介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

片平光

高知 オフィスマネージャー

『あぁ、役に立てたなぁ』と感じること。この明確さと手ごたえが介護職の魅力。

 《interview 2023.1.26》

ホームケア土屋 高知でオフィスマネージャーを務める片平 光(かたひら ひかり)。ウェディングプランナーという“ハレの一日をつくる”仕事から、 “安心した日常”を続けていく介護職へと転身した片平は、この仕事に就いて3年目。彼女の「これまで」と「今」から、クライアントやスタッフたちとの向き合い方を読み解きます。

CHAPTER1

ホームケア土屋 高知でのあたらしい日々。みんなが「また頑張ろう」と思えるように

2022年5月に故郷を離れ、ホームケア土屋 高知に異動してきたという片平。8ヶ月経った今も、あたらしい土地での業務、そして関係づくりに日々、奮闘しています。

片平「今現在(2022年12月)は、オフィスマネージャーとして高知事業所の運営業務全般を行なっています。
高知はクライアントが11名いらっしゃり、支援現場に入ってくださるアテンダントの方は35名ほど(人数は2022年12月現在)。実は高知は、アテンダントの体制を調整するコーディネーター職の人数が少なく、コーディネーターの役目も少し担っています。人が少ない時には、支援現場にも入っていますね。

日常的には、アテンダントの方たちの仕事の上での様々な不安やお話を聞いて面談をしています。重度訪問介護は直行直帰の仕事なのでなかなか情報を共有しづらい面もあるのですが、他事業所やそれぞれの支援現場についての情報をみなさんと共有して、アテンダントの方が働きやすい環境をつくっていくのが業務の一つです。もう一つは営業関係ですね。新規クライアントの方と支援をつなげる動きや、アテンダントの採用を増やすために行なう求人関係の営業が主にやっている業務です」

この日も、インタビュー前に新規のクライアントについて、ケアマネージャーとのインテーク(初めての顔合わせを行う面接)を行なってきたという片平。

彼女にとって仕事は「この人のために自分が働いていることを感じながらでないと、頑張れない」という面があると言います。

片平「支援現場での仕事は、例えば『目の前のクライアントの方がトイレに行くサポートをする』等、<誰のためにやっていることなのか>がよくわかります。
クライアントの方が、今テレビを見たいから見られる、ご飯が食べたいから食べられる、ご自身のリズムで無理せずその日を暮らせた……そんな時は『あぁ、役に立てたなぁ』と感じますね。私にとっては、この明確さと手ごたえが介護職の魅力です。

今はオフィスマネージャーという立場でもあるので、誰かが困っている時に、情報共有をして問題が解決でき、支援現場にいるアテンダントの方がケアを安定的に進められた時、うまく連携が取れた時に『よかったな』と思う気持ちが強くなりました。そんな時に、自分の存在意義も感じています。アテンダントのみなさんが『よし、また頑張ろう』って思ってもらえるように」

CHAPTER2

介護の前は、何ヶ月も準備を重ね、“非日常の一日”をつくる仕事をしていました

大阪で生まれた片平は、3歳の時に鹿児島へ移り、その後は鹿児島で育ちます。

片平「10代や学生の頃はやりたいことが全くなくて。進学したい、就職したいという思いすらもなかった。高校を卒業して、当時のアルバイト先でそのまま働いていました。『楽しいからこのままでいいや』という感じで仕事をしていたんです」

そんな片平が仕事に目覚めたのは25歳の時。

片平「自分が結婚をした時にウェディングプランナーという仕事と出会って、『こんな仕事があるのか』と驚きました。そのプランナーの方は、普段の仕事はもちろん、結婚式当日も私たちが帰る前に挨拶に来てくれて、涙を流してくださるような方だったんです。ありがとうございました、って。『こんなに一生懸命になれる仕事なんだ』と、その時初めて『この仕事、いいな』と思いました。

ただ当時は、子育てをしていたので、すぐにはウェディングの仕事には就けなかった。しばらく資格の勉強をしながら、数年待ちました。子どもが手が離れて、働けるようになったタイミングで、ウェディング業界に入ったんです。もうやりたくてやりたくて仕方なくて」

そしてホテル・ウェディングの会社に入社。「とにかく全部が楽しかった」と当時を振り返ります。

片平「最初の仕事はホテルでのウェディングだったので、ホテルというハコがあり、できることも限られていたのですが、その後に転職したのがウェディング・プロデュースの会社でした。そこでのプランナーの仕事は、お客様の要望や人数に応じたレストランを探して、スタッフの方との関係をつくるところからスタートして、何回も足を運んで交渉して。準備に数ヶ月をかけてきました。

プランナーという仕事は、お客様との間を取り持つ『つなぎ役』でもあるんですが、<お客様と自分>という対面の関係だけでなく、結婚式に携わる方たちみんなーーレストランやお花屋さん、印刷屋さん等々ーーが気持ちよく、お客様のために動いてもらえるように、関係がうまく回るようにする存在・立ち位置でしたね」

ハレの日の大イベントを0からつくる過程に立ち会ってきた片平。
これまで関わってきた式で、思い入れのある結婚式はありましたか?

片平「そうですね。ウェディングの仕事は、ひとつひとつをとにかく一生懸命やってきたことと、お客様によって式も内容も毎回違ったものになるので、振り返った時に『この式(だけ)が最高だった』というような記憶は全然ないんですよ。ただ、特に思い入れが強かった初期の頃は、お客様を可愛い存在に思って、式の最後に感極まるなんてこともありました。

結婚式というのは毎回全く違うので、同じ過程を繰り返す……という仕事ではないんです。それに、どんなに準備を重ねて、どんなに準備段階で完璧でも、当日、一気に崩れることも常にある。起こった問題を一個一個クリアして、時間通りに、何事もなく、結びまで来れた時は『よかったな』ってホッとする瞬間がありました。

そしてお客様にとって思い通りの結婚式ができた時、『片平さんに担当をお願いしてよかったです』と言ってもらえた時にはすごく嬉しくなりましたね。『もう一回結婚式したいです』なんて言われたこともありました(笑)」

CHAPTER3

水のように、流れるように ーー転職、そして故郷・鹿児島を離れ、新天地・高知へ

「大好きな仕事だった」というウェディングの仕事でしたが、2019年に始まったコロナ禍により業界全体が大打撃を受けます。

片平「その時は、いつになったら結婚式ができるのか、全く見通しが立たない状況になりました。幸いなことに、キャンセルされるお客様はいなかったのですが、結婚式の開催がないと会社の売上はなくなります。会社側も給与面を守ってくれる動きをしてはくれたのですが、『申し訳ないな』という思いもあったし、私自身の生活の見通しが立てられないこともあって。
完全に転職するというより、『一定の期間だけでも、ダブルワークを見つけて凌げるところを見つけないと』という考えで仕事を探し始めました。

ただその時は『ウェディング業界には、コロナがおさまったらまた戻ればいい』なんて考えていたんです。だから、『ピンとくる会社や職種があったら、やってみようかな』ぐらいの感じであんまり気負ってもいなかった。転職サイトで重度訪問介護(重訪)の仕事を見つけて、どんな仕事か考えもしないまま、本当に軽い気持ちで応募しました」

2020年、片平は重訪の仕事を非常勤アテンダントとしてスタート。現場支援に入りながら、ウェディングの仕事とのダブルワークを2ヶ月ほど続けます。

片平「最初に支援に入った現場は、交通事故で高次脳機能障害をお持ちの方で、身体介護というよりは、家事のお手伝いがメインでした。

これまで行なってきたウェディング・プランナーという仕事は、ご夫婦はもとより、『不特定多数の協力者との調整に次ぐ調整』なしには行えません。だからこそ重訪の現場は、『ある一人の方の生活の、できない・苦手な部分をサポートする』というすごくシンプルなものに感じました。もちろんクライアントの方との間に一定の緊張感はありつつも、今、目の前にいる一人の人と一緒に過ごすことも、長時間の支援も私自身は全く苦ではなく、その人に流れている時間に沿っていくような感じだったので、『こんな仕事が世の中にあるんだ』とびっくりしたのは覚えています」

当初は短期的なものと考えてはじめた重訪の仕事でしたが、その後も見通しの立たないコロナ禍の状況に、片平は12年続けてきたウェディング業界を離れることを決めます。

介護職へ転身し、現場アテンダントを務めた後、地元であるホームケア土屋 鹿児島でコーディネーター、オフィスマネージャーとして活躍。当初の希望だったマネージャー職への階段を一歩一歩、確実に昇っていきます。

その後、片平のもとに高知への異動の話が訪れます。

片平「私はずっと鹿児島に暮らしていて、鹿児島のことしか知らないんです。せっかく異動や転職のチャンスがあるなら、その機会に『鹿児島以外の場所に行ったらどんな感じなんだろう』『生まれ育ったところとはまた違う地域のことも知りたい』という思いがあった。

入職時から『全国どこにでも行きたい』という希望はあったので、『四国に移れますか?』と声をかけていただいた時は、二つ返事で『行きたいです』と答えました」

そして片平は、2022年5月に高知へ住まいを移し、ホームケア土屋 高知へ異動します。

CHAPTER4

いつだってクライアントの生活を真ん中に。私たちが<ずっと>続けていくこと

「その人の人生をつくりあげる」という点で、ウェディングと介護の仕事は重なります。「まさか、こんなところで前職の経験が活きるとは思わなかった」と話す片平。

片平「介護の仕事は、クライアントの方とのずっとのご縁を、一生かけて、不具合なく、安心・安全に続けていくことです。
これまでは、半年から一年をかけて非日常の一日をつくりあげるのが私の仕事でした。だからこそ、今、<ずっと>を続けていく、継続性の重さや大変さに直面しています。

今、考えるのは、高知のオフィスマネージャーとして、クライアントの<ずっと>のために働いているアテンダントの方たちに、毎日気持ちよく仕事に向かってもらうにはどうしたらいいか、ということ。アテンダントの方がいてくれるからこそ、クライアントの方が日々穏やかに暮らせているんです。だからこそ、『クライアントの方が安心・安全に暮らしていけるように』という方向性をアテンダントの方たちとも常に共有しようとしています」

既存のクライアントの日々の暮らし、そして四国各地に住むこれから出会うクライアントのためにも、アテンダントの採用に力を入れているという片平。

彼女自身は未経験から介護の世界に入りましたが、重訪という仕事では「経験がないということが、有利に働く側面がある」と言います。

片平「障害がある方との関わりについては、未経験・無資格の人の方がすんなり入りやすい傾向があるんじゃないかな、とも感じています。

『介護ってこういうもの』『障害ってこういうもの』という先入観を持っていない方が、一人の人として、クライアントや日々変化する状況と柔軟に関われることも多いんです。中でも重訪は、一律のやり方やマニュアルがあるわけではないので、現場とクライアント一人一人で求められる支援は十人十色、みんな違う。『Aさんはこういう方法でやっている』『別のBさんはこう関わっている』という違いを楽しめると、この仕事は面白くなってくるんじゃないかな」

介護に関わり、2年が過ぎた片平。
あたらしい彼女の目には、「福祉」というものはどんな姿に映っているのでしょうか。

片平「私は障害分野しか携わったことがないので福祉全体のことはわかりませんが、思うのは、障害があるからといって、クライアントのみなさんが『手厚く特別なケアをしてほしい』と考えているわけではなく、『1日を自分のペースで平穏に過ごしたい』と考えているクライアントの方たちもたくさんいるということです。

たとえばベッドから車椅子へ移乗をする時、クライアントの方の力だけでは難しいから、誰かが支えて移乗をします。私も含めて誰だって苦手なことをする時は、他の誰かに声をかけて手伝ってもらいますよね。支援も同じで、単に“苦手を持ってる方たちの日々の暮らしをサポートするだけ”ということなんじゃないかな。

何か特別なことをしているというよりは、その人のペースで、普通に生活していける、平和に生きていけるサポートをするのが福祉だと思います」

インタビュー中の2023年1月から片平は高知を離れ、松山事業所へと異動になった片平。高知事業所に託す思いは。

片平「そうですね。高知事業所は、このままクライアントの方も増え、アテンダントの方も増え、規模も大きくなっていけたらいいなぁと思っています。規模が大きくなるということは、それだけ多くの方の暮らしをサポートできているということなので。

私自身はホームケア土屋 松山に異動になりましたが、松山もこれから1人でも多くの方のサポートができる事業所になればいいなと考えています。高知、松山という括りだけではなく、四国全体の事業所――高知・松山・徳島・高松――が風通しよく、情報交換しながら一つのグループとしてやっていけたらいいですね」

8か月を過ごした高知では仕事中心の生活を送り、高知での日々を尋ねると、「家と職場の往復しかしてなくて」と笑います。

片平「ただ、一度だけ観光らしいことをしたことがあって。高知に仁淀川という川があるんですが、『仁淀ブルー』と呼ばれている滝壺を見に行ったんです。それが本当に綺麗なんですよ。すっごく綺麗な青色のところがあって、癒されて。マイナスイオンをいっぱい浴びてきました」

「そうそう、一度、市内にあるひろめ市場という商店街にも案内してもらいましたね」と思い出したように話す彼女の表情には、クライアントとアテンダントの“今”をひたすら見つめて高知での時間を進んできた姿が、浮かびあがっていました。

水の流れのように、柔軟に、淀むことなくーー。

株式会社 土屋のバリューにあるように、動き続ける人・仕事・土地との出会いによって、常に自身のかたちをやわらかに変えてきた片平。

鹿児島、高知、そして愛媛へ。片平の“第3章”は、この冬、はじまったばかりです。


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