《interview 2022.02.14》
埼玉・大宮でアテンダントとして、コーディネーターとして活躍する中村 昌美。「誰もが自分の人生の主役であるように」。中村の軸であるその思いは、福祉という仕事へ、地域へ、家族へと注がれています。自身と他者の経験をかさねて育まれてきた、これまで〜今を繋ぐ中村の仕事。弛むことなく、流れつづける日々を訪ねます。
介護事業部 ホームケア土屋
大宮 コーディネーター
介護事業部 ホームケア土屋
大宮 コーディネーター
埼玉・大宮でアテンダントとして、コーディネーターとして活躍する中村 昌美。「誰もが自分の人生の主役であるように」。中村の軸であるその思いは、福祉という仕事へ、地域へ、家族へと注がれています。自身と他者の経験をかさねて育まれてきた、これまで〜今を繋ぐ中村の仕事。弛むことなく、流れつづける日々を訪ねます。
CHAPTER1
埼玉で生まれ、育ってきたという中村。土屋の重度訪問介護事業 ホームケア土屋 大宮を立ち上げから担ってきた一人です。
中村は、アテンダントとして現場に関わりながら、現在はクライアントと現場をつなぐコーディネーターへと移行中。
自身の仕事を「新規クライアントと関係性を構築しながら環境づくりをさせてもらい、新人アテンダントが一人で支援に入れるようにサポートすること」と説明します。
前職では、障害がある子どもの訪問保育に関わっていたこともあり、重度訪問介護(重訪)の支援現場にはスムーズに入ることができたという中村。
中村 「ご本人の過ごしやすい環境を、クライアント、家族や自分たちも含めて相談しながらつくっていけるところが重訪のいいところだなと思っています。それに、他職種との連携が取れるという環境は私にとってはすごくありがたいですね。そこは私自身の働きやすさ、安心できる環境に繋がっているなと感じています」
クライアントの家庭が支援現場となる重訪。支援中に、歯科衛生士の訪問があった際には歯磨きの仕方を教えてもらったり、理学療法士の方には、リハビリとしてどんな体操をしていけばいいのかを相談したりすることもあるのだとか。
中村 「一つ一つのケアが、コミュニケーションを取りながら、その人に合ったペースでやっていけるというのがやっぱり良さですね。この仕事にしてよかったなぁって」
今の仕事のやりがいを尋ねると、「クライアントが、他のアテンダントを褒めてくれた時がいちばん嬉しい」と笑顔で語る中村。既に、コーディネーター職としての喜びを感じている中村ですが、これまでも他者とのコミュニケーションを何よりも大切に仕事をしてきました。
中村 「自分一人のアイデアだと限りがあるし、いい支援には繋がらないと思っているんです。できないことでも、みんなで力を合わせたらできるっていう経験が、私自身すごく多くて。できる方法をみんなで考えて実現していく。そうすれば、やれないことはない、みたいな(笑)。それが私にとってのやりがいにもなっています」
CHAPTER2
中村はこれまで、看護助手や高齢者介護など、主に医療や介護の仕事に携わってきました。前職では、認定NPO法人フローレンス(*)で障害を持つ子どもや医療的ケアが必要な子どもの訪問保育スタッフとして一対一の保育をおこなってきたという中村。そこでも事業の立ち上げに関わり、子どもたち、家族、そしてスタッフと共に“環境づくり”をしてきたそうです。
中村 「前職では、その事業がスタートして半年後ぐらいに入社したので、保護者と事務局と、現場である私たち保育スタッフと、訪問看護師とみんなで現場をつくっていったんです。一軒一軒、本当にお子さんも環境も全く違うので、保育スタッフが、それぞれ担当になったお家の保育をつくりあげていきました」
「みんながそれぞれの人生の主役であってほしい。そのためのサポート役でありたい」。自身の仕事についてこう語る中村の思いは、これまでの仕事で出会ってきた人、過ごしてきた時間を通して育まれてきたと言います。
中村 「当時のパパ・ママたちとの出会いが大きかったなぁと思います。子どもを保育園に預けたいんだけど、預かってもらえなくて仕事を諦めようとしたママたちがすごく多くいたんです。もう、自分の人生をちょっと諦めるみたいな。本当は働きたいんだけど、それを諦めなくちゃいけない。保育園から断られる理由が、定員オーバーじゃなくて、障害があるから見てもらえないっていうことに私はすごく衝撃を受けたんですよ」
自身も若い頃に出産を経験し、保育園に子どもを預けていたという中村。「『定員オーバーで無理です』と言われたことはあっても『この子、うちじゃ見られません』と言われた経験はなかった。自分が過ごしてきた人生って当たり前じゃなかったんだ」と気付かされたと言います。
重訪の現場では、状況は違うものの「突然、奥様が病気になって倒れ、介護が必要になった時に、ご主人が自身の仕事をどうするか困っていた」時を共にしたこともあったという中村。
中村 「みんながそれぞれ主役になる場所って、たとえば仕事場なのかもしれないし、そうじゃないのかもしれない。でも、その場所がどこだったとしても、年齢がいくつだったとしても、みなさんそれぞれ家族との時間も大事にしながら、自分自身の人生も大事にしてほしいなっていうふうに思うんです。それを後ろからサポートができたらいいなって。みんなが主役になるためのお手伝いができるって最高な仕事だなと思っていますね」
病児保育や障害児保育、小規模保育等さまざまな事業を行なっています。
CHAPTER3
「これまでは、仕事中心の人生だった」中村が、なんとなく「地元で働きたい」と思い始めたのは40代に差しかかった頃。
地元へのそんな思いはどこからやってきたのか、遡ってみることにしました。
中村 「小さい頃、私は少年団でミニバスをやっていました。地域のママたちが車出しをしてくれたり、試合の前には『頑張ってね』と言ってくれたり、シュート決めるとみんなが喜んでくれたことがありましたね。
大人になってからは、同じ地域で自分も子育てをしてきました。子どもたちも少年団に入ってスポーツをやっていたんですが、私自身は一人親で、仕事もしていたので、近所の人が車出しをしてくれたり、できないところをサポートしてもらえる環境だったんです。本当に地域の人たちに支えてもらって自分自身も大きくなってこられたし、子どもたちも今があるなぁ、と思います」
地域の方への感謝の気持ちは、やがて中村を「支える側」へと動かします。そこには中村自身を取り巻く環境の変化がありました。
中村 「それまで私は地域の方たちにお願いすることしかできなかったんです。でも、子どもたちが大きくなったり、私が再婚をしたり、環境が変わったことで、もちろんできることって限られちゃうんですけれど、それでも今は『できることはなんでもやりたい!』と思いますね」
現在は、地域の行事にも少しずつ参加ができるようになったという中村。さまざまな変化があった数年間を経て、地域への思いは、地元で働くことへと結びついたようです。
「もしかしたら自分には関わりつづける仕事が合っているのかも──」。そんな思いを持ちながらゆるやかに仕事を探していた中村は、ある日、“福祉の総合商社”を目指す土屋のホームページを見つけます。当時はまだなかった埼玉の事業所について、気軽に問い合わせてみたところ、「これからやりますよ」との答えが。
中村 「そのあと、面談に行った時にお話ししたのが、今、ホームケア大宮でいっしょに働いている寺内マネージャーだったんですが、寺内さんが以前に居宅介護の現場で見ていたお子さんというのが、私自身が前職で巡回に行っていたお子さんだったんです。直接会ったことはなかったのですが、『繋がっていたんですね!』となったんです」
職種を超え、地域福祉のあいだをつなぐ偶然の出会いに一気に親近感が湧いた中村は、2021年7月に土屋に入社。ホームケア大宮を、寺内マネージャーと共に立ち上げていくことになります。
CHAPTER4
入社して半年が経つ中村。常に変化しつづける有機的な現場で、日々、さまざまなアイデアが生まれているようです。
中村 「以前、『介護自慢をし合う』という映像を見せてもらったことがありました。それは家族同士のコミュニティーだったんですけれど、みんなすごく素敵な介護体験をしているのに、人に話す機会ってなかなかないんですよね。
介護って『辛くてやめる』『離職率高い』なんて言われているけれど、実際、現場はそんなことばかりじゃない。私は楽しいこと、得られることの方が多いと思っているので、そういう介護自慢を『ちょっと聞いて』ぐらいのノリでできるようになったらいいなぁと思います。スタッフ同士でもそういうものができたらいいですし、それぞれのやりがいに繋げられるようなチームミーティングをこれからやっていきたいですね」
この仕事を続けていく力になるという、現場での「心と心で通じる何か」。彼女が経験したその「何か」とはどんなものだったのでしょうか。
中村 「それって多くの言葉が必要じゃなくなった時に、ふと気づくんです。クライアントとの関係って、初めは私たちに覚えてほしいから細かく教えてくださるんです。私たちも『怪我させないように』と質問も多くなってしまうし、やりとりが多くて疲れさせちゃっているところもあって。
でもそれが徐々に減っていって、目線で『これか、これか、これかな?』という選択肢ができて、私の方から『これですか?』という確認や質問ができるようになった時、『あぁ、ここまできたなぁ』と思います」
心と心の対話。そのあたたかさを語る中村に、自身が経験したエピソード(まさに“介護自慢”!)を教えてもらうことにしました。
中村 「ALSのクライアントの方の介助をした時に、私の体がぶつかってしまって『ごめんなさい』という時があったんです。その時は瞬きでYES・NOを教えてくださるタイミングだったんですけれど、その方は瞬きをしないで微笑んでくださいました。それが『気にしないで』というふうに受け取れて。絶対痛かったはずなのに『大丈夫だよ』って。
もう、びっくりしちゃって。もし私がこの方と同じ状況だった時に、瞬きしないで微笑むことができるかなって思ったら、たまらなかったですね。『こんな方がいらっしゃるんだ』って。もちろんクライアントの人間力に甘えてはいけないんですけれど、こうやってみなさんに支えられて私たちは仕事ができてる。みなさん人生の先輩だから、本当に育ててもらっているんだって実感した瞬間でした」
「私たちって一人じゃ何もできない」。何度もそう語る中村の声は、まわりへの信頼があるからこそ「だから一緒につくっていこう」、そんな呼びかけにも聞こえます。
「今は、家族みんなの時間が揃って、ご飯を食べられるのがいちばんの楽しみ」と言う中村。みんなも、自身も、誰もが自分らしい人生を歩んでいけるよう、今日もあかるい眼差しで大宮の町を優しく見つめています。