情報管理室

株式会社土屋 本社

石上倫彦

情報管理室

言葉も通じない国で『死ぬかもな』と感じたあのときよりは今、穏やかです

 《interview 2024.7.29》

本社・情報管理室で働く石上倫彦(いしがみともひこ)。2023年のウェブサイトハッキングの後に立ち上がった情報管理室に所属し、現在、内部情報の管理やセキュリティーに携わっています。石上曰く「セキュリティーとは、“何も起こらない状態”を維持すること」。それはどこか、安全と安心をもとに命のはたらきを維持する介護の仕事にも重なるところがあるのかもしれません。アナログとデジタル、介護とI T――異なるもののあいだで手を動かしながら土屋を支える縁の下の力持ち。そんな石上を支える、これまでとこれからを尋ねます。

CHAPTER1

「仕事は、自分の手でつくりだせるものがあったらいい」

人材派遣会社からウェブ制作会社へ。仕事を変えて見えてきたもの

石上「生まれは仙台で、その後兵庫に移り、大学までずっと神戸にいました。
中学校では軟式テニスをやっていて、高校は陸上部。部活以外にもギターを弾いたり、友達とバンド活動もしていました。

当時は――なにせ昭和の部活動なので、ひたすら走ったり、とりあえずスパルタで。
その頃の神戸市は『中学校男子は全員坊主にしないといけない』っていう謎の規則があったんですよ。

それがすごく嫌だったのを覚えてます(笑)。
その後、新卒社会人で東京に出てきて、そこからずっと東京なので、東京に住んで20年以上経ちますね」

―どんなお仕事をされてきたんでしょうか。

石上「元々は人材派遣の会社にいて、人材派遣や人材紹介の営業をやっていたんですが、営業がかなり向いてないというのがわかったので(笑)、27,8歳の時に思いっきりキャリアチェンジして、ウェブの制作会社に転職しました。

人材派遣の仕事は――簡単に言うと、“人”が商材なので、メンタルがかなり強くないと続けていけないところがあって、そこが自分には向いてなかったんでしょうね」

―ウェブ制作の仕事に移られたのは、どんな思いがあったんですか?

石上「自分自身が最初に営業職をしていたこともあって、『絶対、手に職があった方がいい。自分で何かを作り出せるものがあった方がいい』っていう思いは元々あったんです。

時代的にもちょうど、アプリやウェブをつくる人たちが求められていた時期でした。

いきなり未経験から入るんだったら、まずはプロデューサーと呼ばれる営業から入って、ウェブサイトの企画立案や制作、運用等を含めたプロジェクト全体に関わりながら、自力で覚えていった――そんな感じですかね。

そこでコーディングという原理を覚えて、自分で手を動かしながらシステム開発等をするような流れになりました」

―その会社ではどんな仕事をされていたんですか?

石上「広告制作に関わる全般を扱う会社で10年ほどプロデューサーとウェブプロデューサーをやっていました。
プロデューサーの仕事は、いわばワンストップソリューション。

『1つの窓口で広告制作全部できますよ』ということで、予算をもらって、的確な利益を残すための予算調整だったり、スケジュール調整だったり。テレビCMからウェブ、紙媒体からyoutube、動画もひっくるめて全部を制作する窓口になっていました。

その後、ウェブの需要がどんどん高まってきたので、ウェブプロデューサーになったんですね。

企画の立案から制作現場の指揮運営を行う立場なので、プロジェクトに関わる一人一人がどれくらい労力をかけて仕事をしていて、ひとつの企画を仕上げるまでにどれくらいの時間がかかって――ということが実感としてわかってないと調整や進行がスムーズにできないんです。

自分の手を動かしていたのは、制作側の視点に立って全体を見てみたいという思いもありました」

―ウェブに関わる仕事は、その後ずっと続けられています。どんなところに面白さを感じていますか?

石上「そうですね。ウェブ制作の仕事というのは、何かわからないことがあったら、ググったり、人に聞いたり、自分で色々調べてみるということが基本にあるんです。

それでもできなかったりするので、『これがダメだったら、◯◯してみよう』『こっちもダメだったから、今度は全く別のやり方でやってみよう』ってやってみて――解決した時がめちゃくちゃ気持ちいいんですよ。パズルのような、レゴをつくっているような感じです」

CHAPTER2

仕事を開拓していくこと、自分の幅を広げていくこと

やったことがないことをやってみる――ベンチャー企業の空気感

―広告代理店を経て、2020年に土屋の前会社に入社されます。

石上「前会社に入社したのは、“介護×IT”という点に惹かれたことです。
もともと、歴史のある大企業よりは、ベンチャー企業で働いていた時期が長かったこともあって。

ベンチャー特有の、“自分の手で仕事を開拓していく感じ”が面白かった。
『自分の専門分野に限らず、多岐に渡って仕事ができる可能性があるな』と思って選んだんです」

―ベンチャーの空気感というか、風通しの良さも石上さんにとっては働きやすさに繋がっていたんでしょうか。

石上「そうですね。おっしゃる通りです。ネクタイを締めて朝礼するとか、そういう会社は僕は向いてないです(笑)。
最初に経験した人材派遣の会社はいわゆる大企業でした。

働いてみて初めて、『1から10まで決まっていて、11以降は別な人が行なう』――というような、方法や内容が最初から固定されている仕事は自分にとっては窮屈なんだな、っていうことはわかりましたね。

そう考えると、ベンチャー企業っていろんなことができる可能性がある。
可能性のあるところに自分から手を挙げてやる。そういうところに面白みを感じるんだと思います。

僕は大学生の時にバックパッカーをやっていた時期があったんですよ。
行ったこともないところに行って、言葉も通じないようなところで人とやりとりをして、泊まる場所を予約するところから旅が始まる――そういう経験を重ねて、自分がやったことがないことをやっていくことが面白いんだなって。
それもバックパッカーをしてみて初めてわかったんです。

挑戦した経験が1つでもあれば、次もできるんじゃないかっていう根拠のない自信も持てますし。
そういうふうに進んでいける会社が自分には向いてるんだろうな、と思います」

CHAPTER3

人事部から支援現場へ移ったとき、見えてきたもの

支援現場に入って気づいた心細さと不安感。アテンダントのフォローは、その思いに寄り添う立派な営業の仕事。

―土屋に移られてからは、どんな仕事をされてきたんでしょうか。

石上「一番初めの初めはウェブサイトを作っていました。
そのあと、もともと人材業界の営業だったこともあって、人事に携わり、求人や管理をやったり。

そこからは何をやってたかな……(笑)。色々やっていますね。
最近は情報管理室の他にもSmartHRや人事評価制度にも関わっています。

2022年には、経営改善のためのプロジェクトというものがあって、本社勤務のスタッフが現場に入っていた時期があったんです。
その時は僕も初任者研修を受けて、1年半ほど重度訪問介護(重訪)の現場に入っていた時期がありました」

―実際に支援の現場に入った時、どんなことを感じましたか。

石上「僕は当初、人事に関わっていたんですが、その時に『人がめちゃくちゃ入るのに、めちゃくちゃ辞めていくのはなんでだ?』ってずっと思っていたんです。

でも正直なところ、現場に入って初めて、アテンダントの方が辞めていく理由、それから辞めるのを留まらせる理由というものがすごくよくわかりました。

なんというか、めちゃくちゃ心細いというか……『いきなり、こんな重大なことを一人でやらされるの?』っていうアテンダントの不安感や気持ちがすごくよくわかったので――。

なんていったらいいんですかね……。あの経験はこれまで自分が経験したことないものだった。

例えば、喀痰吸引を行なっていて、クライアントの方が急に苦しみ出したことがあったんです。
実地研修でもこんな例はなかったし、どうしたらいいのか――もちろん、後になってクライアントからも『僕自身のやり方が悪い』と怒られたんですが。

めちゃくちゃ怖い経験でした。

そういう日々が続いて、僕にとっては重訪の現場に入って、夜の9時ぐらいに仕事を終えて帰る時――真っ暗の中、トボトボ歩いて帰る時ほど寂しいものなかった。特に初日とか……。

そんな時に――これは実際に実現できるか、できないかということは承知の上での話なんですが――仕事終わりのタイミングで電話があったら『めちゃくちゃ嬉しいな』と思うだろうな、と思いました。もちろん、次の日でもいいんですけどね」

―アテンダントという立場と人事という立場、両方を経験されている石上さんから見て、どんなことができると思われますか。

石上「これは、僕自身が人材派遣の仕事をしていたこととも関係あるんですが、スタッフのフォローというのは、めちゃくちゃ大事な“営業の仕事”だったんです。

会社に人が入る。入って続けてもらうことで、双方に利益があります。

だからこそフォローを入れて、それぞれの職場の課題点や見えない部分を共有する――営業の仕事のひとつとして、フォローという行為は体に染み付いていましたし、そのひとことがあるだけで、仕事の定着率はずいぶん変わってくるんですよね。

もちろん、みなさん既にやっていることだとは思うんですが――例えば、初日に仕事に入った時、入る前にアテンダントの方に『頑張ってくださいね』とひとこと、声をかける。

終わった後に上長から『大丈夫でしたか?心細くなかったですか?』と、電話があったら、『一人で寂しかったけど、なんとかやれるかな』『見てくれている人がいるんだったら続けていけるな』とアテンダントの方に思ってもらえるんじゃないかな、と思うんです」

―重訪という仕事の特殊性についても、現場に入って初めて見えてきたものがあったと仰っていました。

石上「僕が現場に入っていたのはお二人だったんですが、お一方は脳性麻痺がある方で、生活介助として、車椅子でいろんなところへの外出支援ですね。もうひと方はA L S疾患がある方で、喀痰吸引等を行なっていました。

実際に、現場のクライアントとアテンダントの方に向けて、どんな取り組みができるのかと考えた時――関わっていたのはお二人だけでしたが、それでも、クライアントや環境によって本当に状況も介助の内容も違うので、なんとも言えない――とはやってみて思いましたね。

一般的な会社だったら、どこか共通の業務内容があったり、フローやマニュアル的なものも共有できて、ある程度、話しやすいところがあると思うんです。

でも重訪に関しては、クライアントの障害や症状、生活によっても、それぞれの現場で見えているものも全く違っているし、常に状況が変化していることもあって、共通の言語を探すところから話をしないといけない――と思ったので。

たとえば、現場の状況を細かく知らない僕が、アテンダントの方にフォローという名目で電話をしたとしても、『お前に何がわかんねん』と言われてしまっても、正直なところ、仕方がない。

そういうところは難しいなとやってみて思いました」

CHAPTER4

不特定多数の“人”と関わる時、相手と自分の間にある『前提』を想像してみる

会社にはいろんな人がいて、いろんな背景があるから、わかりやすく伝えられるように。

―仕事ではどんなことを大切にしていたり、心がけていますか。

石上「僕は、チャットワークを通して、浅く広―くいろんな方から問い合わせが来たり、いろんな方に連絡をする立ち位置にいるんです。そういう立場もあって、できるだけフランクにならずに、ちゃんと“人事感”を出して、連絡をしてるつもりですね。

もともと人材業界にいたので、僕の中には『いろんな人がいる』っていうことが大前提としてあるんです。
なので、基本的には年齢に関わらず、どんな人にも敬語で接することは心がけてます」

―介護はアナログの部分が多くある仕事でもあります。
一方で、土屋で働く人はI Tにも石上さんはデジタルという思考を通してどんなふうに人とやり取りをしているんでしょうか。

石上「そうですね。基本的にウェブの業界というのは、人と人のやり取りがめちゃくちゃラフなんですよ(笑)。
僕自身もウェブに関わって長いので、そういうラフさを出さないようにするっていうことはまず一つあります。

あとは『相手が何も知らない』という前提で話をすること。
お願いする時も、『◯◯していただけないでしょうか?』という姿勢から入っていけるように。

できるだけ言葉足らずがないように。
わかりやすい専門用語を使わず、カタカナを使わないように説明することは心がけていますね。

ウェブ業界の悪い体質だなと思うんですが、基本的に“相手が理解している”という前提で話をすることが多いので、それがないように――ということは心掛けていますね。

あと、基本的にみんな、チャットで話をするのが当たり前という前提もありますね。
僕自身もほとんどのやり取りがチャットですし、チャットに慣れちゃってます。

ただ、もともと営業の気質がありつつもウェブの仕事の気質も加わったので、おそらく僕自身は、しゃべりにくいとか、パソコンオタクな人間ってわけでもないんですよ。

そこは、話しやすく感じてもらえるんじゃないかなと思っています。
できるだけ、相談してもらいやすいようなスタンスで話をする、チャットで話をするように心掛けていますね」

―仕事の中で「嬉しいな」と感じるのはどんなところにありますか?

石上「東京・国立にある第二本社に行くことも多いんですが、本社にはいろんな人がいらっしゃるので、時々顔を合わせて、『あぁ、あの石上さんですか?』って言われるのは嬉しいです。

普段はチャットワークでのやり取りがほとんどなので、知ってるようで知らないような――薄く繋がってる関係っていうのかな。
だから、実際に会って、そう言ってもらえると嬉しいですね」

CHAPTER5

介護×IT――異なるものが出会うことで技術も考え方ももっとオープンに

まずはやってみて、何を感じるか。もしかしたら自分が知らない自分と出会えるかもしれない。

―これから、どんな仕事に携わっていきたいですか?

石上「そうですね。基本的には僕は、『なんでもやってみたい』っていうタイプなんです。
Webとか何かを作ることにこだわっているわけでもないので、土屋という会社で、いろんな経験をしてみたいなと思います。

先ほどお話しした営業だったり、へルパーであったり。
まずはやってみて、何を感じるかで、意外と自分が『お、これ合ってるな』っていう思いにも出会えたらいいなとは思ってます」

―土屋が「これからこんな会社になっていってほしいなぁ」「こういうことがにしていきたいなぁ」という思いはありますか。

石上「そうですね。もともとみなさん人がいいので――。
できるだけ、この“アットホームで人がいいところ”を崩さずに事業拡大していけたら嬉しいなと思います。

その中で僕が関わっていけるのは――介護業界のこれまでアナログでやってきた部分をITに変換すること。
I Tの技術を使うことで、効率化できる部分があんじゃないかなとは思っています。

もちろん、慎重にならないといけないとは思いますが、仮にシステム作りや時間の面で削減することができたら、現場にも余裕ができるし、クライアントの方と過ごす時間が増えて、自分が役に立ってるのかなと思えるんじゃないかと思います。

例えば利用料として毎月何十万とかかる勤怠管理のアプリを、自社で作ってリリースすればずっと無料で使えるんですよ。
それをつくらない、つくれない、知らないからお金を払うんだったら、一時的に時間はかかるけど、システムをつくってリリースできればずっと無料で、誰もが使うことができる――。

僕は、そういう方法で、会社に対して貢献ができるんじゃないかな、と思います。

例えば『福祉の記録・請求ソフトであるカイポケと労務管理クラウドのSmartHRをがっちゃんこしたら、効率化も図れるし、従業員の人にとってももっともっと使いやすくなるよ』とかーー仕事として、そんなクリエイティブな発想と実現を期待されてるんじゃないかなと思ってます」

<2月に石上家にやってきたばかりの“そら”ちゃん>

CHAPTER6

旅をすること――出会いで自分を知ること

『なんとかなる』は生きていく上で大事な感覚

―今に続く仕事や内容をお聞きしていると、あたらしいものや異なるものの組み合わせにご興味があるのかな、と感じました。旅のお話にも近いものがあるように思います。

「基本的にはやっぱり『色々やりたいな』っていうのが今も根本にありますね。
先ほど話した学生の頃の話でいうと、ちょうど沢木耕太郎の『深夜特急』という旅行記を読んでいて、憧れてバックパッカーをやっていた時期があったんです。

アメリカ100日、東南アジア3ヶ月、オーストラリア1ヶ月、ヨーロッパ1ヶ月とか――いろいろ行きました」

―印象に残っている国はありますか?

「今でも覚えてるのは、最初に行ったアメリカですかね。グレハウンドバスっていう長距離バスを乗り継いで100日かけてアメリカを1周して。初めてだったのでめちゃくちゃ怖かったです。

初日にロサンゼルス空港に降りてから初めて『英語が喋れないから、何もできない』っていうことに気づいて(笑)。
その日の宿すらもどうやって予約したらいいかわからないところから始まった記憶があります。

当時はオンラインでの予約やサービスも普及していなかったので、公衆電話から電話して必死で予約して。
宿が取れなくて野宿したこともありますし、死ぬかと思った経験はいっぱいありました。

逆に……自分にとってはオーストラリアは印象が薄かった覚えがあります。
エアーズロックに登ってみて初めて、『自分は大自然が好きじゃないんだ』っていうことがわかって(笑)。

美術館もあまり惹かれなかったですね。
ガイドブックには『フランスのルーブル美術館は数日見て回るほどの広さだ』なんて書いてあったので行ってみたんですが、実際に過ごせたのは半日ぐらい。

『肉眼でモナリザを見た』っていう記憶しかないです(笑)。

一方で、観光地としてはほとんど知られていないんですが、イタリアのシエナっていう街は良かったです。
古都と言われている街なんですが。

旅に出て、いろんな人と出会うようになると、ガイドブックの情報よりも『宿にいる人たちの情報が1番新しくて、洗練されている』っていうのが体感としてわかってくるんですよ。

そのことを知ってからは『地球の歩き方』も捨てて、ずっとそんな感じで旅をしていました」

―最初の旅では『英語が喋れなかった』と仰っていました。
石上さんにとっては言葉が通じるか通じないかはそんなに重要ではなかったですか?

「そうですね……。例えば当時オーストラリアのエアーズロックまでは公共交通手段がなかったので、2泊3日の外国人ツアーバスみたいに、30人の乗り合いバスに乗って市街地からツアーに行くんです。

その間、日本語は一切喋れなかったですけど、それはそれで楽しかったですね。
道中で、みんなでキャンプしたり、川に飛び込んだり。

言葉はあまり通じなかったですけど、そういう中には、すっと入り込めたなぁという記憶は残ってます」

―その時の経験が、その後の生き方に繋がってる部分はありますか?

「『なんとかなる』っていうことですかね(笑)。
あと、意外と自分には行動力と適応力があることがよくわかりました。

『なんとかなる』っていう感覚は、生きていく上で大事なんだなと思います」


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