マーケ部

マーケティング部

有谷典子

販売促進デザイン課

夢に見るまで悩んだデザインが受け入れられると嬉しいです。ほんとに。

 《interview 2025.08.06》

本社マーケティング部で販売促進デザインを担当する有谷典子(ありたにのりこ)。
長年、デザインの仕事に携わってきた有谷は、2024年、思いきって住まいを移したことで、偶然、土屋と出会います。
土屋グループのパンフレットやチラシ、冊子といったデザインの仕事を通して、「これから福祉制度を利用する方の入口になるような手助けができればいいな」と語る有谷。
絵を見たり、描いたり、音楽を聴いたり、本を読んだり――長い時間をかけて磨かれてきたまなざしで、有谷は世界をどんなふうに見ているのでしょうか。
日常の中で彼女が見つけた夕空の景色とともに有谷を訪ねました。

CHAPTER1

人見知りだった自分、陽気な自分

悲しかったり辛かったりしても、外向きは笑顔でいたら周りの人の気持ちは明るくなる

―有谷さんはどちらで生まれ育ったんですか?

出身は熊本です。
父が公務員だったので、当時は転勤があったんですよね。

熊本市で生まれたんですが、阿蘇や人吉、いろんなところを転々として――
私が転校したのは中学校の時の1回だけだったんですが、妹は3回ぐらい学校が変わりました。

―こどもの頃はどんなことをしたり、どんなお子さんでしたか。

ローラースケートで鬼ごっこをしたり、毎日のように外で遊んでいました。

たしか、5年生ぐらいの時にファミコン(ファミリーコンピューター)が発売されたんですよね。
それからはずっと家でファミコンをしてました。

小さい頃はすごく人見知りだったんです。
でも、転校をきっかけに――転校すると、人間関係が0からの積みかさねなので、“陰(キャラ)”になってたら友達も全然できないので、思いっきり性格を“陽”の方に振って(笑)。

そうなってからは明るい感じでいます。
陽気な方が自分の素なのかな、とは思ってはいるのですが――。

―その、“陽”の方に性格を振り切ったのは中学生の頃ですか?

そうですね。

転校をした中学3年生の時だったので、ものすごく多感な時期でした。
「そんな時に転校なんて」と鬱々としてたんですよね。

でもその“ウツウツ”を外に出さないように、その時から心がけていて。

何の本に書いてあったかは忘れてしまったんですが、
「悲しかったり辛かったりしても、外向きは笑顔でいたら、周りの人の気持ちは明るくなるよ」
っていうことをその頃、本で読んだんですよね。

そこからは笑顔でいることを心がけるようになって、ずっとそんな感じできてます(笑)。

―中高生の頃、有谷さんが熱中していたものはありますか。

10代はとにかく本が好きだったのと、絵を描くこと、あとは音楽が好きでしたね。

その頃はアメリカやイギリスのロックが好きで。
母親がビートルズを聞いていたので、ビートルズの曲を譜面にピアノで起こしたり。

それからバンドもやっていました。
ピアノを習っていたので、キーボードでバンドに参加したりしてましたね。

“夕日ウォッチャー”有谷さんが撮影したある日の夕日 その1

CHAPTER2

働きながら学んで、覚えたデザインのしごと

絵を見たり、描いたり、音楽を聞いたり、本を読んだり――いろいろ模索しながら自分なりにデザインを学んできた

―その後、学校を卒業されてからはどんなことをされてきたんでしょうか。

当時、東京でコピーライターをしているおじさんがいたんです。

そのおじさんは、コピーライターの有名な賞でグランプリを取っていて、ずっと「かっこいいな」と思っていました。

そこからコピーライターになりたかったんですが――おじさんから

「コピーライターだけを目指すんじゃなくて、デザイナーを目指すといいよ。デザイナーの仕事にはコピーライターの仕事も含まれているんだよ」

と聞いていたので、中学生くらいからは「デザイナーになりたいな」と思うようになりましたね。

おじさんからは「とにかく感性を磨いた方がいい」とアドバイスをもらったので――絵を見たり、描いたり、音楽を聞いたり、本を読んだり。

自分なりにいろいろ模索しながらその頃は学んでいました。

―今されているようなグラフィックデザインは、もともと学校で学ばれたんですか?

高校を卒業してから、本当は「専門学校に行こうかな」と思ってたんですよね。
でもそのおじさんが「学校に行くのもいいけど、実際に働きながら仕事を覚えていってもいいんじゃないか」って言ってくれて。

そこから知り合いの会社を紹介してもらって、卒業してすぐ上京して、東京のデザイン事務所で働きはじめたんです。

そこは大手出版社の下請けの会社だったので、雑誌の2ページを担当してデザインしたり、社員みんなで本や図鑑を1冊つくったり――
そんな仕事に携わっていました。

デザインのことは何もわからないまま始めたので、働きながらデザインの学校にも行ったり、研修に出たり。

当時はまだパソコンやMacでデザインをするのではなくて、『版下デザイン・写植』といって、原稿を手作りしていたんですよね。
なので、そのやり方を覚えたり。

今はデザインソフトを使って、パソコンの画面上で簡単にレイヤーを何層も重ねていけるんですが、当時は1層ごとに透明フィルムでつくって、
「この写真が1番上に来て、その下に模様が来て、さらに下にイラストが来て、背景の色がきて」
――と、1枚ずつ重ねていって。

雑誌も本も全部手でコツコツつくってた時代でしたね。

3年ほど東京で働いた後、大阪にいた叔母がカバンをつくっていて、輸入取引をする会社を起業して。
その会社のチラシやパンフレット、カバンの取っ手のデザインを手伝ってほしいと誘われて、大阪に移住しました。

そこでは商業デザインに携わっていたので、これまでのグラフィックデザインと全く違っていて――カバンという“製品“の部分的なところではあったんですが、楽しく学ばせていただきましたね。

その後、叔母の会社が軌道に乗ったこともあり、私自身も「やっぱり自分はグラフィックデザインが合ってるな」と思ったので、そこを退職して。

大阪にそのまま居座って、デザイン事務所でデザイナーとして仕事をしてました。

その会社では音楽系のチラシやポスターのデザインに関わることが多かったです。

大阪で働いていた5年の間はちょうど、手でつくるデザインからMacでのデザインに移行する時期だったので、そこでMacの使い方も学びました。

“夕日ウォッチャー”有谷さんが撮影したある日の夕日 その2

CHAPTER3

一旦、休憩をして

自分の好きなことをする時間はあったけど、人と関わらない生活はできなかった

―これまで仕事を続けてきた中で、転機になった時期はありましたか。

そうですね……。
大阪にいる間に父親が病気をして、一旦熊本に帰ったんです。

「落ち着いたらまた知らない土地に行って働きたいな」なんて思っていたんですが――そのまま熊本で就職をすることにしました。

その頃は印刷会社のデザイン課で働いていて、毎日、夜中の12時ぐらいまで働くような状況だったんです。
今じゃ考えられないんですが、そういう時代でした。

その頃、頚椎症という、首の骨(頚椎)がずれて肩や腕などに痛みやしびれが出る病気になってしまって――それでも仕事は好きだったので続けていたんですよね。

でもある時、「この先、自分の人生の方が長いんだから、そんなに無理しない方がいいよ」って、東京の叔母が言ってくれたんです。

「仕事もいいけど、体壊して、将来、こどもがほしくなることもあるでしょう。その時に体が動かなかったらどうにもならないよ」
「一旦休憩したら」って――。

自分では無理してるとは思ってなかったんですが、周りから見たらきっとボロボロだったんでしょうね。
ちょうど結婚した時期でもあったんですが、そこで一旦仕事を辞めました。

それから3年ぐらいゆっくり過ごして、そのうちこどももできたので、子育てをしながら。

でも私って――多分、みなさんもだと思うんですが――家にずっといて、例えば本を読んだり、映画を見たり、自分の好きなことをする時間はいっぱいあったけれど、ハッと我に返ると「今、何もしてない」っていう気持ちになっちゃって。

人ともあまり関わらない、社会の一員として自分が機能してない、って思ったら辛くなってしまって――。

こどもが生まれて忙しい時期でもあったんですが、「このまま家にいたら、おかしくなる」と思って、仕事を始めました。

“夕日ウォッチャー”有谷さんが撮影したある日の夕日 その3

CHAPTER4

奉仕ってどういうことだろう、福祉ってなんだろう

その人がどんな状態、どんな状況になったとしても、自分らしい生活を送っていくことの手助けをする仕事だったのかな

その後、娘が小学校に上がってから、「子育てに専念したいな」と仕事を離れていた時期もありました。

でもこどもが3年生になった時に、「やっぱり私は仕事しないと生きていけない」と思って――仕事を探し始めた時、家の近くの総合病院で医局秘書を募集してたんですよね。

「病院で働いたこともないし、どうしようかな」と思ってたんですが――その頃はまわりのお母さんたちから親の介護や病気の話をよく聞いていましたし、私自身も親が病気だったこともあって。

もちろん、病院に勤めたからってどうかなるわけではないんですが、きっと関心はあったんだと思います。

そしたら雇っていただけて。
当初は1年の予定だったんですが、その後も雇用していただいて、結局、13年間、医局秘書として働いていました。

―どんな仕事だったんですか。

病院にはお医者さんが200人ぐらいいたんですが、私はその先生方の秘書をしていました。

当初はデザインの仕事に携わってはいなかったんですが、3、4年ぐらいして私がデザイナーをしていたのを上司が知って、チラシやらポスターやら院内掲示物を頼まれるようになったんですよね。

退職前の5年ぐらいはコロナの時期と重なっていたので、「院内ではマスクをしてください」といったポスターや、患者さんにお配りする冊子をつくったり。

秘書をしながらでしたが、デザインにも関わっていました。

―13年間、病院での仕事を続けていく中でご自身が変わってきた部分はありますか。

そうですね……。
「これ」ってはっきり言うのは難しいんですが、きっとあると思うんですよね。

病院に勤め始めた時は、何も知らなかったし、ずっと患者さん目線でいたと思うんです。
でもだんだん“医療人”として自覚を持つようになって――。

患者さんとは直接関わる機会は滅多になかったんですが、月に1回、救急外来の受付に入ることがあったんですね。

救急って2、3時間待つこともあるので、熱を出してるお子さんを連れて来られた親御さんは「何時間待つの?」なんてイライラする。
こちらとしては「申し訳ありません」という気持ちもありながら、「待ってる人もたくさんいて……」という状況もあって――。

でも、その人からしたら「一刻でも早く診てほしい」っていう気持ちがあることをまずは相手の立場に立って考えてみる。

私自身はその時は正直なところ、目の前の状況と自分の気持ちと、相手の思いが重なって「どうしたらいいだろう」ってなってるんですが。

患者さんが何を求めてるのか、相手はどう思ってるのか。
常に自分だけの見方じゃなくて、相手の方から見てみたり、いろんな方向から考えることが大事なんだなって病院で働いてより思うようになりましたね。

―医療という環境で働くようになって、有谷さんの中であたらしく見えてきたものはありましたか?

医局秘書の仕事は、直接、患者さんと対面する仕事ではなかったんですが、それでもいろんなことを学んだなと思います。

私が勤めていた病院には「人道、博愛、奉仕」の3つの方針がありました。
「奉仕ってどういうことだろう」「福祉ってなんだろう」っていうことはいつも考えながら働いていました。

それから、それまでの仕事はどうしても時間や締切りに追われることが多かったんです。

でも病院はそういった時間の流れとは全く違っていて――患者さん1人ひとり、状況が全く違う。
今思うと、その人がどんな状態、どんな状況になったとしても、自分らしい生活を送っていくことの手助けをする仕事だったのかな、と思います。

日々、その人とどんなふうに関わっていくかがすごく大きいというか。そういう関わりはひいては自分の幸せにもつながるし、「医療や福祉には、相手の立場に立って考えること、行動することが大切」と思いましたね。

娘と汽車の旅

CHAPTER5

思いきって福岡へ――「何かできることないかな」と軽い気持ちで応募して

「お母さんも福岡に来たら?一緒に住もうよ」って娘が誘ってくれたんです

―その後、土屋とはどんなふうに出会われたんでしょうか。

娘が学校を卒業して、先に福岡に出て就職をしていたんです。

私はその頃はまだ熊本に住んでいて病院に勤めていたんですが、「お母さんも福岡に来たら?一緒に住もうよ」って誘ってくれたんですよね。

ただ、年齢的にも転職を考えるギリギリの年齢で、「今から就職先見つかるかな」なんて気持ちもあったんですが――「もうちょっと娘と暮らしたいな」っていう思いもあって。

思いきって病院を退職して、昨年、福岡に出てきました。

そこで仕事を探し始めた時に、土屋で人事の仕事を募集しているのを見つけて応募したんです。

病院で働いてる間に父親が癌で亡くなったり、周りのママ友たちが、親や義理のご両親の介護で一緒に暮らしている話も聞いていて、「すごいなぁ、介護の仕事って」と思っていたところもあって。

「自分でも何かできることないかな」と、本当に軽い気持ちで応募させていただきました。

そしたらマーケティング部の方から「今までデザインの仕事をされていたなら、どうですか」ってお誘いいただいて――2024年に入社をさせていただきました。

―有谷さんは今、マーケティング部でどんなお仕事に関わられてるんですか。

私が携わっているのは――例えば土屋ケアカレッジの教室がオープンする時のチラシや教室のパンフレットをつくっています。

それから、ホームケア土屋のクライアントさん募集のチラシをつくったり、イベント等のチラシも作成しています。

あとは土屋の公式パンフレットや土屋創立4周年の記念冊子、今は土屋グループの女性職員の社内報『美声』のデザインもしています。

昨年、土屋ケアカレッジで介護福祉士の資格取得対策の動画を販売したんですが、その動画の編集に関わったり、ウェブ用広告をつくったりもしてますね。

娘さんへのお弁当コレクション その1

CHAPTER6

いつも笑顔でいたい

デザインで悩んでいる時は寝る間際まで「何色がいいかな」「どういうイメージでいったらいいかな」って考えちゃうこともあるんです

―有谷さんが普段どんなことを思ったり考えたりしながらお仕事されてるのかをお聞きしたいです。
仕事や普段の生活の中で人と関わる時に有谷さんが大事にしてることはどんなことですか。

今は在宅での勤務なんですが、マーケティング部ではオンラインミーティングが週に1回あります。

他にもチラシのデザインの依頼が来たら、このインタビューのようにオンラインでミーティングをさせていただいてます。
その時にやっぱり「いつも笑顔でいたいな」ということは心がけてますね。

先日、『土屋グループ コンプライアンス憲章』の冊子をつくらせていただきました。

内容を勉強しながらデザインをして、研修にも参加させていただいて、「何よりもコミュニケーションが大事なんだな」と思いましたね。

ちょっとした声かけだったり、相手の立場に立ってものを考えたり――コンプライアンス違反は、コミュニケーション不足から起こることもあるんじゃないか、と考えると思いやりを持って接するのが大事だなと思いました。

自分自身がちゃんとできているかはわからないんですが(笑)。

―忙しくなるとつい――っていうところもありますよね。

そうなんです。家の中では思いやりを忘れてしまいがちですね。
特に娘に対しては(笑)。

―今されている仕事や生活の中で、どんなところに喜びややりがいを感じられていますか。

今の仕事では、「こんな感じでデザインをしてみたのですが、どうでしょうか」とつくったチラシや冊子を依頼をいただいた部署の方に送って、「いい感じですね」と返してもらった時はすっごく嬉しいですし、やりがいがむくむく出てくるというか――。

それから、「より良くしたい」っていう思いもあるので、デザインで悩んでいる時は寝る間際まで「あそこは何色がいいかな」「どういうイメージでいったらいいんだろう」って考えちゃうことがあるんですよね。

なかなか切り替えができなくて、寝ながらも考えて、考えてたデザインを朝起こすみたいなこともありますし。
職業病なのかもしれませんね(笑)。

―アイデアっていつ降ってくるかわからないですもんね。

そうなんです。
「あ、あそこに空を入れたらどうだろう」とか急に思いついたり――。

今つくっている『美声』も、表紙を何パターンか考えたんですが、「青いイメージで」という提案があって「それなら空に雲を置いたらどうかな」って夜に思いついたんです。

朝になってつくってみて――いくつかあったデザインの中で青い空のデザインが選ばれたので、「あぁ、良かったな」って思えました。

CHAPTER7

アイデアはあちこちに転がってる

街を歩いている時に「いいな」と思ってパッと撮った写真を入れておく“街中フォルダ”があるんです

―お休みの日の過ごし方や、日頃どんなふうに過ごされているかを聞かせてください。

変わらず本を読むのは好きですね。
電子書籍も読むんですが、やっぱり紙の形の本が大好きです。

読むのは小説が多いんですが、旅行記だったり、日本文学もアメリカ文学も――なんでも読みます。

それから映画を見るのも好きです。
他にもイラストを描いたり、音楽を聴いたり、たまにドライブに出かけたり。

10代の頃からあまり変わらないんですよね(笑)。

―有谷さんはイラストも描かれるんですか?

そうなんです、イラストも描いてます。

昔は油絵を描いていたんですが、油絵って匂いがあるので今住んでる集合住宅ではできなくて。
今は、ボールペンで可愛いイラストを描くくらいですが。

―娘さんとはお互いに読んだ本や映画、音楽も共有されたりするんですか?

本は、娘がちっちゃい時から図書館や本屋によく連れていっていました。

娘が大きくなってからは影響を受けて娘が好きなアニメを私も見たり、一緒に映画を見に行ったりはしてますね。

音楽の方向性は娘とはちょっと違うんですが、でも、「ついてきてほしい」って言われた時には一緒にライブに行ったりもします。

―10代の頃からたくさんのものを見て、聞いて、つくって――ご自身の感性を磨かれてきたのでは、と思います。
その経験が仕事に活きてくるようなことってありますか。

ダイレクトに「活かせたな」っていう感じはないんですが、自分の中の引き出しが広がるというか、パッとひらめくというか――
例えば「シックな感じで」と言われたら、「色はこんな感じかな」とか、イメージのパターンがいくつか頭の中で浮かぶんですよね。

「じゃあ、これとこれを組み合わせよう」みたいになる。
うまくは説明できないですね(笑)。

例えば……テレビをぼーっと見てたり、街中を歩いている時に看板を見て、「この色の組み合わせ、いい!」って写真を撮ったり、「このフレーズいいな」とメモをとったり。
そういう行為を自然にやってるんです。

街を歩いている時にパッと撮った写真を入れておく“街中フォルダ”というのがあるんですよ(笑)。

―アイデア帳みたいな感じですか?

そうですね。
写真に撮ってるものもありますし、頭の中に残ってるものもあります。

アイデアってあちこちに転がってるんですよね。
歩いていて、車の配色を見て「あ、あの色、可愛いな」なんて写真を撮ってることもよくありますしね。

娘さんへのお弁当コレクション その2

CHAPTER8

自分がデザインしたものが誰かの目に留まり、介護や福祉を利用する入口になれたらいいな

私にとっての“自分らしさ”とは、“自由にものを考えることができること”

―土屋で働かれるようになって思うこと、これからこんなことに関わっていきたい、というものがあったら教えてください。

そうですね。
本当に自分でも不思議なんですよね。

偶然が重なって、ありがたいことに今、こうして土屋でデザインのお仕事をさせていただいてます。土屋に入社してちょうど1年が経ちます。

その間に、仕事で使うパソコンやPC環境を整えてもらい、働きやすい環境で仕事ができています。
介護について何も知らない、自分なりにしか見たことがない私のようなものでも雇っていただいて――ありがたい巡り合わせに感謝してます。

今、グラフィックデザインに関わっているんですが、これから「ウェブのデザインを勉強したいな」と思ってます。
スクールに通うか、でもオンラインでもできそうだし、どうやって勉強しようかな……と考えているところです。

まだまだいろいろやりたいことがあって。
もしウェブのデザインもできるようになったら、きっとマーケティング部でもできることが増えるんじゃないかな、と思ってます。

介護や支援に関しては、私は直接的には関わることはできないんですが、例えば――介護や福祉を全く知らない人から見たら、さまざまな制度を「どんなふうに使ったらいいんだろう」っていう不安な気持ちがあると思うんです。

自分もかつてそうだったんですよね。
それを「こういう手順を踏めば、制度を利用できるんだ」「こんなふうにみてもらえるんだ」って、わかりやすい形で届けることができるのが今の仕事かな――と思うんです。

自分にはこれができる、これから自分が何をしていきたいかを思うことはないんですが、初めて見る人にも「あ、介護ってこういうことなんだ」って、パッと見てわかるようなものをつくっていきたい――自分がデザインしたチラシやパンフレットが誰かの目に留まって、「これから福祉制度を利用する方の入口になるような手助けができればいいな」と思いますね。

―有谷さんご自身が「これからこんなふうに生きていきたい」という思いはありますか。

「ずっと楽しく生きたいな」っていう思いが基本にあるんですよね。

私はもともと考え込んでしまう性分なので、考えすぎて「ズーン……」って落ち込んじゃったりするんです(笑)。

だからなのか、「楽しく生きていくためにはどうすればいいかな」っていうことはいつも考えてます。

―ちなみに……「ズーン…」となっちゃった時は、どうやってリフレッシュされたり、ご自分を整えたりしてるんでしょう。

可愛いものを置いたりしてます(笑)。

娘がシルバニアファミリーをこどもの時から集めてるので――シルバニア、可愛いんですよね。
なので、ちっこい子たちをパソコンの周りに並べたり(笑)。

あとは、体を動かすのが好きなので、ウォーキングやストレッチをしてますね。

パソコンの作業にものすごくのめり込んじゃう時もあるんですが、そういう時はスマホをシャットダウンして音楽を流して、ぼーっとしたり。
でも、ぼーっとすると、また考え込んでたりするんです。

そういう時は「いかんいかん」と。
可愛いものを見て、甘いものを食べてます(笑)。

―(笑)。最後に、“自分らしさ”について伺いたいと思います。
その人の“自分らしさ”を知ることはチームの中で自分自身を活かして働けることにもつながるのでは、と思います。
有谷さんにとっての“自分らしさ”ってどんなところにあると思いますか。

“自分らしく”――そうですね。

私は在宅勤務なので、毎日たくさんの人と直接関わっているわけではないんですが、やっぱり私にとっての“自分らしく”って、「自由にものを考えることができることかな」と思います。

昔、教科書に載ってたんです。
パスカルの「人間は考える葦だ」っていう有名な言葉があって、それを見た後、ずっと心に残っていて――「考えることができるのは人間だけじゃないか」って。

もちろん動物もいろいろ考えてるとは思うんですが、思想的に考えることができるのは人間だけなので――やっぱり相手の立場に立って考えることは人間だからできることでもあるんじゃないか、と。

そのためにも自分の頭で考えられること、考えることができる環境があることが大事なのかなと思ってます。

娘とビアホールで乾杯

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