介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

浅野竜二

仙台 コーディネーター

関わる人や社会の役に立つように生きるということが、自分のためであり、自分の家族のためになる。
介護という仕事をすると、そう感じながら生きていける。

 《interview 2023.5.30》

ホームケア土屋 仙台でコーディネーターとして働く浅野竜二、46歳。2022年、慣れ親しんだ埼玉県戸田市を離れ、住まいを宮城に移した浅野は、新たな土地で重度訪問介護の仕事と出会いました。
結婚、転居、転職……この数年で、人生の転期を重ねて迎えた浅野。彼は現在も「不安を持ちながら、この仕事を続けている」と言います。
その「不安」とは、もしかしたら人間や命への誠実な態度なのではないかーー。そんな問いを抱え、40歳を過ぎた浅野に、今、介護という仕事と、そして自分という存在と、どのように歩んでいるのかを尋ねました。

CHAPTER1

1.子どもの頃はどんな子どもでしたか?

今の自分からは考えられないんですが、豪快な子どもだったんです

当時は、今の自分からは考えられないんですが、豪快な子どもだったんです。思春期を迎える頃までは結構、活発でした。
子どもって根拠も全然ないのに自信満々ですよね。そういうものなんですかね。うちには今、10歳の男の子が一人いるんですが、彼もすごく自信があって『怖いものを何も知らない』というような感じで、見ていると、自分も子どもの頃はそんな感じだったな、と思います。

現在との違いで思い出したのが、異性との関わり方です。いい年をして恥ずかしいんですが、僕にとっては、女性との関わり方や言葉がけの仕方というのは、今もわからない部分があって『本当に難しいなぁ……』と感じるものなんです。

でも子どもの頃は、女の子にも積極的に話しかけるような子でしたし、放課後は男友達も女の子も一緒に混じって遊んでいたなぁ、と。思い返してみたらそんなことが多くて。何して遊んでいたんでしょうね。ちょっとわからないですけれど(笑)、校庭や近所の公園をよく走り回っていました。

小学生の頃はゲームばっかりでした。ゲームソフトもたくさん持っていた記憶があります。飽きっぽいので次から次へとソフトを買って。その中でもRPGが好きで、あとは事件を解決するゲーム。それは自分の性格とリンクしてるとも思うんですが、対戦ものや機敏に動くようなものは、僕はついていけなかったですね(笑)。

RPGは、じっくりじっくり自分のペースで物語を進めていくゲームで、キャラクターを成長させて、どんどん強くなっていくので、そういった意味でも面白かったんです。ゲームは、友達付き合いの上でも欠かせないコミュニケーションツールでした。ゲームについて話したり、ゲームをするから自分の家に呼んだり、友達の家に行ったり。それが楽しかったですね。

その後、地元の中学・高校を卒業して大学に行きましたが、ちゃんとした学生生活を送らなかった……という記憶があります。大学には行かないでアルバイトをして、お金を楽しく稼いで、交友関係もバイト仲間と遊んでばかりいました。大学にはあまり馴染めなかったというのが正直あったんですよ。ワーキャーした感じの、明るい感じが僕はだめだなーと思って。

僕は両親と弟の四人家族で、埼玉県の戸田市というところで育ちました。戸田市には3歳の頃から20年間ほど住んでいたのですごく愛着があってですね。本当に今でもまた住みたいぐらい、行くと、すごく違う気持ちになるんですよね。
僕が行っていた大学は、都会の方にあったんです。でももともとそういう――おっしゃれーな感じで、街も人もキラキラしてて、都会!みたいなーー雰囲気が苦手で。『地味な自分には無理だ』なんて思ってしまって、全然仲良くなれなかったし、話しかけたりも出来なかったんです。

でも大学時代のバイト先は戸田市内だったので安心感がありました。同じ地元で仕事してるからなのか、あまり壁がなくて、気さくに話しかけてくれて。意識しなくても自然と仲良くなって、一緒に遊んだり、パン食べたり、みんなでワーキャーしたことも『そういえばあったなぁ』『すごく楽しかったなぁ』と思い出しました。

戸田駅の駅前というのはとてつもなく何もなくてさびれてて。今はいくらかマシになったんですが、本当に開発が進まないというか、する気がないのかわからないんですけれど(笑)。そういうおしゃれさは全くない、でもいるとでも落ち着くようなところなんですよ。

CHAPTER2

2. 仕事って、なんのために、だれのためにあるんだろう。

振り返って思ったのは、仕事っていうものの面白さとか、やりがいみたいなものが当時の自分にはわからなかった

大学を卒業して、就職活動もしないでパチンコ屋に就職しました。
でも、今から振り返って思ったのは、仕事っていうものの面白さとか、やりがいみたいなものが当時の自分にはわからなかったんです。
生活のために仕事しなきゃいけない、お金を稼ぐために何か仕事をしなきゃいけない。やりたいことを探すというより、『お金を稼ぐために、自分に何ができるかな』というような、あまりポジティブじゃない考えがずっとあった気がします。さまよっていました、気持ちとしては。

35歳の時に訪問入浴介護という仕事を求人で見て初めて知って。その時、介護を始めた知人から『介護、ものすごくいい仕事だよ』なんてことを聞いてもいて、求人誌をペラペラめくっていたら、無資格未経験でできますよ、なんて書いてあったものですから、自分はその時、『やりたいな』と思ったんです。これまであまり『やりたい』と思って仕事をすることがなかったので、自分でも『いいかも』と、ウキウキして面接に行ったような記憶があります。

僕は、大学の時から本当に勉強をしてこなかったし、社会に出てからも何も身につけてこなかったなぁ、という思いがずっと自分の中にあってですね。そういう意味でも自分にすごく自信がなかったですし、当たり前ですけど、何もやってなければ根拠のない自信もなくなっていきますよね。でもその時、『こういう自分でも介護の仕事をはじめたら人の役に立つことができるかもしれない』って思ったんですよ。そういうところにウキウキしたんだと思います。

その後、訪問介護の仕事を始めたんですが、その会社の、ある営業所で上の立場になって、ある程度、数字の面で認められて、結果を出せました。でも長くいた営業所とは別の、もうちょっと規模の大きな営業所に同じ立場として転属になった時に、つまずいてしまったんですよね。自分がどうしたらいいかわからなくなっちゃって。

そんな時に、たまたま転職の誘いの電話がかかってきて、僕もうまい話に乗せられてーーじゃないですけど、違う業界に行ってしまったんです。その時は『これは、なるべくしてそうなってる』みたいに思ったんでしょうね、勝手に(笑)。今でも基本的に『来た流れに乗っかる』ということは、意識してやってることではあるんです。結婚を機に埼玉から宮城に引っ越して来たことも含めて。

そこで転職したのが、クリーニングの仕事でした。基本的に世の中に存在している仕事っていうのは世の中の役に立つもので、人の役に立っているから存在してるわけで、もちろんクリーニングの仕事は必要だし、喜んでもらえる仕事だというのは間違いないんです。そうじゃなかったらその仕事はなくなってると思うので。

――という大前提があるんですが、クリーニング業は、クレームがすごく多い仕事だったんですよ。お客さまの大事なものをお預かりして、“きれいな形”にしてお返しするという仕事なので、事故も多く、クレームの対応に追われることが増えていったんです。もちろん、どんな仕事でも“ちゃんとやる”のは当たり前のことなんですが、それよりも、何か起きた時の大変さや厳しさばかりを経験する場面が多くて、仕事で『役に立ってるな』とか『喜んでもらえてるな』と感じる場面は少なかったですね。

正直なところ、『この仕事、なくてもいいんじゃないか……』というところまで考えました。今は下手したらスーツですら家の洗濯機で洗える時代になってるし、この仕事がなくても世の中、どうにかなる、って思ってしまって(笑)。でももっと単純に言ってしまえば、クリーニングの仕事をやっていて自分自身がしっくりこなかった、仕事を面白く思えなかったんだと思います。

そういったところとの比較でいうと、介護の仕事というのは、本当に介護がなかったら、その人の生活や人生が成り立たない。それぐらい、必要としている人にとっては必要なもので、そこに自分が携れるわけです。その場に携わって、その人の生活の様子を見ていると、自分が現場に『いる』ということに大きな意味があるんだなぁっていうのをすごく感じましたね。重度訪問介護(重訪)は本当にそれを感じます。

クライアントご本人だけではなく、ご家族もいて、そのご家族の生活もあるわけですから。クライアントの支援をすることで、家族の方も自分自身の時間を楽しむことができる。それは重訪というサービスがあるからなんだなとか、そこに自分が携わっていることでクライアントとご家族が一緒に暮らせているんだなとか、そういうことを直接、肌で感じました。

本当だったら、生活というのは赤の他人が入れるような場所ではないです。でも、そういう場所にアテンダントとして入れてもらうことで、本当にその人たちの素の生活が見えてくる。『あぁ、こうやって生活してるんだなぁ』というところが見えました。とりとめのない話になっちゃいましたけれど、そんなことを考えて、この仕事にやりがいを感じています。

CHAPTER3

3.一対一でクライアントと関わる重度訪問介護。どんな思いや考えを持ちながら続けてきましたか?

不安もあったが、重度訪問介護の仕事は日々勉強になる、自分の知らないこと、新しいことを感じられる

僕が一番最初に支援に入らせて頂いた方は、A LS(筋萎縮性側索硬化症)をお持ちの方でした。
重訪は、重度の障害をお持ちの方の支援を、一人でする仕事です。もちろんそこには、先輩アテンダントやマネージャー、地域のケアマネージャーの方や相談支援員の方のサポートがあるんですが、現場では一人です。

それが自分にできるのかなという点がすごく不安でした。当たり前なんですが、はじめた当初は『一人でやらなきゃいけないんだな』『自分にできるのかな』という思いしかなかったですね。もともとは『頑張るぞ』とか、『やってみたい』と思って就いた仕事にもかかわらず。

重訪の仕事をはじめて1年ほど経ちますが、今も不安がないわけではなく、不安を抱えながら続けています。それでも続けてきたのは、一つあるのは、綺麗事じゃないです。年齢もあって、『自分はもうあとがない』と思っていたし、この先、違う仕事をするつもりもなかったというか。年齢的な意味でも、『やるしかない』『やらなきゃいけない』ということがまず大前提にありました。これが僕が25歳とかだったら違ったと思います。あまり素敵なお話じゃないんですが、そういった年齢的な要因は大きかったですね。

時々、最初に自分が『この仕事をやろう』と思った時の気持ちを思い出します。『障害を持つ方たちが自宅で生活するためには、この仕事が必要なんだ』ということです。介護は常に人手が足りていない仕事だーーということも、ホームページや動画で見ていましたので、そういうところでも『あぁ、やりたい』と思った仕事でしたから、最初の気持ちを思い出しながらやってきました。

でも正直、僕も気持ちが強い方ではないので、きつい時期もありましたし、葛藤もありました。でもその気持ちに折り合いをつけるということが絶対的に必要だったのも確かです。そうやって弱い気持ちを跳ね返すような動きを自分の心の中でしてきましたね。

今、自分はコーディネーターという立場で、重訪の現場にも夜勤で週2日ほど、他にも書類整理等の事務や、土屋ケアカレッジでの統合課程の講師、近くのデイホーム土屋 たいわで人手が足りないという時には、ヘルプとして行くこともあります。

自分は飽きっぽいところもあって、性格的に活発な方ではないんですが、じっとしてるのも飽きちゃうので、いろんなことをやらせてもらえるのは面白いんです。
いろんな仕事をさせてもらえると、それぞれに違った難しさや面白さ、感じるところがやっぱり違ってくるんですよね。それぞれの仕事において必要なスキルも違いますし。そういう点で、自分にとっては飽きないんです。

単純に、日々勉強になるというか、自分の知らないこと、新しいことを感じられるので、常に『へぇー!』と驚けるわけです。『こういう難しさがある』とか、『今、身につけなきゃいけないことってこれなんだ』とか。そういうものは自分で経験してこそ気づけることなので。

ひとつのことを深く掘り下げていければ、飽きるということはないんでしょうけれど、僕の場合は、やることを変えると、感じることが変わるので、その度に面白いなと感じます。ひとつのことだけをやっていると、どうしても惰性になっちゃうというか。それは、今までやってきたことが本当の意味で興味が持てなかっただけかもしれないんですが、介護という分野においては、その中で様々な仕事をさせていただくと、感じることも増えていきます。興味が尽きない仕事だな、と感じてますね。

CHAPTER4

4.介護の仕事に就いて人との関わりが、知識や経験、財産になった。これからの自分に求められること

自分に自信がなくなって、人と関わることも苦手になった時期もあった

思い起こすと、小さい頃は僕も根拠もなく自信満々でした。でも、大きくなっていくに連れて、自分に自信がなくなって、人と関わることも苦手になっちゃって……という時期が僕は長かったんです。

でも介護の仕事に就いてからは、仕事のやりがいも知りましたし、たくさんの人と関わって、人と協力して仕事をするという経験もしました。今、自分は46歳になってーーいい年になってしまったのでーー介護で学んだことを経験として、今後、仕事に活かさなきゃいけない年齢になったな、とは思っています。

人との関わりが、自分にとっての知識や経験や財産になりました。それも介護の仕事をしたことで得たものばかりです。
今後は、自分より下の年齢の方がどんどん増えていくわけですから、そういった時に自分が関わる人たちや、そのつながりを大事にして、目標に向かって協力していけるような役割を果たさなきゃいけないですね。だから、これからは、自分だけが技術的に何かができるとか、そういうことじゃないことが求められるのかな、と思います。コーディネーターとしても。

でも、組織として何か目標に向かって複数の人とやっていくのはすごく難しいなとも、改めて感じています。
重訪の仕事って、ひとりぼっちになりがちなんです。同じ介護でも、訪問入浴の時はいつもチームの人と一緒です。営業所から一台の車にチームで乗って出発して、営業所に帰ってくるので、ちょっとしたことを、その場ですぐ話したり、顔を見て話したりができたんですが、重訪は直行直帰ということもあって。

だからたくさんコミュニケーションを取ることが大事ですね。じゃあ、Zoomで話すかと言うと、実際に会って話すのとは違いますし、Zoomは無駄話がしづらいというか、必要なテーマに沿って話をするだけで、緊張しますし、本当は直に会って話をしたら、いろんなことが話せて気持ちも全然違うのにな、と思います。
そういう難しさもあって、アテンダントがモチベーションを保って仕事する時に、コミュニケーションというものが本当に大事になってくるなと今は感じています。

CHAPTER5

5.人生はだれのためにある?

人生は誰のためにーー究極的には?

このご質問を読んだ時に、『えええーー!』って思いましたよ(笑)。

人生は誰のためにーーってもちろん、自分の人生は自分のためにあるっていうのは当たり前、間違いないと思うんですが。究極的にはですね。

ただ、関わる人だったり、社会の役に立つように生きるということが、自分のためであり、自分の家族のためになる。そう感じながら生きていけたらいいなと思います。
それが、介護という仕事をすると、できるというか。ぼんやりしていますが、そんなふうに思っていますね。

 


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