―その後は……?
高齢者施設等で介護の仕事を続けていたんですが、一度、介護職を辞めたことがありました。
知人から「ガス屋さんの仕事をしないか」と紹介をされて。
社会に出てから介護以外の業種を知らなかったので、「1回やってみよう」と思ってはじめたんですが、“対人”ではない仕事だったんです。
配属されたのが、ガスがなくなった家に行ってボンベを変える仕事だったんですよ。
「全然、やりがいを感じないな」って思ってしまって。
営業や、対人の仕事だったらまた違ったかもしれませんが。
そこはすぐ辞めて、また介護の業界に戻りました。
―そうなんですね。金居さんにとって介護の仕事が“向いていた”のは、どんなところだったんでしょう。
自分の関わりに対して、その場で「ありがとう」と言ってもらえたり、直接目の前で成果が出ることで、「自分の仕事が人のためになっている」「人の助けになっている」と実感できるところがいちばん大きかったですね。
だからまた介護職に戻って、そこからはずっと介護の仕事を続けていけたんだと思います。
―その後、2023年にホームケア土屋広島に入社されます。入社のきっかけは?
きっかけは――本当にシンプルな理由なんですが、「お給料がいい」っていうところだったんです。
当時、僕は独身だったんですが、「もしこれから、パートナーとかができて結婚するってなった時、この給料のままだとしんどいな」「ずっとこの給料のままでいいのかな」と思うようになった頃でした。
正直なところ、「遊ぶお金もちゃんとほしいな」って。
そんな時に職場で夜勤をしながら求人を見ていたら、土屋の求人が出てきたんです。
―はじめての重度訪問介護。いかがでしたか?
めちゃくちゃ難しいなと思いましたね。
土屋に来る前の時点で、高齢者施設での介護経験を10年以上していたので、「どこに行っても通用するだろう」と思ってたんです。
でも逆にそれが固定観念になってしまっていて――。
重度訪問介護の現場に入った時にそれが全部、覆された。
大勢と一対一では対応が全然違っていて、その違いの難しさを感じました。
病院や施設の中の介護というのは職員のペースで進みます。
食事の時間、排泄介助の時間、レクの時間……全て職員側が主体になって決めるので、患者目線に立っていないのが正直なところです。
一方で重度訪問介護は、もともとあるクライアントの生活の一部に職員が入ることになるので、主体は必ずクライアントになります。
その点が良いところでもあり、難しいと感じたところです。
例えば12時になったら、病院や施設では必ず食事が出ます。
重度訪問介護はそうとは限りません。
おおよその時間の目安はありますが、もしその時にクライアントが食事を望まなければ食事の開始時間が大幅にズレることもある。
施設介護だけを経験してきた自分にとって、「全ての選択において、クライアントが主体で、クライアントの都合で、その時々で変更になる」という点が、当初、難しさを感じたところでした。
ただその分、「クライアントが本当に望む支援を行えている」と思える部分もあったので、そこは良い点だったな、と思います。
―クライアントさんとの関わりはいかがでしたか?
僕はそれまでずっと、高齢者施設で認知症の方たちと関わってきたんです。
高齢者介護の現場では、「ご本人は理解できないだろうから」とおじいさんやおばあさんと対等に関わろうとしない人たちを僕は見てきました。
同じ“介護”でも、重訪に携わるようになって知ったのは――僕が関わっていたクライアントさんはみなさんALSの方だったんですが、体が動かないだけなんですよね。
僕たちと変わらない。
もちろん高齢者介護でも入居者の方を同じ立場だと思って接していましたが、重訪はより強く「同じ立場の方なんだな」と思うようになって。
普通に会話してましたね。
―印象に残ってるクライアントさんっていらっしゃいましたか。
みなさん、印象に残ってますね。
その中でも――「N G」をよく出されるクライアントがおひとり、いらっしゃったんです。
その現場はアテンダントがよく変わるんですが、そのクライアントの方から、「毎日、金居くんに来てほしい」と言ってもらえた時はちょっと嬉しかったですね。
―そのクライアントさんには、金居さんのどんなところを受け取ってもらえたんだと思われます?
おそらく――僕がズバズバ言うタイプだったからだと思います(笑)。
僕はできないことは「できない」とはっきりお伝えしますし、支援内容を超えたようなお願いをされた時も「それは決まりなので、できません」とお伝えしていました。
ただ、できることに関しては、「支援時間内だったら精一杯やらせてもらいます」と、そんな感じでその方とは関わっていましたね。