠管理など、土屋グループの従業員に関する業務すべてに関わっています。

本当はもっとあるんですが、ざっと言うとそれぐらいですね。

―介護は、“人”が常に真ん中にいる仕事です。外村さんは仕事の中で、人と関わる中でどんなことを大切にされていますか?

そんなに意識はしてないんですが、多様性を尊重しながら、できるだけ柔軟に判断ができるようにーーというところは意識してますね。

私はトラブルの間に入って関わることも多いんですが、その根っこのところにあるのは価値観の違いだったりするんです。

会社に対する捉え方や見え方は、事業所によっても、上長によっても違いますし、あたりまえですが、入社した経緯や理由もそれぞれに違う。

そういう中で、「“なんか”違う」と思うことや、「伝わり方が違った」ということもそれぞれにあるので、いきなり「どちらが良くて、どちらが悪いか」といった判断をするのではなく、

まずはその人の話を聞いてみて、「そういう認識だったんですね」「そういう考え方なんですね」というところから対話をはじめていくというか――。

最初は認識のズレがあったのかもしれませんが、そのズレをお互いに確認しながら、間に入って解消するところまで持っていくこと。

絡んだ糸を解いていくような作業を意識してやってるんじゃないかな、と思います。

もちろん、間違ってることもあるんです。でも一概に、否定をしないことは意識してやっていますね。

ただ、自分は会社側の人間という大事なポジションにいるので、ある部分においては、方針を曲げるわけにはいかないんです。

厳しく対応しなきゃいけない場面もあるので、そこは線引きをしてやってます。

そこのバランスはすごく難しいかな。方針を軸として持ちつつも、できる限り柔軟に関わっていますね。

CHAPTER6

すごく人間的な仕事――効率や正しさだけではない価値観を持つこと

自分が採用に関わった人の生活が大きく変わった時、感じた嬉しさ

―これまで、外村さんが介護の仕事を続けてきた中で見えてきたもの、ご自身が変わってきた部分があったら聞かせていただきたいです。

介護の仕事では、「本人の意思を尊重する」という面があります。

たとえば、高齢者の方や障害者の方がすることが自分から見た時に明らかに危なかったとしても、

その方の意思を尊重して手を出さない――「自分の価値観が相手にとって正しいわけではない」「どれだけその人に寄り添ってあげられるか」という考え方ですね。

この仕事に就くまでは、その視点は自分にはなかったなと思います。
効率とか、正しさだけでいくなら、「そんなことしなければいいのに」ってなる。

そこがこの仕事をはじめて変わったところです。

それから、介護の仕事についてよく言われる“3K”――きつい、きたない、きけん――というイメージは、実際に関わってみることでなくなるのかな、と思います。

関係性ができて、人と人として接するようになると、そういったことは感じなくなりました。

中途採用の方も含め、介護業界はいろんなバックグラウンドを持っている方が多いと思うんです。

そういう意味でも、介護の仕事って間口が広いです。

もちろん施設や訪問介護など、職種との相性はあるかと思いますが、人とコミュニケーションを取ることが好きな方ならいろんな人が働ける仕事なんじゃないかなと思ってますね。

―先ほど、「もともと自分にはそういう視点がなかった」とおっしゃっていました。製造業から介護にうつられて、相手が<モノ>から<人>になった時、見えるものは変わりましたか?

そうですね。施設って、利用者さんの中にも行きたくない方が多いと思うんです。

だからこそ、そこでどれだけ楽しく生活ができるかーー生活の質の部分、「楽しく生活してほしいな」っていうところは考えるようになりました。

あと、自分なりに思ったのは、製造業で働いていた時は、休憩が終わってチャイムが鳴ったらすぐライン作業に入ることになっていたんです。

もちろん、今も製造の仕事が好きなところは変わらずあるんですが、スピードが重視される中で働いていたので、今から思うと自分が機械みたいなもののひとつになっているような感じがあったのかな、と思います。

介護の仕事に就いた時、「働く側も人として扱ってもらえてるな」と感じたところがありましたし、「だからやれたのかな」とは思います。

すべてにおいて、ひとりではなく、人とコミュニケーションを取りながら進めていくところもそうですし、すごく人間的な仕事というか――それは感じましたね。

―仕事の中での喜びや、「こういう時、嬉しいな」って思うようなことがあったら聞かせてください。

自分が採用に関わった人の生活が大きく変わった時のことは大きかったですね。
以前、生活がきつくて、それまでダブルワークをされていた方がいたんです。

その方は年配の方でしたが、親御さんが施設に入るのでお金が必要になって「重訪1本で働きたい」という相談を受けて。

もちろん確約はできなかったんですが、「支援現場をこういうふうに組み合わせれば、これぐらいの給与は見込めるだろう」ということで採用をしたんです。

その後、仕事を続けてくださった結果、その方の生活がすごく安定されたんですよ。

自分が赴任先を離れる時も、「入社して本当によかったです」って、その方から感謝の言葉をいただいて――。

介護職員だったら、利用者からの感謝の言葉を受けるのが嬉しいのはあると思うんです。

でも、「管理者になってくるとまた違う喜びがあるんだな」って思えてそれは嬉しかったですね。

CHAPTER7

珈琲のあじわい――どれだけ熱を加えるかで味も香りも深みもそれぞれに

介護を始めたタイミングで、おじいちゃんがやってるコーヒー屋さんに通うようになって

―ここまで仕事の話をお聞きしてきたんですが、お休みの日はどんなことをされていますか?

趣味に関しては、最近できてなかったんですが、年末はキャンプに行きましたね。

車にアウトドアの一式は積んであって、時々行ったりしてます。

―実は外村さんのコラムを読んでいて、趣味の欄に「カメラとコーヒー」と書いてあったところが気になっています。

カメラはもともと航空ショーを撮りに行ったり、紅葉の時期には熊本の阿蘇に行って、撮ったりしてました。

コーヒーの方は実はもうちょっと深くてですね……(笑)。
もともと介護を始めたタイミングで、コーヒーにハマったんですよ。

おじいちゃんがやってるコーヒー屋さんが近所にあって、通うようになって。

その方からコーヒーをめちゃくちゃ仕込まれたんです。

そこからお店に通って、いろんな原産地の豆を買って飲んで――そしたら、おじいさんがふざけて、“利きコーヒー”みたいな感じでいろんなコーヒーを出してきたんですよ。

「この豆はどこの豆か当てられるか?」なんて。

そしたら次にコーヒー豆の焙煎を仕込まれました(笑)。最初は遊びみたいなものだったんですが、最終的にはおじいさんがお店を畳む時に「(店を)継いでみるか」なんて言われたこともあって。

―そういう道もあったかもしれないですね(笑)。

「それはちょっと難しい」って言いましたけどね(笑)。
ただ、味とか香りとか、それぞれにあるんですよね。

豆によっても変わりますし、焙煎の時にどれだけ熱を加えて水分を飛ばすかとか、どれぐらい余熱をかけるか、といったことで味も深みも違ってくるんですよ。

そういった違いがこだわりにもなりましたし、ハマるきっかけになりましたね。

―ちなみに、外村さんがお好きなのはどこの豆なんですか?

ハイチの豆が好きなんです。
中煎りぐらいの浅めの豆なんですが、苦味が少なくて酸味があまりないんですよね。

水分の飛ばし方なんでしょうけども、甘みがあるという。

―それはいつか活かせそうですね。

そうなんですよ。今も喫茶店には時々行きますしね。

CHAPTER8

会社を、「仕事も、人生も、いつからでもやり直せる場」として

会社を存続していくために、“誰かがやっていかなきゃいけない仕事”

―これからのところをすこし伺えれば、と思います。これから土屋でどんなことを行なっていきたいかを聞かせてください。

今、人事制度に関しては、別会社も入ってくださって、人事評価の内容をブラッシュアップしています。
まずはそこをしっかりやっていきたいですね。

それから、制度設計についてです。

土屋は創業時、重訪をメイン事業としていたこともあって、社内のさまざまな制度がホームケア土屋をベースにつくられているところが多いんです。

でも今、グループ会社が増え、職種や業種が広がる中で、正直なところ、制度の方が追いついていない現状があります。

業種や部署、階層も増えている中で、働く人と制度をしっかりマッチングさせていくところはやっていきたいですね。

今後は、会社の拡大に伴って管理職が増えていくことも予想できます。
管理職向けの研修もまだまだ足りていないので、そういった教育体制もつくっていきたいです。

―外村さん自身はこれまで、ホームケア土屋のマネージャーから始まり、本社管理部 法務課、土屋ケアカレッジ、人事労務課……とさまざまな業務や部署に関わられてきてます。ご自身では今後、こんなところに関わりたいという思いはありますか?

そうですね。
私自身は、コンプライアンス違反が発覚した後の処置をしたり、退任した後の部署を引き継いだり、と人が足りていないところに配属されることがこれまで多かったんです。

ある意味、くじ運がいいと言いますか――引いちゃうんでしょうね。あと、見つけちゃうんです(笑)。

でも「それが自分の仕事なんだ」と思ったりするんですよ。
だから正直なところ――「次はどうなるだろう」と自分でも思っているところがあるんです。

もちろん、今、関わっている業務でいうと、これまでも言ったように制度や人事周辺に関わる基盤の部分は固めていきたいです。

その上で、経営に関わる部分――知識や経験を積むことが今後は大事になってくるかなと思ってます。

もちろん、今までやってきたことの延長線上にあるとは思うんですが、もうすこし広い視点や今まで持っていなかった視点で物事を考えられるようになっていくことで、より会社に貢献できたらいいな、と思いますね。

―外村さんはこれまで福祉や介護の仕事を長く続けられています。なぜ、この仕事を続けていると思われますか?

そうですね。福祉の仕事を続けている理由……。
「この仕事は社会に必要なことだな」っていうことは本当に思っているんです。

一方で、自分の中では「人と関わることが好きだった」っていうことも理由なのかなと思いますね。
製造業に就いていたこともあって、やっぱり機械は好きなんですよ。

でも仕事をする上で、当然ながら人と関わっていく中で、クライアントの生活が良くなり、従業員の生活も良くなる場面をたくさん見てきました。

だから今、この会社にいるんですが――そういった場に立ち会えることが、この仕事を続けている大きな原動力になってる気はします。

現在の職務上、コンプライアンス違反やトラブルの間に入って関わることもあります。
もちろん、そういう業務はいい面だけでは成り立ちません。

でも、そういったことが原因で会社の経営が傾いてしまったら、今、サービスを利用してくださっているクライアントも、働いてくださってるアテンダントの生活も全部なくなってしまう――となると自分の生活もですが、土屋に関わるみなさんの生活を考えた時に、自分が今、関わる仕事というのは、会社を存続していくために、“誰かがやっていかなきゃいけないこと”なんですよね。

そこは自分の中では強い思いがあって、責任として感じているところがあるんです。

それが自分にとっての原動力というか――“やっていきたいこと”にもなってますね。

―最初のお話で、「介護の仕事に救われた」ということも仰られていました。

それもありますね。

最初にこの仕事を始めた時、未経験の自分を受け入れてもらえたところもありますし、「受け入れていく側になっていきたいな」っていう思いはもともとあったので。

私は新しい人を採用する時、「介護の経験がなくても働ける会社にしていきたいな」と思うんです。

一度は転んだ人でも立ち上がれる、土屋をそういう組織にしたいかな。
“救われる組織”と言いますか――。

この会社に限らず、介護業界全体としてもそう思います。

そこはきっと、高浜代表の気持ちもあるところだと思いますしね。


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