介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

貴志 葵

大阪 コーディネーター

“安心”をつくる介護という仕事は、時に深く根を張り、空高く大きな樹となり、あらゆる命と繋がっていける

 《interview 2023.8.31》

ホームケア土屋 大阪でコーディネーターを務める貴志 葵(きし あおい)。「ともに暮らしをつくる」と語る貴志のケアの現場は、目の前のクライアントだけではなく、家の中にある気配や影、記憶といった見えないものとのまなざしの交流に“影ながら“支えられています。その場所に”安心“があること、”暮らし”があること――在宅介護の豊かさはこんな身近に、見落としてしまいそうなところにありました。

CHAPTER1

帰る家がある、そのことの尊さ

貴志が重度訪問介護の仕事をスタートしたのは2022年。

貴志「それまでは、介護老人保健施設(老健)で働いていました。毎日楽しく、充実して働かせていただいたんです。認知症専門棟で6年半ほど働いた後、同施設の在宅復帰に力を入れている部署へ移ったんですが、そこで“家”で暮らしながら受けられる介護という形がある、と知って。今度は家での暮らしに関わってみたいな、と思い転職しました」

「はじめての介護の仕事だった」という老健で8年。在宅での介護に関わるようになってから、見えてきた景色があると言います。

貴志「重訪に関わるようになってから、家での暮らしの尊さを感じる時がしばしばあるんです。ご家族とクライアントさんと外出をして帰ってくる時、家が見えた瞬間にご主人が『ほら、帰ってきたよ。もう家が見えたよ』と声をかけられていたのを聞いて、『なんて安心する言葉なんだろう』と思ったんですね。

自分が小さい時も、車に乗って家族と出かけて『もう家に着くよ』なんて言われていたことをポッと思い出して。帰る家があるってすごく温かいことなんだなぁ、と。家での暮らしってこんなにも尊くて、愛おしいものなんだ。そんな感情が湧くことがあります」

クライアントとご家族の暮らしの場での介護に、貴志が感じた“温もり”。その感覚は、どんな経験から見出されてきたものなのでしょうか。

貴志「いろんなきっかけがあると思うんですが、例えば私は18歳で地元から大阪に出てきて、一人暮らしを始めたんです。ワンルームマンションの気楽な生活でした。でもそのマンションには、あたりまえですが温もりは感じられなかった。

長期のお休みに実家に帰るとすごく安心するんですよね。そこに何があるというわけでもないのですが、家族の影みたいなもの――誰かの影や気配があったり、いろんなものに人の痕跡やしがらみがあったり。祖母の家に行く時にも、毎回そんな気持ちになって安心していました。それが自分にとって馴染みがあったり、安心できるものだと、温かさを感じるのかなと思います」

子どもの頃に買った家族旅行のお土産、棚の中に置かれたままの人形――どんな家にも忘れられたようにいる、ひとやものの気配が貴志の心にそっと明かりを灯しているようです。

CHAPTER2

アール・ヌーヴォーに惹かれて――草花や虫たちとの蜜月時代

徳島県の港町で生まれ育った貴志。「あまり人見知りもしない性格で、明るかった」という彼女は友達と遊ぶ時間が多かった一方で、「マイペースで本を読むのが好き」という一面も。「物思いに耽ったり、夢見がちな部分もあった」と言います。

貴志「小人とか妖精とか、あまり現実的ではない物語を好んでよく読んでいました。物語の中に入り込んで、自分もその仲間の一人になったような想像をよくしていましたね。ボーッと本を読んでる時は、呼ばれてもあまり聞こえてないような子どもでした(笑)」

「コロボックルの妖精の話や、大泥棒ホッツェンプロッツとか……」。貴志の口からは、当時、夢中になっていた物語の主人公の名前がするすると出てきます。
その時の貴志には、「大人になったらこんなふうになりたい」と思い描いていた未来はあったのでしょうか。

貴志「実は全くなかったんです。とにかく“今”。それこそ“夢の中”と、“今”で充分(笑)。想像以外に将来を考えたりっていうことはなかったですね」

絵を描くことが好きだった貴志は、高校卒業後、地元を離れ、大阪へ。デジタルデザインの専門学校に入学します。
その後、貴志が仕事として選んだのは、彼女が好きだったという“あるもの“の販売の仕事でした。

貴志「もともと、アール・ヌーヴォーと言われる19世紀から20世紀初頭にかけての時代や、ヨーロッパの芸術様式がとても好きだったんです。その時代に創業されたクリスタル製品を扱う販売の仕事に就きました。

クリスタル製品というのは壊れやすくて、宝石よりも脆いんです。心にゆとりや余裕がないと関われないんですよね。クリスタル製品に関わることで、自分の中にゆとりのある時間を持つことを大切にしていたのかもしれません」

草花をモチーフにしたアール・ヌーヴォーの作品や建築に惹かれ、その頃は国内だけでなく海外まで出かけることもあったという貴志。その中でも彼女の心を掴んだのは、スペインのアール・ヌーヴォーの巨匠の作品でした。

貴志「スペインに行った時にはガウディの建築をいろいろ見てまわりました。ガウディの曲線のデザインはとても繊細なのに、しっかりと作り込まれたものが多くてとても惹かれましたね。その建築からは、優しさや、柔らかさ、丁寧さを感じました。私自身が田舎の出身なので、草花や昆虫のモチーフに親しみがあるのかもしれません」

CHAPTER3

子どもとの暮らしは、ままならないことだらけ――「人と繋がってないと生きていけない」

「独身の頃は一人で気ままに暮らしていたんです」という貴志。その後、結婚し、子どもが生まれます。

貴志「一人の時はしたいことをして、自分のせいで叱られるし、褒められる。すべて自分の責任。自分がしたことがそのまま自分に返ってくるので、ある意味、納得がいっていたんです。

でも、子どもが生まれるといろんな壁にぶち当たるというか――私は子どもが3歳の時に離婚をしているんですが、毎日、てんやわんや。『ままならない』という言葉がよく当てはまります。一人の力じゃどうにもならないことが山のように起こるんですよ。

例えば子どもが熱を出して仕事を休むこともあったんですが、休めないこともありました。他にも一人じゃできないことがたくさん出てきて、誰かの力に頼るしかない。それまでは一人で生きていける自信もあったんです。でも『これはもう無理だな』『人と繋がってないと生きていけないんだな』と思ったんです」

“てんやわんや“の中でも、時折出会う優しい声かけが身に沁みたと言います。

貴志「職場の人が娘と会った時に『あんたのお母さんすごいでー』とか、『いつも仕事めっちゃよう働くねんで』なんて言ってくれると、子どもの顔がパッと明るくなるんです。『うちのお母さんってすごいんや!』って。

そうやって母親が仕事をしていることを、子どもも私自身も、周りの人も誰もが肯定できるような声をかけてくださる方がいたり、『いつ休んでもかまわへん』って言ってくれる人がいたり。そんなことがたくさんあって、自分以外の人に眼を向けるようになって、人との関わりを大切にしていきたいなと思うようになりました」

そんな暮らしの中で、貴志にある出来事が訪れます。

貴志「子どもが病気になった時は、病後児保育に預けて仕事に行くことが何回かありました。でも、もう罪悪感いっぱいで預けるんです。『子どもに心細い思いをさせて申し訳ない』と自分がいけないことをしてる母親のような気持ちで。

でも、ある日――預けた病後児保育室のそばに児童養護施設があったんです。その養護施設の前に車が止まって、車の中から職員さんと子どもが出てきて、施設からも職員さんが出てきて。どうやらその子は病院に受診した後だったようで『〇〇くん、大したことなかったみたいでよかったね。じゃあ、お部屋で寝ておいで』って――。その言葉を聞いた時、ふっと『あ、この子は一人で寝るんだ』と気づいたんです」

「私は仕事が終わったらずっと娘についていられる。だけど、施設で暮らす子たちは、もしかしたら体調が悪い時でも大人がそばにいる時間は少ないんじゃないか」「家で暮らす子どもたちと違って、大人との一対一の関わりは少ないんじゃないか」

――その“小さな声”との出会いは、やがて貴志の中で大きな疑問となり、そこから里親制度や児童養護施設に強い関心を持つようになります。

CHAPTER4

空に向かって伸びる大きな樹。その樹を支えているのは、ひとりひとりの“小さな声”

貴志は、転職活動中、土屋のホームページを訪れた時、その事業の幅広さに「大きな樹が色々な人の希望を乗せて、空に向かって伸びるような印象を受け」たと自身のコラムに書いています。その後、土屋の代表・高濱敏之の著書『異端の福祉』を読み、「その希望の樹の根の部分が見えた」とも。

貴志「土屋のミッションにもある、『探し求める小さな声を』という言葉は私もすごく共感をしました。それは、灯りのない暗闇の中を、声を求めて動くというか――その道はまっすぐでもないし、簡単でもない。でもどんどん太く、そしてたくましくなりながらずっと深く掘り下げていく――その根っこには、ひとりひとりが抱えている“憤り”という感情があるんじゃないか、と思うんです」

目に見える事業展開を“大きな樹”と例えた貴志。枝葉を伸ばしていく樹を支える“根”を強くたくましくするのは「一人一人の中にある憤り」なんじゃないか――。貴志の声からは、柔らかくも、彼女がこれまで巡らせてきた想いが感じ取れました。

貴志「里親制度や養護施設について考えたこともそうでした。私は実際に施設を見学したことがないので、決め付けた言い方になってしまわないか不安ではあるんですが――

家というのは、子どもが生まれて、自分以外の人間との関係性をつくりあげていったり、ルールやマナーを知る最初の場所でもあると思うんです。そこには社会に出るために必要な準備がたくさんたくさん詰まってる。食べるとか、寝るとか、きれいにするとか……そういった基本的な欲求が満たされて、子どもにとってその場所が愛情や信頼で満たされて、安心できる場所であれば、その子は自然と自分に自信を持って他者と関わったり、もともと持ってる能力を発揮しやすくなるんじゃないかなと思うんです。

きっと養護施設側もいろんな工夫をされていると思います。ただ、私自身がそれまで疑うこともなく経験してきた親との時間や“家”という場の経験が浅いまま、社会に出ることを強いられる子もいる。それは、その人が将来や家を新しく築こうとした時、マイナスからの出発になってしまうんじゃないのかな、と思うんです。そういう状況は、やっぱりフェアじゃない――私にとって納得のいかない部分です。

世の中がどんな人にとってもフェアな状態であるというのはとても難しいことですし、もちろん、厳しい環境や状況を乗り越えて、自分の強みに変えてきた方もいらっしゃると思います。それは本当に素晴らしいことです。でも、大人の都合で子どもが不本意な状況に置かれていたり、それを解決できる社会のシステムをつくれていないのに、子どもに『逆境に打ち勝て』とはやっぱり言えないと思うんです」

貴志の中にもまた、自身が置かれた立場から見てきた景色がありました。

貴志「子どもが5歳の時、就職の面接に行ったことがあるんです。一次、二次が終わって最終面接が30分ほどあったんですが、そのほとんどが子どもの話で終わって。私自身への質問ではなく、『子どもが熱が出たらどうするの』『実家は遠いの』、そんな質問ばかりで納得がいきませんでした。

もちろん、子どもがいることでいろんな出会いがあって、それはすごく自分を成長させてくれたし、以前よりもずっと人に優しくなれました。でもやっぱり――子どもがいることをマイナスと捉えられるような経験なしにそうなれていたなら、その方が良かったんじゃないかな、と思います。

それは先ほどの、フェアじゃない環境で育つ子どもの話とも繋がると思うんです。やっぱり私自身も何不自由なく育ったけれど、凪のような人生ではなかったんですよね。凪のような人生を最後まで歩める人はなかなかいないと思う。でも、そんな中でもせめて、ある人にとっての納得がいかない部分は、ほんの少しでも社会から減らしていければいいなと思うんです」

「例えば、重訪という“在宅”の仕事は、養護施設を出た子どもたちの就職先のひとつになり得るかもしれない」――子どもたちが自立し、つながりながら生きていくための選択肢として重訪という仕事を考えてみること。世にある“アンフェア”や“憤り”を、“希望”という形の事業へ変えていく――。

貴志「どんな形になるのかはわからないのですが、いつかそんな仕事に関わっていけたらいいなと思います」

*写真協力:クライアント・N様のご希望で、コスプレをした写真(上記)を撮影いただきました。

CHAPTER5

そこに“暮らし”がある――ともに日々を紡いでいくこと

貴志は、その人の暮らしの中でつみ重ねられてきた気配や記憶を常に感じながら、クライアントの隣にいるようです。

貴志「先日、ご逝去されたクライアントのお宅には、すごく古い炊飯器があるんです。その炊飯器は一升炊きなんですが、おそらくご夫婦の子どもたちが小さい頃からずっと使っていたものだと思います。そのご夫婦の奥様がクライアントだったのですが、きっと育ち盛りの子どもたちがたくさんいて、奥様がお家で調理をされていた頃はその炊飯器でみんなのご飯を炊いていたと思うんですね。

子どもたちは大きくなって、ご主人との二人暮らしになったんですが、炊飯器は今もそのままご主人の方が使っていらして。一升炊きだけれど、炊く時は二合。ちょびっとだけ炊くんです。『昔は料理なんかしたことなかったんや』なんて言われながら、晩ゴハンを作っていらしゃいました。その時に、『この炊飯器は何十年もずっと、ご飯を炊いてきたご家族の暮らしを見てきたんだなぁ』って。そう思うと胸が詰まるというか――在宅の現場では、時々そんなふうに胸がクッとなるような瞬間がありますね」

「生活って、安全で、それでいて安心できることが大事だと思う。それは、“そこに暮らしがある”、“その人が暮らしてきた痕跡が見える”というか――」。
貴志は、その人の暮らしの中でつみ重ねられてきた気配や記憶を常に感じながら、クライアントの隣にいるようです。

貴志「子どもが描いた絵や、その人が長年使ってきた食器に囲まれながら時間を共にするようになって、大切なものが詰まった空間の中でクライアントにとっての穏やかな暮らしを守っていけたらいいなと思うようになりました。

それは――施設を否定するということではもちろんないのですが――施設で働いていた時とはまた違った感覚でした。以前働いていた老健は、施設の特性上、『リハビリをして、良くなって家に帰る』という目的がある場所なので、どうしても“正しい”とか“よくなること”を強く意識していたところがありました。

でも、重訪では“ともに暮らしをつくる”、“ともに日々を紡いでいく”――そんな感じがあって、今まで関わってきた介護とは全く違うなぁと感じています。クライアントがそのまま、ありのままで生活していく。私たちアテンダントはそこにお邪魔するんです」

そのままで、ありのままで――という思い。それは、以前から貴志の中で大事に育まれてきたものでした。

貴志「老健で認知症ケアに関わっていた時に、排泄が難しくなってきてご家族と折り合いが悪くなり、施設にご入居される方がいらっしゃったんです。懸命に介護しているのに上手くいかず、ご家族もどうしていいか分からなくて、親御さんのことを『排泄ができないなら、犬や猫と同じじゃないか』と仰る方もいました。そういう言葉を聞くことはもちろん辛いんですが、それ以上に、ご家族もものすごく苦しんでいる中でその言葉を発していらっしゃると思うんです。

ご家族の方とお話しして、そんな思いを受け止めながら、だから私たちのような仕事があって、『その人はどんなふうに変化したとしても、ずっとその人なんですよ』ということを思い出していただきながら、ケアに必要な技術や知識をお伝えしたりもして、その人がその人のまま関係を保てることをずっと大切にしてきました」

その想いの奥には、これまで貴志が出会ってきたたくさんの人の顔が。

貴志「介護の仕事は、どうしても“してあげる”、“与える”というイメージを持たれる方が多いと思うのですが、私自身は、たくさんのことを与えられてきたような気がしているんです。楽しかったこともあるし、うまくいかなかったこともある。悩んだことも反省したこともたくさんある。今でも思い出すいろんな方の顔があって、利用者の方との関わりを通して、本当に成長させていただきました。

そうやって、私自身も少しづつできることが増えていってると思います。でもそれは、これまで出会った利用者の方からいただいたものであって、いただいたものをそのまま、別のクライアントへ返していってるだけ――というか」

「そんなふうに人と関わる時、私は一冊の分厚い本を読ませていただいているような、そんな気持ちになる時があるんです」と語る貴志。

貴志「その人がこれまで生きてきた歴史に、ほんの少し触れるような。その長い長い歴史の中の一部分に今、関わらせてもらってる。私にとってそういう体験はやっぱり『いただきもの』なんですよ」

CHAPTER6

誰もが、存在するだけで自身を肯定される場所で

「これまで関わった方たちへの感謝とリスペクトの気持ちを持って、また次に出会うクライアントと真摯に向き合っていければいいな」と言う貴志。受け取った贈り物を、また別の誰かへ――その行為を“橋渡し”と言っていいのでしょうか。

貴志「橋渡しなんておこがましいんですが――でももし、うまく表現できない思いをクライアントの方がお持ちだったとしたら、その声を何か形にして届けられるような関わりができたらいいな、と思います。

ただ、その“小さな声”を聞くためには、こちらが上からでもいけないですし、逆に下からでもいけない。もちろんクライアントとアテンダントという立場ではあるんですが、お互いが信頼し合える対等な関係になったら、きっとどんな人も相手の中にある“小さな声”が聞こえてくるんじゃないかと思うんです。

その先には――誰かが誰かと繋がれる世界があったらいいですよね。ご本人が望まない孤独が、ない世界。繋がりたい人はきちんと誰かと繋がれる、そういう世界になったらいいな」

繋がることも、時には一人でいることも選べる、そんな居場所。貴志にとって、“家”という居場所が持つ尊さとは、どんなものなのでしょうか。

貴志「そうですね。自分が守られているという実感を持つこと。存在するだけで自分自身を肯定される場所がある――ということでしょうか。そういう場所があるって、人をすごく強くしたり、優しくしたりすると思うんです」

この世に生まれた誰もが、存在を肯定される場所としての“家“。
“安心”をつくる介護という仕事は、時に深く根を張り、空高く大きな樹となり、あらゆる命と繋がっていけるのかもしれません。そして樹になる実は、次の命へーー。

貴志「自分に子どもが生まれた瞬間から街で見かける子どもたちのことがさらに愛おしくなりました。知らない子も、みんなみんな大好き。どんな子を見ても『なんて大切な存在なんだ』と思えるようになって。

私は20代の頃、岡本太郎さんの本を読んでいた時期がありました。そこに、『今日から花嫁は、世界中の男性の女房になったつもりでいなさい』という言葉があったんです。その言葉と出会ってからは、『私も世界中の子どもたちのお母さんになったような気持ちでいよう』と思うようになりました」

岡本太郎が知人の結婚式で話したスピーチというその文章は、こんなふうに続きます。

“みんな笑うけれども、また実際にはそんなことは不可能だけれども、我が亭主、我が親、我が子って、小さく仕切ってしまうのは、つまらない生き方だと思う。
そうでなく、世界中の子どもはみんな自分の息子だ、世界中の親はみんな自分の親だ、そういうおおらかな豊かな気持ちを持ちたいと思う“

引用元:岡本太郎『自分の中に毒を持て』(青春出版社/2017年)より


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