介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

二又里恵

久留米 コーディネーター

医療福祉の根本は『思いやり』

 《interview 2021.10.04》

2020年にホームケア土屋に入社した二又 里恵が、介護の世界に足を踏み入れたのは、偶然の出会いからです。
それ以来、彼女は利用者の喜怒哀楽と直に触れ合う介護の現場で、支援を必要とする人々に寄り添ってきました。
介護の「心」を大切にする、そんな二又の軌跡と想いをご紹介します。

 

CHAPTER1

九州の原風景の中で~心のままに、素直にゆるやかに~

ホームケア土屋 久留米事業所のアテンダント(介護者)として、日々クライアント(利用者)の暮らしを支えている、二又 里恵。山や海、田んぼの広がる九州ののどかな情景の中、二又は車を走らせます。彼女もまた、ゆるやかに流れる川のように、人生に起きる一つ一つの出会いと想いを大切にしながら歩んできました。

福岡県。そこで生まれ育った二又は、早くから就職を考え、地元の商業高校へと進みます。

二又 「お小遣いがなかったので、早く働いて収入を得たいと思っていました。子どもだったので、単純な気持ちから。友人はアルバイトをしていましたが、私にはそういう心のゆとりはなかったし、当時はそれほど選択肢もなくて。パソコンに興味があったので、情報管理課でプログラミングや事務を学んでいました。事務系に就職したいなと」

高校では登山部だったという二又。けれど山登りには全く興味がなかったとのこと。入部のきっかけは意外なところにありました。

二又 「社会科の先生に『友達を4、5人連れておいで。飴あげるから』って。それで皆で社会科室に行ったら『廃部になりそうなので、名前を書いて』と。そこからは厳しい練習が開始。でもいい先生で、楽しかったです」

登山部では大会で地区優勝を果たした二又。その訳とは……。

二又 「女子の参加は二校だけ。だから完走さえすれば優勝か準優勝。完走して優勝しました(笑) けれど大荷物を背負って、8時間以内に5つくらいの山を越えなきゃいけないんです。5分以内にテントを張ったり、ラジオを聞いて天気図を書いたり、植物の知識を問われる試験もあって、つらかったです。『県大会行けるね』って先生に言われましたが、みんなで『行かなーい』って」

しかし卒業間近の頃、二又はあることに気づきます。

二又 「じっと座ってプログラミングしたり、課題をするのが苦痛で。そのうち好きになれるかなと思っていましたが、全くだめ。入学したときのわくわく感も消えて、身体を動かす仕事の方が合ってるなと感じたんです」

進路の変更を決めた二又は、医療福祉系の仕事を探し、学校斡旋を通じて歯科助手に就職しました。受付や器具の設置、歯科衛生士の助手など多くの仕事を任されていましたが、6年目を迎える頃、祖母が住む大牟田が懐かしくなり、引っ越しを決意。それを機に介護の世界へと入っていきます。

 

CHAPTER2

お隣さんは脊椎損傷の障がい者~優しさが道を作り、家族を生む~

ひょんなことから介護を始めた二又。「一期一会」そのままに、出会いを大切にし、人と真摯に向き合うことから、彼女には新たな道が拓けていきます。

二又 「アパートの内覧に行った時、隣の女性から『引っ越してきてくれるの?』と声をかけられました。『ぜひ、うちに来てね。仲良くしたいから』と言われたんです。同居してる方が運転中の事故で脊椎損傷になった60代の男性で。引っ越ししてからは時々お茶に呼ばれるようになりました。そうこうしてるうちに、『人手不足だから働いてみないか』と誘われたんです」

二又は障害者支援センターに登録、ガイドヘルパーとして働き出します。

二又 「仕事内容は、リハビリやお買い物など、移動の付き添いです。私の車に乗ってもらって。当時は規制も緩かったので、買い物帰りに一緒に食事なんてことも。車椅子から移乗できる利用者が多かったので、事業所から住所をポンと渡されて『こういう方なので行ってきて。やり方は当人に聞いてね』って。

今思えばびっくりですけど。若さですね。勤務は週5日、1日2件で、それぞれ4時間程。利用者に『今日はこの辺でいいわよ』って言われるまで。そういう時代だったんです」

そんな中、二又は新しい家族を迎えることに。かわいいミニチュアダックスフントの赤ちゃんです。

二又 「お隣のダックスフントが子犬を4匹産んだんです。それぞれ貰い手が決まってたんですが、1件が取りに来られなくて。それで『どうしよう、どうですか?』って。実はその子が生まれた時にも立ち会いました。ひどい難産で、夜中3時くらいに奥さんが泣きながら電話してきたんです。『一緒に病院に付いてきて』って。うちに来た子は1時間くらい蘇生処置を受けて助かった子なんです。

16年、元気に生きてくれました。けど歳を取ってからは少し認知が出たり、目も耳も悪くなって、壁にぶつかりながら歩いたり、最後の方はトイレもきちんとできなくなりました。ある日、帰宅して牛乳飲ませてあげようかなと思ったら、お布団の中で冷たくなっていて。牛乳飲ませてあげたかったなって。でも長生きしてくれたかなとは思ってます」

他の仕事を掛け持ちしながらガイドヘルパーを4、5年続けた後、両親の入院を機に再び引っ越すことになります。引っ越した先で、二又は介護の仕事からしばらく離れ、地元の人でにぎわう飲食店で働きました。

二又 「時間の融通が利くし、人と接することが好きなので。割と色々任せてもらえたし、大きな声で挨拶するだけでも心が浄化されて、すっきりします。休みの翌日は、常連さんが『昨日いなかったね。具合でも悪かったの?』って心配してくれたり。『私にも休みはあります(笑)』と。そういうやり取りが好きで、楽しかったですね」

コミュニケーションが上手い方ではないし、傷つくことや嫌なこともあるが、それでも楽しさや嬉しさが上回ると二又は言う。人生の喜怒哀楽を包み込む地元の賑わいの中で、彼女は6年の歳月を過ごします。

その間にヘルパー2級(現在の介護従事者初任者研修に相当)の資格を取得、それを生かした仕事に戻りたいと思い始めた二又は、重度訪問介護(重訪)の会社に非常勤ヘルパーとして勤務します。

二又 「重訪は1対1の長時間勤務なので、安定した収入が得られると思って。施設も考えましたが、職員間の人間関係が心配で、ちょっとした助言を気軽に聞ける在宅の距離感がいいなと」

その後、正社員となり、様々な現場で経験を積んだ後、2020年11月、ホームケア土屋に入社します。

CHAPTER3

喜びもかなしみも~重度訪問介護で見つけたもの~

2021年現在、二又は久留米事業所で勤務し、重訪のキャリアは4年近くに。事業所内の関係はとてもいいとのこと。

二又 「久留米事業所は、アットホームで上下関係もなく、同行でたまに仲間に会えるのが待ち遠しいくらい。日々の支援に関する業務内容をノートに書いて共有するんですけど、書き方から支援方法まで、とにかく勉強になるし、お互いにいい刺激になってると思います」

ただ、充実した日々を送る半面、つらい場面もありました。それは、筋ジストロフィーの方の支援現場でのことです。

二又 「同居の家族との関係が微妙で、たまに仮病を使って入院したがる方でした。ろれつが回らない振りや『小さいおじさんが見える』など幻視を訴えたり、1時間ずっとがたがた震えたり。でもバイタルを測ると正常。念のため訪問看護には連絡するんですが。

この現場は他にも難しいことが色々あって、毎日すごく悩みながら入りました。その方が亡くなられたときは、ほんとにショックで。最後に言葉を交わしたのは多分、私じゃないかな。『今日のいいことは二又さんと話せたこと、これだけだった』って。つらいですね」

それでも、この仕事には多くの喜びがあるといいます。

二又 「久しぶりの訪問で『また来てくれて良かった。』って言ってもらえたり、にこっと挨拶やお礼を言われたときは、ほっとします。支援中の気遣いもありがたいです。『暑かったら扇風機使ってね』とか。そういう人間的な触れ合いに、人対人の仕事の醍醐味を感じます。

他にも、支援方法を仲間と一緒に改善してクライアントに喜んでもらえたときや、やり方がわかったときは、急にぱーっと目の前が開ける感じがして嬉しいです。私は背が低いので介助方法が限られます。でも自分の一番安全で安心なやり方を見つけたときは『大丈夫、自分にもできる』って自信になります」

現場では調理からお風呂介助、外出支援に医療的ケアまで、なんでもこなす二又。とはいえ、悩み事は尽きません。

二又 「いつまで経っても緊張するんです。どの現場も入る前は深呼吸します。慣れているようでなかなか慣れませんね。行きしなは今日も無事一日終わりますようにと思って、帰りの車では、あの時はこうする方が良かったかなとか、一連の行動を振り返って頭の中で一人反省会をしてます。なので、帰宅すると一気に脱力します。でもそんな時に犬が大喜びで迎えてくれて、またちょっと復活する」

二又は縁あって再び二匹のミニチュアダックスフントを引き取ったという。

二又 「動物が好きなんです。知人から、譲り先を探している人がいると相談されたので、うちでいったん引き取って探してもいいよって。で、そのまま飼うことに。かわいくって。同じ母犬から生まれた姉妹です。二匹とも怖がりで大変です (笑)」

二匹の愛犬を飼うために引っ越しもした二又。久留米からは遠くなるものの、食べ物もおいしく、探りすぎず離れすぎずの近所づきあいにも満足だとのことです。

CHAPTER4

仲間との絆を大切に~「思いやり」が支える介護の未来~

2021年現在、二又は脳性麻痺や筋ジストロフィーなど6名のクライアントを担当。中には2週間に1回の勤務もありますが、日勤も夜勤もこなしています。今後の目標は、まず介護福祉士の資格を取ることだと語ります。

二又 「資格は安心感をもたらすし、どの現場でも不安なく、誇りを持って支援できるなと。今はまだ反省と緊張の日々です。先のことは考えなくはないけど、まだまだ勉強ですね。介護は心が込もってなければ、事務的で、人対人の仕事ではなくなってしまいます。なので、そこは絶対に疎かにしないように。あとは技術を高めつつ、自分を過信せずに素直で誠実に仕事をしていきたいです」

そんな謙虚で誠実な二又が考えるのは、士気の高い久留米事業所の仲間たち。

二又 「久留米のスタッフはとにかく優しいです。夜勤の時は、日中に入っている方が夜の準備をしてくれていたり。お互いへの心遣いがあります。大雨のときなどは早めに家を出て、現場の近くで待機していたり。私は少し遠くに住んでいるので、4時間くらい前に出かけます。言われなくても、みんなそうするんですよね。

それに優秀な方が多い。もちろんそれぞれ不得意なこともあるので、その点はお互いフォローし合うような雰囲気をこのまま保っていたいです。仕事の愚痴を聞き合って共感しながら気持ちをスパッと切り替えて、それがモチベーションのアップにつながればいいなと思います」

会社について聞いてみると。

二又 「定期的な社内アンケートは嬉しいです。なるべくアテンダントの不満を聞いて解消し、いい方向へと変えていく取組みはありがたいですし、気持ちよく働けますね。アンケート後の改善策については、もう少し知りたいかな」

最後に、二又は介護の仕事を始める上で、心の大事さに触れています。

二又 「医療福祉の根本は『思いやり』だと思います。その心があれば、技術も徐々に身に付いて良い介護士になれるのではと。私自身、特に知識や技術を持っていたわけではありませんが、それでも楽しく仕事を続けられています。

もし迷っているのであれば、1日数時間、週2、3日から少しずつ始めてみてはどうでしょう。上司や先輩の指導も、経験や年齢等に合わせ、丁寧です。支援先が自宅から遠い場合は、急な対応でも慌てずに済むように、上司がしっかり配慮してくれます。支援を待っている方々はまだたくさんいらっしゃいますので、ぜひ仲間になっていただきたいなと思います」

二又は今日も、支援を待つ人々のもとへ向かい、「生きる」を支える仕事をしています。


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