―その後、土屋へはどんな流れで転職をされたんでしょうか。
土屋に転職する前に、別の訪問介護の事業所をもうひとつ経験してまして。
ただ、そこで在宅向けの訪問介護事業を閉鎖することになって、グループ内の別施設に異動するか、退職するか、という選択を迫られたんです。
住宅型での訪問介護事業は残すことになっていたので、会社の方からは引き続き住宅型での訪問介護の管理者をやってくれないか、という打診はあったんですが、正直なところ、「施設内での訪問介護の管理者なら、私じゃなくてもできるよな」、とーー。
「地域の力になりたい」という思いがその時には強くあって、やっぱり在宅に行きたかった。
それで、退職をすることにしました。
その時にーー住宅型で勤務していた時、今、定期巡回サービス土屋福岡の管理者をされている神﨑洋(かんざき ひろし)さんと出会っていたんですよ。
そこからずっと連絡は取り合っていたので、「粕屋事業所が管理者を募集してるよ」と教えてもらって、リファラルで土屋に入社したんです。
しかも、定期巡回事業だったので、そこはありがたかったですね。
訪問介護のみだと、やはり訪問介護の制度の限界があるんです。
たとえば週2回、水曜と木曜の朝の9時半から10時しか訪問介護を利用できなくて、他の日はデイサービスに行くけれど、夜は認知症のご夫婦2人だけで過ごすーー。
デイサービスのスタッフは家の中に入れてもらえない状況だったので、お2人がどんなふうに暮らしてるのか、知ることができない。
1週間経って、訪問するとーー部屋の中が散乱していて、どう生活してるのか、伺ってもわからない。
あざができてるので「転んだんですか?」と聞いても、ご本人も「わからない」と――。
訪問介護そのものはいいサービスだとは思うんですが、やはり縛りが強い分、そういう点で無力さを感じていました。
そこに定期巡回で声をかけてもらったので、本当に「渡りに船」みたいなタイミングだったんです。
―定期巡回はいかがでした?もともと関わっていらしたとは思うんですが。
そうですね。
業務自体は同じ定期巡回なので、大きく変わりません。
ただ、私がいちばん勉強になったというか、今、「楽しいな」と思えてるものに、事業所が主催する認知症カフェや専門学校に伺っての講義があります。
今、こういった活動をアクティブにやらせてもらえてるのは、土屋という会社の風土のおかげかな、と思いますね。
自由に、柔軟に、寛容に。
―そうなんですね。専門学校での講義はどんな繋がりから、できることになったんですか?
学校での講義は、前職で実習生を受け入れていたんですね。
転職をしてからも、その学校の先生との関係は繋がっていたので、「定期巡回サービス土屋粕屋でも次年度から実習生を受け入れられるように」と話を進めてもらっていた中でのお話でした。
専門学校の授業や教科書では、地域密着型サービスや定期巡回などの訪問介護系の仕事については、1ページぐらいしか触れられていないんです。
それもあって、やはり学生さんたちは介護施設や障害者施設に就職する子が多い。
学校の先生からも「訪問介護への就職は去年もゼロでした」と伺ったので、「まずは、学生たちに訪問介護の仕事を知ってもらえたら」ということで、今回、講義が実現しました。
―定期巡回のクライアントさんとはいかがですか。伺う中でのやり取りやエピソードなどがあったら、伺いたいなと思います。
そうですね。
先日、ご逝去されたクライアントがいらっしゃいました。
ご訪問の度に、深々と頭を下げてご挨拶をしてくださるようなご家族だったんですね。
ご逝去された後、なかなか連絡しにくいところもあったんですが、事業所の物品を回収する時に立ち会いをしていただいて。
そこでお話ししてくださったのが「土屋さんに来てもらってよかった」、とーー。
そのクライアントは、ご家族が在宅介護に不安があり、ホスピスに行かれるか、定期巡回で伺うかの選択を迷われていたんですね。
ただ、ご家族は「本人が『家に帰りたい』と言うので、最後にその願いを叶えたい」と仰って。
「一旦は在宅で。その後はホスピスへ」という方向で進めていたのですが、ご自宅にいらした時に容体が急変してしまって、ご自宅で最期を迎えました。
でも「その決断は良かった」って仰っていただけた。
お孫さん10人、ご家族みなさんが集まって、みんなでクライアントの最期を見送ることができたのは、土屋さんのおかげだ、とーー。
そう言っていただけたのは、本当に嬉しかったですね。