介護事業部

土屋ケアカレッジ

佐藤望

東北 運営マネージャー

お金と時間をかけた「介護の勉強」を、「現場では活かせない知識」で終わらせないために。

 《interview 2024.12.10》

土屋ケアカレッジ東北エリアで運営マネージャーを務める佐藤望(さとうのぞみ)。
10代の頃に経験した“異文化との出会い”はその後の彼女にとって、大きな分岐点になったと言います。
その後、“軽い気持ち”から出会った介護の仕事。そこで感じた楽しさを紐解いていった時ーークライアント、家族、関わるすべての人ひとりひとりの中にある“異文化”と佐藤は出会ったのかもしれません。
アテンダントとして高齢者や障害者と関わり、今はケアカレッジで介護現場を陰ながら支える佐藤の日々を追いかけます。

CHAPTER1

異文化にふれた経験が私の大きな分岐点になった

本や教科書で知るだけでなく、実際にその場所に立って、その場所の空気を吸って

―小さい頃、どんなお子さんだったんでしょうか。

そうですね。
もともと私は、先天性股関節脱臼という股関節が脱臼した状態で生まれてきたので、あんまり外で遊ぶのが得意ではなかったんですよね。

なのでどちらかというと、おままごとなどをして遊んでいたな、と思います。
小さい時の記憶なので、あまり覚えてはないんですが。

―病院で過ごされることも多かったんですか?

そうですね。月に何回か病院に通院をしてました。

それもあって、自分よりも年の離れた方――おじいちゃん、おばあちゃんが身近に多くて、よく待合室で声をかけてもらったことを覚えてます。

でも当時の子どもの自分から見た“おじいちゃん”“おばあちゃん”なのでーー今思うと失礼ですよね。きっと、“おじさん”“おばさん”ぐらいの年齢の方だったと思います(笑)。

―ご自分の性格で、今も変わらないところってどんなところでしょう。

そうですね、基本的に大雑把っていうところですかね。

おもちゃを出したら出しっぱなしとかーーそういうところは子どもの頃からそんなに変わってないですね。

今も私の机の上は悲惨なことになっていて……誰にもお見せできません(笑)。

―(笑)。当時はどんな遊びをされていましたか?

ちっちゃい頃に住んでいた家の真向かいに、お子さんのいないご夫婦がいらっしゃって、

血の繋がりも全くないんですが(笑)、「おじちゃん、おばちゃん」って呼んで、すごく可愛がってもらっていました。

私も大好きで、しょっちゅう遊びに行ってましたね。
“お絵描きボード”ってーー磁石で描いて、スライドすると消えてしまうおもちゃがあったの覚えてます?

―はい、ありましたね。

あのボードにひらがなを書いて、1文字書くごとに、「おじちゃん、おばちゃん、見て!書けた!」「ついに書けたよ、“な”が!」って。

そんなことを延々とやっている、ちょっとおバカな子でした(笑)。

―10代〜中高生の頃に熱中してたもの、活動していたことがあったら聞かせてください。

中学校になった時に英語という新しい科目に出会ったんです。
でも最初はとにかく英語が苦手で。

英語だけテストの点数が取れなくて、悔しくて英語を一生懸命勉強するようになりました。

それから、叔母がニュージーランドで日本語講師をしていたので割と海外と距離が近かったんですね。

それもあって10代の頃は、英語や海外のことに強い興味を持って過ごしていました。

―実際に海外にも行かれたんですか?

はい、オーストラリアに。中学校2年生の時ですね。全然英語も喋れなくて、ほぼジェスチャーで乗り越えました(笑)。

でもその時の経験が私の大きな分岐点になったなと思います。

ホームステイをして「海外、素晴らしい!」って。

―どんなところですか?

そうですね、どんなところと言われると難しいんですが……やっぱり文化の違いでしょうか。

はじめての海外だったので、飛行機に乗ることすら新鮮で、入国審査や北半球と南半球の違い、そういうすべてに「うわー、すごい!」って(笑)。

それから、オーストラリアで出会った人たちがみんな、本当に親切だったんですよね。

一生懸命、わたしの日本語を理解しようとしてくれたし、日本に英和辞典ってありますよね。

そのオーストラリア版の日本語辞典を見せてもらった時に、「日本って外国から見るとこんな書かれ方をするんだ」なんて思ったり。

文化の違いにいちばん驚いたんだと思います。

「世界って日本だけじゃないんだな」――って。

―あぁ、そうですよね。頭では知っていたあたりまえのことを実際に“体験”されたんですね。

そうなんですよ。
あたりまえなんですが、実際にその場所に立って、その場所の空気を吸ってーー。

たとえば、ホームステイをした家のいとこが友達とシェアハウスで暮らしていたんです。

当時の日本では、シェアハウスっていう生活の仕方はまだまだ少なかったので、「海外ってすごい!本当にドラマで見るのと同じようなことしてるんだ!」って。

そういう異文化との出会いがとにかく楽しかったですね。

CHAPTER2

はじめての“デイサービス“

いろんなことがリセットされたそのあとに知った“デイサービスの仕事の楽しさ”

そこから「海外に行きたいな」という思いはずっとあったんですが、まずはちゃんと地に足をつけて生きていこう、と思って。

学校を出てからはーーそれまで私は実家を出たことがなかったのでーーいきなり“東京にひとり暮らし”だと、あまりに先行きが不安だったので、

衣食住がしっかり保障されてるリゾートバイトをまずはやってみようかな、と日本各地をあちこち、リゾートバイトで行かせていただきました。

―その後、介護の仕事に就かれたとお聞きしてます。リゾートバイトからはどんな流れがあったんですか?

リゾートバイトから帰ってきてから、1回“ゼロ”になったんですよね。リセットされたというかーー「どうしたらいいんだろう、この先」って。

やりたい事があったのですが、様々な事情でそれが叶わなくなってしまって。
目標がなくなってしまい、どうしていいのか分からなくなってしまいました。

そんなときにふと、病院で仲良くしてくれていた年の離れたお友達を思い出し、介護の道にすすんでみるものいいかも知れないと思い、デイサービスで働き始めました。

―働いてみていかがでしたか?

すごく楽しかったんですよ、デイサービスのお仕事がーー。
最初の半年ぐらいは「大変だな」って思うことも多々あったんですが、慣れたら思いのほか楽しかったんです。

当時、私が介護業界に入ってきた頃は、まだYouTubeも発達してなかったですし、

ホームヘルパー2級(現在でいう「介護職員初任者研修」)の時代なのでーーちょっとネガティブな言い方になっちゃうんですがーー人によって介助の仕方が全然違っていたんですよね。

ある先輩に教わった通りにすると、別の先輩から「なんでそんなやり方してるの」なんて怒られる(笑)。

入社して半年ぐらいは「いつ辞めようかな。でも自分で決めたんだから、せめて1年は続けよう」なんて悪戦苦闘の毎日でした。

―「この仕事、楽しいな」と思うようになったのは、どんなところからだったんですか?

利用者さんたちとのおしゃべりだったり、レクリエーションだったり、送迎の時のご家族とのお話だったり、お孫さんとの交流だったり――

仕事は大変だけど、そういう癒しのような時間もあって。

―やり取りの中で今も心に残ってることってありますか?

いっぱいありますね。
そうだなぁ……ずっと自分の誕生日を言い続けてる認知症のおばあちゃんがいらっしゃいましたね。

でも不穏になると、すごく怖い顔になっちゃうんです(笑)。

『みかんの花咲く丘』っていう歌、ご存知ですか?

―「みかんの花が 咲いている〜♪」っていう歌ですね。

そうですそうです。
その歌を歌うと、不穏だったおばあちゃんの表情が和らいで。

私は最初、その歌を知らなかったんですが、頑張って覚えてーー『みかんの花咲く丘』をデイサービス中、どこにいても一緒に歌うっていう(笑)。

トイレ介助中にも、歌い続けるので、「えっ、今ですか?!」なんて言いながらやっていました。

その後、デイサービスには4年ほど勤めていたんですが、独学の介護をしていたので腰を壊してしまいましてーー退職をして、コールセンターの仕事をしました。

CHAPTER3

ふたたび、介護の仕事へ

腰さえなんとかなったら、「介護の仕事にはいつか戻りたいな」とは思ってはいたんです

―2020年に土屋の前会社に入社されます。再び介護の仕事に就かれたきっかけはどんなところにあったんですか?

前職がコールセンターで、管理といった立ち位置でお仕事させていただいていました。
そこはオフィスに常に50人ぐらいの人が常にいる職場だったんですよね。

それだけでも気を使いますし、新人スタッフの研修も担当してたんですがーー教えても教えても、みんなすぐ辞めてしまうんですよ。

とにかくクレームの対応も多い特殊な仕事ですし、実際に研修を受けてコールデビューをした後にメンタルを崩して辞めてしまう方が多くて。

いろんな人の背中を見送りすぎて虚しさというかーーこの時ばかりは、「みんなのメンタルケアは私がするけど、私のメンタルケアは誰がしてくれるんだろう」って思っちゃいましたね。

すごく理不尽な状況でしたね、今思えば……。

―そうですよね。ものすごく感情と神経を使うお仕事だと思います。

そんなことがあって、正直なところ、大勢の人と仕事をすることに疲れてしまったところがありました。

その時に土屋の前会社の重度訪問介護(重訪)の求人に“1対1の介護”、“見守りが主体”という文言を見つけて。

もともと夜型の人間だったので「夜勤なら逆に都合がいいな」ぐらいの気持ちで、そんなに深く考えずに応募しました。

もともと介護の仕事は辞めたくて辞めたわけではなかったんですよね。
「いつか戻りたいな」とは思ってはいたのでーー。

「腰さえなんとかなれば、できそうかな」って。

―重訪の仕事はどうでしたか?

デイサービスとはだいぶ違っていたので、正直、最初はびっくりしました。

当時、面接をしてくれたのが五十嵐さん(五十嵐憲幸/いがらしのりゆき;取締役 兼 土屋ケアカレッジカンパニー代表)だったんですが、

「重訪の仕事はギャップが激しくて、辞めていく人が多い仕事でもあるんだけど、どうですか?」って面接の時に言われてはいましたね。

でも「まぁ、なんとかなるだろう」って。結局、成長してないんですよ、私(笑)。

―いえいえ、その行動力の方が大事です(笑)。

以前に勤めていたデイサービスは、どちらかというと予防の人が多くて、要介護1、2、重くても3ぐらいのご自身で体を動かせる方々が多かったんですね。

でも、重訪の現場で最初に出会ったクライアントが進行性核上性麻痺をお持ちの方だったんです。

意識がないのが常態で、人工呼吸器をつけてらっしゃる方だったのでーー最初は「どんなふうに意思の疎通をしたらいいんだろう」という困惑から始まった、というのが正直なところです。

CHAPTER4

介護の仕事を続けていく中で見えてきたもの

クライアントを中心に、ご家族やその周りにいる人たちの、もう少し広い意味での“サポート”ができたらいいな

―その後、ホームケア土屋でコーディネーターや管理者を務められています。立ち位置が変わっていく中で、重訪という仕事に対する思いはどんなふうに変わっていきましたか?

現場に入って、クライアントと直接関わる時間を重ねていく中で、ご家族ともいろいろなやり取りをさせていただくようになりました。

そういう中で私はどちらかというと、「ご家族のサポートに関われたらいいな」と思うようになったんですね。

我々が夜間入ることによって、「夜間、気にせずに眠れるようになった」「今日の当番は佐藤さんなのね。だったら安心だわ」なんて言ってくださるご家族の方もいらしてーー

もちろんそのサポートの中心にいらっしゃるのはクライアントご本人なんですが、その周りのご家族を含めたもう少し大きな視野でのサポート、

重訪という制度を使ったもう少し広い意味での環境面でのサポートができたらいいな、と感じるようになっていったんです。

―そういった流れの中で、ホームケアから土屋ケアカレッジ(カレッジ)に移られたんですか?

いえ、カレッジに移ったのは、本当に偶然が重なってーー。
管理者になる時に、ちょっと体調を崩してしまいまして。

「働いているみんなに迷惑をかけるぐらいだったら、いない方がいいのかな」って退職を考えていた時期があったんです。

そんな時に、当時、ホームケア土屋 東北オフィスマネージャーだった白鳥さん

(白鳥美香子/しらとりみかこ;株式会社土屋 CSR推進室執務担当他 土屋ケアサービスカンパニー 土屋ケアサービス室長)さんから声をかけていただいて、「じゃあ、カレッジに来ない?」って。

あの時、白鳥さんから声をかけられていなかったら、今、この場にいないと思います。

本当に辞めようと思って、退職願を持って白鳥さんに会いに行ったら「カレッジっていう道もあるんだよ」って仰ってくださったんです。

ホームケアで働いていた当時は、私がコーディネーターで白鳥さんが上長という関係性も既にありましたし、「白鳥さんと一緒だったらいいかな」と思えて、

踏みとどまったところもあってー―本当に、白鳥さんには感謝感謝です。

―今まで、東北の方に何人かお話を伺っているんですが、いろんなところで白鳥さんの名前をお聞きしますね。そういう時に実際に踏みとどまれるかどうかーーそれってやっぱり「人」なのかなと思います。

そうですね。白鳥さんは“東北のお母さん”なんですよ。

CHAPTER5

土屋ケアカレッジで働いて

カレッジで習ったことを現場でちゃんと活かせるようにーー“現場の生きた知識”を伝えること

―佐藤さんは今、カレッジではどんなお仕事をされているんですか?

東北エリアの運営マネージャーをさせていただいています。

東北エリアの教室運営ということで、講師のシフト調整や受講生とのやりとり、各都道府県の行政機関とのやりとりをメインにやっております。

―カレッジに移られていかがですか。

最初にも言いましたが、私はもともと大雑把な人間で(笑)ーー

それでも、カレッジに来たことでコンプライアンスを守ることの重要性を身に沁みて実感してます。

コンプライアンスを重視した上で、安全、安定した運営を日々努力しているところです。

―カレッジは、受講生の方を介護現場に「いってらっしゃい!」と送り出す仕事なのかな、と思います。どんな方たちがいらして、佐藤さんはどんな思いを抱いてお仕事をされているんでしょうか。

そうですね、カレッジの受講生の方は本当に年齢層が幅広いんです。
10代の生徒さんもいれば、最高齢は70代なんですよ。

なので、受講生の方全員にもはや尊敬の念というかーー。

「頑張ってください」という思いと「今、“人手不足で大変”と言われてる介護業界に、ちょっとでも興味を持って受講しに来てくれてありがとう」という気持ちが強いです。

カレッジで初任者研修を受けて、介護職に就職をされてから「実務者研修を取りに、また来ました!」って言いに来てくれる受講生さんも最近多くてですね。

「初任者研修で教わった○○の部分が、現場で役立ってます」「あの時、佐藤さんや講師の先生が仰ってた介護する時のマインドが、実際に現場に出てみてやっとわかるようになりました」、

そんな言葉をいただけるとやっててよかったなって思います。
本当に受講生のみなさんを尊敬してます。

―お仕事の中では、どんなことを大切にして人と関わられていますか?

そうですね。

介護だけではなく、一般社会でも大事なことだと思うんですが、とにかくコミュニケーションを大切にするっていうのがいちばんかな、と思います。

これはホームケア時代からずっと大事にしていたことではあるんですが、まずは講師の先生の話をよく聞くようにしてますし、

あとは私が受講生の方と直接関わる機会よりは、講師の先生と直接関わる機会の方が圧倒的に多いので、そこで出てきた講師の先生からの話を大切にするようにしてますね。

カレッジでは講師の先生たちに同じマインドを持って登壇をしていただきたいなと思っているので、意思や方向性の統一をしているんです。

そこにはもちろん講義手順やシラバスを守るといった当たり前のことも含まれるんですがーー。

そうやって関わっていく中で、受講生の方とお話してみたら「じゃあ、土屋で働いてみようかな」って言ってきてくださる方もいらっしゃるんですよ。

― “先生たちに同じマインドを持って”というお話がありましたが、実際には講師やスタッフみなさんでどんな方向を向いて、授業を進められているんですか?

まずは受講生ひとりひとりをしっかり、ちゃんと見ること。

みなさん、お金と時間を使って土屋ケアカレッジに授業を受けに来てくれているので、「あぁ、難しかった」だけで終わらないように。

座学に難しさを感じた方、実技でつまづいていた人への適切なフォロー、そういった対応をすることで、受講生の方が現場に行った時にカレッジで習ったことがちゃんと活かせるような内容をお伝えしてます。

カレッジの先生たちは、今も現場に出ている方が多いんです。
だからこそ、“現場の生きた知識”を受講生の方に受け取っていただくことは大事にしています。

「教科書を読んで終わり」ではなく、より実践的に、かつ現場に持ち帰った時にも“ちゃんと使える”ようなーーもちろん、個々の施設の方針があるので、

その上でということになりますがーー介護職員にとって大切なマインドの部分をしっかりお伝えをしてますね。

私も経験していますが、実際に介護職に就いた時に「習ったことと大きなギャップがあった。だから退職する」なんて本当にもったいないのでーー。

そういったギャップを減らせるように、先生たちには「現場の生の声を伝えてほしい」ということはお伝えさせていただいてます。

CHAPTER6

人を理解しようとすること、お互いに歩み寄ること

「そうしてしまう背景には何があるんだろう」と原因を探ったり、とことんその人の話を聞いたりー―ふたりの間の信頼を築く

―介護の仕事を続けられてーークライアントやご家族の方との関わりの中で教えてもらったものってありますか?

そうですね……。
うーん、いっぱいあるはずなんですが、うまく出てこないですね。

いっぱいあるんですがーー。

いっぱいあるしか言ってないですね(笑)……人を理解しようとする努力をするようになった、というところでしょうか。

―それはクライアントに対してですか?それとも、関わる人すべてでしょうか。

どちらかというと、関わる人すべてに対してですね。本当に私は短気でーー

―そうなんですか?!

「もう!」ってなっちゃうことが多かったんです(笑)。
本当は、「うわー」ってなってるんですけどね。もちろん今も多いんですよ。

でもそれってただの自己中心的な考え方で、その人にはその人のバックグラウンドがあるんだなっていうことをーーそれはコーディネーターの時ですかね、いちばん思うようになったのは。

「なんとかしてシフトの、この空いた穴を埋めなきゃいけない」って思って、方々に連絡をして。

断られるたびに「もう!」ってなっていたんですよ。でもそれってこちら側のわがままなだけでーー。

「いやいや、この人にはこの人の事情があるんだ」「なんとかするのが私の仕事なんだから、そんなこといちいち思っちゃダメだ」って。

あんまりこれ、よろしくないですよね。

―いえいえ、「もう!」ってなっていたかつての佐藤さんから、今、「理解しよう」っていう思いを持たれるようになった変化の方が大事だと思います。

もちろん、人のすべてを理解するなんてできないんですが、それでも理解しようっていう思いを諦めずに持ち続けるーーそういうきっかけになった出来事ってありますか?

そうですね。
例えばーークライアントの方もそれぞれに背景があって、ホームケアで働いていた時に訪問する度に厳しい表情をされる方がいらっしゃったんです。

支援に入りたての頃は厳しい表情をされる度に私は動揺していました。
でも関わっていくうちに「それはそうだよな」ってーー。

その方は中途障害の方で、声が出せない方でした。

ついこの間まで、ご自身の意思で好きなことをされて、行きたいところに行かれて、好きなお酒を飲まれていてーーそれがいきなり体が動かなくなって。

見ず知らずの、私みたいなちゃらちゃらした人が「こんばんは!」なんて支援に来たら、それは厳しい顔になるよな、ってある時、思ったんですよね。

最初は「なんでそんな顔をするんですか?」なんて言っていたこともあったんです。
今思うと本当に考えられないんですがーー。

でもそこから、「じゃあ、なんでそんな厳しい顔をされるんだろう」って原因を探ったり、とことんその方のお話をお聞きしたりー―。

そうしたらその方との間にあった壁が少しずつ打ち解けて。
小さいことでも私に伝えてくださるようになってーーきっと信頼していただけたんだな、と思います。

そこからはその方の支援に入っても怖くなくなったんですよね。
やっぱり理解すること、歩み寄る努力というものが、介護の仕事には一定程度、必要なスキルなんだなって思いました。

CHAPTER7

「もっと気軽に頼っていいんだよ」――介護が必要な人やご家族にそんなふうに言えたなら

もう少し介護を身近に、もう少し人に頼りやすい社会になったらいいな

―「カレッジでこれからこんなことをやっていけたらいいな」ということがありましたら聞かせてください。

そうですね、カレッジとしてはこれからもどんどん新しい介護人材を介護業界に送っていきたいですね。

受講生の方々がケアカレッジで学んだ知識を生かして介護業界で仕事をしてくれてーー「ケアカレッジで言ってたのは、これか!」ってひとつでもなってくれたら、

我々としては「よし!」っていうガッツポーズが取れるかなと思います。

―お仕事のことばかりお聞きしてしまったので、「お休みの日、こんなことをして過ごしてます」「こんな趣味があります」というところを聞かせてください。

そうですね。

休みの日はですね、基本的に私、引きこもりなので、家の中でできることをするんですが、休日におしゃれな料理をつくっちゃう、とかは壊滅的にできないんです(笑)。

ただスポーツ観戦が好きなのでーープロレスとか、野球とか。
そういったスポーツ観戦をしたり、あとは映画鑑賞とか、そんな休日を過ごしてます。

―いいですね。では最後の質問なんですがーー佐藤さんはなぜ、介護の仕事を続けられてると思いますか?

なんででしょうねーー。難しいですね。
もう、難しいしか言ってないですね(笑)。

ただ、「みんなが平等に介護を受けられるようになったらいいな」とは思っていて。

お住まいの市区町村によってだったり、ご家庭のご事情にもよるんですが、まだまだ「訪問介護を使うのは恥ずかしい」「家族以外に介護を頼むのは恥だ」と思ってる方も一定数いらっしゃるようです。

でも、だからこそもう少し介護を身近に、もう少し人に頼りやすい社会になったらいいな、ってーー。

そういう意識は、地方に行けば行くほどあるのかなとは感じているので、「そうじゃないんだよ」って。

「もっと気軽に頼っていいんだよ」っていうことはいつも思って働いていますね。

介護を受ける側はもちろん、サポートするご家族の負担も大きいので、そういった方々の負担を少しでも減らせるような世の中になってくれたららいいな、と思って仕事をしてます。

……って、なんだか最後、すごく壮大な話になっちゃいましたね(笑)。


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