あぐり工房

あぐり工房 土屋

森川たか子

サービス管理責任者

ひとりの人間として全ての人と大切に、尊厳を忘れずに関わっていく。
この仕事の醍醐味はそこにある。

 《interview 2023.9.22》

あぐり工房 土屋でサービス管理責任者として活躍する森川たか子。彼女には「底力」とも呼べるような、あらゆる経験を学びに変え生きてきた人生哲学がありました。時に少女のような面影を覗かせながら、「体が元気でいるうちは働かせてもらえるように頑張ります」と語る森川。女性として、シングルマザーとして、あぐり工房のサービス管理責任として――「人」のあいだで培われてきた命を活かし働く森川の、エネルギー溢れるインタビューです。

CHAPTER1

全部自分で決めてきた――いつでも目標を持って、これまで生きてきた気がします

3人兄弟の末っ子として奈良で生まれた森川。

森川「3人兄弟の末っ子として奈良で生まれました。私たちが生まれたのは、戦後でまだまだ豊かな時代ではなかったので、兄と姉は中学を卒業してそのまま就職をしたんです。でも私の時期には高校に行かせてもらえたんですね。小さい時からそんな兄と姉を見ていたからか、『私はしっかり勉強して○○を目指さないと』と目標を持ってこれまで生きてきたような気がします」

「この高校に行きたい、就職は○○に行く――全部自分で決めてきた。そういう時代だったんです」と話す森川。高校ではマンドリンクラブに所属。いわゆる“フォークソング世代”として、青春時代を過ごします。
卒業後は、松下電器(現在のパナソニック)に就職。

森川「その後、結婚に至って子どもにも恵まれました。24歳で結婚、38歳でシングルマザーになったんです。今では驚かれることはありませんが、当時はまだ珍しい時代でした。
その時、選んだ職業が住宅展示場で、お客様に『こんなお家なんですよ』と案内をするアドバイザーの仕事。ずっと憧れの仕事だったんです。

たまたま募集があって面接に行ったのですが、『ここは人がいっぱいなので、あなたは住宅のリフォームの営業をやってください』と言われて。でも、私はもともと根暗なんですよ。『人と話するなんてとんでもない!』っていうくらい。当時は、一軒一軒インターホンを押して、アポイントなしでお家に伺う飛び込み営業が主流でした。

その頃私は実家に戻っていたので、とにかく稼いでシングルマザーとして母と息子を食べさせていかないといけなかった。希望とは違ったけれど、住宅営業部門の仕事に携わる覚悟をしたんです」

朝、営業所に向かい、10時になったら外に出て夕方まで。行く場所があればいいけれど、その日、どこに行くか、自分で決めなくてはいけない――「営業マンってとても孤独なんですよね」と森川は言います。

森川「営業ってどうしたらできるのか、本屋さんに飛び込んで営業職や自己啓発の本を読みあさりました。でもやりながら、ある法則にぶち当たったんです。百件回ると、そのうち6、7人の人は話を聞いてくれる。そこから契約に結びつくのが1件か2件。

ある本に書いてあったのは“百を超えると結果が出てくる。だからまず百軒周りなさい”、と。もちろん、確率の話なので十件目でそうなることもあります。その法則が体感としてもわかったので、もうやるだけでした。毎日、継続は力なり……。

そうやって続けていくうちに、私自身も契約を取れるようになって、ようやく家を建ててくれる人も出てきて、女性であるけれど営業職として会社の社長に認めてもらえたのです――当時は営業職=男性の仕事という認識も強くて。その後、住宅設計時の現場監督補佐やインテリアコーディネーターといった、もともと自分がやりたかった仕事に携わることができました」

CHAPTER2

「こんな世界があるんだ」――訪問介護の仕事で出会った“新鮮さ”

持ち前の粘り強さで当初の希望を叶え、住宅建築の仕事を12年ほど続けた森川。51歳の時、介護の仕事と出会うことになります。

森川「母親の介護が必要になって、ヘルパーの資格を取ることにしました。母はその後、施設に入ったのですが、休みの日に母に会いに行った時に、若い職員さんがめちゃくちゃ優しく母に話しかけている姿を見て『この仕事、すごいな』『もしかしたら私に向いてるかもしれない』――と思ってしまったんですよ。それまで営業の世界であくせく働いてきたけれど、『わぁ、こんな世界があるんだ』って」

その後、介護職員基礎研修の資格を取得した森川は、数ある介護職の中から“訪問介護”を選び、介護の仕事をスタートさせます。
同事業所ではサービス提供責任者に就き、放課後デイサービスの立ち上げ等を経験。住まいを奈良から三重に移してからも「やっぱり好きで」再び訪問介護の仕事を続けてきました。

森川「訪問介護は、クライアントの家に一軒一軒伺って、一対一の関わりの中でする仕事です。だからこそ不安を感じる――と仰る方もいるんですが、私にとっては、毎回違うお家に伺えるので、『前回はこんな仕事、次はこういう仕事』といつでも新鮮さを感じられたんですね。家から家へ移動する間にも意識や気分を変えることができました。不安があれば、すぐに所長に相談もできる。一日に何軒も伺ったり、クライアントによって対応も違う点も私にとっては新鮮で。

主婦業を長年やってきたので掃除や料理が得意だったこともありますし、スタッフでペアを組んで重度の障害の方の身体介護を一緒にやっていく仕事もとても好きでした」

これまでたくさんの“ひとり“と出会ってきた森川の中には、それぞれの家で出会った”ひとり“とのエピソードが詰まっているようです。

森川「とにかくたくさんあって、昨日の夜も『何を話そうかな』と思い出していたら眠れなくなるぐらい(笑)。

その中でも一番印象に残っているのは、最初に働いた訪問介護事業所で出会った方です。広汎性発達障害をお持ちで数年間引きこもられていて、家の中がゴミだらけになってしまった方がいらっしゃったんですが、市役所の方から『少しずつゴミを片付けて、家の中に訪問ヘルパーが入れる状態にしてほしい』と依頼を受けました。事業所の所長から、私に真っ先に話が来たので、『なぜ私なんですか?』と聞いたら『いや、この仕事は森川さんにしかできない』と言われて『えぇー!』って(笑)。

私自身は片付けが苦手な方なんですが、その頃は断捨離にとても興味があったし、『どんなお家かわからないけれど、とにかく行ってみよう』と。でも足を踏み入れたら……想像以上でした。玄関から足を入れることすらできない。その場所を『台所で料理ができるようになるまで掃除をしてください』と言われたんです」

「これは資源ごみ、これは燃えるゴミ」――クライアントにゴミの分別を伝えるところから始まった関わりは、毎日一時間、一カ月続いた頃、ようやく終わりが見えてきたと言います。
「でもね、私はダメなヘルパーだったんです」と当時を振り返る森川。

森川「やっと台所がきれいになって、足の踏み場もできて、シンクもピカピカに磨いて。『料理をしましょう』となったら、その方がいろいろな要望をされるようになったんです。『○○を買ってきてください』『今日は魚の照り焼きを作ってください』等々最初は良かったのですが、だんだんエスカレートしてきてしまって。

経済的な理由もあって、“あるもので料理する”のがヘルパーの仕事なんですが、ある時、ミンチの肉が安かったので、手作りハンバーグを作ってしまったんです。それがすっごく美味しかったらしくて――『毎回ハンバーグを作ってほしい』となってしまって、そこからリクエストメニューが増えて、手作りコロッケを作った時には『森川さん、やりすぎ!』『あなたがいなくなったら、他のヘルパーはできないでしょう!』と所長に怒られました(笑)」

「ヘルパーだからってなんでもしてあげていいわけじゃないんですよね。他のヘルパーさんと歩調を合わせないといけないこともそこで学びました」と森川は笑います。

CHAPTER3

“私たちにも人の能力ってわからないし、限界がないと思う”――一人ひとりの能力を引き出すことが私たちの仕事

そんな森川が、あぐり工房の扉を叩いたのは60歳の時。

訪問介護の事業所を退職し、(株)アグリーを創業し、日夜支援に明け暮れていた井上早織に会いに行きます。

森川「私は退職したあとも福祉の仕事に携わりたかったし、まだまだ元気で働きたいという希望もあったので、すぐに井上さんの顔が浮かびました。
というのも、私は以前、あぐり工房の面接に行ったことがあったんです。その時はお断りをしてしまったんですが、『いつか一緒に仕事をしたいなぁ』と井上さんの魅力がずっと心に残っていました。障害のある方と一緒に働く就労支援の仕事にもすごく惹かれていたし、何より訪問介護で移動支援をさせてもらっていた方がアグリー農園に勤めてらした。彼女ともう一度会って、一緒に仕事ができたらいいな、という思いもありました」

そして2016年、NPO法人あぐりの杜 あぐり工房に入社。
森川はその後、就労継続支援B型事業所 あぐり工房のサービス管理責任者(サビ管)として関わってきました。

森川「井上さんはとにかく明るくて『楽しく一緒にやっていきましょう』と、ウェルカムな感じで迎えてくださいました。最初に井上さんとお会いした時は、あぐり工房を立ち上げたばかりの頃。その時から私が働き始めるまでの数年間にどんなことがあったのか、スタッフやメンバーの皆さんがこれまでどんなふうにやってこられたのか、サビ管として私に何ができるか――ゼロからの気持ちではじめました」

現在はクリエイト部門で“自分の感じるままに好きに織る”“布を織るのではなく自分を織る”という理念を大切にした「さをり織り」に関わり、メンバーの自立支援を行う森川。

森川「あぐり工房で行なっているのは、クライアント一人ひとりのこれから先の自立に向けての就労訓練です。今は家族と暮らしているけれど、『いずれ両親が亡くなってひとりになった時どうするか』。『一般就労に行きたい』という人がいたらどうするか。それぞれの将来を見据えた就労支援をしています」

葉物野菜の生産や織り物、調理等、様々な事業を展開しているあぐり工房。「だからこそ、メンバーの方が『私は○○の仕事が苦手だな』となっても、『こっちの仕事ならできるかもしれないよ』というチャンスを与えることができる」――あぐり工房という場所は、多様な事業を通して広がる就労の、そしてその“ひと”の可能性を常に孕んでいるようです。

森川「さをり織りを作るギャラリー七菜で、あるメンバーの方が口数も少なく黙々と織っていたんです。ある時、管理者が『今度はミシンをやってみない?』と声をかけてみたら、目をキラキラさせて『やってみたいです』って仰って。やってみたら、ミシンでまっすぐ縫えるようになって、すると『できたね』って自信になる。

商品として作り上げることができれば仕事になるし、仕事として成り立てば、自分の手でお金を稼ぐことができる――あぐり工房の中で、新たな作業に挑戦していくことで、メンバーの方が更にステップアップしていける――そんなふうに一人ひとりの能力を引き出すことが私たちの仕事だと、支援だと思っています」

日々の中で見過ごしてしまいそうな、その人の“キラッ”とした表情。やがて自信に繋がっていくその一瞬を、あぐり工房のスタッフはどんなふうに捕まえているのでしょうか。

森川「基本的には私たちもその人の能力ってわからないし、限りがないと思っています。能力というのは未知の世界で、『こんなことできた!』と驚かされることが毎日たくさんあるんですよ。たまたまやってみたら『できた!』となることもある。だからこそ、普段から『この人はこれができないだろう』と決めつけては絶対にいけないと思っています。『とりあえず、やってみようよ』って。

ただ、メンバーさんによっては、やってみた後『もう無理です、頭が痛いです』と断られる方もいらして、もちろんその場合は『これ以上しなくていいよ、次のことをやってみよう』と声をかけます。でも試行錯誤の中で、たまたまその人に合う作業が見つかった時――何より本人が、本当に嬉しそうにやっておられる姿を見ると嬉しくなります。

当初、農園で頑張っていたメンバーさんがいました。ギャラリー七菜ができた時に『さをり織りをやってみない?』と声をかけたのです。彼女は手先がとても器用で、今まで農場でシール貼りをしていて、どんどん在庫がたまるくらい。でもギャラリーで織り出したら……素晴らしく上手で。デザインも、色使いも。そこに立ち会った時は感動でしたね。彼女がギャラリーに来てくれて本当によかったと思ったし、ご両親も『こんな仕事ができたんだ!』と喜んでくださいました」

そんな話をする森川の目にも、いつの間にかキラキラと光るものが灯っています。

最近では、制作だけに留まらず、イベント等でメンバー=作者自身が販売の場に立つ機会も増えてきました。

森川「もともと人と話すのが苦手な方がいたんです。でも職人さんのように丁寧に、綺麗にさをり織りを織られる。ある時、『自分も販売をやってみたい』と仰ってから販売のイベントにはほとんど参加されるようになりました。

お客さんと直に関わるようになって、彼女は顔も、顔色も変わりました。自分で作ったものが売れて、お客さんに喜んでもらえたことで、きっと自分の手でお金を稼ぐ喜びに目覚めたんじゃないかな……。そうやって自分で稼いだ工賃で自分の好きなものを買える。そんな喜びも一緒に味わってくださってるんだと思います」

自分で稼いだお金で生活していく喜び――その言葉には、シングルマザーとして子を育て、働いてきた森川の様々な思いが詰まっているように思えます。
「もちろん身の丈に合った暮らし方をしてきたのですが、やはりひとりで自立して生きていけるだけのお給料はほしいと思っていた」――自身が感じてきた思いは障害者雇用の課題とも重なり、メンバーたちの経済的な自立についても考えると言います。

森川「メンバーの皆さんは障害年金をもらいながら、工房で働いたお給料で生活をしたり、グループホームで暮らしています。正直なところ、今現在の工賃では、ひとり暮らしは難しいかもしれません。でも『ひとり暮らしができるくらいの工賃をお支払いできたらいいな』とは常に思っています。

家族がいらっしゃる方は『年金で充分です』と仰いますが、ひとり暮らしをされている方やグループホームに住まわれてる方が国から保障されている障害年金は月6万ほど。そこから、あとどれだけ工賃がもらえたら、その人がその人らしく生活できるかなと考えることはありますね」

CHAPTER4

この仕事を皆さんと一緒にやってきたことそのものが、私にとっての誇りです

他者の喜びを、自身の喜びとして溢れるように語る森川。
いくつかのキーワードから、今、森川にとっての実感を言葉にしてもらいました。

――今、森川さんが感じている“喜び”とはどんなものですか?

森川「そうですね。一人ひとりに関わっていく中で、就労に繋げるお手伝いもさせていただいてきました。ご本人が成長されて、結果が出た瞬間というか――自立に向けての送り出しができた時が喜びかな。

日々は、一般就労することを目指して面接の練習をしたり、『ここはもう少し身につけた方がいいよ』なんて一緒に考えながら、大変なこともたくさんありますが、楽しいこともいっぱいあって。

時々、あぐり工房を卒業された方が遊びに来てくださるんですよ。『みんなの顔が見たくて』『自分でこれだけ稼げたので』なんてお土産を買って持ってきてくれる。そういう姿を見た時は『この仕事をしていてよかったなぁ』って思います」

――では胸を張って語れるような、“誇り”とは?

森川「私自身もこの仕事をさせてもらいながら、得られるものってすごく大きいです。ひとり一人の障害はみんな違うし、その中で勉強させてもらえることばかり。そこで自分が気づかせてもらえることは、どれも宝みたいなもので――もちろん気づいてあげられなかった失敗や反省も含めて、日々勉強できる。“ともに成長できる”っていう表現がいいのかな。この仕事を皆さんと一緒にやってきたことそのものが、私にとっての誇りになっています」

――森川さんにとっての“幸せな一日”とはどんな一日ですか?

森川「『今日は本当に幸せな一日だったな』と私が思えるのは、皆さんの笑顔を見ることなんですよ。私が関わるまわりの方全て――それはメンバーさんも職員さんも、もちろん家族も。みんなが笑顔で毎日過ごせている。その中で自分も笑顔で過ごせるっていう一日が一番嬉しいです。

笑顔でいられる中には、安心感や信頼感があったり、何気ない毎日だけどユーモアが溢れていたり。仕事も『嫌なことをやってる』のではなくて、『楽しくやってる』『楽しみに来たよ』、そういう笑顔を見た時に幸せを感じますね」

――仕事でも、人と人との関わりの中でも、“大切にしていること”はなんですか。

森川「一人ひとりの、私が関わりあう全ての方に対して尊厳を忘れない。障害があるとかないとかも関係ない。年齢も関係ない。ひとりの人間として全ての人と大切に関わっていきたい――というのが私のポリシーです。それをすることで、いろんな方の悩みや不安を少しずつ感じたり、お聞きすることができるようになってきました。やはりこの仕事の醍醐味はそこだな、と思います」

CHAPTER5

つながりの先に広がる“明るい未来”。それは、一人ひとりが心配しないで生きていける未来

2022年、あぐり工房はM&Aを通して土屋グループの仲間となりました。
そこから広がる、あぐり工房の可能性、そしてメンバー一人ひとりの可能性とは――

森川「私はメンバーの皆さんの個別支援計画書を作らせていただいていますが、計画書の向こうに見えてくるのは――『将来、両親が亡くなった後、ひとりで生活していけるかな』という心配を抱えてらっしゃる方がほとんどなのです。

だからM&Aで土屋に出会って、ホームケア土屋が何をやっているかを聞いた時、私はびっくりして感動しました。メンバーの方が病気になられたり、誰かの助けをもらわないと生きていけない時に、土屋のグループホームに入れる、訪問介護で24時間ケアしてもらえる。そういう他部門とのつながりの中で包括的なケアができるんだ、って。そんな未来があれば、本当に一人ひとりが心配しないで生きていけると」

「私はこの福祉の仕事をしていて、今までたくさんの『小さな声』を聴いてきたような気がします。今も、障がいある方たちと、一緒に『これからの未来』を考え、明るい未来のお手伝いが出来たらと思っています」――森川が『異端の福祉』書評の中で書いた一節です。

森川「メンバーさん自身の、“自立”や“生きていける”というところに照準を合わせた時、土屋グループで皆さんが安心して暮らしていける未来を提供できたら素晴らしいと思います。それが私の思い描く未来です。“明るい未来”。心配なく生きていけるっていう」

そして、あぐり工房の事業もまた、あらたに、そして更に地域に根を張り、広がっていくのだとか。

森川「今後、ギャラリーのある蔵をカフェにして、地域の方に来てもらえるようにしていく予定です。アグリー農園で作った新鮮なお野菜たっぷりのお弁当を食べてもらって、メンバーさんたちがコーヒーを提供する――そんなカフェの事業がこれから始まります。

地域の方たちに寛いでもらったり、障害がある方が活き活きと働いてる姿を見てもらったり、さをり織りをじっくり見て購入していただいたり。他にも『ここで働きたいな』と新しいメンバーさんが来てくれたらいいですね。この場所が地域の方にとっての“憩いの場所”になればいいなと思います」

何をどこからどう聞いても、森川の視線の先に映るのは“人”の姿。そして人と出会っていくことで、その夢も、森川の好奇心とともに広がっていくのでしょう。

森川「実は小さい頃は保母さんに憧れていたんです。私は子どもが好きで、子どもと関わる仕事は女性にとって魅力的な仕事だなぁと思っていました。ただ、今思えば、相手が子どもであっても、高齢者であっても、障害を持つ方でも、福祉の仕事ということでは共通していますね。人のお世話をしたり、関わりあうこと。私は“人が好き”で、人と関わる仕事を選んできたことには変わりがない」

そんな森川の命へのまなざしは、仕事だけでなく、お休みの日もまた続いていると言います。

森川「私、実はお花が大好きです。趣味でお花をやりだしたらどんどんハマってしまって。ガーデンコーディネーターやガーデンセラピーの資格まで取って、もう家の周りがお花だらけ(笑)。今、インタビューを受けている蔵の外にもお花を植えさせてもらっています。それと、学生時代にギターをやっていたのですが、55歳の時またギターを始めました。今はボランティア活動としてお休みの日には地域のサロンに歌いに行っています」

いつまでも好奇心を忘れることなく、あたらしい目を持ち、自分を活かし生きること――
森川が送ってくれた写真は、そんな明るいメッセージを私たちに伝えてくれているようです。


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