介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

竹内利文

東海ブロック ブロックマネージャー

組織を縦横にしなやかにする、「半・積極的見守り」という管理職の働き方

 《interview 2024.5.17》

愛知、静岡、岐阜、三重、富山、石川、福井――日本海から太平洋までの7県をまたぐホームケア土屋東海ブロックで、ブロックマネージャーとして活躍する竹内利文(たけうちとしふみ)。常に人と人の間に立ち、人も状況も変化を続ける介護の仕事で、竹内は「自分のものさしを持たない」というやわらかな姿勢を貫いてきました。長く働ける環境を整えること、働く人を守ること――ブロックマネージャーという位置から見える、竹内の景色を訪ねます。

CHAPTER1

広く浅く、いろんなことが器用にできた子ども時代

「吹奏楽をやったり、体操部に入ったり。高校ではガソリンスタンドでバイトして。とにかくいろんなことをやっていました」

―子どもの頃はどんな子でしたか?

「よく“落ち着きがない”なんて言われていましたね。父親が飲み屋をやっていたんです。そんなこともあって、小さい頃から目上の方と接することが多くて、どこか世渡り上手な部分があって――お年玉もいっぱいもらっていましたしね(笑)。

中学校では吹奏楽をやっていました。地元でも強い学校で、東海大会まで行って――なかなか真面目にやっていたと思います。実家の店には当時まだ珍しいカラオケがあって、音楽は身近にあったんです。何せレコード時代からのカラオケを知ってますからね(笑)。

その後、吹奏楽部の推薦で高校に進学したんですが、その高校の吹奏楽部のレベルが⤵(笑)。結局、吹奏楽部には入らず、方向転換をして友人が居た体操部に行きました。そんな感じで広く浅く、いろんなことをやっていました。何一つ極めてはないけれど、でも、人並みにはできたんじゃないかな。器用だともよく言われました」

―10代の頃に熱中していたことはありましたか。

「高校時代からガソリンスタンドでバイトしていました。もちろん学校には内緒で(笑)。車には小さい頃から興味があって、車の絵を書いたり、プラモデルを作ったり。あとラジコンですかね。ずっとレーサーになりたかったんですよ。

バイト先の先輩に鈴鹿サーキットにレースを見に連れていってもらった時に、日産スカイラインのGTRという車が走っていて――当時、GTRは年間で全戦全勝するぐらいの強さだったんです。その車を目の当たりにして『免許を取ったら、絶対この車を買おう』と。多額のローンを組んで、20歳の時に憧れのGTRを買いました。でも、7ヶ月半で廃車にしてしまったんですが(笑)」

―竹内さんにとって、車にはどんな魅力があったんでしょうか。

「そうですね。若い頃はただ単純に『かっこいいから』っていう理由があったと思います。昔は『車に乗ってる=女の子にモテる』っていう理由もありましたしね。自分でメカニックをやっていた時もあって、車を改造して、エンジンを組んだり、マフラーをつくったり。『目立ちたい』なんて思いもありました。

車の中というのは、私にとっては落ち着く場所だったんですよ。好きな音楽をかけられるので、“自分だけの部屋”という意識もあって。移動できる家のような場所でもありました。

車は今も変わらず好きで、洗車に4時間かけることもあります(笑)」

CHAPTER2

ありがとう、って言われる仕事をしてみたい

「妻からのひと推しで『自分は絶対にすることはないだろう』と思っていた介護業界にお世話になることを決めたんです」

―その後、20歳で金融会社に就職されます。

「金融会社には24年間、勤めました。ある時、『東京に単身赴任する可能性がある』という話しを聞いたんですね。当時は子どもも生まれたばかり、家も建てたばかりで――『今の状況で単身赴任になっても困るし、年齢的にも今しかないな』と転職を考え始めました。

金融業界は、銀行しかり、カード会社しかり、ローン会社しかり、いろいろある中で共通して言えることなんですが、お金を貸す仕事でもあるので、回収して初めて利益に繋がるんですね。

回収の仕事は、続けていく中でいろんな知識を身につけられましたし、今の自分に活きている部分もたくさんあるんですが、ただ――あえて債務者という言葉を使うと――債務者の方からはどうしても嫌われてしまう仕事なんです。

そういう意味で、ぼんやりと『人から“ありがとう”って言われる仕事がしたいな』と思うようになりました」

―そこから転職活動はどんなふうに進んでいったのでしょうか。

「当時はまだふわっと考えていたので、転職サイトに登録して『いい転職先があればいいな』ぐらいに思っていたんですが、その時、転職エージェントに言われた一言が――『経歴は素晴らしい。ただ、“これ”っていうものがないんですよ』と。

私自身の“極めたものがない”という部分と同じで、その一言にはグサッときたんですが、さらに『金融の仕事って潰しがきかないんですよね』とも言われました。要は、専門的すぎて、スキルが他の仕事に活かしづらいんですよ。

『営業。ちょっと違いますよね。製造……絶対違いますよね。じゃあマネージャーは?いや、マネージャーはいけるかもしれませんが、業種は重要ですよね』と……。結果、どこも決まらず、私も提案されても『うーん』となってしまって、なかなかうまくいかなかったんです。

その時にパッと思ったのが、運送業界でした。『車が好きだし、運送業界の仕組みにも興味があるし、その業種もいいかもしれないな』と。ただ、いざ運送業界に飛び込んでみたら、過酷過ぎて、食べても食べても摂取カロリーが消費カロリーに追いつかなくて(笑)。

私は身長が163cmしかないのですが、それでもドライバーを始めたら体重が50kgを切ってしまった。こりゃ無理だ、と思ってまた転職活動を再開しました」

―介護の仕事と出会ったのはその後ですか?

「はい。その頃に土屋の前会社からスカウトをされたんですね。実はその時、高級車の営業職の内定をもらってはいたんですね。でも妻といろいろ相談して――『営業マンだって車が売れなきゃ意味ないし、高級車なんてそんなに売れるものじゃない。

収入が上がったとしても付き合う相手がお金持ちばかりなら、自分にも投資しなければいけなくなる――いろんな面で将来性を考えたら、やっぱり介護職だろう』と。妻からのひと推しがあって、『自分は絶対にすることはないだろう』と思っていた介護業界にお世話になることを決めたんです」

CHAPTER3

「この仕事、なんか自分に合うかも」――夜勤明け、清々しさの中で感じたこと

「“難しい”と捉えてしまうよりも、“100点のない仕事なんだ“と思えたら、もう少し気軽に介護に関わっていただけるのかな、と思います」

―2020年に介護の仕事をスタートされます。未経験から介護をはじめられて、いかがでしたか?

「私自身は、もともとあらゆることに100点を求めてない、求めないようにしてきたところもあったので、介護職をやってみたら、『あ、なんか自分に合うかも』と感じられたところがありました。

あと、私が介護職を始めた頃は、子どもがまだ小さかったんです。当時は、子どもの世話やおむつ交換、子どもの体調管理等をしていて、結果――その行為を介護現場や支援にそのまま活かすことができたんですね。

今、採用面接をする時によく言うんです。『未経験で、介護ができるかどうか不安なんです』という方がいらした時、『でも、子育ての経験はあります』なんて話を聞くと、『お子さんを育てた経験があれば介護職は大丈夫ですよ。私自身がそうでしたから』って。

だから介護の仕事を“難しい”“できないかもしれない”と捉えてしまうよりも、“100点のない仕事なんだ“と思えたら、どんな人でももう少し気軽に介護に関わっていただけるのかな、と思います。

でも介護業界に入ったことに一番びっくりしていたのは、周りの人たちでしたね。私の周りの人は、私のことを潔癖症だと言う方が多くて――というのも実は私が一番不安だったのが排泄物の匂いだったんですよ。

その相談をどなたかにした時に『別に素手で触れとか、食べろって言ってるわけじゃないんだから』と言ってくれて、『確かにそうだな』とストンと落ちてきた言葉でした。なので、同じような不安を抱えている方が面接にいらした時は、今度は私がそのように伝えています」

―実際に重度訪問介護の現場に入られて、介護職のイメージや印象は変わりましたか?

「そうですね。介護職に対するイメージは本当に180度変わりました。介護と聞くと高齢者に目がいきがちだと思うんです。でも重度訪問介護という仕事と出会って、障害を持つ方と接したのも私は初めてでしたし、統合課程で障害を持つ方やその背景についての講義は聞いてはいましたが、あまりピンときてない自分がいました。

でも現場に入った時に『あ、こういうことなんだな』と。正直、“教えてもらった“というようなことはなく、身をもって、体験して学ぶというところが入口でしたね。

現場に入っていた頃は9割方夜勤だったんですが、今も覚えているのは夜勤後の朝の清々しさというか、今日の仕事をやり終えたぞ、という達成感、満足感というか――。とにかくあの“すっきりした気持ち”は、他の仕事では味わったことはありません。

私が入社して最初に入った現場が、山の中の一軒家に住むクライアントの方で。車の運転が元々好きだったこともあって、山道を運転してクライアント宅に向かう道中も楽しかった。また山の朝って清々しいじゃないですか――。

夜勤明けには、木漏れ日から射す陽の光を浴びて『あぁ、今日も頑張ったなぁ』なんて思いで車を運転して帰るのもよかったですね」

CHAPTER4

極めないからこそ、自分のものさしを持たない。だからいつだって、柔軟に。

「最低限の気遣いで済む間柄でいられれば、ハッピーなんじゃないかなって私は思うんです」

―インタビューの最初で、ご自身のことを“広く浅く”“極めない”と仰っていましたが、人を相手とする、柔軟性を求められる介護の仕事においては、竹内さんのその気質がとても活きているのでは、と感じます。

「自分自身が中途半端だからこそ、極めようとしない、深入りしない、と言うんでしょうか――。頭が固くならないし、人にも100点を求めないというところはあると思います。100点を求めてしまうと、自分自身にも、お互いにもプレッシャーになることがあります。

土屋の理念には『できるを認め合い、できないを語り合おう』っていうバリューがありますよね。自分ができてるかと言われたら、それこそ100%できてますとは言えないんですが、『人を自分のものさしで測らない』ということは、何かあるたびに意識はするようにはしていますね」

―その意識は、役職が上がって気づいたり、変わってきた部分でもありますか?

「そうですね。前の金融会社にいた時からそうなんですが、やっぱり部下を持つと見えるものが変わってきます。一般職の時は『上に上がりたい、上がりたい』っていう気持ちだけだったんですよ。だから人を蹴落としてでも(笑)、ぐらいの気持ちだったんですが、いざ部下を持つと……考えが変わりました。

まず、相手に求めるもののレベルが変わってきますし、その時に、さっきもお伝えしたように『自分を基準にして考えたら絶対ダメだ』と。その点においては、人によって注意の仕方等も変えますし。

でもよく考えてみると、『結果的に自分自身が嫌な思いをしたくないから』という思いが根っこにあると思います。『自分を基準にして考えない』ということは、結果、相手のためでもあり、自分のためでもあるんじゃないかな――そんな気がしますね」

―土屋の理念の中に「オールハッピーの社会の実現のために」という言葉があります。竹内さんにとって、“オールハッピー”ってどんな状況を想像しますか。

「最低限の気遣いで済む間柄でいられれば、ハッピーなんじゃないかなって私は思うんですよ。要は、そういう間柄であれば、自分も相手も疲れませんから。

もちろん社会人として、大人として、気づかいや礼儀の部分は当たり前にあると思いますが。そんな間柄になっていければ、お互いに負担も少ないでしょうし、結果、嫌なことよりもいいことが増えるんじゃないかなっていう気はしますね。気を遣うのって疲れませんか?」

―そうですね……。

「正直なところ、私はちゃんと支援をやった上で――もちろん言葉を選んだ上でですけれども――クライアントにも言いたいことを言っていました。

現場に入っていた時は、『なんでそんなこと言うんですか?』なんて平気で言っていましたし、一方でALSの方と一緒にテレビを観ながら大笑いしたり、野球を見たり、映画を見て一緒に泣いたり。ある意味では、クライアントとアテンダントは関係としては対等だと私は思ってるので、気遣いや礼儀を持った上で、そんな雰囲気の現場をつくれたら理想的だなと私は思ってます。

相手の笑顔を見て、自分が笑顔になれたなら、結果、相手もハッピーで笑っているんでしょうし、相手の笑顔が引き出せれば、結果、自分もハッピーになって、オールハッピーにつながるのかな――と思います」

CHAPTER5

東海ブロックの試みと経験値――「横のつながりで問題を解決する」

「『自分のエリア内でなんとかしなきゃ』と考えてしまうことは多い。でも北陸は、“横のつながりの中で問題を解決する”という考えがスタッフの間に根付いているんです」

―今、竹内さんがブロックマネージャーを務める東海ブロックでは『横のつながりを持って問題解決していこうという部分を強化しているんです』と仰っていました。その取り組みはどんな背景から出てきたんでしょうか。

「ホームケア土屋で、東海四県と北陸三県が並んで<東海ブロック>ができたのが、2022年途中だったと思います。それまでは、北陸三県は関西と並んで<関西ブロック>とされていたんです。

北陸の三事業所は東海ブロックと一緒になった当時、売上が赤字の状態でした。クライアント数も少ないので、アテンダントの数も少ない。現場を立ち上げようとしても人がいない。

『じゃあ、どうしよう』となった時に、当時の東海ブロックマネージャーが考えてくれて『北陸三県の事業所だけで見たら、アテンダントの人員に余裕がある。それならちょっと距離はあるけれど、北陸から人員の足りない県へ応援に行こう』と提案してくれたんです。そこから、事業所をまたいだ横のつながり、関係性を強化しだしたんですね。結果、その動きに伴って、どんどん売上も上がって――今は北陸三事業所とも黒字になり、利益が出るようになりました。

もちろん、旧東海ブロックでも人の行き来はあったんですが、そこも強化、もしくは見直してもいいんじゃないか――例えば『これまで愛知と東海と静岡でのスタッフの行き来はあったけれど、それ以外はなかった』なら、『愛知と岐阜もくっついてるから、行き来があってもいいよね』『愛知と三重もあってもいいよね』って。そういった事業所の垣根を越えた人の行き来を当たり前にしていくことができていったんです。

皆さん、どうしても『自分のエリア内でなんとかしなきゃ』と考えてしまうと思いますし、『誰かの力を借りよう』なんて柔軟な考えにいたらないことも多い。でも北陸は、既に“横のつながりの中で問題を解決する”という実践を行なってきていて、そういった考えもスタッフの間に根付いているんですよ。もちろん、人の移動がある分、面倒な部分もあります――でももっと大きな視野で見てみると、結果としては効率的なんですね。

他にも、管理者間で困ったことがあった時に、例えばエリアマネージャーやブロックマネージャーに相談すれば、すぐ問題が解決できてしまうと思うんです。でも、一旦、管理者同士で話をすることによって、お互いに同じ問題を共有するという経験ができるし、そこで解決できることも出てくる。解決までの過程を、成功事例として他の管理者に話してもらうこともできますし――。

できるだけマネージャーに頼るのではなく、すぐに答えを求めるのでもなく、まずは管理者間で考えてみよう、と。そういったことを推奨して、今、皆さんにやってもらってる最中なんです」

―その場合、失敗も含めて見守り続ける忍耐強さや、“今すぐ”の解決ではないので、長期的な視野も必要になってくるのでは、と思います。竹内さん自身は管理者の皆さんをどんなまなざしで見ているのでしょうか。

「そうですね。例えば、相談一つにしても相談だけで終わらせないというか――『まずはあなたの考えを聞かせてほしい』ということを必ず伝えています。

『どうしたらいいですか?』という質問に対して、私自身は答えないようにしてるんですよ。『質問に質問で返して申し訳ないけれども、逆にあなたはどう思っていますか?』と。まず自分で考えることは必ずしてもらってはいますね。そこから話が始まるので。

ただ、持ちかけられた問題の重さによっては、速やかに回答しないといけない質問もあると思っているので、全て同じように対応しているわけではないです。何か課題があったとして、『これは時間かけても大丈夫だな』『これは失敗してもフォローできるな』と思えた場合は『申し訳ないけれど、一回、管理者間で考えてみて』『この課題は、◯◯事業所の誰々が強いから、一度相談してみて』とか――

ちょっと冷たいように思われるかもしれませんが、そんなふうに返すことはありますね。誰かの判断に頼るのではなく、その人自身が動いて、考えた上で進めていくと、たとえ失敗したとしても想定内に収まることが多いです。場合によっては、ミスがあっても大丈夫なように、事前に根回しをしておくこともありますしね」

CHAPTER6

相手の気持ちになって考える――その先に、あったもの。

「『なんで今の自分があるんだ?』と問われたら……『相手の気持ちになって考えること』ができるようになってくると、その人に合った立場が用意されるんじゃないかな、という気がしています」

―竹内さんは異業種から転職をされて4年という短い時間でブロックマネージャーになられています。元々、入社当時から「マネージャーになりたい」といった目標や思いはあったんでしょうか。

「私は介護職に就いてから、『コーディネーターになりたい』という思いはあったんです。『管理者までならできるかな』と思ってお受けしてきたところがあったんですが、そこから上の役職は、本当に正直なところ、介護経験4年の私にはわからない部分が多すぎて――。この仕事は奥が深いですよね。ゆえに、近頃の私の口癖は、『貝になりたい』なんです(笑)。『私を貝だと、石ころだと思ってください』と。

もちろん現在は、『マネージャーをお受けした以上は精一杯、責任を持ってやらなければいけない』という思いで仕事に臨んではいます。でも元々は『上に行きたい』という思いが全くなかったんです。

若い頃にあった向上心も、正直なところ、今はないんです。『じゃあ、なんで今の自分があるんだ?』と問われたら……これはクライアント、アテンダント関係なくだと思うんですが、『相手の気持ちになって考えること』ができるようになってくると、自ずと周りがその姿を見て、『この人のこんなところがいいな』と思ってくれて、結果、その人に合った立場が用意されるんじゃないかな、という気がしています。もちろん現実的には、介護業界の慢性的な人材不足という側面もあって、役職に就かざるを得ないこともあるとは思うんですが。

もし『マネージャーになれたらいいな』と思っている方がいらっしゃったら――私がそうじゃないのでなんとも言いづらいところではあるんですが――その考えを持ち続けていただければ、自ずと見えるものが変わってきて、その人に合ったポジションに移っていくんじゃないかな。そんな気はしますね」

―竹内さんは各事業所の管理者の方とやり取りすることが多いと思うのですが、一緒に働く方たちに日々、どんなことを伝えているんでしょうか。

「よくお伝えしているのは――重度訪問介護は一対一、直行直帰の仕事で孤立感を感じやすい職種であること。その時に“相談できる人がいる”というだけでも、アテンダントの孤立感は違ってくると思います。

定着率を上げるためには、気配りですかね。程よい接点を持つこと、近づきすぎず遠すぎない距離感を保つこと。可能な限り、孤独感、孤立感を感じさせないことが一番重要になってくるかと思います。それから何かあった時にすぐ反応すること――これはコーディネーター時代からずっとやっていることでもあるんですが、例えばチャットワークもそうですが、誰よりも早くレスポンスしようと思っているんですよ。

レスポンスを早くすることで、アテンダントの方々が『あ、自分をちゃんと見てくれてるんだ』『ひとりじゃないんだ』って少しでも思ってくれればいいな、って。『押し付けではなく、自分ができることってなんだろう』と思ったら、そういうことかなと思ってます」

―これからの社会を考えた時、介護職はさらに必要とされますし、仕事内容も広がっていく可能性のある仕事でもあります。そんな可能性を感じることはありますか?

「介護職の可能性ですか……?経験4年の私に(笑)」

―貝になっちゃいますね(笑)。では、『介護職に興味がある』という人がいたとしたら、竹内さんは、どんな声をかけますか?

「そうですね。採用の面接では、特に男性の方、異業種から転職された方に必ず言うのが『介護は今後も絶対になくならない仕事ですよ』と。いずれIT化が進んだとしても、それは業務の一助であって、現場の人員が極端に削減されていくようなことはまず考えられない。

ですから『長く仕事を続けたい』『安定した職業を求めてる』ということであれば、『介護職は絶対おすすめです』と伝えています。介護の仕事は“手に職”だと思っていますので」

CHAPTER7

私たちが本当に守るべきものはなんだろう。

『自分の仕事は、働いている方々の生活を守ること、ひいてはその方の家族の生活を守っていくことでもある』

―東海ブロックは非常勤スタッフを含めると、総勢200名近いメンバーで運営しているとお聞きしています。一緒に働いている方たちに、今後、どんなことを伝えていきたいですか。

「かっこつけるわけではないんですけども、東海ブロックに所属している方たちには、今後、『活躍してほしいし、目立ってほしいし、上に上がっていってほしい』という思いはありますね。それから、これは経営者目線の話になってしまいますが、アテンダント一人一人の顔が見えるところに降りていくほど、『自分の仕事は、働いている方々の生活を守ること、ひいてはその方の家族の生活を守っていくことでもあるんだ』という感覚にも敏感であってほしいと思います。

例えば、見渡してみると『生活を守らなきゃいけないから働いている』という切実な背景があって、我慢して支援に入ってくださっているアテンダントの方もいらっしゃるんです。でも実際のところ、そういう状況だと長く働いていただくことは難しいんですよね。

だからこそ、一人一人の仕事に向かう背景、どういう思いで仕事をしているか――管理者の方々にはそういった思いに耳を傾けるというと姿勢を持っていただきたいなと思っています。

その上で――会社としてはクライアントを守らないといけないのですが、現場サイドではアテンダントを守らないといけない。その上に、クライアントの在宅の生活が叶えられている――と私は考えているので。もちろん、鶏が先か卵が先か、なんて話になってしまうので、どちらが先かを話すのはおかしな話なんですが、アテンダントがいなければクライアントの支援自体も難しくなる。我々の立場に立った時に、本当に守らなきゃいけないのはアテンダントだと思っています。

これは管理者の皆さんに伝えていることなんですが、“甘やかすのではなく、無理させすぎないこと”。アテンダントからの『もう辞めます』という言葉が第一報だった時というのは、管理者やコーディネーターが何もしていなかった――ということになってしまうと思うんです。それだけは絶対に避けなきゃいけない。

働きやすい環境づくりという面でも、アテンダントの方への気配りや声かけをしてもらうことはもちろん、各管理者の方々には『守るべきものがあるんだよ』という、一人の人生に関わることの重さ――そんな視点を持ってもらうことで、全体としてより良いブロックになっていって、働いている皆さんがハッピーになってくれるといいかなというふうに思っています」

―働く皆さんと、これから育てていきたいものがあったら教えてください。

「難しい質問ですね……。何度も出てきてますが、やっぱり100点を求めないというところは重要かなと思っています。

私は、いろんな人にお伝えしている言葉がふたつあって――『自分自身に余裕がないと人に優しくできないよ』ということ。これが私の持論としてまずあるんです。それとともに、人に何かを指示する時や相談された後もそうなんですが、一番最後に――汚いかもしれないけれど――『上手にやってね』という言葉をかけるんですよ。要は『正解はないんだよ』という意味で、“よく考えて、上手にやってほしい”と。

具体的に『ああやって、こうやって』と具体的に言ってしまうことは、やっぱり相手がいることなので難しいじゃないですか。だから、“臨機応変に”という言葉が一番適切かもしれません。でも、そういう力を皆さんが身につけてやっていっていただけると、自ずと個々が苦労しない支援の仕方や接し方が身についてきて、長く仕事を続けていけるようになるんじゃないかな、と私は思うんです。これは自分の経験からなんですが」

―では最後に……竹内さんがご自身の中で育てていきたいものはありますか?

「そうですね。今、言ったことを自分自身が極めること……ですかね(笑)」


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