介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

宿野智

松山 管理者

救急隊として生命の際を見つめてきた男は支えることにした。クライアントの生きる日々を。

 《interview 2024.11.15》

ホームケア土屋松山で管理者を務める宿野智(しゅくのさとし)。
子どもの頃から「はたらくくるまが好きだった」という彼はその後、消防士や非破壊検査の仕事を経て、重度訪問介護の仕事と出会います。彼がこれまで経験してきた仕事の、まなざしの先にはかならず「人」がいました。
宿野の“はたらくこと”の根っこにあったものとは――彼が歩み、気づいてきたその過程を追いかけます。

CHAPTER1

小さな頃から消防士になりたかった

『はたらくくるま』という絵本が好きで、父親に連れられてよく消防車や救急車を見に行っていました

―お子さんの頃はどんな子でしたか?

岡山県北部の津山市という、周りが山に囲まれている盆地で育ちました。
遊び場は山が多かったですね。

友達と川に入りに行ったり、山で秘密基地をつくって遊んでいた覚えがあります。
両親が共働きだったので、祖母の家に預けられて暮らしてた時期があって。

祖母の話だと、至るところに裸足で駆け出していくような、すごく活発な子どもだった、と聞いてます。

結構、緊張しやすいところがあったんですが、人と関わりを持つことは昔から好きでしたね。

―小学生や10代の頃はどんなことをしていましたか?

当時、いろんなスポーツをしていたんですが、小中学校にかけてはクラブチームに入って、ハンドボールをやってました。

高校に入ってからは、ラグビーを3年間やっていて、部活をメインで過ごしていたんですが、

高校の部活を引退してからはスケートもちょこちょこやっていて、友達とスケートリンクでアルバイトしたりもしてました。

津山市には冬限定で野外のスケートリンクができるんですよ。

―津山市は、冬は雪が積もる寒い地域なんですか?

今だいぶ少なくはなったんですが、当時は冬になると市内でも雪が積もることも多かったんです。

父親がスキー好きで、僕の部活が終わった後に一緒にナイターでスキーに行ったり――そんなこともしていました。

―子どもの頃、なりたかったものはありますか?

うっすら覚えてるのが――子どもの頃、僕は『はたらくくるま』という絵本シリーズがすごく好きだったんです。

いろんな車が登場する絵本で、実際のブルドーザーやダンプカーを父親に連れられてよく見に行っていました。

その中でも特に、消防車や救急車が好きだったんですよね。
その延長線上で、小さい頃からずっと「将来は消防士になりたいな」っていう夢を持っていました。

高校卒業をして「消防士になろう」と地元の消防署を受験したんですが、受からなくて……。

その後、岡山市の公務員専門学校に通った後、あちこちの消防署を受験して、

香川県高松市の消防本部に合格して――21歳の時から6年間、高松市役所の消防職として、主に救急隊として救急業務に関わっていました。

―小さい頃の夢をそのまま叶えられたんですね。実際に働き始めて、いかがでしたか?

そうですね。僕は結構珍しいパターンで――消防士の採用試験に受かると、半年ほど消防学校に通って、その後、現場に出るんです。

消防職の中にも色々な職種があって、人気なのは救助隊だったり、火を消す消防士。あと予防業務も。

同期のほとんどは消防職――俗に言う“火消し”の部署――に配属されたんですが、僕だけなぜか救急隊に配属されて、最初はちょっとびっくりしましたね。「おっ、救急隊か」って(笑)。

多ければ1日20件ぐらいの救急指令がかかる忙しい部署で、東京消防庁の救急隊と変わらないぐらいの出動件数でした。

交通事故や住宅火災に消防車と一緒に出動したり――多岐にわたる出動があって、色々な現場に行かせていただきました。

―今も印象に残っている現場はありますか。

そうですね。
交通事故の現場だったんですが、一方通行のスピードが出る道路で「車の下に人が下敷きになっている」という指令内容が入ったことがありました。

かなり重症であることを想定して現場に行って、実際に、事故に遭われた方は意識もなく助かるか助からないかっていう瀬戸際の状態だったんです。

でも、その時に搬送された方が無事に社会復帰されて、半年ぐらい経った頃に、僕が勤めていた消防署の救急係まで「あの時はありがとうございました」って挨拶に来てくれたんですよ。

そういう方はやはり珍しいので。
ちょうどその日、僕も勤務していて、「あぁ、あの時の!」って。その時はすごく嬉しかったですね。

CHAPTER2

やっぱり“人と働くこと”が好きだった――「もう1回、“人対人”の仕事をしたいな」

すごく忙しい現場だったけど、みんなで馬鹿な話をしながら盛り上がって――そうやって働くのがすごく楽しかった

その後、同じく消防法が絡んだ仕事で、「非破壊検査」という仕事をしていました。

岡山だと倉敷市の水島という場所に工業地帯があるんですが、そういった工場で、“ものを壊さずに内部の傷や劣化の状況がないかを検査する仕事”です。

僕は主に、海沿いにある大きいドーム型の石油タンクの内部や、工場の配管を超音波で検査したり、レントゲンを撮って内部を調べる検査の工事の監督業務をしていました。

―どんなふうに働いていたんですか?

全国の工場地帯に出張をして、そこに滞在して検査をするんです。
短くて1ヶ月、長いと最長で7か月ぐらい。

ずっとビジネスホテルで生活して――なんて仕事もありました。
石油工場では、「○年に1回は全部の装置を止めて検査をすること」が法律で決まっているんです。

でも工場を1日止めてしまうと、1日で数億円の損失が出てしまうので、一気に工場を止めて、

大きい現場だと2000人、3000人の検査員を全国から呼び寄せて、短期間で終わらせて報告書を書く――そういう仕事だったので、激務といえば激務でした。

でもその分、現場スタッフの絆は強かったですね。

もちろん、出張になるので、忙しい現場ではあるんですが、そういった中でも「休みの日はみんなで楽しもう」という思いは一緒に働いていたみなさんにありました。

たとえば北海道の苫小牧に出張に行った時は「絶対に休みがほしいから、この現場を○日までに終わらせて2日ぐらいチームみんなで休みを取ろう!」って決めて。

がむしゃらに頑張って、その日までに仕事をクリアして、みんなで休みをもらってレンタカーを借りて北海道観光したりしてましたよ(笑)。

―いいですね、旅行団みたいです。

そうですね。

その会社を辞めた今でも、当時一緒に働いていたメンバーから「今、愛媛に来とるよ!」なんて連絡があって、夕方に一緒にご飯を食べに行ったりもしてます。

5年ほど、全国各地を飛び回って、工事の監督をしながら現地の人たちと関わりながら働いていました。

すごく忙しい現場だったけど、みんなで馬鹿な話をしながら盛り上がって――そうやって働くのがすごく楽しかった。

あの頃は、1年のうちで3分の2ぐらい岡山にいないような生活をしていました。

その仕事の中でもーー僕がいちばん楽しいと思えたのが監督業務でした。
非破壊検査自体は“人対もの”の仕事にはなるんですが、“人対人”で仕事をしてる時が自分にとっては楽しかった。

理由があって消防を辞めたんですが、後悔がなかったわけではなかったので――5年続けた頃に「もう1回、“人対人”の仕事をしたいな」と思って。

「今の自分に何ができるんだろう」と考えた時に、いちばんに福祉の仕事が浮かんだ。
そこから福祉の世界に飛び込んだんです。

CHAPTER3

さまざまな福祉の現場から見えてきたこと――「重度訪問介護をより広い人たちに届ける仕事がしたい」

「自分の知識をもっと広げたい」という思いの先へ。

―どんな仕事から福祉の仕事をスタートされたんでしょうか。

『自薦ヘルパー』という制度があって、事業所を通してクライアント個人がヘルパーの面接や採用の段階から携わって、個人でヘルパーを雇う制度なんですが、

その『自薦ヘルパー』として、50代のALSを患っている男性のご自宅に1年半ぐらい入らせてもらったのが福祉の最初の仕事ですね。

―いかがでしたか?

後から、色々な経験を持った方からは「いきなり未経験でA L Sの人の支援に入るってすごいね」って言われましたね(笑)。

3月から働き始めたんですが、まだ寒い時期だったんですよ。
最初は、両足の靴下を履いてもらうだけで汗が滴り落ちるぐらい緊張してしまって(笑)。

そのクライアントは外国の方でした。

もちろん、日本語は話されるんですが、僕の方で理解しづらいところもあって、最初は苦労の連続だったんですが、ある程度続けていくと、マンツーマンでの支援ということもあって徐々に慣れてきて。

そこからはクライアントと一緒にお出かけをしたり、ふたりでドラマを見たり、チェスを教えてもらったり――最初がすごく大変だった分、

慣れてきて信頼してもらえるようになってからは楽しい時間を過ごさせてもらいましたね。

―一緒に行かれた外出先などで、印象的だったところはありますか?

びっくりされるかもしれませんが――毎週金曜日は近くの美術館や博物館に行ったり、カフェにご飯を食べに行ってましたし、

ヘルパーふたりとクライアントとご家族で2泊3日で和歌山に行ったり、沖縄に行ったり。

特に沖縄は、“初めてクライアントと飛行機に乗る”という経験もさせてもらいました。

クライアントが日頃使われている電動車椅子は機内に持ち込めないので、「だったら、どういうふうに座席に座ってもらうとクライアントに負担がないか」をもうひとりのヘルパーと試行錯誤しながらの旅でした。

ほんとにいい思い出になってます。

―アクティブな方だったんですね。

そうですね。そのクライアントには1年半ぐらい、専属でつかせていただきました。

ただ、経験を積んだり、学んでいく中で「A L Sだけではなく、色々な障害を持たれた方で困ってる方がいるんだ」「自分の知識をもっと広げたいな」という思いが出てきたんです。

その時に、クライアントのご自宅に入られていた訪問看護の会社の社長さんに相談をさせてもらって――訪問看護の看護助手を経験させていただいた時期もありました。

技術的な面や介護保険制度について教わったり、障害についても、精神、知的、と色々なクライアントの支援に入らせていただいた。

その中で「やっぱり自分は、重度訪問介護をより広い人たちに届ける仕事がしたいんだな」と思ったんです。

“重度訪問介護”でネット検索するといちばんにホームケア土屋が出てきたので、応募したんですよ。

CHAPTER4

「近所の兄ちゃん」のような存在でいること――”強度行動障害”と出会って

強度行動障害の状態にあったとしても、関わり方次第でその方の状態が落ち着いて、できなかったこともできるようになる――そういう過程を僕が身をもって実感できた

―宿野さんは、強度行動障害の状態の方とも関わられてきたとお聞きしてます。

そうですね。土屋に入社する前から、「どんな障害を持たれてる方がいて、どういう状態で困っているご家族がいるんだろう」ということを考えていて、YOUTUBEで色々なドキュメンタリー動画を見ていました。

その中でいちばん印象的だったのが、強度行動障害の状態の方のご家族の動画だったんです。

ご家族が寝る間もなく子どもさんを支援している状況が、痛いほどその動画の中では描かれていて――僕はその時はじめて強度行動障害について知ったんですが、

ヘルパーをしていても、強度行動障害の支援経験があるヘルパーって本当にひと握りなんだな、という印象を受けました。

―実際に関わられていたんですか?

そうですね。
岡山事業所で働いている時に、当時の上長から「宿野さん、強度行動障害の方の支援に入るんですが、興味ありますか?」と言われて、

ふたつ返事で「ぜひ支援に入らせてください」と言って実際に支援に入らせていただいたことがあったんです。
岡山から松山事業所へ転勤する前日まで関わらせていただいた方でした。

最初はなかなか距離感がわからずに、自分の身を危険に晒してしまうような状態になってしまったこともありましたね。

それでもめげずに、すごく若いクライアントだったこともあって、“支援をする”というより「どうやったら、この方と仲良くなれるかな」という思いで試行錯誤しながら、支援に入らせてもらったんです。

その方は外出が難しく、大きい音が苦手で――ヘリコプターの音や隣を走る車の音でもパニックになってしまうので、ご家族も含めてもう何年も外出していませんでした。

でもその後、2ヶ月ほど経った頃から、土屋のスタッフや僕にもある程度、慣れてくれて、スタッフ2名とお母さんとで外出をするようになりました。

最初は半日もないぐらいの短い外出だったんですが、お母さんは「もう○年ぶりの外出です」ってすごく喜んでくれて。

そこからだんだんとできることが増えていって、外出先で食堂に入ってうどんを食べられるようになったり、僕は日勤帯の支援だったんですが、

お母様に車を運転してもらって、退勤ギリギリまでクライアントとドライブして、いろんなところを巡って遊んだり。

半年ほど関わる中で、当初はまさに強度行動障害の状態にあったとしても、関わり方次第でその方の状態が落ち着いて、

きなかったこともできるようになる――そういう過程を僕が身をもって実感できたんです。

―クライアントとのやり取りの中で、非言語のやり取りや「何か届けようとしてくれてるな」といった感触を宿野さんが感じたことはありましたか。

最初はご家族や、今まで支援に入ってくれていたヘルパーさん以外が関わるという環境の変化に、その方自身も馴染めなくて。

僕もまだ知識を持っていなかったので、すぐに「仲良くなりたいな」と思って距離感を間違えてしまって。
クライアントを不安にさせて、いきなり頭突きをもらったんですよ、初日に(笑)。

ただ、僕は体もでかいし、頭もものすごく硬いので、頭突きをした当のクライアントの方が痛くて後悔していたっていう(笑)。

そういう失敗談もありましたね。「心を開いてもらうのは難しいんだな」とは思いました。

―その方から教えてもらったことはありますか。

そうですね。

もちろん、ヘルパーとして支援に入ってはいるんですが、「自分はヘルパーだ」という意識で関わってしまうと、どうしてもクライアントが身構えてしまうところがあるんです。

僕はその時、週3回ほど支援現場に入っていたんですが、家族以外で週3回も会いに来てくれる人ってなかなかいないじゃないですか。

だから「近所のおっきい兄ちゃんが来たよ〜」ぐらいの、僕が遊んでもらうぐらいの感覚で関わるようにしていました。

そうやってクライアントが気に入ってること、好きなことを一緒に混ざってやってみているうちに――ある時から、今まで距離を取って警戒していたクライアントが、

ゼロ距離っていうんですかね、顔にあたるくらいの距離で話しかけてくれたり、急に抱きついてきてくれたり、おんぶをせがんでくれたり。

そんなふうに変わる瞬間があったんです。

“近所の兄ちゃん”ぐらいの感覚で接していたのが身を結んだというか、ようやく僕のことを認識してくれて、心を開いてくれるようになったんだなぁと感じましたね。

―そのクライアントとは一緒にどんなことをされていたんですか?

その方は、雨の音とか雷の音がお好きで、雨が降りそうになったり、雷の音が聞こえたら、「ゴロゴロ来るよ」と言ってベランダに駆け上がって、「雨くるかな〜」って一緒に外を見て――。

あとはプラスチックが床に落ちる「カランカラン」っていう音もお好きでしたね。

テレビのリモコンの蓋が好きで、それをちょっと高いところから落として、音を楽しむこともされていたので、「俺も混ぜてや〜」って言って一緒にやらせてもらったり。

とにかく、クライアントが好きなことを一緒にやってみる、ということに努めました。

CHAPTER5

管理者になって――働く仲間とともに「嬉しさ」は変化していく

自分が褒められるより、働いてくれてる仲間たちが褒められることが今はすごく嬉しい

―今、宿野さんが、お仕事や日々の中で喜びや嬉しさを感じているのはどんなところですか?

ホームケア土屋の岡山事業所に2023年4月に入社しました。

当初は常勤アテンダントとして支援に入らせていただいたんですが、11月から松山に転勤して松山事業所の管理者として事業所をサポートしていくという立場になりました。

最初の頃はまだまだアテンダントの人数も少なくて、僕も現場に入りながらの支援にはなってたんですが、今は人数も増えてきて、僕が現場に入る時間も当初に比べると少なくなってきました。

そうやって自分の立場が変わっていく中で、自分にとっての嬉しいことも変わってきたんですよね。

クライアントから話を伺っていると、松山の事業所のアテンダントたちのことを「あの人はすごくいいわ」「○○さん、頑張ってくれるんよ」って言ってくださることがあるんです。

自分が褒められるより、働いてくれてる仲間たちが褒められることが今はすごく嬉しい。
今までと違った喜びを感じてます。

それから、一度支援を抜けてしまったクライアント宅に、数ヶ月ぶりぐらいに入らせていただくことも時々あって。

そうするとクライアントさんが、僕が来るとニヤっとして、「また来たんか〜」なんて可愛がってくださったり、「もう、来んでええのに」なんて冗談まじりで言ってくださる(笑)。

まだまだ管理者として至らないところも多いのですが、そんなところにやりがいというか、喜びを今は感じていますね。

―松山事業所のアテンダントさんたちはどんな方たちがいらっしゃるんですか?

松山のスタッフたちは、女性が多いんです。

年数で見ても若い事業所ですが、女性ならではのきめ細やかなケアや気付遣いができる方が多くいらっしゃいます。

クライアントの支援にも長い年数入ってくださっていて、クライアントからも「あの人が抜けられたら困る」というお話を日々伺っています。

「クライアントやご家族からの信頼を置いていただいている職員が多いなぁ」というのが特徴ですね。

CHAPTER6

「ありがとう」は魔法のことば

大切なのは、クライアントから求められている自分になりきること

―宿野さんが今、人と関わる時に大切にされてることはどんなことですか?

そうですね。

実際に関わる時に気を付けているところでいうと、クライアントによって自分に求められていることがひとりひとり違うので、その人をよく観察して、

身体的にもそうですし、どういう性格なのかという内面も観察をして、求められている自分になりきるというか――。

自分にとっては楽しく、和気あいあいと仕事するのがいちばんなんですが、真面目に淡々と仕事をしてほしいという方もいらっしゃるので、「個々に合わせた自分になりきる」ことを意識して仕事はしています。

―宿野さんは他の業種から介護の仕事に転職されています。介護という仕事を続けていく中で、出会ったものはありますか?

僕が来るたびに「ありがとう」って、毎回言ってくれる方がいらっしゃるんです。
その「ありがとう」という言葉が、僕は言葉の中でいちばん好きなんですよね。

その言葉ひとつで、「どんなにきつい現場でも元気がもらえるし、どれだけ自分が悩んでいても悩みが吹っ飛んでしまう、魔法のことばだ」と僕の中では思っているんです。

色々ある仕事の中で、介護の仕事というのはいちばんに、そしてたくさん、その「ありがとう」がいただける現場なのかな、と思います。

―仕事を続けていく中で、ご自身が変わってきたところはありますか?

最初の方にも話したんですが、僕自身、人と関わるのは好きなんですが、すごく緊張しいで、人見知りなところもあって――そこが自分の嫌なところでもあったんですよ。

でも、クライアントにそのことを話すと「人見知りなんて嘘じゃろう」なんて今はよく言われます(笑)。

この仕事を始めてからは、「自分が思ってたほど人見知りではないのかな」と思うようになりました。

―それは重訪の、長い時間や一対一での関わりの中で緊張が解れることがあったんでしょうか。

そうですね。

長いと10時間とか、日中ずっと一緒にいるという支援もありますし、お互いに気を遣ってしまうと、

ご自宅なのにクライアントを緊張させてしまったり、安心できない場所になってしまうので、そこはなんとしても防ぎたいっていう思いもあります。

それぞれのクライアントの性格や特性に自分を合わせて、その方が過ごしやすい環境をアテンダントとしてつくっていった――のもあって、

クライアントからは「人見知りなんて嘘だろう」って言われていたのかもしれませんね(笑)。

CHAPTER7

せっかくなら、一回でも多く、クライアントを笑顔に。

ヘルパーじゃなくても、誰かが困っている時にさっと手を出すことが当たり前にできるような社会へ

―お休みの日の過ごし方やプライベートでされていることを伺えれば、と思います。

僕は体を動かすのが好きで、筋トレもしてるんです。
休みの日や空いてる時間は24時間やってるジムに行ったり、あと温泉も好きですね。

松山は道後温泉で有名ですし、朝早くから夜遅くまでやってる温泉があちこちにあるので、休みの日は温泉に行って、サウナと水風呂と、温泉を行き来してるような生活です。

愛媛に来てからは、ちょっとバタバタしていたのもあって、観光らしい観光にはなかなか行けてないんですが、海も山も川も自然が多いところだなぁと思います。

愛媛県の高知寄りの方に、宇和島という場所があるんですが、沖縄の海に近いようなすごく綺麗な海があって、サンゴ礁があって――その海を見に一度、ドライブには行ったことはありましたね。

―これから土屋でやっていきたい、関わっていきたいことはどんなことですか?

僕がいる愛媛県の松山市は、都市の規模に比べて福祉施設がすごく多い地域なんです。

それもあって、在宅介護の文化がまだ根付いてないところがあります。

僕も1年ぐらい過ごしてわかってきたんですが、「生活で困ったら、自分は施設に入る」という方が多い地域で、「本当は家で過ごしたいけど、仕方ないよね」と在宅での生活を諦められている方が多いんです。

ということは、「まだ出会えていないクライアントがすごく多い地域」とも言えるんです。

重度訪問介護という制度を使うと、在宅で「自分はこうしたい」とか、自由なことを一緒にできるんだよ、っていうことを広めていきたいですね。

―少し視点を広げて……「10年後、20年後、こんなふうな社会になっていたらいいな」と思い描く未来はあったら教えてください。

これは全国的に言えることだと思うんですが――

障害を持たれてる方や、高齢者が街中で困っていても、助けていいのかどうなのかがわからないと思う方が多くいらっしゃるんじゃないかと思うんです。

福祉に関わっていない人は特に。
逆に「自分が手を出してしまったら迷惑をかけてしまうんじゃないか」と思って、躊躇してしまう方もまだまだ多いと思うんですよ。

でもそういう時にさっと手を出すことが当たり前にできるような社会。

ヘルパーという職業じゃなくても、ご近所の困ってる方たちをみんなで助け合えるような環境ができたらいいなと考えています。

やっぱり、僕たちからしたら当たり前のことでも、できないことがまだまだある。
もちろん、自分にとっては日常生活のサポートをしているだけなんですが、それでもすごく喜んでもらえるので。

障害があるなしに関わらず、当たり前のことが当たり前にできる環境を、この松山で、ホームケア土屋の管理者として広げていけたらいいなと思ってます。

―宿野さんはこの介護という仕事をなぜ続けていると思いますか。

なんで……そうですね。
今まであまり考えたことはなかったんですが――僕にとっては“この仕事は楽しいから”っていう思いが根っこにあるんです。

自分もやっていて楽しいし、相手にも楽しんでもらいたい。

主に現場に入る時の自分にとっての心構えがあって、「せっかくなら、1回でも相手を笑顔に」。「1回でも多く笑ってもらいたい」っていうのが、自分の中のポリシーでもあるんですよ。

そのためだったら、僕は体を張ったギャグも全然できちゃいます(笑)。
もちろん、真面目にするところは真面目にやります。

でも堅すぎても、クライアントは気を遣われることもあるので、笑顔の数を1回でも多く、過ごしてもらいたいっていう思いが僕の中ではありますね。

当たり障りのない答えかもしれませんが、「お互いに楽しくできるから、ずっと介護を続けている」――今はそんなふうに思っています。

 


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