《interview 2024.4.16》
宮崎県日向市で、地域に根差したデイサービス事業・有料老人ホームを営む株式会社ゆう。その前代表であり、現在は管理者を務める岩切伸一(いわきりしんいち)は宮崎で生まれ、青い海とともに育ちます。石油会社での勤務ののち、介護の道へ。その後、株式会社ゆうの代表となり、2023年M&Aを経て土屋グループの一員となるまで――岩切と妻の、“二人三脚”……ではなく、岩切曰く、“二人四脚”のこれまでを振り返ります。
株式会社ゆう
管理者
株式会社ゆう
管理者
宮崎県日向市で、地域に根差したデイサービス事業・有料老人ホームを営む株式会社ゆう。その前代表であり、現在は管理者を務める岩切伸一(いわきりしんいち)は宮崎で生まれ、青い海とともに育ちます。石油会社での勤務ののち、介護の道へ。その後、株式会社ゆうの代表となり、2023年M&Aを経て土屋グループの一員となるまで――岩切と妻の、“二人三脚”……ではなく、岩切曰く、“二人四脚”のこれまでを振り返ります。
CHAPTER1
『自分の仕事が、相手にとって何かお役立ちできたんだな』――それを感じられるのはどの仕事も同じです。
地元の高校を卒業して就職した石油会社には通算17年、一般従業員として働いていました。宮崎県の、当時の延岡市にある株式会社ニシダで、ガソリンスタンドや地ビールの工場を手掛けていた会社です。
17年のうちの最後の6年ぐらいは、新出光という福岡に本社がある会社――ここも石油が主な販売商品なんですけれども、今はどんどん舵を切って石油を少なくし、エネルギーシフトをしています――で、いろんなエネルギーに携わりながら働いてきました。
僕はガソリンスタンドの店長を23歳の時からやってまして、関わってきたのは、基本的に車販売や車のコーティングオイル交換、タイヤ交換。車検とか、板金ですね。そこに石油販売がついてるような形です。ずっとマネージャーとして、スタッフの採用や教育、販売管理、販売促進、販路開拓などをやっておりました。
17年間、車が相手だったんですけれども、働いていけばいくほど、結局は車ではなくて、人相手なんだなっていうことに気づいていくんです。車ではなくて、車のオーナーに対する敬意があるかどうか。そこに、結局はたどり着くんですね。
介護の仕事も同じです。どのサービス業も『ありがとう』という感謝の部分ですね。そう言っていただいた時に、『自分のやってる仕事が、相手の方にとって、何かお役立ちできたんだな』っていうことを感じられるところは同じです。
もちろん車は喋ってくれませんでしたが(笑)、オーナーさんがしゃべってくれたり、言ってくれたりする。車相手でも、クライアント相手でも、そこが『仕事のやりがいの源泉なんだな』っていうのは感じましたね。
ただ、車のオイル交換やタイヤ交換ならお茶の子さいさいでやってきたんですが、その後、まさか自分がオムツ交換、パット交換をするとは思ってもいませんでした(笑)。
例えば車で言えば、故障があれば診断機を通しますと、そのエラー番号が出て『どこどこが悪いですよ』とピンポイントで教えてくれるんですけれども、介護の仕事というのは本当にいろんな要素――本人の気持ちもありますし、今まで培ってきたご本人様の歴史等々すべて――を考える材料にしないといけないですね。
車はトヨタ、ホンダ、マツダ……日本車だったらメーカーは何車種かに限られてますし、同じ部品を使っていることもありますが、人が相手の介護という仕事は、一人ひとりすべて違う。
『トヨタ車はこの部品』『ホンダ車はこの対応』という一律の対応ではなく、唯一無二の存在のクライアントに接していくことは大変でありながらも、やりがいのあるというか、崇高な仕事だなとは思いましたし、今も思っています。
介護職は、多職種の方が集まるといいますか――『一人だけ』、『一対一』では絶対に完結しなくて、いろんな方が関わって一人の方を支援していく。全員がそれぞれのスキルや領域で関わって、だけれども、その全体をしっかりケアマネージャーさんがプロデュースしていく。
その仕組み自体に感心をしたのが、この仕事を始めて当初、思ったところです。
CHAPTER2
妻が立ち上げた株式会社ゆう。知らない間に、新築の施設が建ち、妻が社長になっていて、驚きました。
株式会社 ゆうは、実は私は立ち上げには全然関与していなくて、私の妻がつくった会社なんです。
妻は、もともと看護師をしていたんですけれども、看護学校に通っていた頃の研修で、在宅での介護や看護、実地研修を体験して、在宅の重要性だったり、いろんなことに興味を抱いて『いつかは自分も在宅介護・在宅看護に携われたら』と思っていたそうです。
その後、看護学校を卒業して病院に勤めるんですけれども、勤めているうちにその思いがどんどん強くなってですね。研修に行った時の思いを実現したいということで、一念発起して、2013年に株式会社 ゆうを立ち上げました。
当時の僕は、地域の旗艦店と言われた大型店のマネージャー職をしておりまして、ほぼ毎日、朝真っ暗なうちに出勤して、夜遅くに帰ってくる。
言ったら、妻とはすれちがいの生活をしていたので、本当に私の知らない間に、妻が会社を設立して社長になっていて、新築の施設が完成していてびっくりした……というのが本当のところです(笑)。妻がほぼ一人で、投資から何まで一人で行なったそうです。
妻は……そうですね。猪突猛進な感じではあるんですけれど、弱い部分もあって、“やると決めたらやる”という性格は知っていました。後から振り返れば、おかしなことではないんですけれども、それでもわざわざ土地を探して、そこに新築の物件を建てることを本当にするのはすごいなという思いでいましたね。
CHAPTER3
その後、株式会社ゆうへ入社。当時、バラバラだった社内の人間関係は、経営理念の再考により『重たい荷物はみんなで持とうよ』という方向へ
その後、僕が株式会社ゆうに入社したのは2018年、会社の歴史が今年でちょうど10年なので、設立して5年、ちょうど折り返しの時です。言うたら経営することの酸いも甘いもいろいろわかってきてですね。結局、一人だけではどうしようもならないというか、前に進めないことを妻は感じていたのだろうとは思います。
実はその時、妻は会社内でのいろんな人間関係にだいぶ疲れ果てていたところがありました。家に帰ってきても、ずっと泣いていて――社長なんですけれど、なかなか足が会社にも向かなくなったというところがあって。
他に身内も会社にいませんでしたので、私もちょうど40歳になったところで、石油会社はなかなかハードワークでもありましたので、会社員を辞めて『少しでも妻の役に立てればいいな』と思って入ったのがきっかけです。だからそれまで全く介護もしたこともなかったですし、介護の仕事に就くっていう考えも全くなかったんですね。
恥ずかしながら、私が入社した当時、株式会社ゆうの社内は人間関係がバラバラでした。常にこそこそと、陰で誰かが悪口を言っているような状態で、雰囲気も良くなかったんです。
で、『これは何とかしなくちゃいけない』と。まず、『何のためにこの会社は存在しているのか』っていう経営理念の落とし込みだったり、新たに行動規範を作成して、それを朝礼にてスタッフの皆さんに説いていったんですね。
最初は皆さん、気怠そうにはじめていたんですけども、その後、しばらくして職員の約半数――その時、職員が14、5人いましたので、その半数の7人――が一斉に退職をしていきました。
その時、辞めていく職員から言われた言葉が、『私たちがいなくなったら、業務が回らないでしょう』と――。『それなら、会社を潰して倒産させてください。そしたら私たちはすぐに失業保険がもらえるから』と言われたことがあります。
この時はすごく悔しくてですね。まぁ、今でも忘れません。でも、『なんとか生き延びて、社会に貢献していける会社にしたい』と思えたのもこの時です。
そこで新たに、妻と2人でいろんな話をして、これまでの失敗といいますか、反省を元にして『こうありたいよね』というところを話し合って、『生きがいを創造する』という理念を決めました。そこからですね。『生命の幸福充実に焦点をあてて、生きがいの大切さを探求し、心でつながり合う社会の果てに貢献し続けます』という経営理念を再定義しました。
この後から入っていただいた職員さんは――看護師の学校に行くためにその後、一人は退職しましたが、その方以外は、一人も辞めていません。離職率が非常に低くなり、組織としてまとまってきたと思っています。
そうですね。ほんま、私が株式会社ゆうに入ったことによって『一人で背負っていた荷物をみんなで持とうよ』という方向に舵を切れたのかなと思っています。
妻は責任感はすごく強いんですけれども、一人で背負い込むタイプでもあるので。社長はスタッフに悩みを言う訳にはいきませんから、基本的には私は社長の悩み聞き係をしていましたが、会社は“社会の公器”として、多方面の力を集結しないとうまくいかない。
もちろん、すべてに責任は伴うんですけれども、その後、私が代表となっていく中で、オーナーとして会社を運営するということは本当に真剣勝負――切れる刃で勝負をしている、という意味でも――なんだなとひしひしと感じてます。
CHAPTER4
クライアントのできないことではなく、できることに着目し、日々の実践と会社の理念をつなげていく
『生きがい』ってものすごくいろんな意味があって、定義は難しいというか、人に決められるものでもないなとも思ったりもするんですけれども。
もちろんこれは、ゆうは福祉会社と言いますか、ケアの会社ですので、支援させていただくクライアントさんの生きがいだったり、やりがいを創造する……という意味もあるんですけども、それ以上に、働いてもらってるスタッフの皆さんの生きがいも創造していきたい、というのが大きくあるんですね。
大人になってからの人生を考えてみますと、人生の3分の1は仕事に費やしている、と。そのスタッフさんが働きがいを持って、生きがいを感じて仕事をする。
その生きがいがクライアントさんにも伝わり、お互いを求めて支え合っていける――そういう環境や理想を求めて、経営理念を『生きがいを創造する』という一言でまとめる形になりました。
株式会社ゆうには、社訓が十項目あるんですけれど、『今日は3番の何々を実践しました』『今日のこの出来事は、この何番に属しますよね』といったことを、組織内でのコミュニケーションツールを使って、スタッフ全員で示し合うようにしています。
そうすることによって、羅列だけで、意味を持たない文章ではなく、一個一個、現場の出来事だったり、現場で起こってくることに全部紐づけ、一人ひとりが実感していく。『あ、これって本当に意味があることだね』『文字が生きてるよね』って。
それは、実践で役に立つというよりも、言葉に命をこめていく作業です。法人として、自分たちは同じ共通目的を持って進んでいるんだっていうことを常に確認しながら進んでいくということを日々、やっています。
例えば、『クライアントさんがこんな言葉を言ってくれた』とあるスタッフが言ってくれたら、『これはそうだね、生きがい創造だよね』って。これ、見えますかね?
<ゆうでは、利用者さんやご家族に言われた言葉などを『ステキカード』としてシェアして、職員の連帯感と使命感、経営理念の共有をしています>
『今日、こういう発言がありました』っていう『ステキカード』というものがあるんです。どんなちっちゃいことでも、利用者さんが仰られた素敵な言葉を、スタッフが書き留めて、みんなで見られるように壁にいっぱい貼っているんです。
クライアントさんでも自立支援っていうのが一番大事なことかなとは思うんですが、やっぱりできないことに目を向けていくじゃないですか、普通は。『◯◯ができない、歩けない、自分で排泄できない』――ではなくて、できること。
ストレングスの部分ですね。そこに着目していく。スタッフ同士でも、お互いのいいところだったり、写真を送ったり、『目立たないけど、こんなことを、この方してますよ』と、褒め合うようなことを社内のコミュニケーションツールを使って共有しています。
CHAPTER5
『株式会社ゆうでは、今もここで働く4人の職員の親御さんを、うちの施設で看取らせていただきました』――自分の親を、自分の職場で看取ること
『ゆう』という会社名も妻が決めたんですが、ひらがなで『ゆう』。ただ、先ほどもお話しましたけれど、知らない間に会社ができていたということがありまして(笑)。
僕が入ってから、『これ、どういう意味?』と創業者である妻に聞いてもなかなか明確な答えがなかったんですよね。なので、『じゃあ、この“ゆう”っていう会社名に、意味づけをさせよう』と。命を吹き込もう、ということでつくりました。それがこれなんです(写真下『3つのゆう』)。
私がゆうに入社してから、妻にヒアリングをしながらですね。『こういうことじゃないのかな』って妻に聞いたら、本人が『そうそう』って言いながら。
『最初は優しいから、可愛いから、“ゆう”にした』なんて言っていたんですけれど、これからは『なんでそうなんですか?』と聞かれることがあると思うので。なので、後付けです、これは。
これまで、“ゆう”にはいろんな方がいらっしゃって、本当に忘れられない方が多いんです。現在も働いていただいているスタッフの方なんですが、今まで、この株式会社ゆうで、4人の職員の親御さんを、うちの施設で看取らせていただいたんですね。
自分が働いている施設に、自分の親をお願いしたいと思ってもらえることそのものが、まずすごく嬉しいですし、自分の親を、自分の職場で看取れる――これは本当に嬉しいことです。『ここで最後を迎えさせてもらって、本当にありがたい』という言葉は、職員から聞いた中ではとても印象に残ってます。
CHAPTER6
『土屋のミッション・ビジョン・バリューを一緒に進めていきたい。仲間になりたい』と思ったーー正直な心の声に従って進めたM&A
その後、2020年2月に私が株式会社ゆうの代表になりました。ちょうどその頃、『ダイヤモンドプリンセス号』という大型クルーズ船が横浜港に着いて、未知のウイルスが日本国内で広がり始めたところだったんです。コロナ禍と同時に、ゆうの代表になった、という感じです。
当初は、未知なる伝染病、特に高齢者がかかってしまうと死に至るということもあって、現場は大変な騒ぎになりました。うちの宅老所でも、老人ホームでも、クライアントさんが次々とコロナにかかりまして、デイサービスも閉鎖し、開けられない状態で。一ヶ月にキャッシュが200万円たれながされていくような状況でした。
M&Aのお話をさせていただいた時には、『第何波、第何波……』を繰り返しながら、コロナ禍から大体3年が経過したところで、このままですと本当にキャッシュアウトして、倒産も考えなくてはいけないというような時だったんですね。
会社として生きる方法を模索していた中で、いろんな会社を見本にしようとホームページを見ていた時に、土屋のホームページを偶然……偶然っていうんでしょうかね。見させていただいて、そこに書いてある理念にすごく共感を持ちました。そこから直接、お電話させていただいて、『お話を聞かせてもらえないだろうか』とお願いをしたんです。
その時は、小黒副社長(小黒昭洋 副社長 兼 COO最高執行責任者)がわざわざ福岡から足を運んでくださいました。
M&Aの経験も、私にはありませんし、代表としてどうすべきか――自社の顧問弁護士に、事前に『今、土屋という会社とM&Aの話を進めている』と相談をしたんです。でも、株式会社ゆうは自社不動産もなく、債務だけがある状態でしたので、『そんな状態でM&Aに土屋が応じているなんて、100%詐欺です』『だから、絶対に応じてはならない』なんて弁護士から言われたんですね(笑)。今から考えれば、本当に失礼な話なんですけれども。
そんな猜疑心もあってか、ゆうに来てくださった小黒副社長と最初にお会いした時は、詐欺師にしか見えませんでした(笑)。
今は、本当にお詫びしないといけないですね。でも私の中でどうしても――その時、小黒副社長が詐欺師に見えたとしても――土屋のホームページに標榜しているヴィジョン、バリュー、ミッションが本当に素晴らしくて、感動したことを覚えてるんです。
『世の中に、精神誠意を持って根付かせていかなければならないことがある』という使命感と覚悟を感じる文章だったからです。
ですので、顧問弁護士の言葉を無視しまして(笑)。『詐欺かもしれない』っていうことも頭から外してですね。土屋のバリュー・ミッション・パーパスを信じようと。信じたいというか、『これを一緒に進めていきたい。仲間になりたい』と思ったんですね。本当に、これは、正直な心の声です。
小黒副社長にお会いした時に、私は色々ふり切った上で、正直に聞いてみたんです。『ゆうには、土地も建物も自己所有のものはなくて、お金に変えられるものは何もありません。今までの銀行の借入の債務もあります。そんな中で、なぜM&Aを引き受けてくれたんでしょうか?』と。
そうしたら、『岩切さんと奥様、おふたりのお人柄です』と小黒副社長は答えられたんですね。まさにここは、『“生き延びるを肯定した法人“として、生き延びるを”肯定された“』、と感じた瞬間でした。
その種明かしになるんですけれども、先日の全社員MTGで小黒副社長が、救済型M&Aというものがある、と説明されていました。その時ようやく、『なるほどな、こういうことだったんだ』『崇高な考え方に基づいて事業をされてる会社なんだな』と答え合わせになりました。
そうですね。スタッフや利用者の方にとっても、M&Aの後に『ここがすごく変わった』ということはないんですよ。もともと、我々が示していた経営や社訓っていうのが、土屋の12か条のバリューとすごく似ていたので、その点も大きいと思います。
M&Aの話が進み始めた頃に、高濱代表が書かれた『異端の福祉』を読ませていただきました。その中に書かれていた社会課題を、ゆうでも同じように解決していきたい、と思ったんです。一番は、介護職の薄給ですね。それから、介護職はもっと評価されてもいいんじゃないかと――。
自分が実際に異業種から入ってみて、『みんな、こんなに一生懸命やっている。それなのに本当に一般業種と比べると、あまりに薄給である』と感じましたから。
M&Aに際しては、『異端の福祉』も一つ、大きな、自分の中での、背中を押してくれたものでもありました
CHAPTER7
株式会社ゆうのように、全国には小さくて今にも火が消えそうなケア会社が数多く存在しているーー瀕死の状態から『生き延びる』を肯定されたゆうの使命
株式会社ゆうのある宮崎県日向市は、本当に小さな市なんです。その中の地域密着なので、さらに小さな単位なんですけども、この地域で10年やってきまして、ある程度、認知度もつき、まだまだこれからではあるんですけれども、在宅生活の支援に一定の存在感は示せているのかなとは思っています。
ただ、株式会社ゆうがこれから本当に目指さなくてはならないものというのは――実は昨年、土屋のビジョンが刷新され、『オールハッピーの社会の実現のために永続するトータルケアカンパニーへと進化する』という高濱代表の言葉には本当に共感しましたし、そこを目指していきたいと思っているんです。
株式会社ゆうのように、全国に小さくて、今にも火が消えそうなケア会社が、本当に数多く存在しています。でも、この『オールハッピーの社会実現のために永続するトータルケアカンパニーへ進化する』という土屋のビジョンのように、会社を永続させることで、しかも四方よし、八方よしとする社会をですね。
目指す大きな未来図を示して、実現していく使命が、瀕死の状態から生き伸びることを肯定された株式会社ゆうにはある、と本当に考えています。
そう考えて振り返ってみると……妻からは、いろんな意味で、覚悟する機会の提供をもらったのかな、と思いますね。
妻を素敵だなぁと思うところですか?そうですね。何でしょうね……。相手の気持ちに深く寄り添えるところは本当にありますね。たまに、道路で死にかけている動物、猫だったり犬だったり、鳥がいたら、すぐ車を止めて助けますから。
もう黙っとけないというか、ほおっておけないというか。それは人間にもそうなんですけれど、困ってるとか、手を差し伸べてあげなくちゃいけない人は絶対に見逃さない。そういうところはすごいです。