大学を卒業して、就職活動もしないでパチンコ屋に就職しました。
でも、今から振り返って思ったのは、仕事っていうものの面白さとか、やりがいみたいなものが当時の自分にはわからなかったんです。
生活のために仕事しなきゃいけない、お金を稼ぐために何か仕事をしなきゃいけない。やりたいことを探すというより、『お金を稼ぐために、自分に何ができるかな』というような、あまりポジティブじゃない考えがずっとあった気がします。さまよっていました、気持ちとしては。
35歳の時に訪問入浴介護という仕事を求人で見て初めて知って。その時、介護を始めた知人から『介護、ものすごくいい仕事だよ』なんてことを聞いてもいて、求人誌をペラペラめくっていたら、無資格未経験でできますよ、なんて書いてあったものですから、自分はその時、『やりたいな』と思ったんです。これまであまり『やりたい』と思って仕事をすることがなかったので、自分でも『いいかも』と、ウキウキして面接に行ったような記憶があります。
僕は、大学の時から本当に勉強をしてこなかったし、社会に出てからも何も身につけてこなかったなぁ、という思いがずっと自分の中にあってですね。そういう意味でも自分にすごく自信がなかったですし、当たり前ですけど、何もやってなければ根拠のない自信もなくなっていきますよね。でもその時、『こういう自分でも介護の仕事をはじめたら人の役に立つことができるかもしれない』って思ったんですよ。そういうところにウキウキしたんだと思います。
その後、訪問介護の仕事を始めたんですが、その会社の、ある営業所で上の立場になって、ある程度、数字の面で認められて、結果を出せました。でも長くいた営業所とは別の、もうちょっと規模の大きな営業所に同じ立場として転属になった時に、つまずいてしまったんですよね。自分がどうしたらいいかわからなくなっちゃって。
そんな時に、たまたま転職の誘いの電話がかかってきて、僕もうまい話に乗せられてーーじゃないですけど、違う業界に行ってしまったんです。その時は『これは、なるべくしてそうなってる』みたいに思ったんでしょうね、勝手に(笑)。今でも基本的に『来た流れに乗っかる』ということは、意識してやってることではあるんです。結婚を機に埼玉から宮城に引っ越して来たことも含めて。
そこで転職したのが、クリーニングの仕事でした。基本的に世の中に存在している仕事っていうのは世の中の役に立つもので、人の役に立っているから存在してるわけで、もちろんクリーニングの仕事は必要だし、喜んでもらえる仕事だというのは間違いないんです。そうじゃなかったらその仕事はなくなってると思うので。
――という大前提があるんですが、クリーニング業は、クレームがすごく多い仕事だったんですよ。お客さまの大事なものをお預かりして、“きれいな形”にしてお返しするという仕事なので、事故も多く、クレームの対応に追われることが増えていったんです。もちろん、どんな仕事でも“ちゃんとやる”のは当たり前のことなんですが、それよりも、何か起きた時の大変さや厳しさばかりを経験する場面が多くて、仕事で『役に立ってるな』とか『喜んでもらえてるな』と感じる場面は少なかったですね。
正直なところ、『この仕事、なくてもいいんじゃないか……』というところまで考えました。今は下手したらスーツですら家の洗濯機で洗える時代になってるし、この仕事がなくても世の中、どうにかなる、って思ってしまって(笑)。でももっと単純に言ってしまえば、クリーニングの仕事をやっていて自分自身がしっくりこなかった、仕事を面白く思えなかったんだと思います。
そういったところとの比較でいうと、介護の仕事というのは、本当に介護がなかったら、その人の生活や人生が成り立たない。それぐらい、必要としている人にとっては必要なもので、そこに自分が携れるわけです。その場に携わって、その人の生活の様子を見ていると、自分が現場に『いる』ということに大きな意味があるんだなぁっていうのをすごく感じましたね。重度訪問介護(重訪)は本当にそれを感じます。
クライアントご本人だけではなく、ご家族もいて、そのご家族の生活もあるわけですから。クライアントの支援をすることで、家族の方も自分自身の時間を楽しむことができる。それは重訪というサービスがあるからなんだなとか、そこに自分が携わっていることでクライアントとご家族が一緒に暮らせているんだなとか、そういうことを直接、肌で感じました。
本当だったら、生活というのは赤の他人が入れるような場所ではないです。でも、そういう場所にアテンダントとして入れてもらうことで、本当にその人たちの素の生活が見えてくる。『あぁ、こうやって生活してるんだなぁ』というところが見えました。とりとめのない話になっちゃいましたけれど、そんなことを考えて、この仕事にやりがいを感じています。