《interview 2025.03.05》
土屋とグループ会社の経理業務を担う財務経理部。
その部長として働く渡邉聡(わたなべさとし)は会計事務所に勤めたのち、異なる業界、さまざまな会社の経理部で働き、「会社の“中”のお金の動き」をしずかに見つめてきました。
その後、「いつか介護や福祉の業界で力になれたら」との思いから出会った土屋で働いています。
今、部署のメンバーと、賑やかな場所で、それぞれがこつこつトントン――日々を積み重ねていく経理の仕事の、ちいさな音に耳をすませてみます。
株式会社土屋 本社
財務経理部 部長
株式会社土屋 本社
財務経理部 部長
土屋とグループ会社の経理業務を担う財務経理部。
その部長として働く渡邉聡(わたなべさとし)は会計事務所に勤めたのち、異なる業界、さまざまな会社の経理部で働き、「会社の“中”のお金の動き」をしずかに見つめてきました。
その後、「いつか介護や福祉の業界で力になれたら」との思いから出会った土屋で働いています。
今、部署のメンバーと、賑やかな場所で、それぞれがこつこつトントン――日々を積み重ねていく経理の仕事の、ちいさな音に耳をすませてみます。
CHAPTER1
高校の時から、漠然と「資格」というものに憧れていた
―お子さんの頃の話から伺っていきます。渡邉さんが育った場所や、「こんな子どもでした」というお話を聞かせてください。
奈良で生まれて、新しくひらけたニュータウンで育ちました。
育った街は、同じ地域のなかに幼稚園、小学校、中学校……と学校が並んで建っていたんです。
だからみんなが知り合いで、ほとんど中学校まで一緒。友達とも長い付き合いでしたね。
その頃は公園や外でよう遊んでましたね。
近くに山や竹林があって、今ほど厳しくなかったので、勝手に入っていって山に登ったり、竹林で探検したり、基地をつくったりして遊んでました。
―10代の頃、熱中していたものや、部活で関わっていたものはありましたか?
中学はサッカー部に入っていましたが、最後は幽霊部員みたいになってましたね。
高校に入学して、もう一度サッカー部に入ったんですが、今度はクラブが潰れて続けられなくなって(笑)。
社会人になってからは高校の時に一緒にサッカーをやっていたメンバーと自主的にチームをつくったりして。
奈良県のリーグに登録して活動してたこともありました。
―ご自身の性格はどんなでしたか?
もうほんまみんなと外で遊ぶのが好きやったんですよ。
その頃から、わちゃわちゃガヤガヤやってましたね。元気で賑やかな中にいたんだろうなぁと思います。
―賑やかなところがお好きなのは、今も変わらないですか。
基本、みんなが楽しく過ごしてるというか、笑ってるというか、そういう場や雰囲気が好きですね。
―ちなみに……小さい頃、「こんな仕事をしたい」「こんな人になりたい」といった夢はありましたか?
いやぁ、それが全く覚えてないんですよね(笑)。
ちいさい頃はおそらく、「ガンダムのパイロットになりたいな」とは思ってたと思います(笑)。
戦争はもちろん嫌ですけれど、「将来、ほんまにモビルスーツみたいなのができてるんかな」とか
「ロボットに人が乗って、宇宙に行くとかなってるんかな」っていうことをよく想像してた気がします。
―学校を出てからは……
高校を卒業して大学に行くんですが――高校の時から漠然と「資格」っていうものに憧れていたような気がします。
公認会計士とか税理士とか司法書士とか……その時からなんとなく思っていたんです。
当時から「そういった国家資格を取れたらいいな」と思っていたのを思い出しました。
CHAPTER2
結果ではなく、リアルタイムで動く会社のお金の流れに関わって
その後、大学を卒業して、最初は会計事務所に就職しました。
その事務所には税理士さんや会計士さんがいらっしゃって。
資格への憧れもあったし、同じところを目指していく道もあったんですが、「これは難しすぎるやろ」と(笑)。
みなさん、資格取得のために死ぬ気で勉強してましたからね。
当時の自分には、そこまでやる熱量はなくて。
ただ、ある企業の担当になって記帳代行や税務相談をさせてもらっていた中で――「会社の“外”からではなくて、“中”に入ってやりたいな」っていう思いが出てきたんです。
―あぁ、なるほど。会計事務所に所属していると、会社の外側から関わることになるんですね。
そうなんです。
領収書や請求書などを通して、その会社でのお金の動きや取引の記帳を代行する。言うたら“結果”ですよね。
そこから決算書をつくったり、できあがった決算書に対して説明をしたり――会計事務所で働いていた時は、事後に対しての関わりだったんです。
でも事後ではなくて、数字をつくる方というか、「リアルタイムで見たいな」っていう思いが出てきて、「会社の中での経理に関わってみたい」と思い始めたんですよ。
―そこから、会社の中の経理部に所属されたんですか?
そうですね。
その後は会社に入って、社内経理をやってきました。会社のお金に関わる部署なので、社内でお金がどんなふうに動いているか――何にお金を使っていて、なぜこのお金を使うのかが見えてくる。
働いているうちに、「会社ってこういうふうに動くんだな」というものが、徐々に実感としてわかってくるんですよね。
そうなってきたら今度は、「ここは無駄じゃないか」「これってほんまに必要な経費なん?」っていう部分がどんどん見えてくるんです。
そこから、いくつかの会社の経理部で働いてきました。
何度か転職をしたんですが、できるだけ経験したことのない業種・業界を選んで転職してきました。
たとえば、I Tベンチャーだったり、飲食業だったり、家具卸売業の会社だったり――ネット通販の会社とか、いろいろです。
でも介護業界は土屋が初めてでした。
CHAPTER3
ハンマータイプと日本刀タイプ――それぞれの働き方、それぞれの役割
―これまで渡邉さんが働かれてきた中で、ご自身のターニングポイントになった出来事や出会いはありましたか?
ターニングポイント……そうですね。
すごく記憶に残ってる言葉があります。昔、勤めていた会社の社長さんに言われたことなんですが――「世の中の人には2タイプあって、ひとつは日本刀タイプ。
頭の回転が速く、切れ味が鋭くて、仕事がめっちゃできる人で、もうひとつはこつこつコンコン、地道に叩いて、じっくり進めていくハンマータイプ。
全然タイプが違うから役割が違う」っていう話をしてくださったんです。
日本刀タイプは切れ味がいいから、ざっくざっく道を開いて進んでいく。
だけどハンマータイプは岩をコツコツ叩いて割って進んでいく――日本刀タイプだと刃こぼれしてしまって岩を割れない。
だけど、ハンマータイプはコツコツ叩いて地道に岩を割っていける。
どっちがいいという話ではないんですが。
世の中って、仕事ができる日本刀タイプの人がフューチャーされやすいところがあって、
「でも実はハンマータイプの人は、地道にやっていくことで日本刀タイプの人が出せない結果を出すことができる」――そういうことを話していただいた機会がありました。
僕は言うたら、ハンマータイプだったんですが、その時はまだ20代後半で、日本刀タイプを目指そうとしてたんでしょうね。
社長さんがそれを感じとって、「お前はそのタイプじゃないから」と。
きっと、「自分に合った道を行け」ということを言いたかったんだと思います。
僕は「そういう見方もあるんや」って思って、その時、すごく衝撃を受けたんです。
確かにそうだ、と。
そこからは地道にコツコツと、自分にとって無理のないやり方というか――切れ味の鋭い日本刀タイプの方たちとは別の考え方や道を歩んできたんですね。
―20代だと、それこそ“日本刀”になりたい時期ですね。
そうですね。
その社長さんは本当に頭の切れる人で、「俺は日本刀タイプだ」と言っていました。
その代わり、「岩をコツコツトントン叩くのは性格上向かへん」っていう話もされていました。
僕はそれまで「仕事ができる人=日本刀タイプ」っていうイメージを勝手に持っていて、
特に「人の上に立つ人や役職に就く人はみんな、切り開いていくタイプの人なんだろう」と思ってたんやと思います。
でもそういう人だけじゃない、と。
僕のようなハンマータイプの人も時間はかかるかもしれないけど結果を出せるし、上に立つこともできる、と。
社長さんはそういうことを言いたかったんだろうな、と今は思いますね。
―いいですね、その社長さん。
そうですね。やんちゃな社長さんでしたけど(笑)。
ものすごく頭が切れる人で。自分で言われるように、ザクザク仕事を進めていく方でした。
ー会社の中の経理部というのは、会社の規模によって大きさや人数も違うものなんですか?
そうですね。
会社の規模によって経理部の人数も違いますし、担当の仕方も違います。
たとえば、売り上げが1億から2億といった規模の会社の経理だと、ひとりで決算まで全て担当するところもあります。
土屋のように規模が大きくなると、ひとりでは見きれないので「売り上げは○○さんが担当」「経費は○○さんにお願いします」といった分業でやっているところもあります。
そうやって数名が集まって、会社全体の決算をつくり上げる。
会社の規模によってやり方や人数は変わってくるんです
CHAPTER4
会社の仕組みや制度、ルール――「こうしたら、もっとよくなるんじゃないかな」って想像をして、自分たちで仕事をつくっていく
―2024年に土屋に入社をされます。どんな流れがあって入社されたのかを聞かせてください。
前職を退職することになって、仕事を探し始めた時に人材紹介会社から土屋を紹介してもらいました。
僕には子どもがひとりいてるんですが、知的障害を持ってまして、個人的にも介護や福祉業界には一生関わっていくことにはなる、と思ってました。
漠然とですが、前の会社に勤めていた時から「将来、福祉や介護業界で何かお力になれたらな」と。
息子がお世話になる業界なので、自分がそこで働くのか、ボランティアをするのか、寄付するのか――形はわからなかったんですが、そんな思いをずっと持っていて。
そんな中で、土屋がちょうど募集をしているのを見て応募しました。
―実際に、介護や福祉といった業界に入ってみて、いかがでしたか?
自分が実際に現場に関わることはないので、そのこともあって正直なところ、まだまだわかっていない部分があります。
現場の経験があったらもうすこしイメージしやすいのかな、と思いながら、本で読んで学んだり。
実際に経理処理にも関わってはいるのですが、細かなところは部署内の詳しい方にお任せしてるところもあります。
人に関しては本当に優しい方が多いです。
土屋の中では、感情的に怒ってる人や怒鳴ってる人とか――もちろん、関わった方はそんなに多くないんですが――を見たことがないので。
私は過去にはいわゆるブラック企業と言われる会社で働いてきたこともあるので、その時はイスを蹴るとか、怒鳴るなんて普通にあった時代でしたし。
仕事で上手くいかないことがあっても、みなさん「大丈夫」って言ってフォローしてくれますし、そういう風土は「いいな」と思います。
人と人とがいい感じでつながっていて、仕事もプライベートも――いいシナジーが起こってこうなっていってるのかな、と感じますね。
―土屋は創業して5年目になります。自分たちで仕事をつくっていく部分も多いのでは、と思いますが、そういった面でこれまでの会社と違うところはありましたか?
そうですね。
もともとスピンアウトして創業した会社であるとは聞いていたんですが、土屋としては4、5年の歴史の会社ということで、
バックオフィス側も仕組みや制度、ルールがまだまだできていない部分があると感じています。
今後はどんどんきちっと整えていきたいですね。
「こうしたら、もっとよくなるんじゃないかな」って想像できる部分がありますし、そういうところに関われるのはやりがいでもありますね。
―土屋の財務経理部について、どれくらいの人数の人が働かれていて、どんな内容の仕事をされているのかを教えてください。
財務経理部は私を入れて8名のメンバーが働いています。
大阪のオフィスに出社している人もいれば、在宅勤務の人もいます。
ひとことで言うと、賑やかですね。
仕事内容を簡単に言うと、会社のお金の流れや取引を記帳、管理をしています。
今は土屋とグループ会社の経理業務や付随する業務などを担当しています。
決算の申告書作成のために、日々の取引を会計ソフトに記録していく。
イメージしやすいところで言うと、売上や入金の入力、社員が立て替えた経費の集計や精算、振り込み依頼の手続きなどです。
疑問点などがあれば、各事業所や各部署とやり取りもしています。
――そういう日々の積み重ねですね。
CHAPTER5
介護という仕事の意義と必要性。バックオフィスから、プライベートから、アテンダントやクライアントの姿を想像する
―渡邉さんの価値観や日々考えてることをお聞きしたいな、と思います。仕事や生活の中で大切にされていることを教えてください。
そうですね。
コミュニケーションは大切だなということと、協調性――やっぱり「一緒にやること」って大事だなって。
そのためにも、さっき言ったような感情的に叱責したり、怒鳴ったりをしないように心がけてますね。
やっぱりそういった行為によって、築いてきた関係が一瞬で崩れるので。
―「いつか関わりたいな」という思いで土屋に入られて、介護や福祉と関わっていく中で、今はどんなことを感じられていますか?
そうですね。
業界そのものをまだわかっていないところもあるので、日々勉強ですね。
「まだまだ勉強中」で……この歳で言うことかっていうところもあるんですが(笑)。
ただ、現場のみなさんの支援されてる話を聞くと尊敬の念しかありません。
重度訪問介護という仕事は――お話を聞く中では、「大変な仕事なんだろう」と想像するところもあり、仕事の意義や必要性を強く感じています。
本当に世の中になくてはならないサービスだと思いますし、求めてる方もいっぱいいらっしゃる。
やはりサービスが広がっていけるように、会社が継続をしていくことが大事――そういう思いは改めて感じています。
―先ほどお話されていた息子さんのことを伺ってもいいですか?
はい。
私の子どもも放課後等デイサービスを利用してまして、僕は送迎等でデイサービスの方と接するんですが、
そのスタッフの方たちも本当にみなさん優しいですね――ただ、スタッフが変わることも多々あるので、
「おそらく業界的にも厳しいんだろうな」ということは以前から思っていました。
ネットやテレビの知識として「賃金が安い」とか「負担が大きい」という情報を聞いてはいましたが、
実際に目の前でスタッフのみなさんの姿を見ていると――こういった仕事をしてる方たちに子どもを支援していただいて、助けていただいてる。
本当に感謝してます。
単純ではありますが「頑張ってほしいな」「応援したいな」と思いますね。
―仕事でも生活でも見えるものが重なるところがあるんですね。日々の中ではどんなところに喜びや嬉しさを感じていますか?
喜び……プライベートは、家族の笑顔を見るのが楽しいというか、幸せですね。
奥さんもそうですし、子どもも笑顔で過ごしてくれているとめっちゃ嬉しいです。
「幸せやなぁ」ってなりますね。
仕事では先ほども話が出たんですが、数字はもちろんですが仕組みや制度をつくっていって、
それを社員のみなさんに使ってもらうこと――今まであったものをすこし改善して、「使いやすくなった」とか、
みなさんからすこしでもそういう声をいただけると「嬉しいな」と思います。
CHAPTER6
父は「中」から、子は「外」から。一緒に電車を楽しんでます
―お休みの日はどんなふうに過ごしていますか?
休みの日は子どもと一緒に出来る限り過ごしてます。
子どもが電車が好きなんですよ。「電車を見に行きたい」って言うので、一緒に電車を見に行って、僕は写真撮ったり動画撮ったり。
家に帰ってきて子どもと一緒にそれを見たり、そんな過ごし方をしてますね。
最近は僕も電車にめちゃめちゃ詳しくなってきました(笑)。
―(笑)。お子さんは乗るのが好きなんですか?それとも外から……
僕は乗る方が好きなんですが、子どもは見る方が好きなんですよ。
「乗りに行こうや」って言ってもあんまりで――多分、乗ったら電車が見えへんからだと思います(笑)。
岡山の井原市にある土屋の本社に行った時には、井原鉄道でレアな車両が走ってるので、
その写真を撮って「お父さん、こんな電車乗ってきてん」って見せたりもしましたね。
―渡邉さん自身は、先ほどサッカーの話もありましたが、続けてる趣味だったり、これから始めたいことってありますか?
そうですね、今はあまりなくて――。
もともと小学校の時はファミコンが好きで、それからいろんなゲームソフト――
ドラクエとか、ファイナルファンタジーとか――をやっていたんですけれども、子どもが生まれてからはゲームは全然しなくなりました。
ほんまは……体を動かしたり、最近は水泳をしたいんです。
―もともとサッカーをされていたので、体を動かすのはお好きなんですね。
そうですね。
ただ、サッカーは足を複雑骨折して辞めてしまったのもあって、ちょっと遠ざかっていました。
30代にはフットサルに切り替えてやってたんですが――でも、やっぱり体動かさんと太ってきてしまってるんで(笑)。
そういえば、小学生の頃、夏休みにスイミングスクールに行ってたことがありました。
その頃から水泳は好きやったんですよ。
今で言うと、走るのはちょっとしんどいので、泳ぐのがちょうどいいかなと思ってます(笑)。
―これから、「土屋でこんなところに関わっていきたい」「こういうことを行なっていきたい」というところを聞かせてください。
土屋は毎年11月が事業年度の変わり目なので、10月が決算の時期になります。
その時期は1年間の取引残高の一致を確認したり、決算書を作成したり――と業務が重なり、最も忙しくなる時期なんです。
第5期の決算では、財務経理部のみなさんに本当に頑張っていただきました。
それもあって、今後は残業をしなくてもできるような仕組みを整えたいと思ってます。
それから時間はかかるかもしれませんが――グループ会社の経理の情報等も集めて、
土屋グループ全体として、数字を経営に活かすことができるような取り組みをしていけたらなと思います。
他にもこれは――ちょっと言い過ぎかもしれないですが(笑)。
いろいろ心に秘めているところはあるんですが、そこは大風呂敷を広げることになってしまうので(笑)。
―いえいえ、ひとり一人が夢を見ることは大事だなぁと思います。先ほど、お子さんの話をお聞きしましたが、渡邉さんが10年後、20年後、「こんな社会になってったらいいな」という思いはありますか?
そうですね。
僕はあんまり気にする方ではないんですが、子どもと歩いてると、まわりの人が「ん?」ってなる時があったりするんですよね。
子どもなので喜んで、いきなり声を上げたりすることもあって。
そういう時の偏見の目じゃないですが――「偏見のない世の中になってほしいな」という思いはあります。
障害を持ってる方も持ってない方も一緒に過ごせる社会というか。
そういう願いはありますね。
CHAPTER7
「自分らしく働く」ってどういうことだろう?
―渡邉さんにとって、土屋や介護業界で働き続ける理由はどんなところにありますか?
そうですね。
土屋のサービスは世の中を助けていて、たくさんの人を支えているサービスです。この事業をずっと続けていく、広げていく意味は大きく、大切なことだなと思います。
自分もその一部分で何かお手伝いができたら、と思ってやらせていただいてます。
僕自身は経理という部署なので、直接、支援や現場というところではお力になれることはなかなかないんですが、
財務経理というところから土屋グループのみなさんを支えるような仕事を今後もさせていただきたいです。
―実は、「渡邉さんにとって“自分らしく働く”ってどんなことですか」という質問を最後に入れさせていただいたんです。
そうですね。質問表を見て、実はすごく困りました。
―介護や福祉では、「クライアントが“自分らしく”生きることを支える」ということはよく言われるのですが、一方で、「働く側はどんなふうに考えているのか」をお聞きしてみたいな、と。
「自分らしく働くってどういうことやろな」と思って――正直、あまり考えたことはなかったですね。
うーん、どうしようかな。答えが出てけえへん(笑)。
―そうですよね(笑)。ただ……お話を伺う中で、先ほどのハンマーの話は渡邉さんがもともと持っている“らしさ“のところと通じるのかも、と感じました。
自分の思いというか、タイプとか、思考というか――。
ハンマーの話は確かにそうですね。「自分のやりたいこと」とか「やれること」っていろいろ言いますけど、自分に合ってることを続けるのが“自分らしく働く”ということなのかもしれないですね。
「やりたいことだけどできなかった」り、でも逆に、「やりたくないけど実は自分の適正に合って」たり。
でも、やりたくないことを続けるのも大変ですし、続けているうちに「やりたくない」っていうものがなくなって続けられるようになったり――いろんなものがあるとは思うんです。
でも自分の適正に合ってるというか、自分が持ってるものに合うことを続けて、それを仕事としてできる――それが自分らしく働くっていうことかもしれませんね。