のがわ

グループホームのがわ

マリア・サブレスク

アテンダント

入居者の方には安全で自由な気持ちでいてほしい。『ここは私の家だ』って思えるように。

 《interview 2023.4.27》

東京・東小金井にあるグループホームのがわで働くマリア・サブレスク。ルーマニアで生まれ育った彼女は、2016年に来日し、その後、日本に暮らし、働くことを選びます。マリア
さんが日本で出会ったケアという仕事、そして世界のどこにいても変わらず持ち続けてきた思いとは。ふたつの場所で、重なる背景を尋ねます。

CHAPTER1

1章生まれ育ったルーマニアから、日本へ。“日本に恋に落ちた!”瞬間

ヨーロッパ中世の香りが残るルーマニア。
マリア・サブレスクはルーマニアの首都・ブカレストに生まれます。

ブカレストの中でも中心部で生まれ育ったマリアさんに、幼少期の頃を尋ねると。

マリア「子どもの頃は、みんなとそんなに変わらないと思うんですよ。危ない遊びや、大人から『だめだよ』と言われることしかしなかったです。

10代の頃は音楽や映画、日本のアニメが好きで。ドラゴンボールやナルト、セーラームーン等、日本のアニメはルーマニアで人気でした。よく見ていましたが、その時は『日本語って難しいな』としか思っていませんでしたね(笑)」

そんなマリアさんが、日本に興味を持つきっかけとなったのは。

マリア「私の姉が、元々日本に住んでいたんです。姉は18歳の時に日本に来て、もう20年暮らしています。

その姉を訪ねて私と母で初めて日本に来たのが、16歳の時。3ヶ月ほど滞在したのですが、その間に姉が色々な場所へ連れて行ってくれました。ディズニーランドや京都、大阪も。どこに行っても夢みたいで『こんなに綺麗な街があるの?』って感激して。“日本に恋に落ちた!”って感じです。」

それから2年後。高等学校を卒業するタイミングで、マリアさんは一つの選択を迫られます。

マリア「姉から『これからどうするの?ルーマニアにいるか、ヨーロッパの他の国に行くの?』と聞かれました。もちろん、日本に行きたいに決まってるじゃないですか!『日本に行きたい、あなたと一緒にいたい』と姉に伝えて、高等学校を卒業して1、2ヶ月後、18歳の時に日本に来ました」

日本への強い思いを芯に、移住を決めたマリアさん。言葉の面では、当初、苦労もあったと言います。

マリア「ルーマニアにいた時は、日本語は全く勉強していなかったので、姉からは、『日本に来るなら、日本語を勉強しなさい』と言われました。でも、本を見てもどこから始めたらいいか全然わからなかったし、日本に来てからも日本語が全然頭に入ってこなくて、一回諦めちゃったんですよね。それで19歳の時に、一旦ルーマニアに帰って。3、4ヶ月後、もう一度チャレンジしようと思って日本に来たんです。

二度目に来た時は姉からも『今回、日本語を覚えられなかったらもう最後だよ』と言われて、頑張らなきゃ、と(笑)。そこから少しずつ少しずつ、ひらがなとカタカナを小学校の教科書を見ながら勉強したんですが、日本語は今でも全然書けません(笑)」

というものの、会話もスムーズに進んだマリアさんのインタビュー。彼女のよき日本語の先生となってくれたのは、「姉はもちろん、旦那さんです」と言います。
日本で出会った旦那さんと、毎日を過ごしていく中で、マリアさんは日本語を確実に身につけていきました。

マリア「もちろん姉からのプレッシャーもあったんですが、日本に来ても日本語が喋れなかったら何にも楽しいことがないと思っていました。

友達も作れないし、一人で行きたいところにも行けないし、ずっとお姉ちゃんと一緒にいないといけない。そういう状況からは抜け出さないといけないので、自分でもプレッシャーをかけていましたね」

その後、飲食の仕事を始め、働きながら生きた日本語を学んでいきます。

マリア「日本人と一緒に働いていたので、少しずつ『◯◯はこういうことなんだな』というのが頭に入ってきました。友達もできたので『あなたが英語を喋れるのはわかっているんだけど、できるだけ日本語喋ってくれる?そうしないと私は日本語が覚えられないから』と伝えて練習していました(笑)」

CHAPTER2

ケアの仕事は、少しずつ、少しずつ。ゆっくり見えてきた入居者の姿

飲食店で9年ほど経験を積んだマリアさん。その後、転機を迎えます。

マリア「飲食店は楽しかったけれど、『そろそろ違う経験もしなきゃね』と思って別の仕事を探し始めました。ただ、調べてみても、外国人の仕事はあまりなかった。ある時、旦那さんがグループホームのがわ(以下、のがわ)の仕事を見つけてきてくれたんです。でも私は『ケアの仕事は全く経験がないし、ライセンスがないと無理じゃない?』と思い込んでいました。でも『大丈夫だと思うよ』と言われて面接の日にちを決めて。

その後、のがわの代表だった高浜将之さん(当時)とホーム長の大岩謙介さんと面接をしたんですが、二人ともすごく優しかったです。『少しずつ、少しずつ覚える仕事だから、あんまりプレッシャーがないですよ』と言ってくれた。だから私は大きなプレッシャーを感じずにケアの仕事を始めることができました」

2021年1月、マリアさんはグループホームのがわでの仕事をスタートさせます。
初めて出会ったケアの仕事は、マリアさんの目にどのように映ったのでしょうか。

マリア「私は認知症の方と関わるのが初めてで、そんなに重い病気ではないと思っていたんです。日本と比べてルーマニアは、認知症の人が少ないかどうかはわからないけれど、私自身はルーマニアで、認知症と呼ばれるような症状を持った人と会ったことがありませんでした。『おじいちゃん、おばあちゃんなんだから色々忘れても、当たり前だよね』ぐらいに思っていたんです。

覚えているのは、一番最初に、大岩さんから『入居者の方とソファで座って話してみて』と言われたこと。入居者二人が座っていて、私は挨拶をして自分から質問をしたんですが、答えが返ってこなかった。『日本語、間違えているのかな』『私のこと嫌いなんじゃないかな』と思ったけれど、そのあと少しして二人が笑ってくれたんですね。それで安心して。時間が経って、『認知症ってこういうものなんだな』ということがわかりました」

マリアさんは入居者の表情や表現を言語以外にもさまざまな方法で受け止め、“少しずつ”関係を築いていきます。

マリア「最初は、スタッフの方が全部サポートしてくれて、私はスタッフの皆さんがやっていることをずっと真似していました。

一緒に働いていたスタッフの方たちに『私はこの仕事が初めてなので、質問が多いと思うし、先にたくさん質問をします。もししつこかったら教えてください』って伝えて(笑)。でも『大丈夫よ、質問しない方がダメだから』と言ってくれた。皆さん優しくて、感動しました」

のがわという場と、ケアの仕事に徐々に馴染んでいったマリアさん。働き始めた当時、嬉しかったことはどんなことですか?

マリア「初めてパット交換をした時や、ご飯の介助をした時に『上手だね』と褒めてもらえた時。入居者の方と一緒にお散歩に行って『嬉しいね』と言ってくれた時。そういう小さなところです。

のがわには、南と北の各ユニットにスタッフが2名ずついるんですが、一人のスタッフが休憩している間、そのフロアを任せてもらえることも嬉しかった。それは、『フロアを私一人に任せても大丈夫』と思ってもらえてるってことだから」

年齢を重ねた“人生の先輩”からの話も、マリアさんを魅了したと言います。

マリア「入居者の方が高齢なので、昔の話を聞いていると、日本が違う世界のように聞こえます。長生きをして、今、80歳・90歳になっているのは素晴らしいこと。

入居者の方が戦争の話をしてくれたことがあるんです。私はテレビやネットでしか戦争を知りません。でも本人から聞くと全然違う。その方が『爆弾が落ちた時の音、それ以上怖い音はないよ』と教えてくれたことがありました。それは、2022年にロシアのウクライナへの侵攻が始まって、食堂でみんなでテレビを見ていた時。その方が『戦争しちゃいけないよ、周りの人が考えないで戦争しちゃうからダメだよ』って仰った。きっとテレビから空爆の音が聞こえて記憶が蘇って、いつも以上に大きなリアクションをされたんだと思います」

CHAPTER3

「なんでみんな、そんなに怒らないの?」。ルーマニアの私と日本にいる私のファイティング

異なる文化の中で暮らし、働いていくことには、どのような楽しみや難しさがあるのでしょうか。

マリアさんが見た、日本や日本人の姿から想像をしてみましょう。

マリア「16歳で日本に来た時は、『日本ってすごい!』となっていたので、まだ私は日本人とコミュニケーションが取れなかったんですね。19歳でもう一度日本に来て仕事を始めた時は、『日本人って真面目だな』としか思わなかった。今でもそうです。それは変わらない。

電車に乗る時もちゃんとしているし、ゴミを捨てる場所も全然ないのに、道路が綺麗で『みんな、ゴミをどこに捨てるんだろうね?』ってずっと考えてました(笑)」

西欧の言語と比べると、日本語は多岐にわたる細やかな表現や曖昧さが特徴的です。
コミュニケーションが要となるケアの現場で、マリアさんが感じた文化や言語の違いはどんなところにあったのでしょうか。

マリア「それはのがわのスタッフだけではなく、日本の皆さんに感じました。
ルーマニアの人たちは、思ったことは直接言うんですよ。でも、伝える側も受け取る側もそんなに重く受け止めない。例えば、『あなたの料理はあんまり良くないね』『そこがダメだね』と直接言うのは当たり前。でも日本に来た時に、誰もそんな文句を言っていなくて、『なんでみんな、そんなに怒らないの?』って感じたんです。

姉にそのことを聞いてみたら、『そこまで怒ったり、言わなくてもいいんじゃないかな。あなたが怒って相手が傷ついても何もいいことがないから、相手の気持ちを考えてそこまで言わないだけだよ』と教えてもらって。『じゃあ、私の料理がまずくても、おいしいって言ってくれるの?』って聞き返しました(笑)。

でも、それは今でもよく考えます。のがわで働き始めた頃は『日本にはそういう考えがあるんだよ』というのが私の頭の中に入っていたから、スタッフの皆さんに『もし間違えたり、ダメだと思ったら、直接私に教えてください。言ってもらわないと、わからなくて直せないから』と伝えました。
でも『ここがダメだよ』って直接的に言うだけではなくて、『違うやり方もあるよ』『こういうやり方もいいかもね』と考えたり、伝えられるように自分を変えました。だからきっと、誰でも同じように感じているけど、言い方・伝え方が違うだけなんだと思います」

そもそも今回のインタビューは、言語や文化が違うマリアさんが、ケアという仕事をどのように受け止め、のがわという職場でどのように受け入れられたのか、その過程を尋ねるつもりでした。

ところが、ある一人のスタッフにそのことを尋ねると、「マリアさんは最初から仕事そのものに前向きで、自分から『勉強したい』『教えて欲しい』という気持ちがあった。外国籍だから、日本人だから、ということではなく、マリアさんの人間性が素晴らしいから、今、一緒に働いているんです」という答えが返ってきます。

そんなマリアさん自身の「人間性」の源泉はどこにあるのか、迫りました。

マリア「のがわの仕事を始めて、『私、介護が好きだよね』って思った。だから介護の仕事のことを全部知りたいんです(笑)。

私が仕事を始めたばかりの頃は『こういう問題になったらどうすればいいのか』と考えていて、いつもスタッフの方に尋ねていました。でも、あるスタッフの方が『そんなに先のこと考えなくても、その時、その時でいいんじゃないの』って言ってくれたんですよ。『説明してもさ、忘れちゃうから。その時その時で。その時に教えてあげるよ』って」

「介護は、わかるものではなくて、毎日が勉強」と話すマリアさん。大きな違いを経験してきたからこそ、その場、その時で自身を柔軟に変えてきた姿が思い浮かびます。

マリア「だから今は、自分の中で『あれ、よくないかも』と思っても、相手にそのまま言わなくてもいいんじゃないの、って一旦考えています。相手が傷つかないように。でも、そこは今も、ルーマニアの私と日本にいる私がファイティングしている感じですね」

CHAPTER4

入居者に「ここは私の家だ」と思ってもらえるように。今日もみんなでカレーをつくろう

介護の仕事を始めて3年。

マリアさんが、支援の現場で大切にしているのはどんなことでしょうか。

マリア「一番は、入居者の方の事故にならないように。もちろん相手の気持ちを考えないといけないから、たとえば、入居者の方が不安な表情になっていたら、『どうしてこういう気持ちになっているんだろう』と考えます。

もしかしたら、本人は言葉にできないかもしれない。でも言葉にできないと、自分の気持ちを抑えないといけなくなる。その状態がずっと続くことは、入居者の方にとって良くないですよね。だから、入居者の気持ちが傷つかないようにすること。のがわで、安全に過ごすためにそれが一番大事だと思うんです。

入居者にとって、のがわは自分の家です。私たちも家に帰った時は、その場所が安全だと、家では自由だ、と思ってる。だからのがわでも、入居者の方には自由な気持ちでいてほしいですね。『ここは私の家だ』って入居者の方みんなが思えるように。そう考えて働いています」

日本に暮らして10年。入居者の方と調理をするうちに、さまざまな日本の料理も覚えました。

マリア「私はカレーが大好きで、家でもよくつくっています。やっぱり入居者の方と一緒にご飯を作るのは楽しいですね。みんな、野菜の切り方もつくり方も全然違う。つくっていると『切り方はそうじゃないよ』って入居者の方同士で言い合いが始まるので、『どこにいても、女性は強いよね』って思います(笑)。

昨日初めて、スタッフの方から『金曜日に豚汁を食べたい入居者の方がいるから、豚汁を作ってほしい』と言われました。豚汁をつくったことはなかったけれど、入居者の方に聞くと、みんなちゃんと知っていて教えてくれる。だから調理する時も困ったことがないんですよ」

自身の不安を抱えながら、それを誰かに伝えることで、ポジティブな問題解決をしてきたマリアさん。
“ご自身の好きなところは?”と尋ねると、「相手の話をちゃんと聞くところ」との答えが。それはマリアさんが元々持っていたものなのでしょうか。

マリア「そうです、そうです。ちゃんと相手の気持ちを考えて、どうやって手伝った方がいいかな、をいつも考えています。手伝わなくていい時もあるし、話を聞くだけでいい場合もあるから。そういう自分の中身の部分はずっと、変わってほしくない。

そう考えると、今、ケアの仕事をしていることと、元々の自分は、繋がっているかもしれないですね」

CHAPTER5

「あなた、どこに行ってもまわりをよく見て。自分の中身の気持ちを聞いて」

「相手の話をちゃんと聞くこと」。人との関わりに大切な“聞く”という行為は、しっかりと聞いてもらった経験のある人だけができることなのかもしれません。

そのこと考えさせてくれるエピソードを、マリアさんから伺うことができました。

マリア「ルーマニアでは、小学校の1年生から4年生の間、同じ先生がずっと一つのクラスを受け持つんですね。その先生は当時まだ24歳でした。あの人の優しさ、今でも覚えています。4年生が終わった時の最後のパーティーで、子どもたちみんなが泣いていたんですよ。みんな先生が大好きで、あんなに悲しい日はなかった。『私、大きくなったら、この人になりたい』って思ったのを今でも覚えています。

その先生の話し方は、子どもと喋る感じではなくて、人間と喋るような話し方なんですよ。私の不安な気持ちをいつもちゃんと聞いてくれました。だから私も、多分、その時から人間になれた。自分が子どもじゃない、と思えたのはその時が初めてでしたね。

その先生が言ってくれたことで、今でも覚えていることがあります。『あなた、どこに行っても周りをよく見て。自分の胃の中が、なんか良くない、この人あんまり良くない、って思った時、それは嘘じゃないから。自分の中身の気持ちを聞いて、そこから離れた方がいい』って。
子どもの時には、『この先生、何を言っているんだろう?』と全然わからなかったのですが、大人になったら、彼女が言っていたことは間違いなかった。素晴らしい先生でした。

だから今でも私は不安があったら誰かに相談します。仕事でも、家でもそうです。自分の中に溜めておくとよくないから。外に出してみたら、もしかしていいアイデアが出てくるかもしれないから」

2021年に初任者研修を修了し、この春は、実務者研修の準備を始めたというマリアさん。最後に、これからの夢を尋ねました。

マリア「コロナの状況が落ち着いたら、いろんな国に行きたいです。今、アジアの歴史を勉強していて、行きたいのは中国。素晴らしいところが多くて。あと暖かいから、バリにも行きたい。あとはヨーロッパかな、南米かな……。夢だと思うけれど、行ってみたいところはいっぱいあります。

ルーマニアにいる両親も日本に呼びたいですね。私がルーマニアに行ってもいいんですが、日本には姉の子どもが3人いるので、きっと孫たちに会いたいと思うから」

マリアさんと話していると、介護することや、胸を開き膝附あわせて話しながら、誰かと協力して生きていくことは、人間として「当たり前の事なんだな」と、どこか「ホッ」とします。そして支える側も、介護者以上に「一人の人間」として、人生を歩んでいく。

そんな、胸の中に心地よい風が吹いたような、そんなインタビューでした。


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