介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

長野早苗

福岡 コーディネーター

物理的にも概念的にも視点を変えられる動物、「人間」として生きることの価値。

 《interview 2025.01.09》

小さな頃から「動物に携わる仕事をしたい」と思っていたという長野早苗(ながのさなえ)。
その後、長野はさまざまな仕事を経験します。
空港での警備の仕事、動物とのコミュニケーション、そして映像の世界に飛び込んで気づいたこと――現在、ホームケア土屋福岡でコーディネーターとして働く長野にとって、仕事とは「目に見える差異を超え、聞こえない声に耳を澄ませる」という願いを広げていく場だったのかもしれません。
今、重度訪問介護の現場でクライアントと、アテンダントとの間に生まれている“小さな声”。その声に耳を傾けます。

CHAPTER1

「動物に携わる仕事をしたいな」――動物の方がわかっていること

『シートン動物記』を愛読していた幼少期。ヒトと動物は種族は違うけれど――。

―どんなところで育ったり、どんなことして遊んだりしていたのかを聞かせてください。

そうですね。福岡の割と都会の方の生まれです。ちっちゃい時は自己主張ができなくておとなしい子どもでした。

『シートン動物記』を愛読していて――当時、野良犬がすごく多かったんですよね。
それで、いかに野良犬たちを飼い慣らすかっていうことを想像しながら読んでいました(笑)。

割と根暗な子だったかなと思います。それから、体を動かすこともすごく好きでした。

私の家は3兄弟だったんですが、兄からもよく「コンビニ行ってきて」なんてパシリのように使われてたので(笑)、走ったり運動したりも好きだったんです。

本を読むのがすごく好き、っていうわけではなく、唯一愛読していたのが『シートン動物記』だったんですよね。

―生き物には子どもの頃から関心があったんですか?

そうですね。

動物の看護師を5年間していたことがあって――ヒトと動物で種族は違うけど、動物たちの様子を見て「どう思ってるのかな」とか考えたり、人間観察も好きだったのかなとは思います。

幼少期から「何か、動物に携わる仕事をしたいな」っていうのはありました。
ただ自分から発言ができないようなタイプだったので、「動物の看護師になりたい!」っていう強い思いではなくて――。

小学校6年生ぐらいの時に兄が競馬好きになって、その影響で「騎手になりたい」って思うようになったんです。

その後、中学から高校の4年間ぐらい、JRAの騎手試験に向けてずっと勉強をしていましたね。

高校生の時は部活でバドミントンをやってはいたんですが、もう「騎手、騎手」って思いながら友達の誘いも断り、学校から帰ってきたらひたすらトレーニングをしていました。

たまに乗馬クラブに行って、馬に乗ってもいましたね。

―馬、いいですよねー。

いいんですよー。
馬刺しはいまだに食べられないんですけど(笑)。

―独特のコミュニケーションがあると聞いたことがあります。

そうですね。そういう意味では「動物の方が賢いな」って思う時がありますね。

種族は違うかもしれないんですが、人間だと「本当はそう思ってなくても、言葉にできてしまう」ってことがあると思うんです。

でも動物にはそういう部分がなくて――「動物の方がいろんなことをわかってるんじゃないかな」って思う時はありますね。

CHAPTER2

“この仕事”というより、「責任あるしごとに就きたかった」

多感な時期に起こった出来事が後押ししてくれたのかもしれない――空港の保安警備の仕事との出会い

学校を卒業した後は――目標がそもそもなかったんですよ。

漠然と「動物に関わる仕事したいな」っていう思いはあったんですが、「何かになりたい」とか「何かをするために頑張りたい」とかが、そこまでなかったんです。

でも、騎手を目指したっていうきっかけがあって、勉強するようになって――挫折はしたんですが――目標に向けて、何かに取り組むこと。

例えば、勉強だったり、トレーニングだったり、「何かを目指して頑張ることもいいな」って。
そこでちょっと変わったかなと思います。

当時は何も考えてなかったんですけどね(笑)。

―「こういうことを頑張ってみようかな」とか「仕事にしてみようかな」とか――実際にはどんなことをされていたんですか?

うちは母子家庭だったので、「学校を卒業したら何かしら仕事に就いて、すぐに家にお金を入れたい」っていう思いがあって、空港の保安警備の仕事をしました。

私が高校1年生の時にアメリカで同時多発テロが起きたんです。

できれば騎手にはなりたかったんですが、無理だったので切り替えて、それやったら――こんなこと言える立場ではないですけど、「社会のためになる仕事に就きたいな」っていうのはあったのかなと思います。

―9.11は――仕事を選ぶ時、長野さんにとってどんな影響があったんでしょうか。

職種はいろいろある中で、「この仕事をしたい」っていうのは特になかった上で、でもその仕事に就いたんですよね。

なんかこう、「責任ある仕事に就きたい」っていうのはあって――。

今から思うと、同時多発テロの影響があったんじゃないかなと思います。

―保安警備はどういうお仕事だったんですか?

空港で荷物を預ける時に、警備員がいるんですが、そこでX-rayを通して異物がないかどうかの検査であったり、金属探知機で危険物を所持してないかどうか荷物検査するっていう仕事をしていました。

―空港という場所自体が緊迫していた時期だったのでは……と思います。

そうですね、やっぱり緊張感はありました。
1年に何回か、警備がちゃんと為されているかどうかの抜き打ちの検査が設けられてるんですよ。

土屋でいう監査みたいなものですね。それが各エアラインで、国から定められていて。

その時は搭乗ゲートが10ヶ所ぐらいあったんですが、危険物があったら、全体に案内して全てのゲートにストップをかけないといけないんです。

その時はすごく緊迫した感じだったな、っていうことは覚えてます。

まだ18、19歳くらいだったので、手が震えるぐらいでした。

2年ほど続けて、接遇面が評価されてV I P担当になったり、副班長になったぐらいでその仕事は辞めました。
最初から「3年、3年」って。

3年は絶対続けようと思っていたんです。
「たのしかった」――なんていうと変ですけど、やりがいのある仕事ではあったのかなとは思ってます。

CHAPTER3

映像に携わって――「なんか、人っていいな」。

映像の仕事、照明の仕事を通じて――「同じものでも光の角度によって見え方が違う」ということ

―その後は、どんなことを?

私、自慢にならないぐらい、かなり転職してるんです(笑)。

たまたま体が空いたからって八ヶ岳の牧場に行っていた時もありましたし、テレビ番組のカメラアシスタントや、アシスタントディレクターをしていたこともありました。

働いてきた職種もバラバラなんです。

―その時にピンときた仕事や、タイミングが合ったものをやってみた――という感じですか?

そうですね……10代の頃は“動物に携わる仕事=騎手”ってなっていて。

それは「若かったからだろうな」とは思うんですけど。
「これにかけたい」っていう何かを見つけてた――というのがあったんだと思います。

―動物の看護師さんは、いろいろな仕事をされた後にされたんですか?

空港の保安検査の仕事をした後ですね。

たまたまうちで飼ってた愛犬が、椎間板ヘルニアで歩けなくなってしまって――泣きながらお世話になっていたかかりつけの動物病院に行った時に、

先生と話をしている中で「私はもともと動物が好きだから、動物に携わる仕事をしたいな」って思うようになって、それがきっかけで動物看護師に就職しましたね。

その後は映像の仕事――カメラアシスタントもしていました。

当時、同級生がテレビのカメラマンの仕事をしていて、“同じものでも光の角度によって見え方が違う”っていうことがすごく面白いなと思って。

―どんなものを撮影されていたんですか?

カメラマンのアシスタントとして報道、ドキュメンタリー、収録番組など全国各地に行かせていただいて、生放送以外はほとんど、その2年の間で撮影したんじゃないかなと思います。

そこから人間好きになったというか――。いろんな人と交流して、なんか、人が好きになったんです。

取材対象の方の背景もバラバラで、芸能人の方もいらしたり、かと思えば自傷癖がある方で「人の役に立ちたいから」ってカウンセラーをしてる方がいらしたり――。

今まで自分は、人のことを気にして意見を言えなかったり、自分自身を表現できなかったり、っていうのがあったんです。

でもいろんな人と携わる中で、人のいい部分をたくさん感じられて、「なんか、人っていいな」って。
一緒に働く技術スタッフも含めて、好きになったかな。

―映像制作ってチームで動きますよね。それぞれの担当があって、ひとりじゃ何もできなくて。「人っていいな」と思ったのは、そういうところですか?それとも……

そうですね。
今は時代が変わっているかと思いますが、当時のカメラマンさんって――業界として荒かったんですね。

何かあると舌打ちされたりとか(笑)、いろいろ言われたりするんです。

京都に取材に行った時に、私がやらかしてしまったことがあって――カメラの前で話す人の声をマイクで拾えなくて、「帰れ」って言われたことがあったんですよ。

でも撮影が終わった後に「じゃあ、みんなでご飯行こうか」ってなった時は、サッと切り替えてくれて、みんなでおいしくご飯を食べて。

「あったかいな」って自分の中で感じて。

カメラマンさんってひとりの人の背景を撮るために、「どういうふうな位置で、どういうふうに捉えたらこの人が活きるだろう」とか、

「どういうスタンスでいたら、この人の感情を表現できるだろう」っていう一瞬をずっと追っているんです。

自分の中の理想と、目の前の人の間で、撮影中はずっと気を使ってらっしゃる――そういう、ひとを撮る人が持つ人間味というか、あたたかさを映像の仕事を通して感じたんですよね。

―映像は、説明的な言語から離れることでその人自身に寄り添える感じがありますね。

そうですね……。言葉で表現できないのが映像だと思うんです。

私は映画学校に通って、映像作品をつくっていた時期があるんですが、その学生の時に「あなたはこのワンカットで何を撮りたいの?」っていうことをずっと先生から言われ続けていました。

もちろん、言葉には、卓越して表現できるところがあると思います。
ただ、言葉で表現できないから、映像で表現してる――そういうところがいいのかなとは思うんですね。

CHAPTER4

「介護って、誰でもできるようで、誰でもできる仕事じゃないんだな」

“小さな声”って――出さなくても声だと思う

―介護や福祉の仕事は、土屋が初めてだったんでしょうか。

初めてです。介護職はまったくの未経験で。
高校卒業の時は、介護職に就職する友達がいたんですよね。

当時の自分にとってはそれが信じられないぐらいだったんですけど――だから自分が今、介護職をしてるのが不思議です。

―どんなきっかけがあったんですか?

本当に――会社の考え方というか、理念にすごく深く感銘を受けたんですよ。

カメラアシスタントをしていた時に、ある女性の記者さんがいて、その方がすごくかっこよく見えて。

ジブリ映画に出てくる女性のキャラクターみたいな方でした。
強い意志があって、知識をたくさん持っていて。

でも決して権威的ではなく、弱い方の目線に立ってお話に耳を傾けられる――そういう姿にすごく影響を受けてたんです。

その「こうあったらいいな」っていう自分の中の理想に、土屋の理念が近かったんですよね。
というか、それよりもずっと先を行っていて、すごく感銘受けて入りました。

―長野さんが感銘を受けたというのは、理念のどんな部分ですか?

土屋のミッションに“小さな声”っていう言葉があります。
“小さな声”って――出さなくても声だと思うんです。

小さな声ですら出せない人もいるし、発声されないクライアントさんもたくさんいらっしゃる。

その声を聞くということを「仕事としても広げていけたらいいな」と思いつつ、

自分自身も子どもの頃は自分のことを何も言葉にできない子どもだったので――その体験と、今の仕事はすごく影響を受け合っていますね。

―重度訪問介護(重訪)の現場に入られた時はいかがでしたか。

初めて入った現場が、体位変換だけで3、4時間かかるような現場だったんです。
これが、自分ではない誰かの生活に入っていくってことなんだなと思いました。

でも最後まで、できる範囲のことはやり遂げて、そこは責任を持って――じゃないですけど、できたのかなと思います。

「誰でもできるようで、誰でもできる仕事じゃないな」っていうのは思いました。

―介護の仕事は体に直接的に触れることも多く、未経験の方はその点に不安や抵抗がある方も多いようです。長野さんはいかがでしたか?

不安は全くなかったんです。

「こういう動きをすると痛みが伴う」とか、人の体を構造から見ていくことは好きだったので、直接、お体に触れることに関しては何もなかったですね。

ただ、クライアントさんの側から見た時に、「近いかな」とか「大丈夫かな」っていうことは気を配っていました。

CHAPTER5

関わりを通して、“笑ってもらえるきっかけ”を

クライアント宅へ向かう車中で、クライアントの好きな曲を聞きながら「今日はどんなふうな支援をしようかな」をおもう

―仕事をする中で、人とかかわる中で、長野さんが大切にされていることを聞かせてください。

自分自身が実際に支援に入る中でいちばん大切にしてるのは――クライアントの方は病気を罹患されていたり、障害をお持ちだったり、体がきつい状態にある方が多いです。

そのきつさをちょっとでも忘れてほしいんです。
きついな、苦しいなっていうのを少しでも軽減できるような働きや支援を、自分はしていきたいなと思います。

他にも、クライアントの中には、例えば人工呼吸器をつけていて発声が難しいとか、意識のない方もいらっしゃいます。
でもだからといって、こちらの話が聞こえていないわけではないんです。

重訪はご自宅での介護になるのでクライアントがいらっしゃる場で病状やヘルパー側の事情などをお話しせざるを得ない状況もあって――

だからこそ聞こえたら不快な内容はご本人の前で話さないようにしてますね。

言葉などでやり取りをする方とは――どうしてもコーディネーターという立場で支援現場を整えていくのは難しい部分ではあるんですが――

「最近、眠れていない」って仰っていたら、「じゃあ、足浴しましょうか」とか、たわいもない話をして気分転換をしたり。

それって接客業や他の仕事も一緒だと思うんです。
笑ってもらえるきっかけを提供する――そんなふうに心がけてはいます。

―実際に、クライアントさんとどんなやり取りをされるんですか?

そうですね。

バイクが好きなクライアントの方がいらっしゃって――その方は先日、ご逝去されたんですが――バイクの話をよくしてましたね。

「俺は体は弱いけど、このバイクは○○なんだよ」とか「大型バイク乗りたいんだったら、クラッチ握るのが大変だよ」とか、そんな話を聞かせていただいていました。

―長野さんは、クライアントさんの関心があることを事前に調べたりされるんですか?

特別調べたりっていうことはないんですが、その方のご自宅に向かう時は、車の中で無意識にその方の好きな曲を聞いてましたね。

好きな曲ってその方の世界観と通じていると思うので――。
意識的に、ではないんですが、「今日はどんなふうな支援をしようかな」なんて思いながら聞いてたような感じがします。

―お仕事の中で、「こういうことがあると嬉しいな」とか「幸せだな」っていうのはどんなところですか?

やっぱりクライアントさんから喜ばれる、笑ってもらえるのは本当に貴重だなと思ってますね。

でも「笑ってもらえるように、笑ってもらえるように」って前のめりになってしまったら、クライアントさんからしたらアツすぎると思うので(笑)、そこは常に相手に合わせながらだとは思うんですが――。

野球の好きな方だったら、「○○選手がホームラン打ったんですよ」っていうたわいもないお話でも、笑ってもらえたら「あぁ、よかったな」って思いますし、

眠れない方が眠ってくれたら、「少しでも寝れてよかったな」と思います。

それから、新規の現場は特にそうなんですが――「本当に支援に入ってくださってありがとう」って、泣いて喜んでいただくことも多いんです。

そういった時にすごくやりがいは感じていますね。

CHAPTER6

介護って、正解がないからおもしろい

常日頃、びっくりすることばかり。教科書通りにはいかないのが逆に面白くて、新鮮です

―3年ほど介護の現場に携わられてきました。この仕事を続けていく中で、ご自身の中で変わってきた部分はありましたか。

明らかに変わったなって思うのは、これはしょうもないことなんですが――

以前、関わったクライアントさんにあいみょんが好きな方がいて、罹患前はコーラスをされていた方だったので発声練習にも繋がるかなと思いギターを練習するようになりました。

―いいですね。ギターはもともと弾かれていたんですか?

まったく弾けなくて、高校の時に兄がやってたのをちょろっと真似してやっていたぐらいで諦めてたんですが――今は趣味のように弾くようになりました。

そのクライアントさんの影響なんじゃないかなとは思います。

―長野さんがギターを取り出して弾かれたり歌われたりするんですか?

いや、私がそれをするとなんかだいぶイタいかなと思うので――「クライアントの方が好きな曲やったらもう歌わん方がいいかな」と思って、静かに弾いてます(笑)。

わざわざギターを購入されたクライアントさんもいらして――。
もともとギターが好きなこともあるとは思うんですが。

その方の支援に入る時は弾いてますね。
弾くのをやめると、「なんでやめるの?」って言われるんですよ。

でも弾くと、眠られるんです(笑)。

―気持ちいいんですね、きっと。

いやいや、きっと私のギターが下手すぎて。
なんというか、この仕事って――多分、答えがない仕事だと思うんです。

正解がないから、面白い。

でもひとりのクライアントさんのために寄り添いすぎたら、今度は依存しすぎて、ヘルパーさんのために良くないので、そこは常に俯瞰して考えるようにはなったかなと思います。

―職種としてはいかがでしたか?さまざまな仕事を経験されて、未経験から介護業界に入った時に「こんなことがあるんだ!」といった驚きや発見もあったのでは……

常日頃、びっくりしてますね(笑)。
そこが逆に面白いし、新鮮です。必ず教科書通りにはいかないので。

そういう面では大変なところもあるな、と思いつつ、やりがいも感じながら――でも飽きないなと思います。

―普段、気をつけていることやよく考えていることはありますか?

そうですね――ひとつの仕事を続けていくことで、その業界に染まりすぎたくないな、と思う部分はありますね。

クライアントとのやり取りも今は新鮮だけれど、経験を積んでくると、慣れてくるからこそ、その声を受け流してしまう部分があると思うんです。

もちろん、クライアントの方からの要求の大きさによっては、ヘルパーが自分自身を守る、という面で受け流すことが必要な場面も出てくることがあるとは思います。

でもやっぱり、それがどんな訴えや要望であっても、まずは「そうなんですね」って――。

いちばんきついのはクライアントさんご本人なので。そこは意識的に取り組んでいるかもしれないですね。

CHAPTER7

「やっぱり笑顔が好きだから」

障害とかジェンダーっていう名称が必要なくなるような。ひとりひとりを尊重し合えるような社会になったらいいな

―お休みの日はどんなことをされていますか?

そうですね、もうずっと映画を見てます。最近は『南極物語』っていう、南極観測隊とそり犬のタロとジロの映画をずっと(笑)。

―ドキュメンタリーや動物が出てくる映像を見てると、心が休まるとかいうか……

そうですね。映像と音楽はずっと好きですね。
映像は、見始めたら休みの日だと1日4、5本見てるかもしれません。寝る間もないぐらいずっと見てます(笑)。

あとは猫とゴロゴロして過ごしてますね。

―ちなみに好きな映画や、映画監督さんはいらっしゃいます?

坂元裕二さんっていう脚本家の方がいらっしゃるんですが、その方の脚本がすごく好きですね。
セリフがセリフっぽくないというか――。

演者さんもそういうふうに演じているとは思うんですが。大好きで、一時期、坂元さん脚本のドラマのシナリオを全部書き起こして、読んでいたことがありました。

―セリフ、ストーリー、会話のやり取り…‥どんなところに魅力があるんですか?

なんでしょうね。
深いところをつきつつも、コミカルなところがあって、重すぎないようにしてるところがあったり――なんて言ったらいいんだろう。

登場人物の人間らしさがにじみ出ているセリフが好きです。どのキャラクターも存在しているように感じます。

―ちょっとまた、仕事の話に戻ります。今、関わっているホームケア土屋福岡のクライアントさんやアテンダントさんについて教えていただきたいです。

私が関わっているクライアントさんで、昨年から支援をスタートしたばっかりで、ずっと居宅介護で支援を繋いでいた方がいらっしゃるんです。

ご自身で体を動かすことはできないんですが、自ら発信してヘルパーを集めて――っていうパワフルな方なんですが、

初めはなかなか関係が築けず、事業所やヘルパー側の現状をご理解いただけない場面も多かったんです。

でも最近は関係が築けてきたことで、私たちヘルパー側の状況も含め、いろんなことを知っていただけるようになって――ちょっとしたことでも泣きながら感謝してくださったり、

外出のご要望があるのに、2人体制がどうしても取れなくて、「人手不足で申し訳ないです」って事情を説明したら、「きつい時とか、あったら言ってね」って言ってくださったりとか――。

福岡のアテンダントさんはみんな本当に責任感が強くて、こまめに連絡をくださったり、現場の報告をしてくださるので、なんかそこは嬉しい部分かなとは思いますね。

―ご自身の経験も含め、「介護ってこんな方に向いてるんじゃないかな」と思うことはありますか?

私自身もそうなんですが、介護未経験で入っても、やる気があって、コミュニケーションとか接客業が好きな方だったら、この職種には向いてるんじゃないかな、と思います。

人が好きで――っていうのがあれば。だから、まずはトライしていただけたら嬉しいですよね。

私自身は、入ってくださった方が「入社して、本当に良かったな」「やりがいを感じるな」「充実してるな」って思えるような環境づくりに、これから取り組んでいきたいですね。

せっかく入ってくださったのであれば、長く勤められることがいちばん好ましいことなのかな、と思うので。

―先ほど、入社のきっかけに「土屋の理念があった」と仰っていました。理念の先には「こんな社会になったらいいな」っていう方向が、それぞれの中にもあるのではないかな、と思います。「10年後、20年後、こんな社会になってたらいいな」という願いはありますか?

すごく個人的なことを言うと――“ジェンダーレス”っていう言葉がなくなったらいいですよね。

バリアフリーとか、ジェンダーレスとか――あえて、人や場を分ける言葉が今はたくさんありますよね。

映像に携わってた時に、いろんなセクシュアリティの方――例えば、バイセクシュアルだったり、レズビアンやゲイの方、トランスジェンダーの方と深く関わってきたんです。

でも、そういったセクシュアリティを区切るような言葉があるっていう時点で、私は「ウッ」て構えてしまうところがあって……。

ひとりひとりを尊重し合えるような社会、っていうのかな。

障害とかジェンダーっていう名称が必要なくなるような――。
多分、社会全体がそんなふうに変わっていくには、ひとりひとりにかなりストレスがかかってくると思うんですよね。

人それぞれ価値観も、育ってきた環境ももちろん違うので。でも、そんな社会になればいいな、と思ってます。

―最後に。長野さんはなぜ、この介護のお仕事を続けられてるのか――を聞かせてください。

やっぱりいちばんは――笑顔が好きだからですね。

何気ないところで笑ってくださったり、感謝してくださったり。自分自身がもともと、「人の役に立ちたい」とか、そういったことを言えるような人間ではないんです。

なんですけど、でも――やっぱり、笑ってもらえたり、認めてもらえたり、「よかった」って言って感謝してもらえるとやりがいや充実感はあるのかなと思います。

そこがあるから、例え忙しくても「待ってる人がいるんだから、行かないと」って。“使命感”じゃないですが――そういう思いをクライアントの方から引き出してもらってるのかな。


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