介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

川田貴之

九州 エリアマネージャー

やわらかな風が吹く場所で、命と向き合い、人のあいだで働き、生きる時間を共にする

 《interview 2023.1.18》

2022年にホームケア 土屋 沖縄・鹿児島・宮崎の3県のエリアマネージャーとなった川田 貴之。未経験から介護の仕事を始めて3年目。川田がこの仕事の上で大事にする<人への伝え方>そして<コミュニケーションの取り方>を尋ねていくと、彼自身が生まれ育った沖縄の風土にたどり着きました。

CHAPTER1

地域も立場も年齢も違う人と出会う時、人は<伝え方>と<伝わり方>を考える

沖縄・鹿児島・宮崎の3県を担当するエリアマネージャーとなったばかりの川田。
業務や関わる人の幅もグッと広がり、これまでの風景はあたらしいものに変わっています。

川田「エリアマネージャーは、各事業所のコーディネーター、オフィスマネージャーも含めてマネジメントをしていくので、関わる方の年齢も様々です。

その中で、それぞれの思いを気にかけながら、個々のモチベーションを保って、伝えるべきことを伝えていくのは簡単なことではないですね。

僕の担当エリアでもある南九州(鹿児島・宮崎)は新人のマネージャーやコーディネーターの方が多いエリアにもなっているので、今は新しいコーディネートの体制を作るための教育に携わっています。

アテンダントが相談しやすい雰囲気をどうやってつくっていくか、チームをどういったふうに変えていくか。本日もこれからミーティングがあるんですけれども、そこも現在進行形で問題解決に向かっているという状況ですね」

創業3年目に入った株式会社 土屋。川田は、会社の理念やマインドを、働く人たちみなで共有する<土壌づくり>にも力を入れています。

川田「創業2年を迎え、業務的なマニュアルはできつつありますが、『介護という仕事に向かうマインド』を、アテンダント一人一人に根付かせていくことはまだまだ進行形です。

今は、これまで僕がいろんな方から教わってきた、マネージャーとしてのマインドや立ち振る舞い、そういったものをできるだけ1対1のミーティングで伝えています。言葉で直接伝えることもありますが、動き方で示すこともあります。

親身にお話を聞いてアドバイスをして、いろんな選択肢の中から選んでもらって、という業務のフォローをしていますね」

日本全国に事業所を展開する土屋では、オンラインのミーティングを通して、各地で働く従業員とやり取りをすることが日常的です。地域、立場、年齢も違う人々が集う場では、画面越しにも様々な背景に見えてくると言います。

川田「やはり、人あっての仕事なので、各県のアテンダントの方たちの重度訪問介護に対する認識や支援に対する認識は各事業所のマネージャーの色で変わるなぁと感じています。

沖縄は、というと、おおらかな方が多いですね。『なんくるないさ』という琉球方言があって、『なんとかなるさ』っていう意味でよく使うんですが、それを体現してる方は多いと思います。

担当エリアが広がり、沖縄以外の地域の方とのやりとりが始まって、より多様な背景を持つ人と出会うことが多くなりました。

だからこそ、共通言語として『なぜこれをやるのか』、『なぜこれをしてはだめなのか』という根拠に基づいた説明も必要です。最初はそのギャップを感じてもいましたが、逆にそこを感じられたからこそ、僕もしっかりと説明できるようになろう、と説明能力をつけていくところは勉強中ですね。

一つの言葉が違うだけで、人への伝わり方というのは変わってくるので」

CHAPTER2

したかったのは、0から1をつくる仕事。重訪の仕事と出会うまで

川田は三人兄弟の末っ子として沖縄県に生まれます。「兄二人の下で、一番甘やかされて生きてきました(笑)」と笑う川田。

川田「母親が看護師をしていたんですよ。そのせいか、小さい頃から冗談っぽく『医者になったらいいよ』なんて言われてたんです(笑)。『そんなの無理でしょ』なんて返しながら。

小さい頃は、母親の仕事を見ていて忙しそうなところもあったし、夜はいないこともありました。『今日、小さい子が病院に運ばれてきて……』なんて話もあったんですが、それでも働く姿は楽しそうでしたね。『今日はこういう患者さんがいたんだよ』という話をよくしてくれて。そんな母親は素敵だなと感じていたんです。

母親はどちらかというと天然なんですが(笑)、仕事に対しては弱音を吐くこともなく、メンタルがとても強かった。子どもには見せてなかっただけかもしれないんですが、父親も同じことを言っていました。僕自身もあまり緊張しないタイプ。仕事や大きな出来事も淡々とこなすところが母親に似てるね、とは言われていました」

しっかりとした体型から、中高生時代の部活動について尋ねると、「小学校から中学までは野球を、高校ではハンドボールをしてきた」そう。

川田「小学校の頃から野球を始めて、チーム競技をやってきたので、『相手がこうやった時、周りはどうするか』『相手はどう思ってるのか』等、目の前の相手やチーム全体を常に観察することは自然に身についたのかなと思っています。今、そこまで意識をしていることはないんですが。

あとは体育会系だったので、多少のきついこと――例えば急に依頼される無茶振りな仕事なんかも(笑)――『これはいい経験になるな』と受け取れる、ポジティブな考え方はすごく培われましたね。チームスポーツは、いかにみんなのモチベーションを保って、前向きに頑張っていくか。

会社や組織も、『ある方向に向かってみんなで動いていく面』がありますから、そういったところはチームスポーツから学びましたね」

本来の気質も相まって、自身のポジティブな面を磨いてきた川田。県内の大学卒業後は、地元のガス会社の営業職に就きます。

川田「僕は人との関わり、喋ることがすごく好きだったんですね。いろんな企業に行って飛び込みで営業をしたり、訪問や個人に商品の説明をしたり、<0から1をつくる営業>をしてみたいなと思って営業職に就きました。

でも、ガス会社に入ると、基本的に下っ端は営業はさせてもらえないんです。勤めた会社では新規の契約を取りにいく流れはなく、紹介からきたものを受けていくことが暗黙の了解になっていて、営業という営業がなかった。業務も上司との関わりしかなかったし、入職時の思いとのギャップを感じていました」

3年ほど働いたのち、川田は転職に向けて動き始めます。

川田「転職の理由は、やはり結婚を機に決めたのが大きかったですね。
沖縄は基本的に中小企業しかないんですが、全国的に比べても所得や給料も低いし、休みも全然ないことがあって、転職を考え始めてからはあちこち調べました。

介護職に進んだのは、母親からも『福祉とか看護関係もいいんじゃない』という話をされていたし、『介護は食いっぱぐれないだろうな』っていうところも大きかったですね。後に一緒に働くことになる現・ホームケア土屋 沖縄オフィスマネージャの宮里も、当時は介護施設にいて、活き活きしていて楽しそうだった。それが一番いいなぁと思って。

僕も最初は『介護施設もいいんじゃないかな』とも思っていたんですが、いざ施設に就職しようとしたら、『無資格・未経験は正社員じゃ雇えない』と言われて。『福祉業界ってそんな感じなのか……』と思っていたら、無資格・未経験でも管理職/マネージャーを応募してる求人を見つけて、これはチャレンジしてみようかなと思って重度訪問介護(重訪)の仕事を始めたんです」

 

CHAPTER3

仕事は一人で抱えこまず、自分以外の人の知恵と言葉を借りる

2020年2月、重度訪問介護の仕事をスタートさせた川田。

「人と関わることが好き」と自負する彼にとって、初めての介護の仕事はするりと馴染んだようです。

川田「同じ空間で、長時間一緒に過ごすので、自然とたわいもない話をしたり、コミュニケーションをしたりする時間が支援時間の中にはありました。もちろん、医療的ケアや身体介助といった支援はありましたが、その上で『このテレビ面白いですよね』『◯◯さんは野球が好きなんですね』とか、たわいもないコミュニケーションが取れるというのが、重訪の仕事を始めた時、すごく素敵なところだなぁとは思いましたね」

クライアントに限らず、様々な背景を持つ人と出会う機会が多いエリアマネージャーという役職。彼が実践する<人への伝え方>とはどんなものなのでしょうか。

川田「僕は、年齢やタイプによって喋り方を変えています。例えば、僕は基本的にどんな方にも<さん付け>をするんですけれど、会話の中ではくだけた口調を入れたり、なるべく業務的なコミュニケーションにならないように、固くならないように、というのは意識してます。業務的な話になると相手も業務的な話しかしません。そうすると打ち解けにくくなるので、自虐ネタも入れながら話してますよ(笑)」

『伝え方ですよね。それを“伝える”のは難しいなぁ……』と呟く川田ですが、不思議とその表情にはどこか肩の力の抜けた、余裕のようなものが見え隠れしています。

川田「正直なところ、日頃、業務に追われることも、突発的な問題もあるので、余裕はないんです(笑)。
でも、どんなに忙しくても、部下の方たちに余裕を見せていくことは、役職が上がるほど大事ですね。

上司が『忙しい、忙しい』と言っていると、部下の方たちは相談がしにくいと思うし、『相談しようと思ったけど、やめとこう』と思われてしまう。それは避けたいし、どんな状況でも声をかけてほしいから、なるべく忙しいように見せない。『川田さん忙しそうですね』ってアテンダントから言われたら『全然ですよー、現場の方が絶対忙しいです。僕は余裕です、だから相談してくださいね』って言っています(笑)。

だからこそ余裕を持つために、自分一人で抱え込まないようにはしてますね。

僕は、ある程度までは自分で考えますが、自分の中に答えを持ちながら、ブロックマネージャーや他のエリアマネージャーの人に『こういう相談をされていて、こう答えようと思うんですけれど、◯◯さんはどう思いますか?』とよく相談してます。

そうすることによって、一人で抱え込まなくてよくなります。誰かの知恵と言葉を借りて、自分の余裕を保っているんですよ」

CHAPTER4

介護職のあたらしい3K―【感謝、感動、向上心】―を伝える

クライアント個人の生き方を支える訪問介護の楽しさ、人間性を備えた仕事という誠実な働き方

川田「僕が住んでいる沖縄は、重訪の認知度も高く、肌感覚としては、他エリアと比べてニーズもあり、時間数も降りやすい地域になっています。クライアントにサービスを届けることは今後も着々と進めていけるとは思うのですが、やはり問題になってくるのは、アテンダントの雇用です。だからこそ、介護業界のイメージを刷新していって、雇用をどんどん進めていく必要があるのかなと感じています」

重訪や介護に関わる人の幅を広げていくために、川田はどういった工夫をしているのでしょうか。

川田「これは沖縄の学校だけなのかはわからないんですが、看護や介護の専門学校では基本的に『卒業して最初に就職する先は訪問じゃない方がいい』ということがよく言われるようです。確かに、訪問介護はそれぞれのご家庭に入っていくので、個人と個人の関係になりますから『まず最初は施設や病院に就職して、集団や組織の経験を積んだ上で訪問に行った方がいい』と仰る学校側の説明も理解できます。

一方で、若い方にとっても、クライアント個人の生き方を支える訪問介護の楽しさ、人間性を備えた仕事という誠実な働き方は、SDGsの面から見ても非常に魅力的であると思うんです。

そういった根本的なところを伝え、流れを変えていかないと、重訪に関わる年齢層は高くなっていく一方です。今のところは、企業説明会に参加したり、学校に行って求人情報を置かせてもらうぐらいしかできてないんですが、大学卒や専門卒の入口としても『重度訪問介護や訪問看護に就職したい』と思わせるような何かが必要なのかなと思います」

かつて、川田が求めた<0から1を作る仕事>。介護職には、今、その視点が必要なのかもしれません。

介護職の未来を見据え、イメージの刷新を測る川田。介護職の「あたらしい3K」について教えてくれました。

川田「そうですね。あたらしい3K――<感謝><感動><向上心>――に関しては、介護の情報を見ていた時に見つけた言葉だったんですが、前向きな言葉に変換できているのがすごくいいなと思って、使わせてもらったんです。

例えば、支援現場に入って、クライアントの方に『土屋さんのおかげで日常を過ごせることができてる、ありがとう』と言われると、やっぱり『あぁ、この仕事やっててよかったなぁ』『○◯さんの生活を守れてよかったな』と<感謝>されることへの<感動>だったり、だからこそもっともっと、自分自身の知識も、介護の技術も上げていきたいなと<向上心>を持てる。

かつての3K――きつい、汚い、危険――は、今は、道具や機械の利用やデジタル化、衛生管理を行き届かせることでカバーできている部分も大きくて、徐々に軽減されてきている現実もあります。

世間が思う介護職へのイメージと、実際に僕たちがやってる現場での支援の違いはしっかり伝えていきたいです」

入社後2年という短期間でエリアマネージャーとなった彼には、もう一つ、伝えたいことがあると言います。

川田「3Kのイメージを払拭させていくのと同時に、僕はやっぱり『介護職でもちゃんと稼げるよ』というところも、しっかり伝えていきたいんですね。

介護職には給与面で『賃金が低い』というイメージがありますが、土屋では仕事を掛け持ちしなくても、常勤になれば、重訪一本でも食べていけます。何しろ、僕自身が、未経験からスタートして、今はマネージャーをさせてもらっていますから。

そうやって介護職の様々な面を改善いって、福祉に携わる人を増やしていって。将来的には重訪以外にも、利益を生み出せる会社、障害を持つ方たちが働ける場所を沖縄でも立ち上げていきたいなと思ってますね。土屋には、<就労支援B型事業所あぐり工房 土屋>もあります。そういった会社を沖縄で作っていきたいなと思ってます」

CHAPTER5

無資格・未経験からマネージャーへ。日々、新しい仕事ができる充実感

何事もポジティブに捉え、日々、活き活きと働く姿が滲み出る川田。最後に、この仕事の楽しさについて尋ねました。

川田「今、仕事が楽しいと思えているのは、僕は無資格・未経験の立場でマネジメントができていることそのものが楽しいのと、そこへの『ありがたいなぁ』という気持ちが一番大きいんです。

プラス、経営にも多少なりとも近づけているので、これまで経験してこなかった部分を経験させてもらってる、新しいことができてることが楽しさにつながってますね。充実感というのかな。だから忙しくても『これは勉強になるな』というところに落とし込めているので、『きついから嫌だ』っていう気持ちにはならないんですよ」

川田が持つ人への姿勢や仕事への向かい方は、どこか沖縄の風土が関係しているように感じます。そのことを尋ねると、「沖縄の人はどこかのんびりしていて、あたたかいですね」と答えてくれました。

川田「内地の方や都市部の方は人間力がすごく高いイメージがありますね。一方で、個々の能力が高いからこそ、『何かあっても自分自身でどうにかする』という印象も感じます。それは決して悪いことではないんですが。

ただ、沖縄はコミュニティーそのものがすごく狭くて、『友達の友達は友達』という言葉が実際に本当に簡単につながっていくんです。誰かしら困った時には声をかけてくれる状況がどこにでもあって、人と人の間にすごくあたたかい部分があるなというのは感じますね。仕事の紹介も日常茶飯事。『○○が仕事探してるよ』なんていう話もよく聞くし、『友達が働いてるからそこで働く』という流れも多い。

沖縄の人には『どうにかなる、誰かが助けてくれる』という思いがあるんでしょうね。確かに考えが甘い人も多いから、良さも悪さもあるかなぁ(笑)。でも楽しく過ごしてる人が多いし、すごく快適ですよ、住むには」

転職と同時期に結婚し、現在は、2歳になる男の子のお父さんでもある川田。休みの日は、公園で遊んだり、自転車の練習をして過ごしていると言います。
対人という部分で、子どもと過ごすことと介護の仕事が、重なることはありますか?

川田「『子どもと思って接しない』ということは、自分の中では常に心がけていますね。
それは、障害をお持ちのクライアントの方と、<障害者>と思わずに接してる姿勢と同じですね。子どもも同じで、子どもだから赤ちゃん言葉で会話するんじゃなくて、一人の人間として接する。息子は今、2歳で、おしゃべりが上手になってきた頃。人間の言葉で、しっかりとした言葉で接してはいるかな」

インタビューの中で何度か登場した、『なんくるないさ』という言葉。
その意味を調べてみると、それはただ単に楽観的な見通しを意味する言葉ではなく、元々は「まくとぅそーけ=真(誠)の事をすれば」、「なんくるないさ=なんとかなるさ」という語句がセットになって使われていたと言います。

日々、目の前の人と誠実に向き合う介護という仕事。その日々の積み重ねがあるからこそ、これからやってくる未来を何者かに委ねて「なんくるないさ(なんとかなるさ)」と笑顔で言い合える。
やわらかな風が吹く場所で、命と向き合い、人のあいだで働き、生きる時間を共にするーー日常のささやかな歓びがあふれる<生き方>や<仕事>にあなたも触れてみませんか。


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