グループホーム土屋

グループホーム土屋

大庭賢二

北九州 ホーム長

変わろうとするとき、変わらされるとき、「ちょっと」痛い

 《interview 2025.09.08》

グループホーム土屋北九州でホーム長として働く大庭賢二(おおばけんじ)。
とにかく誰にでも話しかける性格だったこどもの頃から、“迷って迷って”の10代を過ぎ、出会った介護の仕事。
軽い気持ちで始めた仕事でしたが「小さい頃から、誰かのためになることをするのが自分自身の喜びに繋がっていた」と語る大庭にとってこの仕事は「天職だ」とも言います。
寛容であること、深く聴き、丁寧に語ること、多角的に捉えること――すでに身体化された“あたりまえ”を、あらためて言葉にし、他者と共有するには? 悩みながらも奮闘する大庭の日々に伴走します。

CHAPTER1

誰かれ構わず話しかけるのは赤ちゃんの頃から

「なんとかなるかな」ぐらいの感じで日頃過ごしていて、そこはこどもの頃から変わらない

―ご出身が福岡なんですね。

旅行以外で福岡から出たことがなく、今もずっと福岡で暮らしてます。

育ったのは福岡の久留米市です。

フルーツの栽培が盛んで、毎年夏になると未だに実家から巨峰、シャインマスカット、梨、桃……秋口になると柿が送られてきます。

遊ぶところと言えば、稲刈りした後の田んぼだったり、用水路の中をくぐったり。

そんなところで遊んでました。

―どんなお子さんでしたか?

小さい頃は、とにかく誰にでも話しかける性格でした。

その頃に比べると、今はおとなしいな、と思います(笑)。

“みんな友達”――多分、そんなふうに思っていたんだと思います。

誰かれ構わず話しかけるのは赤ちゃんの頃からみたいです。

5、6歳の頃のエピソードなんですが――母が病院に勤めていて、母が仕事で日中家におらず、「母がいないから」といって勝手に家を飛び出て病院まで歩いて探しに行ったことがあるんです。

無事に病院には辿り着いたんですが、地域の方に「大庭さんところの子よね」と言われて、確保されて。

警察沙汰になったらしく、「お名前は?」と聞かれた時に何を思ったのか――僕には兄がいるんですが――兄の名前を答えました(笑)。

―(笑)。ご自身の性格で今も変わらない部分ってありますか。

今のエピソードともちょっと重なるんですが、たまに「今のずる賢いな」とか思ったり(笑)。

あとは、周りの目を気にしないタイプなんですよね。

マイペースなところもあって、「なんとかなるかな」ぐらいの感じで日頃過ごしていて、そこは当時から変わらないかなと思います。

―中学、高校、10代の頃はどんなふうに過ごしていましたか。

そうですね……。
中高生の頃は、特に熱中することはなく、自分自身が何をしたいのか、あまりはっきりしてなくて。

ある意味、路頭に迷ってた時期でしたね。

ただひとつ、海外がすごく好きで「日本から早く出たいな、出たいな」って思ってました。

その頃は「将来は海外で仕事しよう」ってずっと考えていたんですが、そこに行動力は伴わず。

とにかく迷って迷って、の10代だったと思います。

―その後、海外に行かれたり、旅に出たり?

いや、全くないです(笑)。
思春期独特の、「ここから逃げたい」っていう思いがあったのかな、と思います(笑)。

中学を卒業後、実家から通える高校に進学はしたんですけれども、学業が追いつかず、通信制の高校に移ることになったんですね。

その高校を卒業して、特に――それこそ、「何しようかな」「海外は行きたいけど、お金もないしな……」。

“迷って迷って”の時期だったので、「とりあえずアルバイト始めてみるか」ってことで、コンビニエンスストアでアルバイトを始めました。

今、私には妻とこどもがいるんですけれども、妻とはそのアルバイトで知り合ったんです。

海外が好きで好きで仲良くなって、「あちこち行きたいね、海外」「じゃあ行ってみよう」。

そんな話をよくしていました。
妻はすごく行動力がある人なんですよね。

ある意味、“迷って迷って”の私をすごく引っ張ってくれる存在と言いますか――。

「私はパスポート持っとるけん、とりあえずパスポートをつくり」って言われて、あちこち行くために10年分のパスポートをつくったんですが、未だに一度も使っていません(笑)。

CHAPTER2

心のどこかで介護や医療の仕事に興味があった

“介護”っていう言葉に惹かれて、「ちょっとやってみようかな」ぐらいの軽い気持ちで入社しました

海外に行かなかった理由は、妻の妊娠がわかったからだったんですね。

それで私も、「バイトだけじゃダメだ、とりあえず働かな」ってことになって。

もともと車が好きで、初めて勤めたのは中古車販売の会社で車の整備の仕事をしていました。

でも残業も多いし、なかなか家族の時間が取れず転職をしまして。

でもその転職先も――朝は始発で行って、夜は終電に間に合わないことも多々あって。

小さなこどもを連れながら妻に車で迎えに来てもらったりもあって、それも良くないな、と。

転職を決意して入社したのが土屋です。

―介護の仕事にはどんなきっかけで興味を持ったんですか?

母と、母方の祖母がずっと看護師をしていたんです。

小学生の頃の職場体験の時に、当時、母が勤めていた養護学校に行って。

その時、「いろんな人がいるんだな」と温かい雰囲気――働いていた母や他のスタッフ、障害を持った方との関係に「いいな」とーーを感じた記憶は残っていました。

多分、心のどこかで――自分では引き出しは開けてないけど――介護や医療の仕事に興味があったんでしょうね。

車の整備の仕事をしている時に「ここのパーツを交換しませんか」といった営業もしていたので、次の転職先が営業だったんです。

その職場を転職することになって、営業職を探していた時に土屋の求人が出てきて――“介護”っていう言葉に惹かれて、「ちょっとやってみようかな」ぐらいの軽い気持ちで入社しました。

CHAPTER3

知らないところで自分の中に勝手に壁をつくっていたことをクライアントに教えられて

重度訪問介護のアテンダントからコーディネーター、カレッジに関わったのち、グループホームへ

―ホームケア土屋に入られて、重度訪問介護(重訪)の支援現場の最初の印象はいかがでしたか。

入社当時の印象としては「イメージと違うな」と――というのも、ただ素人目で“介護”ってだけ聞くと、“施設の中でおじいちゃんおばあちゃんのお世話をする人”をイメージしていたんです。

でも初めてが重訪だったこともあって、障害を持ってる方がひとり暮らしをされている姿を見て、「そういう世界があるんだな」「そういう方をサポートする介護の仕事もあるんだな」という驚きがあったと思います。

―最初の頃に出会ったクライアントさんとのやり取りで覚えてることはありますか。

すごく印象に残ってるのが、障害を持たれてる方がひとり暮らしをされていて、「すごいですね」ってそのクライアントに伝えたんですよね。

そしたら、そのクライアントは少し怪訝な表情をされて「全然すごくないんだよ」、と。

「むしろ、そうやって『すごい』って言われることが、ある意味、あなたの中で健常者と障害を持ってる方とを差別化してるよね」って、ドン!と言われたのが胸に刺さりました。

そのクライアントは「ただ障害を持ってるっていうだけで、なんでひとり暮らしをするのがすごいの?」って問いかけてくれたんです。

「あなたもひとり暮らしするよね」「私もそうなんだよ」――そんな感覚で生きていた方でした。

私の中では「差別とか絶対にあり得ない」「絶対にしちゃダメだ」って思ってたにも関わらず、知らないところで自分の中に勝手に壁をつくってたんだ、って気づいて――。

その方のことは未だに記憶に残ってますね。

―ホームケア土屋で支援現場にアテンダントとして関わられてからコーディネーターになり、今はグループホームの管理者として働かれています。その流れについて聞かせてください。

まず、ホームケアに入社して、現場に入りながら入社して半年後ぐらいに、「コーディネーターやってみませんか」って声をかけていただいて、「ぜひぜひ!やりますやります」って。

「やったことないことはもうやってみよう」って思っていて、好奇心は旺盛な方なんですよね。

2ヶ月ほどの研修を経て、コーディネーターの仕事を行なっていく中で、今度は福岡の薬院カレッジから「統合課程の講師が人が足りない」っていう話を聞きました。

当時の北九州のオフィスマネージャーの方が「ちょっとやってみらん?」って声をかけてくださったので、それも「やらせてください!」って。

コーディネーターをしながら、土屋ケアカレッジにも関わりながら、を1年ほどやっていました。

その頃、土屋が救済型M&Aでグループホームの事業を継承し、門司でグループホームが開設されるという情報を小耳に挟んだので、

「もしスタッフを探しているなら、行きたいです」と上長に伝えたんです。

もちろん、異動は上層部からの評価で決まることなので、必ずしもできるわけではなく、あまり期待はしてなかったんですけれども、

その後、「大庭さんでいきましょう」ということになり、今に至ります。

―短い期間の中で立場が変わったり、さまざまな仕事に関わられてきた中で、見える景色も変わってきたのでは、と思います。いかがですか?

土屋はスピード感が早いので、「自分が置いていかれてるんじゃないかな」と思いながら働いています。

ただ「やりたいって言ったのは自分だしな」って、最終的にそこにたどり着いてですね。

「まぁ、なんとかなるか」「死にゃあせんか」と。
なんとか追いつけていけてるのかな、というところですね。

CHAPTER4

僕が思うことを、他の人は思っていない時、言葉にして相手に伝えるにはどうしたらいいんだろう

自分にとってあたりまえのことは、言葉にしにくい

―グループホーム土屋北九州では、大庭さんは管理者として普段、どんなお仕事をされてるんですか。

いちばんはクライアントとのコミュニケーションですね。

パソコンで行なう管理業務も、大体はクライアントが生活されているリビングに出て、一緒に話しながらやってます。

もちろん人がいない時は現場に出て、お風呂や排泄のケアも行ないますし、アテンダントからの相談にものったりしています。

グループホーム土屋北九州は、2025年1月から新体制になり、土屋グループの一員となりました。

今、働いてらっしゃるアテンダントの方の中には、土屋が事業継承をする10年ほど前からグループホームで働かれてきた方たちが多数いらっしゃいます。

その中で、会社や事業ごとに方針があると思いますので、これまでのことややり方を大切にしながらも、土屋の理念に沿った方向へ、またより良い方向へ、少しずつシフトしていくこともあります。

とはいえ、突然、今まで10何年と続けてきたやり方を変えていく――となった時、あたりまえですが、アテンダントからの不満や反発も出てきます。

今、行なってる中でもその部分を理解してもらうことが大変だなという印象はありますね。

―大庭さんは土屋の理念をみなさんに伝えていく時、どんな伝え方をされているんですか。

これは未だに答えが見つかってなくて――座学で伝えたり、実際に自分でケアを行ないながら伝えてみたり、色々しています。

どの方法がみなさんに伝わったのか、未だに見つからず。

「難しいな」って感じるのが――最近やっと、自分自身で勝手にやっていた介護に対する考え方と、土屋の理念がすごく合ってるなって感じられているんですよね。

個人的には「それってあたりまえのことやろう」と思ってしまうところがある。

だからこそ、説明することが難しいんですよね。

「こういうふうに考えてあたりまえ」と僕が思うことを、他の方はそう思っていない。

“うまく言語化して伝えるにはどうしたらいいのか”っていうところで今、苦しんでます。

CHAPTER5

「どこにいてもこれだけは変わらない」と思えるのは、介護の技術よりもコミュニケーションそのもの

今、ホーム内で共有しているのは「さりげない支援」。クライアントが支援をされてる気持ちにならない環境を

人と関わる時にとにかく大切にしてること。
う――ーん。

あまり喧嘩が好きじゃないので、自分の意見を押し付けることはしないですね。

引くところは引くし、とにかく相手の話を聞くことはすごく大切にしてます。

自分自身もまだ20代で、人生の経験もまだまだ未熟。これから勉強していく身だと思っているし、自分が考えていることは正解じゃない、という意識もあるので。

もちろん、自分の意見は伝えることはしますが、押し付けない。

平和にまとまるように――振り返ってみると、無意識のうちにそんなスタンスで関わってるかもしれません。

―介護の仕事に就いてから、大庭さんの中で出会ったもの、自分の中で変わってきたところがあったら伺ってもいいですか。

いっぱいあるんですよね。
私が今まで関わってきたクライアントは100パーセント年上の方で、私よりも人生経験を積んでいて。

普通に話をする中で、「ものの見方って、想像していたよりもずっといろんな角度から見られるんだな」っていうことは感じてます。

ある物事につまずいた時、今までだったら3つか4つぐらいの角度からしか見られなかったのが、いろーんな角度から見られるようになる。

そうすると、今まで3つか4つぐらいからしか選べなかった選択肢が、7つ、8つぐらいに増える。

グループホームでの日々の関わりは人生の学びになってますし、人と出会っていく中で視野が広がった――ということが未だにありますね。

―お仕事や生活の中で、どんなところに喜びを感じていたり、やりがいを感じられているか、聞かせてください。

仕事の中では、やっぱり「ありがとう」って言われるのはすごく嬉しくて。

小さい頃から「誰かのために何かをする」っていうのが好きだったので、そこにはやりがいを感じますね。

あとは他の人と比べるのもなんですが――「あなたに来てもらった方がいい」「あなたやったら話しやすい」とかそういう言葉をもらえた時は――それが本音だろうと本音でなかろうと――「いやぁ、やっててよかったなぁ」と思いますね。

私生活だと、こどもたち、妻、それから家族ですね。

自分が稼いだお金で欲しいものを買ったり、好きなものを食べているのを見てると、「もっと仕事頑張らんとな」って。そういう原動力には繋がってるかなと思います。

―グループホームでの関わり、それからホームケアでの関わり、両方を経験される中で違いを感じたり、逆に共通点を見つけたりしたことはありますか?

グループホームとして今、目指してるのは、クライアントの方の自主性をこちらが引き出すことなんです。

今、ホーム内で共有しているのも「さりげない支援をしましょう」、と。

本当は私たちのいろんな技術で支援をしてるんだけど、クライアントは支援をされてる気持ちにならない――そんな支援環境を共有してます。

でも、ホームケアになると違いますよね。

さりげない支援というよりは、障害を持っているだけで、ある意味、「こっちが支援されてるんじゃないか」なんて感じることもありましたし(笑)。

当時は年齢も若かったので、人生相談にものっていただいて、「大庭、これから先、それじゃいかんぞ」なんてこともよく言われましたしね(笑)。

その中で、「どこにいても、これだけは変わらないな」って思うのは――「おむつ交換が上手だな」「こういうケアが上手だな」っていう介護の技術よりも何よりも、

いちばん大切なのはコミュニケーションなのかな、とは今、思ってます。

コミュニケーションを取っていく中で、「あなたの失敗なら許してあげるよ」っていうぐらいの関係性――結局、

失敗を許してもらえるっていうことは、今までのコミュニケーションの中で培ってきたものかなと思うので。

重訪でも、グループホームでも、そこは一緒かなって思いますね。

CHAPTER6

関わる人全員が本当に安心できる場所を

子育てでもグループホームでも心がけてるのは「自分で決めたらいいよ」っていう姿勢です

―ここまでお仕事のお話を色々伺ってきたので、逆に今度お休みの日にはなんかどんなふうにこう過ごされてるかとか、

休みの日は、とにかくこどもとふれあってます(笑)。

最近は「明日、パパ休み?」って聞いてくるので、嘘がつけずに「休みだよ」って言うと「じゃあ、一緒にゲームしよう」「一緒に◯◯に行こう」っていう話になるので、あちこち連れて行って。

趣味で言うと、車が好きなので、運転をしたり。

運転すると言っても、家族でドライブだったり、実はそんなに趣味っていうものがなくて、音楽を聞くことが好きなぐらいですかね。

―お子さんと過ごしていると、教えられることもいっぱいあると思います。日々の関わりの中で、お仕事とも重なる部分なんかもあるんじゃないか…なんて思ったんですが。いかがですか?

子育てをしてても仕事と被るなと思うのは――拘束しすぎると逆に反発するな、っていうことはすごく感じますね(笑)。

「あれダメ、これダメ」「こっちに行くな、あっちに行くな」ってすると、人間どうしても行きたくなってしまったり、やってしまいたくなるんですよね。

今、グループホームですごく感じるのが、ドアを施錠してると、外に出ていきたくなる方もいらっしゃいますし、あまり見守りをしすぎると、気持ちが落ち着かないクライアントもいます。

「そこに座っとって」と直接お伝えしているわけではないんですが、「あれせんで、これせんで」ってぎゅっと拘束みたいなことをしようとすると、それが裏目に出るなって感じてますね。

反対に、子育てでもグループホームでも心がけてるのは「自分で決めたらいいよ」っていう姿勢ですね。

「あんたの人生はあんたで決め」ってこどもにも言ってるんですが、「その代わり、自分で決めたっちゃけん、しゃあないやん」って。

子育てに関しても、自由に育っていってほしいし、グループホームに今入居してる方にも自由に生活してほしい。そこはすごく重なりますね。

―大庭さんにとって、「この人の存在があったから今の自分がいる」――そんな方との出会いはありますか。

人物としてはやっぱり妻ですかね。
正直なところ、妻は私と全然反対の性格なんです(笑)。

すごく芯が通っていて、自分で「これ」と決めたら絶対にするタイプ。

出会った頃の私にはそういうところが全くなくて、意見もコロコロ変わるし、優柔不断な私の姿を見てイライラしていたみたいです(笑)。

でも今は行動力の部分でも「する」って決めたらするようになりました。

それが仕事にもいい方向で影響はしてるかな。“人”に関しては、妻との出会いが大きなきっかけになってるかなと思います。

―これからについて伺えればと思います。「グループホームがこんなふうになっていったらいいな」、それから「ご自身がこんなふうに生きていけたらいいな」、そんな思いについて聞かせてください。

グループホームとしては今はその途中にいると思うんですが、クライアントももちろん、アテンダントも、クライアントのご家族も、「そこに関わる方全員が本当に安心できる場所」をつくりたくて、頑張って葛藤してます(笑)。

ちょっとずつ実践に移してるところでは、クライアントのご家族の方に、自由に面会に来ていただいているんです。

グループホームの中で突然、「こんにちは」ってクライアントのご家族の方から声をかけられて、「うわ、びっくりしたー!」なんてこともあるので、それがどんどんいい方向に行けばいいな、とは思ってますね。

あと、個人的なところで言えば――やっぱり「海外に行きたいな」っていうのは未だにあります。

結局、手付かずのパスポートが手元にあって。
もう5年経過してるんですよ(笑)。

―残り5年ですね(笑)。

土屋を辞める気は全くないんですが、パスポートを使って「ゆくゆくは海外で仕事をしてみたいな」って思ったり。

あとは10年後、20年後、もう少し男らしくなっていたいかな(笑)。

初めにいただいた質問集を見ていて思ったのが――やっぱり介護としても、もっともっと海外に進出していきたいなと思うんですよね。

今後はそういう分野にも携わっていきたいという思いもあります。

逆に介護事業が進んでる国の事業の仕組みを日本にも取りこんでいきたい、とも思います。

いちばん初めに重訪で関わったクライアントとも「日本での障害や介護に対する考え方をもっともっと変えていきたいよね」っていう話をよくしていました。

政治と関わっていかないと変えていくのは簡単なことではないとは思うんですが、社会を変えていくぐらいの仕事をする人に早くなりたいな、って思ってますね(笑)。

CHAPTER7

クライアントと直接関わって、直接その人のためになれて、直接『ありがとう』って言われて、直接的にやりがいを感じられること

誰しもひとりじゃ何もできないし、どこか知らないところで誰かの助けや支えがあって生きていられる

―大庭さんは介護の仕事を始めて3年ほどになります。なぜ介護の仕事を続けていると思いますか?

私は土屋に入社して3年ほどになるんですが、「介護の仕事って天職だな」って今、感じてるんですよね。

その理由としては小さい頃から誰かのためになることとか、誰かのために動いたりを率先してやってきて。

それが自分自身の喜びに繋がっていたので、ある意味、この仕事はその延長線上でもあるんです。

あとは、人と話すのが好きなこととか――。

なんですかね。
なんで介護を続けてるんだろうな……。

すごく楽しいお仕事だなとは思ってるんです。

結局、人間として生きてる中で、誰しも自分ひとりじゃ何もできないし、どこか知らないところで誰かの助けがあったり、誰かの支えがあって生きていられるな、ってふとした時に考えたりするので。

介護の仕事はその手応えを直接的に感じられるな、っていうことは思います。

たとえばビルをつくる建設業者の方たちのおかげでオフィスで仕事ができる人たちがいるとします。

でもそのありがたみを感じるのは「自分たちがこうして仕事ができるのは、実は裏でビルを設計して、建設してくれた方たちがいて……」っていう、間接的なところだと思うんです。

でも介護の仕事は――クライアントの方と直接自分が関わって、直接その人のためになれて、直接『ありがとう』ってことを言われて、直接的にやりがいを感じることができるのが個人的には介護職の魅力なのかなとは思いますね。

―介護や福祉の世界では“クライアントが、その人らしく過ごす”ということをずっと考えてきたと思います。一方で、働く側も自分らしくあるということも考えていけると、誰もが安心できる場になっていくのでは、と思います。

働く上でも、生きてく上でも、大庭さんにとっての“自分らしさ”みたいなもの。それから3年ほど働かれてきた中で感じる「こんなところが“土屋らしさ”だな」っていうところについて、今、思うところがあったら聞かせてください。

らしさ……。

仕事してる中で、クライアントに失礼な態度をたまに取っちゃうことがあるんですよね、私自身が。

失礼な態度が出てしまうっていうのは多分、クライアントと接するコミュニケーションの部分の“業務”をあまり“業務”として捉えてなくて――。

これはいい意味で捉えてもらいたいんですが。

ただ人と話すのが好きなので、友達と言ったら失礼かもしれないんですが、友達と話すような感覚で話して、時にはツッコんだり、ボケたりもします(笑)。

仕事だからといって必要以上に硬くならずにそこにいる、というか――。

たとえば、クライアントから何か言われても、「あ、ごめん、聞いてなかった」みたいなことも結構あるんですよ。

「ごめん、もう1回言って!」って(笑)。
そういうところを逆に受け取ってもらってることもあるように思います。

アテンダント側の“その人らしさ”を考えると、私の場合は結構、ぼーっとしてたり、マイペースだったり。

そういう“僕らしさ”がクライアントに伝わるからこそ、クライアントの“その人らしさ”を僕の前では出してくれる、っていうことはあると思います。

ただ、プロとして仕事をするべきなので、限度はもちろんあるんですが、それは今、考えてみて初めて気づけたことですね。

あと、“土屋らしさ”で言うと――これまた全然答えが見つからないんですけど、今日も通勤中に「“土屋らしさ”、“自分らしさ”、なんだろうな」って考えて車を運転してきました。

個人的には、「どこかで誰かが困っていたら、手を差しのべることはあたりまえ」と思ってるし、理念にもあるように、小さな声にもどんどん気づいていきたい。

たとえば、道端でものを落として探してる人がいたとして、周りの人は素通りしてて、その人は困ってるけど、

周りは気づかないわけじゃないのにそこになかなか手を差し伸べれてない状況があったとしたら、僕だったら積極的に手を差し伸べたい。

僕が思う“土屋らしさ”ってそういうところなんです。

……これって、答えになってますか(笑)?

 

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