―どんなところで生まれて、お育ちになったのかを教えてください。
生まれたところは沖縄の名護市です。
町から少し離れていて、5分10分ぐらいで町まで行けるようなところでした。
近くにお宮があって、その下に公民館があって。
5、6歳まで隣近所のこどもたちと幼児園で過ごしていましたね。
―親川さんはどんなお子さんでしたか。
自分では意外とおてんばな方だったのかな、と思ってます。
それと、いじっぱりというか、頑固なところがあって。
人の言うことを素直に聞けないタイプ(笑)。
それから、人がいなくなってもずっとひとりで何かをやり続けていたり。
―みんなで遊ぶこともあったけれど、ひとりで遊ぶことも。
ひとりで遊ぶことが多かったのかなぁ。
いつの間にか、まわりがいなくなってたこともよくありましたしね。
夢中になると時間を忘れる感じがあったので。
帰りが遅くなって、親からもよく怒られてました(笑)。
―その頃はどんな遊びをされてましたか。
家の前がね、サトウキビ畑だったんですよ。
サトウキビの枯れ葉で基地をつくったりして、そこに座ってぼーっと過ごすこともありましたね。
何かに興味があったわけではなくて、ただそこで過ごしてたことが多かったですね。
―その後、中学生や10代になってから夢中になってたものがあったら教えてください。
小学校2、3年生ぐらいからひとりで過ごすことが多くなって、中学くらいまでは大体ひとりで過ごしてましたね。
―その時はどんなことをして過ごされてたんでしょう。……読書とか?
私は本は嫌いで読書はしないんです(笑)。
ただ、漫画はよく読みましたね。
漫画を読んでストレス解消して。
コーラを飲んだり、あと天ぷら屋さんが近くにあったので天ぷらを食べたりね。
中学までは家も近かったので、終わりのホームルームの鐘が鳴ったら、すぐに教室を出て、鳴り終わる頃には家に着いていて。
学校の時間以外はほとんど部屋で過ごすような、引きこもりタイプでした(笑)。
―おひとりで過ごす時間が親川さんにとっては大事な時間だったんですね。
楽だったんですね、きっと。
「誰にも何も言われない」っていうのが。
小さい時から大人から責められてきたようなことがよくあったので。
その頃は人と接するのがあんまり好きじゃなかったんでしょうね。
―ご自身の性格で、今も変わらない部分ってありますか?
先ほども言ったけれど、頑固なところかな。
人の話を聞かなかったり、都合が悪いのは端折ったりしますしね(笑)。
今はなるべく、ちゃんと聞くようにはしてるんですけれど。
人と対話する時、1対1、2対1、3対1ぐらいまでだったら話がしやすいところがあって。
人数が多くなると自分の中でブロックがあるような感じがしますね。
―私自身も大人数が苦手なところがあります。でもそのことになかなか気づけなかったんです。親川さんがご自身のそういう特徴に気づいたのはいつ頃だったんですか。
自分は小学校の時から気づいてたけれど――なかなか気づけないですよね。
学校だと、「グループでこれをやりましょう」みたいなことってありますよね。
そうすると参加したくなくなる。
「参加したくない」というか、「そこにいたくない」みたいな感じがありました。
そのきっかけになったのは、誰かを差別するような発言を聞いていたことがあったんですよ。
「○○さんはこうだよね」「△△さんはこうだよね」っていう話を先生や親から聞いていたんです。
こどもの頃ってコミュニティーが小さいから、大人の話に出てきた人が、集団の中にかならずいますよね。
「こういう人がいて、こういう人がいて」――いろんな人の、その人についての話が自分の頭にずっと残ってしまって、その人との接し方がわからなくなる。
「○○さんはこんな人」ってある人からは言われてるけど……なんていうのかな、頭がこんがらがっちゃうんです。
私は理解の仕方がストレート型なので、人間関係が複雑化すると、なかなか難しいものがあって。
―うーん、なるほど。
今なら「ただ置いとけばいいこと」なんだけど、当時はその話を自分の中でずっと持ってしまっていたんですね。
今は「そういう人ね」っていうだけで置いておけるんだけど、その頃はできなかったのね。