介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

長瀬賢亮

四国 エリアマネージャー

介護は楽な仕事ではない。しかしそんなに悪くない。
『その人の人生に対して仕事をしている』という誇りを持てる仕事。

 《interview 2023.1.29》

ホームケア土屋 四国エリアマネージャーを勤める長瀬 賢亮(ながせ けんすけ)。さまざまな職歴を経て介護業界に足を踏み入れた長瀬に、“ほんの少し”斜めの視点から、介護という仕事について語ってもらいました。まずは、長瀬自身のこれまでを遡るところから始めましょう。

CHAPTER1

僕の仕事遍歴 〜ペンキ、船、葬儀、ドラッグストア〜

高知県高知市で生まれ育ったという長瀬。
子どもの頃の記憶を尋ねると、「小学6年生の時、先生から『長瀬くんは他人に厳しく、自分に甘い』と言われたことを、今もふとした時に思い出します(笑)」という話から始まりました。

工業高校の建築科に進学し、「アルバイトばかりしていた」高校時代。その後、設計の専門学校に通い、卒業後はさまざまな仕事を経験します。

長瀬「最初に就職したのは塗装の営業でした。電話での営業だったんですが、特殊な仕事でしたね。
朝になると『じゃあ、今日は君はこれぐらいね』と、当日行くエリアの地図をハサミで切って渡されるんです。軽自動車に4人ぐらいで乗って、ブーッて現地に行って。その地図を見ながら家の特徴をとにかく調べて、“その家のいいところ”を見つけていく。
その後、事業所に戻って『あなたの家なら地域のモデルケースになるので、ぜひ塗装させてもらえませんか?』という営業を電話でするんです。そんな塗装業をやっていました」

その後に勤めたのは造船業。

長瀬「知り合いから紹介されて始めた仕事でした。切られた鉄の塊と、印がついた大きな板が流れてくるので、自分が板の上に乗って決められたところに溶接をしていくという仕事です。
船を造る仕事というのは、船そのものがとんでもなく大きい上に、工程が細かに分かれているんです。本当に今思い出してみても自分がどこの、何の部分を造っていたのかわかりません(笑)。

その後は、葬儀会社に就職しました。それまで『葬式』というものにもあまり行ったことがなかったので、亡くなられた方を見るのもその時が初めてでした。その会社では、葬儀のアシスタントや、納棺セットと言って、亡くなった方の棺に必要な仏衣や草鞋等をつくるという仕事をしていました。
ただ当時、結婚をすることになり、子どももいたので、正直なところ給与面で厳しく、4ヶ月ほどで退職してしまったんですが」

こうして2年ほど、幾つかの職種で勤務をしたのち、長瀬はドラッグストアに就職します。

長瀬「ドラッグストアでは店長をさせてもらっていたので、主な業務は、商品と人員の管理でした。発注や陳列、売り場作成、商品管理のところと、あとはスタッフのシフト管理であったり、店員の教育だったり。他に売り上げ管理全般もさせてもらっていました」

ドラッグストアでは、今の長瀬にもつながる出会いがあったと言います。

長瀬「自分が初めて副店長をさせてもらった時に、店長だった方から、仕事のやり方を教えてもらったな、というのは感じていますね。
その人は『まず、自分がしっかりやる』という人だったんです。業務にはそれぞれ、細かい仕事のやり方があるんですが、その店長は『自分は店長だから』と店員に指示をしてやらせるのではなく、店長自らスタッフの中に入って、前に出て一緒にやる。『そういう関わり方、仕事の仕方がいいなぁ』と思って、自分の中では今も参考にさせてもらっています。

ドラッグストアでは11年程働いていたのですが、そうなるともうベテランの域。県内の各店舗で店長の経験を積んだ後、最後は規模が一番大きい店で店長をさせてもらいました。
でも『県内で一番の店で店長になったその後、自分はどうしようかな』とその次のことを考えたら、選択肢は本社に行ってバイヤーになるか、エリアマネージャーになるかぐらい。でも自分としては、『小売業というのは商売としても効率が悪いんじゃないか』、ということを考えていて、ドラッグストアの仕事を続けていくことや商品そのものにあまり興味が出なかったんです」

CHAPTER2

既存の仕事のその先へ。転職、そして高知事業所の立ち上げ

そして長瀬は、11年ほど勤めたドラッグストアを退職し、転職活動を始めます。

長瀬「飲食業なども含めて転職活動は色々しました。その時に出会ったのが重度訪問介護(重訪)の会社でした。『介護がやりたい』という思いがあったというよりは、会社そのものにスピード感があって、勢いがあって、すごく興味を持ったんです。『夢があるなぁ』と思って。
その会社は、当時、事業所が日本全国にはなかったので、自分たちで仕事を開拓していくチャンスがまだまだあった。あとは、僕にとって働く中で重要なウェイトを占めるのが給与の部分でもあるので、その面でもとても魅力がありました」

2019年、長瀬は重訪の仕事をスタート。当初は、高知に事業所がなかったため、広島に住まいを移し、そこで勤務を始めます。

長瀬「最初に支援に入ったクライアントの方は、自分の欲求にすごく素直な方で、『人間味がある方だなぁ』ということを感じさせていただいた方でしたね。
その方はA L S(筋萎縮性側索硬化症)をお持ちで、元々はトラック運転手をされていたんです。日本全国各地に行かれていたので、僕の地元である高知の話なんかをよくしていました。

会話は、透明文字盤を使ってしていたんですが、思ったことをすぐこちらに頼んでこられる方で。文字盤で要求を伝えてくれて、それを僕が読んで、言われた通りに行なって、『できた』と思って隣に座って待機しますよね。そうすると僕が座った瞬間、パッと横を見ると、もう僕を呼んでる(笑)。『えっ!またですか?!』って(笑)。それが永遠に繰り返されるんですが、クライアントの方もそんな僕の表情を見てニヤニヤしていて。いやぁ、『すーごく人間味に溢れてるなぁ』っていう方でした」

「介護の仕事を続けられたのは、まわりからのフォローがあったことも大きかった」と言います。

長瀬「最初の勤務地が広島だったので、県外だった上に介護も未経験。すごく不安な時に、先輩マネージャーの方からその都度フォローしていただいたので、働きやすかったですね。当時の広島事業所のマネージャーだった方と出会えたことも大きかったです。すごく明るくて、おおらかな方で。人と仕事を長く続けていくと、いろんな人の、いろんな個性がぶつかってくる場面もあるのですが、どんな時も藤岡さんはニコニコしながら対応されていたので、参考にしていました。

未経験で始めたというところもあったと思うんですが、関わる人みんなが丁寧に教えてくれて、優しかった。それは土屋のスタッフだけではなくて、訪問看護の方やクライアントのご家族の方もそうです。
正直なところ、仕事って『○○がこんなことしてた』とか、足の引っ張り合いみたいなことも多いです。でも、自分が関わった支援現場ではお互いがお互いのことをフォローし合っていて、『これ、やっといたよ』なんてこともよくありました」

その後、広島事業所でのコーディネーター、オフィスマネージャーを経て、高知事業所を立ち上げるタイミングの2020年に高知に戻ります。
異動と同時に高知事業所の管理者となり、事業所の立ち上げに携わりました。

長瀬「当時の四国のエリアマネージャーの方から『重度訪問介護サービスを希望するクライアントの方が高知に3人いらっしゃる』ということをお聞きし、高知事業所を立ち上げることになりました。その方たちのおかげで、僕も広島から高知に帰れるようになったんです。

立ち上げと同時に、アテンダントの採用面接も何件かしていて。まだ事業所はできてなかったので、採用を保留されている方と電話で話をするところから高知での仕事が始まりました。
もう一名、僕と同じタイミングで入職された方がいらして、初めはその方と一緒に至る所に電話をしましたね。相談支援事業所等あちこちに挨拶に行って。でも、クライアントの方の支援が始まってすぐに、その方が退職されることになってしまった。それからは2ヶ月ほど一人でずっと電話をして、営業をして、週に一回、現場支援に入って……というのがずっと続きました。そこが寂しかったなぁっていうのはありました」

CHAPTER3

「人とかかわる」を深めていく。<優しさ>は行動を起こす前から始まり、続いているもの

3年という歳月をかけ、地域に根差し、その規模を広げてきた高知事業所。
クライアント3名からはじまった事業所は今、クライアント13名、アテンダント35名を抱える事業所となりました(人数は2023年1月現在)。

そして長瀬は2022年から、ホームケア土屋の四国エリア4つの事業所――香川・愛媛・徳島・高知――のエリアマネージャー(兼 高知事業所管理者)となり、まだ見ぬクライアントのために奮闘しています。

長瀬「四国にある4事業所とも、立ち上がって2、3年の事業所ばかりなんですが、まだまだ潜在的に困っている人がたくさんいらっしゃいます。
新しいクライアントの方とお会いして、いざ重訪の支援がスタートする時には『今までこんなに大変な思いをされて生活されてきたんだ』という状況に立ち会うこともまだまだあります。『僕らは何もできてなかったんだ』と思わされる方もたくさんいらっしゃる。そういった方にしっかりと支援を届けられる四国にしていきたいですね」

そのためにも、「スタッフみんなが働きやすい環境をつくっていきたい」と話す長瀬。
インタビューの中で幾度も口にした“スタッフが働きやすい環境”に、必要なものとは何なのでしょうか。

長瀬「そうですね。そこは自分としてもしっかりした答えを持てているわけではないんですが、会社というのは組織なので、リーダーという存在はすごく大きい、とは感じています。今は、事業所のリーダーとして、組織の仕組みづくりを進めていますし、何か問題があった時、実際に解決をしていくのは、やはりその事業所のリーダーです。

そして、会社から求められているのは、それぞれの地域でまだ見ぬ“小さな声”を探していくこと。実際、クライアントからの声はどんどん事業所に届いてきているので、スタッフの皆さんがそのまま仕事を続けてくださることで、支援の担い手は確実に増えていきますし、困っている人も助けることができます。そのために、安心してみんなが働いていけるような環境づくり、組織づくりが一番大事だ、と今の自分の役割では思っています。

そのためにももっとリーダーという立場の役割についても勉強していかないと。とにかく土屋は、会社のスピードがめちゃくちゃ速いので、自分からどんどん勉強しないと置いていかれるな、っていうのは感じてますね」

株式会社 土屋のバリューのひとつにある「優しく、そして強く、品位を持って、他者とかかわる」。

かつて長瀬は「『誰かとかかわる』を深めていく、もっと、優しく〜重度訪問介護の資格を取って働いてみて思うこと〜」というタイトルでコラムを書いています(2022年5月)。
介護業界に身を置いて触れた<優しさ>について、長瀬は今、どのように考えているのでしょうか。

長瀬「『優しさ』、難しいですよね。思いやりの部分なのかなとは思うんですけれど。人から何かをされて『この人、優しいな』と思うことはいっぱいあるんです。でもそれは、自分にとって『優しいな』と思っただけであって。
自分が思いやりを持って人と接していったとしても、『相手はその行為を思いやりと取らなかった』とか、『相手はそういう行為を求めてなかったんだ』みたいなことを感じる時もたまにあります。だからこそ、何か行動をする時だけでなく、その前からコミュニケーションが必要なんじゃないかな、ということは感じますね。

そう考えると、『優しさ』の反対側にあるのは……『無関心』かな。『好き』の反対は『無関心』って言いますよね。『嫌い』じゃない。それにも通じるんじゃないかな」

<優しさ>とは、<行動>をする前から始まっている。つまり、継続しているものである、ということ。この日のインタビューを振り返ると、長瀬は冒頭、こんな話をしていました。

長瀬「僕がコーディネーターとして担当をさせていただいていた現場で、なかなか、新しいアテンダントの同行研修がうまくいかなかったことがありました。
僕がクライアントの方の足を持っても何も言われないのですが、新人アテンダントが足を持つと『やり方が違う』と仰る。僕が見ていても同じようにクライアントの足を持っていると思うんですが、クライアントの方が仰るには『何か、持ち方が違うんだ』と。持ち方なのか、もしかしたら日頃の関係性なのか……というところは考えましたね」

長瀬が考え続ける<優しさ>は、支援現場でクライアントが放った<何か>という言葉から始まっていたのかもしれません。

CHAPTER4

介護はいい仕事。だけど、楽な仕事ではない。でも“意外と”3Kじゃない

介護の仕事をはじめて4年目を迎えた長瀬。
その年月を振り返りつつ、これまで長年、商品という「もの」と関わっていた長瀬から見た、介護という仕事を語ってもらいました。

長瀬「これまで、3〜4名のクライアントの方から『土屋があったから自宅に帰って暮らせるようになった』という言葉をいただいたことがあって。そういった意味ではやりがいも感じますし、仕事自体はいい仕事だな、と思います。

以前、働いていたドラッグストアでは『ポテトチップスを売ってくれたから今日の夜を過ごせたよ』なんて言われたことはなかったので(笑)。
介護職に就いて、『自分は、その人の人生に対して仕事をしているんだ』ということは強く感じました。

一方で、この仕事はものを売るのではなく、人との関わりそのものが仕事なので、色々あります。美容師だったら技術を販売したり、エステだったら施術を販売しますが、介護という仕事は、技術と人間性を明確に分けたり、言い切ることがすごく難しい。
もちろん<支援>というサービスを担う一員として業務を行なってはいるのですが、やはり一対一、長時間の支援となると、人が人のお手伝いをするということはすごく大変なことなんだな、と感じます。いい仕事だけど、楽な仕事ではないということも理解しているので、ここはもう、みんなが働きやすい環境をつくっていくだけですね」

介護という仕事、ひいては土屋という会社の魅力については、どのように考えているのでしょうか。

長瀬「僕のように介護の経験もなくて、周りにも介護をしている人がいなかったら、介護職に関しての情報がないので、3Kという言葉だけが一人歩きしているんじゃないのかな、と思います。自分もそのイメージしかなかったので。
でもたまたま自分は、業界としては介護ですけれど、介護に関わる会社の別の部分――土屋という会社そのものーーに魅力を感じて、重訪の仕事を始めることができました。

例えば、3Kの中でよく言われるのが排泄処理です。でも入職した当初、先輩アテンダントから『排泄って自分たちも毎日してるやん。だから慣れるよね』ってことを言われたんですよ。確かにそうだなぁと思って、僕はそこからあんまり気にならなくなりました。
だから『始めてみたら、意外と3Kじゃないよ。一歩踏み出してもらえたら、また見えるものが変わってくるんじゃないかな』っていうのは伝えられたらいいです。

というのも、自分だったら『介護職のここがいいんだよ』と言われても、3Kという言葉のイメージが強くて、入職までには至らないかな、と思うからです。そういう時に、『介護業界のいいところを伝える』というよりは、悪いイメージが先行してあるので、『そんなに悪くないよ』とは伝えたいですね。介護職への偏見や敷居がもうちょっと低くなったらいいかなぁと思います」

生と死が常に隣にあるその日常を、介助者として共に過ごす介護という仕事。最後に、長瀬にとって「生きる」とはどういうことかを尋ねました。

長瀬「『生きる』。そうですね。人との繋がりって大事だな、というのは感じてきましたし、身の回りでは僕自身の両親が高齢に近づいてきたこともあって、家族の大切さも考えるようになりました。『生きる』……難しいですね。京セラ創業者の稲森和夫さんのように『人生の目的は魂を磨くこと』とかはっきり言えたらいいんですけれど、言えなくて。

ただ、多分、こういうことをあまり深く考えないから、何かあっても翌日に持ち越したりしないでいられるのかなとも思うんです。そこはそこで、自分としてはいい、と思ってます」

終始、淡々とした語り口が印象的だった長瀬のインタビュー。時に笑いを混ぜながら、それでも決して、楽観的とは言い切れない<何か>を漂わせながら進んだ時間でした。

それは、さまざまな職種、さまざまな立場、さまざまな場面を経験してきた長瀬だからこそ見えている景色。介護という仕事には、生の深さだけではなく、その浅さにも、生き、働くことの実感があることを教えてくれます。

*インタビューのあとで・・・

写真に登場する“お好み焼き”は、最近、長瀬が「休みの日に夕ご飯を食べに行くのを楽しみにしている」という近所のお好み焼き屋のもの。

インタビュー後、「いいことを喋りたいなぁと思っていたけれど、緊張していて出てこなかった」と話す長瀬から出てきたのは食べものの話。リラックスした雰囲気の中、土佐名物“鰹の藁焼き”の話で盛り上がり、インタビューを終えました。


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