介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

酒井いづみ

仙台 コーディネーター

言葉にできない小さな感情が、怒りや落胆の形になる前に

 《interview 2024.9.25》

ホームケア土屋仙台でコーディネーターを務める酒井いづみ(さかいいづみ)。
他業種から移り、介護の仕事を始めて4年「これまで、他者への配慮やコミュニケーション能力は皆無だった」と話す酒井は、介護という仕事を通して、彼女ならではの非言語のケアや関係性の築き方を日々、積みかさねていますクライアントの声に応えていくこと、ケアを続けていくこと、その中で発見した他者への想像力――。
クライアントとの出会いやコーディネーターという立場から、酒井の移り変わる風景を訪ねます。

CHAPTER1

子どもの頃

子どもの頃こそ、「こんな人になりたい」という夢がいっぱいあったような気がします

―小さい頃のお話から伺えたら、と思います。酒井さんはどんなところで生まれ育ったんでしょうか。

生まれ育ったのは青森の、田んぼが広がってる超田舎です。
遊ぶところもないので、小学校・中学校の頃は、家の近くの図書館でずっと遊んでましたね。

周りに遊ぶところがないので、同級生も、上や下の世代の人たちも大体、図書館に集まるんですよ。

でも図書館って言っても、展望台があったり、古めの展示の平屋があったり、小さな公園があったり――というところだったので、外でみんなで鬼ごっこしたり、図書館の中も含めてかくれんぼをしてましたね。

私が住んでいたところには、近くに電車の路線が走ってなかったんです。
バスしかなくて。

高校生になって、アルバイトをするようになってからは――八戸まで500円で行けるので、バスに乗って八戸まで行って、友達と映画館とかショッピングモールで遊ぶ、そんな感じでした。

―「こんな人になりたいな」「こういう仕事をしたいな」という夢はありましたか。

子どもの頃こそ、いっぱいあったような気がしますね。
親が看護師だったので、「看護師になりたいな」とか。あとは動物や犬が好きだったので、「トリマーになりたいな」とか。

そういう夢は割とあったかなと思います。
高校を卒業して、地元から仙台に出て来る時も、トリマーの学校に通うか就職するかで悩んでいたんです。

でも学校に行くとまたお金がかかるな、って思って。
親は「決めたならお金を出すよ」って言ってくれたんですが、「親に負担をかけるのも申し訳ないな」と思ったので就職しました。

―ご自分の性格で、「小さい頃からこうだったな」とか「今もここは変わらないな」という部分はありますか。

小さい時から今も変わらないのは、わがままなところですかね。
よくも悪くも。結構、その時の感情がすぐ顔に出ます。それだけは唯一変わらないかなぁ、と。

まわりからも「(感情が)顔に出てるよ」なんてよく言われるので。
そこは年齢を重ねていくうちに直さないといけないところではあるな、と思ってます。

でもやっぱり仲のいい人の前にいると、結構出ちゃいますね。

CHAPTER2

地元を出て、仙台へ

見飽きた顔と関係性の地元から、誰も知らない、みんなが「はじめまして」の場所へ

―「地元を出よう」と思ったのは、どんな思いからだったんでしょうか。

多分、“田舎育ちあるある”だと思うんですけど、「田舎が嫌だった」っていう、それだけですかね。でも、東京は遠すぎるし、実家にもなかなか帰れない。

「じゃあ、ちょうどいい位置にある仙台にしよう」って。仙台なら車でも行けるし、新幹線でも1時間半くらいで帰れる。

人も東京よりは多くない――と思って、仙台に決めました。

地元で就職したら、多分実家から出られないなと思っていたので、高校卒業と同時に「親元を離れて生活してみたいな」とは思っていたので、仙台でひとり暮らしをして。

「将来、こういうふうに生活していこう」みたいなイメージとかは全然なかったんですが、「なるようになるでしょう」みたいな感じで。

何にも考えないで仙台に来た感じです。

―実際に仙台で働き始めてどうでしたか?同時に親元も離れて、どんなことを思ったり。解放感みたいなものも感じられていたんでしょうか。

解放感はどうなんでしょうね。あんまり感じてなかったかもしれないですね。
逆に、突然ひとり暮らしを始めたので、最初はもう寂しくて寂しくて。

家事をしてくれる人がいないので、全部自分でやらなきゃいけないし、家に帰るとシーンとしてるので。本当に寂しくてしょうがなかったですね。

そこからですかね、親のありがたさというか。ひとり暮らしをして、初めて気づいた感じです。

―先ほど、「学校に行くか、就職するかで悩んでいた」とも仰っていました。

仙台に出て来て、学校は行かなくてよかったかな、と今は思ってますね。
高校生の時ですかね。「友達関係がめんどくさいなぁ」と思っていた時が正直、あったので。

仙台に来た理由というか、地元を離れたかったのはそれもあったんです。
ずっと同じなんです、田舎って。

小学校も中学校も高校もずっと同じメンバーで、ただただ学年が上がっていくだけなので、もう顔も見飽きてる。

「誰も知らないところに行きたいな」っていう思いもあったので。
そういう面では、仙台に来て楽でしたね。誰も知らないし、みんな「はじめまして」。

1から人間関係をつくっていくような感じだったので、うん、そこは楽でした。

CHAPTER3

働くということ

人と関わることへの正直さ。営業の辛さを感じながら

―お仕事はどんなことをされていたんですか。

仙台に来てから、私は携帯電話会社に勤めていたんです。

ショップには、いろんなお客さんが来てくれるので、話をするのは楽しかったんですが、それとは別に、商品や携帯プランの提案をこちらからしなきゃいけないんですよね。

それが月日が経つにつれてきつくなってきた――という部分がありました、私の中で。

それが辛かったので転職をしたんですが、土屋に来たのも「介護をしたい」っていう強い理由があったからではなくて。

高校卒業の時と同じように、転職アプリから色々と企業を見て、「営業はしたくないな」と思ったので、営業は省いて。

私でもできそうな仕事を選んで片っ端から面接していった――という感じではあるんです。
最初、私は土屋を高齢者介護の会社だと思っていたんです。

面接の時に初めて、「障害を持っている方の介護をする仕事だよ」と言われて、動揺はしなかったんですが「せっかく自分が選んだ職だし、とりあえずやってみようかな」って、本当に軽い気持ちで始めました。

―携帯電話ショップで酒井さんが感じた辛さというのは、実際にはどんなところだったんでしょうか。“人とのやり取り”とか、“仕事の仕方”とか、“忙しさ“とか色々あると思うんですが――。

人とのやり取りがいちばんかもしれないですね。
携帯電話ショップに来店するお客さんって、携帯料金の見直しに来る人が多いんです。

「今の料金よりももっと安くしたい」という希望を持ってるお客さんに対して、「新しいこの商品はどうですか」とショップ側からおすすめをすること自体が、私の中では「無理があるな」と思ったんです。

もちろん、お客さん全員が全員、無理なわけではないんですよ。
ちゃんと話を聞いてくれて、なおかつ、その人の生活歴とマッチすれば

――例えばアニメのアプリがあったとして、アニメを元々たくさん見る人であれば――「その商品いいね」って契約してくれることもあるんです。

でも大体は違うんですよね。
お店側に「来た人全員に、他のプランや商品を提案する」という方針があったので、商品には全く興味がなくて、

ただ安いプランに変更したいお客さんにも、プランの料金が上がるような商品をおすすめしなくちゃいけなかった。

それが私の中では辛くてしょうがなかったんです。

―そうだったんですね。

スタッフがお客さんの対応をしてる場面を、上司が見てるんですよ。
なので必ず、お客さんにおすすめをしなきゃいけない。

でも、「やっぱりこの提案には無理があるよな」っていう思いが自分の中にあると、どうしてもこちら側が構えてしまうというか――。

「このお客さんにはどんなふうに伝えようかな」から始まって、ちょっと間があって、「ちなみに、なんですけど……」みたいな会話から始まるんです。

結構、間があいて、自分が構えてしまうほど、だんだん辛さが大きくなっていって、声のトーンも下がってきて。

そういうところから、上司ともあまりコミュニケーションを取らなくなりました。
ひとつ、辛さがあるだけで、他の仕事や周りのスタッフとのやり取りにも影響してくるというか――。

退職する最後の方は、ほとんどお店のスタッフとコミュニケーションを取っていなかったな、と思います。

どこかで、「自分から取りたくない」という思いがあったのかもしれません。

CHAPTER4

介護の仕事を通して知った、他者への配慮

より丁寧に、クライアントの体に、クライアントの持ちものにふれること

―その後、土屋に入社されますが、酒井さんの中では介護の仕事は馴染みがあったんですか?

「介護をやってみたい」という思いは特になかったんですが、でも「親がいれば、誰でも通る道だよな」って思ったんですよね。

生きていれば絶対、親の介護が必要になってくる時がある――とは思っていたので、「だったら何も知らずに介護するよりは、知った上で親を介護できたらいいな」と思って、

早いうちから、「じゃあ、介護の仕事をしておこうかな」という思いはあったんです。

―最初は、高齢者介護の仕事かと思っていたとも仰っていましたね。実際に重度訪問介護の現場に入ってみた時、どんな風な思いを抱きましたか。

そうですね。介護の仕事をやらないと見つけられないような部分――たとえば、自分の家に知り合い以外の他人が入ってくる状況って滅多にないじゃないですか。

ヘルパーという立場になって、滅多にないであろう状況に、他人として自分が踏み込んでいくというか――その中で、あたりまえではあるんですが、

改めて相手への配慮の大切さに気づかされたということはありますね。
今まで私は、そういう配慮が皆無な人間だったので。

それまでは、友達の家に行っても――そこまで大雑把ではないですが――「靴はある程度、揃えてさえおけばいいや」なんて思っていたり、

廊下もドカドカ歩いたり、他の部屋も覗いたり、なんて性格だったとは思うんです。

でもこの仕事を始めて、靴は揃えるだけじゃなくて、砂や泥が靴の裏についていたら、できるだけ玄関の前で払ったり、あとは廊下もなるべく静かに歩いたり、

扉もなるべく静かに閉めたり――そういう他者としての、アテンダントとしての配慮。

「介護をうまく続けていくための配慮というものがある」ということに土屋に入って気づかされたな、と思いますね。

この仕事をしていなかったら、こういう配慮の部分に気づけなかっただろうな、とは思います。

―確かに、配慮はとても大事ですね。特に重度訪問介護では、一対一の関わり、クライアントのご自宅に伺うという面でも、

より密に、より幅をもったコミュニケーションを求められる場面も多いのでは、と思います。酒井さんは、実際に現場ではどういったコミュニケーションをされているんでしょうか。

結構――私はいわゆる“コミュニケーション能力”は皆無なんですよね。
よくクライアントでも、すごくお話が好きな人とか、冗談を言うのが好きな人、突っ込まれたい人もいらっしゃるんですよ。

でも、私はツッコミができないんですよね。
会話の中でクライアントから冗談を言われても、「へぇ、そうなんですか」で終わっちゃうタイプなので。

「だったら、コミュニケーションの部分よりも、配慮の部分を、行為としてできるようにしよう」っていうのは、私の中では思っていることです。

だからこそ、人よりも丁寧にクライアントの体に触れたり、物品を扱ったりするようにはしてるんですが――。

先天的ではなく、途中から障害を持った人には几帳面な方が多いように思います。

でも、なるべくどんな人にも受け入れてもらえるように、些細なことでも、報告はその度、クライアントに伝えるようにはしてますね。

横になっているクライアントはベッド上のところしか見えないので、隣の部屋の状況とか、ものがどこにあって、今、何が落ちて――そういうことはわからない。

だから、ちょっとでも物音がしたら、「すみません、今、ベッドに当たっちゃいました」とか、「鉛筆落としちゃいました」とか。

普段はそこまでしなくてもいい報告も、私はその度に報告するようにはしてますね。

CHAPTER5

言葉でのやり取りがしにくいからこそ、ケアという行為で表せるように

ネガティブな感情が生まれやすい土壌がある。だからこそ、私たちは“普段通り“でいること。そして、想像すること。

―仕事や生活の中での価値観について聞かせていただけたらなと思います。人と関わる上で、もしくはケアをする上で、「ここを大事にしている」という点を聞かせてください。

体の抱え方ですね。介護する上ではあたり前ではあるんですが、慣れてくるとどうしても上から“持って”しまう人もいるので、片手しか空いてなかったとしても、なるべく下から抱えるようにしてます。

あとは、抱えた時になるべく指や手先の圧力をかけないように抱えることが、気を付けてるポイントかもしれないですね。

―それは、抱え方がちょっと違うだけで、クライアントの方が痛がったり、不快になったり――っていうところを見てこられたんでしょうか。

そうですね。私が関わるクライアントの方はA L S疾患をお持ちの方も多いので、発声が難しくすぐに言葉にして伝えられないからこそ、深く考えてしまう。

その深く考えた先にネガティブな感情が生まれてしまうことも多いように思います。

非言語でのケアややり取りは、“抱える”とか、“触れる”という行為そのものがコミュニケーションになるので、たとえばアテンダントが何も考えずにクライアントの体を上から抱えた――という時に、

「この人、今、上から抱えてきて、手先の圧力もいつもより強かった。なにか、イライラしてるのかな」なんてクライアントさんが思ってしまうこともあると思うんです。

「もしかして、自分がアテンダントに対して必要以上の要望や訴えをしちゃったかな」とか――。

ヘルパー側が何の気なしに行なった行為で、突然、クライアントとのやり取りが減ってしまったり、「最近コミュニケーションが少なくなったな」と思ったら、NGが出てしまったり――。

私たちがするケアのちょっとしたところでも、クライアントさんからすると、深く考えてしまうきっかけになったりすることもある。

なので、なるべく「いつもと変わらないよ」「何も思ってないよ」というアテンダント側の状態を、

ケアで表現できるように――言葉でのやり取りがしづらいからこそ、ケアという行為で表せるようにはしてますね。

―酒井さんが関わられているクライアントは、ALS等、声でのコミュニケーションがしづらい方が多いんですか?

そうですね。ALS疾患をお持ちの方が多いですかね。
コミュニケーション方法は色々ありますけれど、どれも時間もエネルギーもかかってしまうものなので、

クライアントさんとしては、「あんまりPCで文字を打ちたくない」、かと言って、文字盤のやり取りも「ケアが一旦、止まってしまうからやりたくない」と仰る方もいらっしゃいます。

思いを伝えるのに時間がかかることに、後ろめたさを感じているクライアントの方も中にはいらっしゃると思うので――。

なるべく後ろめたさを感じさせないようなケアを心がけてます。

―介護の仕事を続けていく中で、酒井さんが出会ったものや、「自分自身が変わったな」というところがあったら聞かせてください。

変わったことは――他人のことを考えるようになったことがいちばん大きいかなと思います。今まではそんなに私も深く考えてはいなかったんです。

でも、さっきの話と繋がりますが、この仕事に就いてからは、クライアントの方がなるべく深く考えすぎてしまわないように、

スタッフ側はなるべく普段通りでいるように、と思いつつ、顔色や部屋の状況をよく観察して、違いにすぐ気づけるようにしてます。

あとは――クライアントの方がマイナスな訴えをされてきた時は、「その背景に何があるのか」をできる限り、読み取りたいなって思うようにはしてますね。

自分のプライベートでも、そういうことがちゃんと活かされてるな、とは思います。
ちょっと下品ですが、たとえば、車を運転していて「後ろの車、車間距離が近いな」と感じる時は、

「後ろの人、もしかしたら、うんこが漏れそうなのかもしれない。だからこんな車間距離が近いんだ」なんて思うようにしてます。

だから、なるべく自分自身は平常心を保って、後ろの人には刺激を与えないように――。

急がなくちゃいけないその人の背景を想像するようにして、もしよけられるなら、早いうちに違う車線によけたり――そういうふうにはしてますね。

CHAPTER6

心の壁がちょっと空いた――そういう時がいちばん嬉しいかもしれない

「日頃、表情の厳しいクライアントがニコッて笑われた時は、びっくりしちゃいました」

―仕事の中で、酒井さんが喜びを感じるのは、どんな時ですか?

やっぱり「ありがとう」って言われた時は、結構、心にくるというか――。

あと、普段全然笑わないクライアントのご自宅に訪問して「こんにちは、よろしくお願いします」って挨拶した時に、ちょっとニコッてしてくれると心にきますね。

でも、なんか私、そういう人に対して免疫がなくて――普段笑わない人が挨拶した時に笑ったりすると、逆に「今日はちょっと体調不良なのかな」って疑ってしまうことが優先になってしまうというか。

普段、表情の険しいクライアントの方がいらっしゃるんですが、その方がある日、挨拶した時にニコッて笑われた時があって、私、びっくりしちゃって。

すぐに奥様を呼んで、「笑ってらっしゃるんですが、体調不良なんですかね?」なんて、慌てちゃった時がありました。

でも、そういう時が「嬉しいな」って思う瞬間ですかね。
私自身は免疫はないんですが、心の壁がちょっと空いた――そういう時がいちばん嬉しいかもしれないです。

―今はクライアントの方の笑顔にも少し慣れましたか?

その方は笑う時が結構まちまちというか、1回笑ってくれたから、また笑ってくれるわけでもなくて――。

その後、また険しい表情に戻られることもあって。
まだ慣れてはいないですね。

自分の中では、「いい加減、免疫をつけよう」とは思ってるんですが、やっぱり突然笑われることがあると、「体調不良かな」と思って体温を測ったり、血圧を測ったり、そういう行為が先に来ちゃいますね。

ちょっとまだ慣れないです。

ー逆に「こういうところで困ってるな」「考えちゃうな」っていうところがあったら聞かせていただいてもいいですか。

ケアのところでは全く悩んではないんですが、やっぱりコーディネーターとしてシフトをつくっていく中で、売り上げの話が出てくるんですが、それは今年に入ってからよく悩んでることだな、とは思います。

シフトをつくっていると、「今月はシフトがパツパツに詰まってるな」とか、「来月はちょっと余裕があるな」っていうのがわかるんです。

でも、パツパツな時でさえも、変わらず売上のことは考えなくてはいけないので、コーディネーターとして「スタッフをもうちょっと休ませてあげたい」という思いと、

売り上げも上げていかなきゃいけないという思いのはざまで、すごく葛藤してますね。最近は。

―コーディネーターという立場は、酒井さんはご自身で「なりたい」と思ってなられたんですか?

もう2年ほど経つんですが、最初は「なりたい」という思いでなりました。
というのも、管理者がよく変わっていた時期があって、なかなか業務がスムーズにいかない時があったんですよね。

その時に「じゃあ、私がコーディネーターになります」なんて成り行きで発言してしまった故にコーディネーターになってしまった――っていう感じですかね。

CHAPTER7

今は、新しいものというより、「今を生きていきたい」。

今がどうなるかわからないから、今を生きていきたい

―そしたら――そうですね。お休みの日はどんなふうに過ごされてるのかを聞かせてください。

もう休日は寝てるか、どこかに出かけるか、釣りに行くか。
そんな感じなんですが、私、暇な時間が好きで。ゴロゴロしながら「ひま〜」っていうのが好きで。

実家に帰った時も、特に何の予定も入れないで、ただただ家でゴロゴロして、特に見たくもないテレビをつけて、「ひま〜」って言ってるんですが、その時間がめちゃくちゃ好きですね。

なので、なるべく暇な時間をつくれるようにしているのと、釣りに行く時には、緑を見るのが好きです。

夏になると、木の葉っぱの色がめちゃくちゃ綺麗なんですよね。

山の緑を遠目で眺めながら、釣り糸を垂らして、その時もぼーっとしながら、ただただ待つ――そういうことをしてますね、休日は。

―釣りは海に行かれるんですか。それとも川に?

どっちもですね。海に行ったり、川――というか、ダムとか野池に行ったりしてますね。

―釣りはもう長くされているんですか?

釣りは、最初はただただ連れて行かれていただけなんですが、「連れていかれるくらいだったら自分でやるよ」ということで、竿を買って自分でもやり始めたんです。

バスが釣れたら絶好調なんですが、なかなか釣れるものでもないので、大半は釣り糸をたらして、ぼーっとして過ごしてます。

―これからのところも少し伺えればなと思います。コーディネーターとしてやってみたいことや、酒井さんの中で「こんなふうに生きていけたらいいな」というものがあったら教えてください。

コーディネーターとしてやっていきたいことというのは特にないですが――。
新しくやってみたいこともそんなになくて。

今は、新しいものというよりは、「今を生きていきたい」っていう思いはありますね。
今がどうなるかわからないので。

やっていきたいこと、これからのことはあんまり考えてなかったですね。

―一緒に働かれている、ホームケアの土屋仙台のスタッフはどんな方達ですか?

仙台のスタッフは、みなさん協力的な人が多くてありがたいです。

協力をお願いすると、早めに「オッケーです」とか「了解しました」っていう返信と共に仕事をしてくれるんですが、

でもだからこそ、「休ませてあげられる時は休ませてあげたい」っていう思いが私にはあります。

「オッケーです」っていう返事をもらっても、実際に直接会って話してみると、「断りづらい」なんて意見もあったりするので。

そういう意見を聞くと、こちらからお願いしづらいところはあるんですが、でも仕事だし、穴を開けることもできないし、

結局はお願いするしかないんですが――オッケーをもらって仕事をしていただくけど、お願いしなくていい時はなるべくお願いはしたくない、という思いがあります。

―直接会う機会や、一緒に現場行かれる機会はあるんでしょうか。

私自身も現場に入ってるので、実際に現場に駆けつけたり、スタッフと会う機会はあんまりないんです。

そんな中でも「物品がほしいです」等の声があった時は直接届けるようにして、そこでなるべく話すようにはしてますね。

―介護の仕事を続けて4年になります。酒井さんは、なぜ介護の仕事を続けていると思われますか?

やっぱりそのうち必ず役に立つ時が来るからだと思いますね。
「辞めようかな」と思ったことも何回もあります。

でも辞めたら履歴書を送ったり、面接したり、という行為をまた1からやることに面倒くささを感じているーー正直なところ、そういう自分もいるんです。

でもそれよりも、後々、自分の人生には、介護をしなくちゃいけない時が必ず来ると思ってるので。

その時に備えて続けてるのかなって思いますね。

 


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