有限会社ノーマルライフ

有限会社ノーマルライフ

神藤初美

デイサービス生き活き

“ありがとう”の言葉は、他の仕事では聞けない、嬉しい言葉

 《interview 2025.08.26》

有限会社ノーマルライフ「デイサービス生き活き」で働く神藤初美(しんとうはつみ)。
ディスクレンタル会社のリーダーの仕事を10年ほど続けた彼女はある時、「これからどうする?」と自分に問いかけたと言います。
「私が求めてるのはこの仕事じゃない」という答えを出した神藤はその後、かつて関わっていた介護の仕事にふたたび就きました。
その時、思い出されたのはクライアントが言ってくれた“ありがとう”という声。
“その人”の本来の姿と出会い、深く関わり、続けていく――この仕事の喜びを神藤に尋ねました。

CHAPTER1

ゴム跳びや缶蹴り、鬼ごっこ。田んぼでザリガニ採り――外遊びが好きで、活発な子でした

東大阪で生まれ育って、ずっとこの付近で暮らしています

―神藤さんは、どんなところで生まれ育ったんでしょうか。

東大阪で生まれ育って、ずっと地元です。
このノーマルライフで働き始めたのも、近くに実家があったこともあるんです。

幼稚園、小学校――この近辺でずっと暮らしております。
この辺りは、昔はもっと田んぼや畑が多かったですね。

当時は電車の音が家まで聞こえていました。
ただいつからか建物がたくさん建って、今は電車の音が実家まで聞こえなくなって――そんな変化がありました。

―ちいさい頃は、どんなお子さんでしたか。

外遊びが大好きで、活発な子でしたね。
学校や公園でゴム跳びや缶蹴り、鬼ごっこをしたり、田んぼでザリガニ採りをしたり。

毎年夏に近くの山に行く時には必ず早起きして――いとこ同士で虫かごと網を持って、カブトムシやクワガタを採りに行ったりもしました。

塀に上って、出会った人とジャンケンポンしていく遊びをして、足を滑らせて落ちちゃったことも。
大怪我をして、血だらけで家に帰って怒られた記憶があります(笑)。

とにかく女の子じゃ考えられないようなことをいろいろして遊んでましたね。

―(笑)。その後、中学生、高校生になった時に熱中していたことや夢中になっていたことはありましたか。

すごく夢中になるタイプでした。
中学生の時は塾でいい先生と出会って、勉強することが楽しくって。

結局はその時だけだったんですが(笑)、勉強することの楽しさをその先生から教えていただきました。
高校は文武両道の学校で、体育の女性の先生がすっごく厳しくて――。

体育祭やマラソン大会で並外れた高い目標を掲げられて、でも私たちは必死に先生についていくっていう(笑)。
その先生が厳しかったので、鍛えられたようなところもありましたね。

中学生の時は軟式テニスを、高校に入ってからは硬式テニスをやっていたんです。
でも進学校だったので、勉強がついていけず(笑)。部活は1年ほどで辞めてしまったんですが、運動はずっと好きでした。

その後、大学時代はウインドサーフィンで風を切るのが楽しくて夢中になり20万円もするウインドサーフィンを買って毎週末、海に通っていました。

ある日、私と全く同じ色のセール(帆)の人が沖でセーリングしていたんです。
その人が主人です。

その同じ色のセールが私たちを結びつけてくれました。

大学を卒業し社会人になってからは会社の人事課に配属されて、いろいろな方と出会いました。
私は当時、テニスとスキーが好きだったんですが、会社の中で同じ趣味を持つ人と家族ぐるみで仲良くなって。

お互いの家族と一緒にテニスやスキーの合宿をしたり、月に2、3回は会って一緒にテニスをしたり。
そんな方たちと出会うことができましたね。

CHAPTER2

一派遣社員から、気がつけば指導する側へ

「これから私はどうするか」を問いかけた時、「私が求めてるのはこの仕事じゃないな」って思ったんです

ある時、主人がお正月明けに仕事に行ったら――会社が倒産していたんです。
主人も私もショックで。

その頃私はパートで働いていたんですが、こどもが3人いて、これからお金もかかるし、「もっと仕事を真剣にやらなきゃ」と。
派遣の会社に登録をして、出会ったのが映像・音楽ディスクレンタル会社での仕事でした。

そこが私の人生で大きな転機になりましたね。
10年間、携わらせてもらったんですが、一派遣社員から気が付けば指導する側にまでなってしまって――。

―どんなお仕事に関わられていたんですか。

今はスマートフォンの普及で、CDやDVDレンタルの店舗そのものが少なくなってきてますが、その頃は7階建ての大きな倉庫で、最初は店頭に並んでるディスクのケースの中にジャケットとディスクを入れる仕事をしていました。

映像メディアがVHS(ビデオテープ)からDVDに変わっていく時代だったので、仕事が追いつかなかったんでしょうね。

毎日、夜の10時ぐらいまでお仕事があって、みんなロボットのように働いて。でも私は最初、「面白いな」と思ってちょっとハマってしまったんです。

その仕事にはいろんな部門がありました。

棚に商品がズラーっと並んでいて、そこからお客様が希望するディスクをピッキングしたり、お客様から返却されてきたものを“検品”といって、キズや汚れの確認やクリーニングをしたり――。

その中で私の配属はどんどん変わっていって、気がつくと「こういう仕事をしてほしい」という依頼を受けるようになりました。

部署もだんだん大きくなり、私が辞める数年前には機械化が始まり、人がやっていた検品もクリーニングも発送も全て機械化になって――10年間の間にメディア環境も所属した部署も目まぐるしく変わっていったんです。

―シンプルな仕事から始まり、最終的には指導する側になられて――立場が変わっていくことで、また違う仕事との出会いや、見えてきた景色は変わりましたか。

そうですね。

指示されて、「はい」って言ってやるだけの仕事から、逆に指示する側の仕事になると責任感もありますし、これまでと全く違う側に立つお仕事になります。

それから、原価率を確認したり、スタッフのマネジメントをしたり、現場から離れた事務の仕事も出てきました。
達成しないといけないような目標もあったので、厳しかったけれどなんとかやっていましたね。

そこで10年ほど働いた頃、社内で問題になった上司がいて、それを機に辞めていく方がいたんです。

もちろん、会社からはその後、さまざまなフォローをしてはいただいたんですが、「これから私はどうするか」を自分に問いかけた時に「私が求めてるのはこの仕事じゃないな」――って思ったんですよね。

以前、訪問入浴の仕事に3年ほど携わっていたことがありました。
訪問入浴は1軒1軒、クライアントのお家に伺うので、ご家族も含めすごく感謝してくださるし、「ありがとう」って言ってくださる。

結局、その仕事からは離れることになってしまったんですが――その時、「すごくいい仕事だったな」って感じていたことを思い出しました。

でもその時、私がしていた仕事は全く逆だったんです。
「みなさん今日も1日頑張ってくださいね」って言う側。

私はもう「ありがとうございます」って言う側ではなく、「ありがとうって言われたいな」って。
そっちが懐かしく思って、「元いた側に戻りたい」って――。

そのことに気づいて、ディスクレンタルの会社を退職し、専門学校に通って介護福祉士の資格を取りました。

CHAPTER3

介護の仕事にはしんどいところもあるけれど、“ありがとう”っていう言葉はそのしんどさを取っ払ってくれる

私の場合は、“ありがとう”って人に言うより、言われることの方が「この仕事やっててよかったな」って思えます

―いちばん最初に訪問入浴のお仕事をされた時は、どんなきっかけで携わるようになったんですか。

それが……「ヘルパーの資格を取らない?」って友達が誘ってくれたんです。
それで何気なく研修を受けて、ヘルパーの資格を取って。

そしたらすぐに仕事のお誘いが来たんですよね。
「訪問入浴の仕事はいかがですか?」って。

でも当時の私は「訪問入浴って?」ぐらいしか知らなかったんです。

ただ、仕事内容を見てみたら、“浴槽を自宅に持っていってクライアントに入浴をしていただく”と書いてあって、しんどさよりも「面白いな」と感じたんですよ。

そこから「じゃあ、頑張ります」って(笑)。
最初は週1回だったんですが、ちょっとずつ日数が増えていきました。

訪問入浴は、看護師一人とヘルパー二人、の計三人で訪問先を回るんです。
入浴に必要な浴槽やバケツ、ホースを運んだり、エレベーターのない集合住宅は階段で上がっていかなきゃならなかったり――。

とにかく肉体労働なので、体に負担がくる。それで仕事中にぎっくり腰になってしまって。
家族からも「仕事を続けるのはちょっと無理じゃない?」と言われ、一旦そこで介護の仕事にはピリオドを打ちました。

―ディスクレンタルの仕事から、介護の仕事に久しぶりに戻られて――いかがでしたか?

退職後は、デイケアと重度訪問介護の仕事を同時にスタートしたんです。

友達から「今、人がいないから行ってあげて」と声をかけられて、重訪の仕事をちょっとだけ早く働き始めて、1ヶ月遅れでデイケアの仕事を始めました。

久しぶりに介護の仕事に戻って――最初は0から覚えないといけないので両方の仕事とも必死でしたね。
でも慣れてくると、みなさん、必ず「ありがとう」って言ってくださる。

そのことに気づきました。

みなさんからよく言われるんです、「介護の仕事って大変だね」って。
でも私の場合は「“ありがとう”って言ってもらえるから全然大変じゃないな」って思います。

「ありがとう」って人に言うよりも、言われることの方が「あぁ、この仕事やっててよかったな」って思える。

確かにしんどいところもあるんですが、やっぱり“ありがとう”っていう言葉は、しんどさを取っ払ってくれますね。
あとは体との勝負なので、そこは頑張ってます(笑)。

CHAPTER4

“その人”の本来の姿を見ることができたり、感じることができる仕事ってこの仕事だけなんじゃないかな

自分が行なった分、自分に戻ってくる。介護の仕事にはそんなやりがいがありますね

ノーマルライフは、通所介護 デイサービス「生き活き」と、認知症対応型共同生活介護グループホーム「おてんとさん」があって、今、私はデイサービス 生き活きに勤務しております。

私が8年前に入社した時とくらべると、認知症の方が多くなってきました。
今いらっしゃるのはほとんどが認知症の方ですね。

「生き活きさんは認知症の方ととてもいい関わりをしている」ということで、地域の方やケアマネさんからも問い合わせやお電話をいただいています。

―お仕事や生活の中で、人と関わる時にどんなことを大切にされてるのかを教えてください。

やっぱり――お話を聞くことが大切かな、と思いますね。
認知症の方からお話を聞いて、その方が本来持ってる何かに気づくことによって、こちらがどう関わるかが変わっていくんです。

こどもの頃からよく言われましたね。「人の話をよく聞くこと」って……。
どんな時でも、人の目を見て話を聞くことが大切なのかな、と思います。

―介護の仕事を続ける中で見えてきたもの、神藤さん自身が変わってきた部分はありますか。

そうですね。なんだろう……。
今までしてきた他の仕事と比べると――介護の仕事はやりがいがあって、自分が行なった分、自分に戻ってくる。

そんなところがありますね。

デイで過ごす中では、クライアント一人ひとりと接する時間が多いんです。
認知症の方は、よくお話してくれる日もあれば、ちょっと不穏な日もある。

天候によっても変化があります。
「今日はちょっと様子が変だな」と思ったら、お家でいつもと違うことがあったりもします。

ちょっとしたことなんですが、よく観察すると「行動の裏にこんな原因があった」っていうこともわかるんですよね。

日々の忙しさの中で、じっくりお話する時間はなかなか取れないんですが、ふとした時――たとえばトイレに付き添って行く時は1対1でお話ができますね。

そこで会話をしてると、その方の、その日の様子やちいさな変化に気づかされます。

私がこれまで経験してきた他の仕事では、人との関わりは、あくまで“仕事上のやり取り“であることが多かったと思うんです。

でも介護の現場では、本当の“その人”がさらけ出されてる。“その人”の本来の姿を見ることができたり、感じることができる仕事ってこの業界だけなんじゃないかな――と思ったり。

そういう仕事ってすごく深いですよね。
その人の歴史を感じ取れる時もあって、勉強させていただくこともたくさんあります。

最近デイに来られたばかりのクライアントなんですが、「いつでも俳句を詠めるように」と書道道具を持参されており、窓の外の梅雨の庭の様子をするするする〜って俳句にしてくださる方がいらっしゃるんです。

筆で半紙に書かれた作品をコピーさせていただき、デイの『声出しプログラム』として、他のクライアントと一緒に俳句を音読していただいてます。

デイのクライアントの中には、バイオリンやハーモニカを弾いてくださる方もいらっしゃいます。
趣味を披露してくださる方同士が関わることで、他のクライアントも私たちも楽しませてもらったり――日々変化があるんですよね。

毎日、本当にいろんなことがあって、伝えるのはなかなか難しいんですが(笑)。

多分、今、私がここにいる楽しみってそういったことなのかな。介護はこれまでしてきた仕事の中で私にいちばん合ってるし、体が動く限り続けていけるなって思います。

クライアントのある日の一句。 「梅雨空に 庭先花壇の 花の彩(いろ) 心なごまん デイの今日」

クライアントのある日の一句。 「おいしさに 釣られて通う デイ昼食 後々気になる わが体型」

CHAPTER5

その人の生活史をしること、その人の人間像をいろいろな方向から想像すること

その人の生きる時間に伴走する。これは介護の仕事でないとできないな、と思います

―ノーマルライフで働き始めてから、記憶に残ってるクライアントや出来事がありましたら、聞かせてください。

私が認知症の勉強をしている時に出会ったある男性の方なんですが――

担当をさせていただくことになり、その方の変化を観させていただきながら「その方がどうすればデイサービスやご自宅でも有意義な時間を過ごしていただけるか」をご家族に伺う機会がありました。

その方は、ある時から不穏な表情を浮かべることが多くなって、デイサービスのフロアから外に出て、塀を上って外へ行こうとすることもありました。

男性の方だったので、力が強くて私たちスタッフもどうしようもなくて。
そんなこともあれば、穏やかな時があったり、怒る時があったり――。

ある時、その方の歴史――これまでどういうふうにお仕事されてて、どんな家族構成でお育ちになったか――を奥様から伺ったんですよね。

優しい方だったそうです。
ものづくりをされていて、毎日工場に働きに行かれていたんですが、ある時、突然お仕事ができなくなってしまった。

それが認知症の始まりだったらしく、その時から仕事に行けなくなってしまって。

おばあちゃん子だったそうで、その工場におばあちゃんも連れていって、仕事をしながら面倒を見ておられたとか――そういうお話を聞くことで、その方の人間像をいろいろな方向から想像することができました。

「こんな歌が好き」っていうことも奥様から伺いましたね。

「この方はどんな時にどんな行動をされるか」という気づきを職員全員と共有して、「こういう時はこんなふうに関わるといい」といった関わり方の事例をまとめたりもしました。

不穏な時は好きな歌をかけたり、好きな番組をつける等の工夫をしましたが、その中でもいちばんは寄り添うことが大切だったな、と思います。

ただ、途中から体を動かすことが難しくなってきてしまって、デイを使うことが難しくなってしまったんです。

でもある時、私の名前を覚えてくださっていたみたいで、奥様から「家で『神藤さん、神藤さん』って言ってたんよ」って伺って、私は「えーっ!」って驚きました。

「名前を覚えてくださってたんだ」って涙が出る思いでしたね。

その方には長く続けていただきたかったんですが、認知症の進行が早く、お亡くなりになりました。

短い間でしたが、その方に出会ってお話を伺って、そんな時間をご家族とも共にすることができて――「幸せだったな」と思えました。

こういう時間は、介護の仕事だから経験できる時間だと思います。

CHAPTER6

Dance! Dance! Dance!

今はダンスを自分のために楽しみたい。本当にね、踊ってると「幸せだな」って思うんです

―ダンスやヨガを楽しまれてると伺っています。最近はどんなふうに関わられているんですか。

ダンスは昨日、仲間と楽しんできたんです。
毎週水曜日は体のメンテナンス日にしていて、翌日の木曜日には「また今日から頑張ろう」っていう習慣をずっと続けています。

これは死ぬまで頑張りたいですし、自分の健康維持のためにも続けたいなって思いますね。
続けるのは得意なタイプなので(笑)。

ダンスの後にいつも続いてヨガのレッスンがあるんですね。
ダンスはストレス発散、といった感じで体力を維持して、ヨガで柔軟性を高めてクールダウンし、リラックスしています。

その時に教えてもらったんですが――ヨガで大事な“柔軟性”は、介護職にとっても重要なんだそうです。

好きなことに関しては、いつも夢中になってしまうんです。
気がつけばダンスを始めて30年経ってますね。

いちばん下のこどもが幼稚園の時に誘ってもらって、そこからずっと通ってるので。

―お話を伺ってると……神藤さんがされているのは割と激しい感じのダンスなんですか(笑)?

ええ、すんごく激しいんです(笑)。毎回、汗だくです。

スポーツジムのダンスなんですが、60人ぐらいが入るスタジオで踊ってます。

―続けて30年となると、逆にやらないと体がムズムズするようなことも……

そうですね。
水曜日の午後からのダンスとヨガはもう定着してしまったので。

私は週1回ですが、毎日行ってはる人もいます。
テニスとスキーに集中していた時期もあったんですが、その頃は家族みんなで頑張っていたんです。

今はこどもたちも手が離れたので、ダンスを楽しんでますね。
継続していきたいなって思います。

自分のために楽しみたい。本当にね、踊ってると「幸せだな」って思うんです。

CHAPTER7

もし、“ありがとう”っていう言葉がなかったら、介護の仕事には就いてなかったかもしれません

いろんなクライアントとの新しい出会いが原動力になってますし、私にとっては楽しみのひとつになってます

―これからのことについて伺いたいです。「ノーマルライフでこれからこんなふうに関わっていきたいな」、神藤さんご自身が「こんなふうに生きていきたいな」というところを聞かせてください。

ノーマルライフは2023年から新体制となり、土屋さんが新しく入ってくださったことで環境がとても良くなりました。
ひとこと、「こういうものが現場にあったらいいな」ってお伝えすると、どんどん変えていってくださる。

お仕事もしやすいですし、いい方向に変わっていってると思います。

これからは人生100年時代になってきますよね。
今、体験に来てくださってるクライアントは80代後半から90代の方が多いんですね。

70代だと「お若いですね〜」ってなるぐらい(笑)。
みなさんお元気でいらっしゃるので、逆に私たちの体がついていけるかな、なんて(笑)。

やっぱりみなさんには元気を維持していただきたいですし、デイに来てくださってる限り、元気で楽しく過ごしていただけるような現場づくりを目指せたらな、って思いますね。

最近、若い職員が入ってきてくださったんですが、やっぱり発想が違いますね。
ドキドキハラハラするような楽しそうなゲームもいっぱい考えてくださっていろんな案を出してくださいます。

私が最初にノーマルライフに見学に来た時も、他にはないレクリエーションやゲームづくりを職員の方がいろんな案を出しながらされていましたし。

認知症の人にとっては脳の活性化ってすごく大事なので、レクリエーションを通していい現場づくりをしてくださってるのはありがたいです。

そういった意味でも、私自身もこれからいい現場づくりをどんどんしていけたらいいなって思ってます。

―最後に、もうひとつ伺いたいことがあります。「なぜ、介護や福祉の仕事を続けられているんでしょうか」という質問をみなさんに伺っているんです。神藤さんの中で、このお仕事を続けてこられた原動力になってるものはなんですか?

原動力はやっぱり……感謝される、やりがいのある仕事っていうことですね。
昨年、私の母が突然、認知症になってしまったんです。

元気でしっかりした人でしたし、認知症になるなんてとても思ってなくて、かなりのショックを受けました。

自分の家族をみることと、人のご家族をみることは全く違うんですが、ますます私は「頑張らなきゃならないな」って――。

これからの原動力といったら、「母をみる」こともありますが、やっぱり生きがいを持って――私の場合は趣味があるのでその趣味を頑張りつつ、自分の体のために、健康のために頑張っていくこと。

あとはこの介護の仕事を続けていくこと――クライアントから力をもらえることがあるんですよね。
いろんなクライアントとの新しい出会いも原動力になってますし、私にとっては楽しみのひとつになってます。

そう考えると「私は“ありがとう”を求めてるのかな」ってところに戻ってしまうんですが――。

“ありがとう”っていう言葉は私にとってはすっごくいい響きなんです。
もし、その言葉がなかったら――介護の仕事には就いてなかったかもしれないですね。

腰も膝もあちこち痛いけれど、しんどいこともあるけれど、「なんでこの仕事に毎日行ってるんだろう」って考えたら、「クライアントから“ありがとう”って言ってもらったら頑張れるから」。

“ありがとう”はクライアントからの愛のささやきかなぁ、なんて思ったりします(笑)。

ノーマルライフには、色んな人がいて楽しいです。

もちろん楽しいばかりの仕事ではないですし、いろんなことがありますが、プラス思考で考えていくようにして。ストレス溜めないように好きなこともしながら。

やっぱり――“ありがとう”の言葉に尽きるんですよね。
たった数文字なんですけれども、他の仕事では聞けない、嬉しい言葉。

その言葉を求めて、できる限り年齢を忘れてこれからも最高の仲間と一緒に頑張りたいです。

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