マーケ部

マーケティング部

楠橋明生

最高マーケティング責任者

浮いていて、まわりに馴染めなかったことを力に変えた

 《interview 2025.04.07》

土屋の最高マーケティング責任者として働く楠橋明生(くすはしあきお)。
子どもの頃から「まわりに馴染めなかった」と話す楠橋は、そのわからなさを抱え、場を変え、「自分ができること」を見つめてきたと言います。
その後、株式会社akoを営む楠橋は2020年、土屋と出会い、創業期の広報やPRを担うことに。
そして2024年からは土屋のマーケティング部部長としてともに道を歩むことになりました。
介護や医療といった境界を軽やかに超え、幅広く広がる楠橋の関心。そんな彼をあちらこちらから”紐解いてみた”インタビュー。
動きながら考え続けてきた、今の楠橋を訪ねます。

CHAPTER1

5人兄弟の次男でお兄ちゃん気質

今も後輩を呼んで話を聞いたり、ゲームしたり、ご飯を食べに行ったり

―ご出身からお聞きしたいなと思います。

生まれも育ちも愛媛県今治で、5人兄弟の次男です。

僕の会社は東京にオフィスがあるんですが、そこでは後輩を呼んで話を聞いたり、ゲームしたり、一緒にご飯を食べに行くみたいなことを今もよくやるんです。

そう思うと「やっぱりお兄ちゃん気質なところがあるかも」と感じることがあります。
子どもの頃は、運動神経がちょっといいぐらい。

運動会で4〜5人のリレーメンバーには選ばれるけど、その中で一番遅い、みたいな。

学年で4番目とか5番目に足が早くて、ドッチボールも5番目ぐらいに強くて、身長がめっちゃ高いわけでもなくて、走るのもめっちゃ早いわけじゃない――かなり思い出補正がかかっているかもしれませんが、

小学校の時は明るくて、お調子者みたいな感じもちょっとあったし、勉強もそこそこできていいやつだったのに、中学校に入ったあとちょっとだけ道をそれてしまって、ずっと学校で浮いてた気がします。

―部活はされてましたか?

中学校から陸上部に入っていました。
でも中学校の時は不真面目だったし、体も細かったので全然速くなかったです。

でも、高校1年生になったら急に筋肉がムキムキになって、走るのが速くなり、1年生と2年生の時に短距離でインターハイに出場しました。

―速くなったのは、いきなりだったんですか?

なんなんでしょうね……急に足が速くなったんですよ。

CHAPTER2

価値は場所によって変わる

愛媛から、東京へ

―楠橋さんのプロフィールには「最初に働いた自動車業界で営業成績1位になった」と書かれていましたね。

そうなんです。

今思うとかなりたくさん車を売っていたと思うのですが、せまい世界だったので、特に比べる対象がたくさんあったわけでもなく、

社内でそんなにめちゃくちゃ褒められるようなこともなかったので、普通のことだと思っていました。

―東京に行かれる時は「こういうことがしたい」という思いがあったんですか?

具体的に「絶対何かやりたい」ということはなかったのですが、その時は会社の外で出会った人から営業の成績をやたらと褒められることが多く

「こんなに言われるなら戦う場所変えた方がいいかもしれない」と考え始めた時期でした。

どこで戦うかを考えた時、東京に行こうと思いました。

―そこに入ってからはどんなことを?

いわゆるPRの代理店のような会社で、PRに関する活動はここで一通り経験できたと思います。

その中でもなるべく外部の人間としてドライなコミュニケーションを行うのではなく、なるべくクライアントの内側に入っていくことを意識していました。

後、この会社では社会課題に関するプロジェクトが多く、この経験は今にもすごくつながっていると感じています。

全体を通して見ると、ここでもずっと浮いていたと思います。
でもネガティブな浮き方、ではなくポジティブに浮くことが多かったように思います(笑)。

僕が過ごした普通の10代の経験を話すだけで、みんながお腹を抱えて笑っている。
やっぱり戦うべき場所は大事だと実感しました。

やっぱり、同じ一人の人間として生きていても、場所によって受け入れられ方が本当に変わるんです。

あるプロジェクトではめちゃくちゃ重宝されるし、愛されるし、でもあるプロジェクトではあらゆる歯車が噛み合わず、一人でずっと空回りしていることもあります。

頑張れば頑張るほどどんどん嫌われていくこともあります。
それはいまだに全然あります(笑)。

やっぱり価値って本当に場所によって変わるものだと感じています。
個人の内面も場面場面で多様に変わりますし。

この会社では本当にたくさんの方々に出会うことができて、とてもいい経験を積めました。

―そこから独立されて、ご自身の会社(株式会社ako)を立ち上げたのはどんな流れだったんでしょうか。

先ほどの話と重なる部分もあるのですが、個人の内なる多様性みたいなところでいうと、組織で働いていると「自分の嫌いな自分」と出会うことが増えてきて、

何があったというよりも、そういったことの積み重ねもあって、独立を決意しました。

「押しても押さなくても給料変わらないのにタイムカード押さないと怒られるのが嫌」みたいなこういった小さな「できなさ」「不適合さ」の積み重ねだったと記憶しています。

もうすぐで6年が経ちます。

CHAPTER3

自分・自分たちの会社だからこそ、できること――土屋との出会い

高浜代表との出会い

―土屋と関わられた、出会いのところを聞かせていただいていいですか。

きっかけはある代理人の方からご紹介いただいたことです。
その方は土屋のことも、僕のこともよく知ってくれてる方で、「合うと思いますよ」って紹介してくれたんです。

出会った時は、正直なところ、重度訪問介護について僕は全く知らなかったです。
ただ、その時代表の高浜さんと話して「この人、本気だ、本物だ。」と感じたんです。

社会課題に対する圧倒的なパワーやバランス感覚、意外な経歴、全てが新鮮でワクワクしました。

僕はPRを担う人間として、土屋に選んでいただく立場でしたが、後日ご紹介者の方から「正式にご依頼をいただきました。」とご連絡をいただき、ご支援が始まりました。

当時は今以上に経験も浅く荒削りだったのですが、選んでいただき本当に感謝しています。

当時は2020年に土屋が前会社からスピンアウトする形で創業され、700人からスタートした従業員数が1年半で1500人、そこから2000人と急激に増えている時期でした。

スピンアウトという背景と、需要に答えるための急拡大ではあったのですが、当時は、怪しい会社とも思われかねない状況でした。

まずはこの前提を踏まえた上で、こういった懸念を払拭しつつ、埋もれている価値を外にどんどん届けていくことに注力していました。

CHAPTER4

重度訪問介護、「命」に直結している社会課題

社会課題の位置付けを、多くの人に正しく認識してもらうために続けていくこと

―土屋の創業期から広報やPRに携わられています。どんなところに関わってこられたんでしょうか。

広報部門では、最初は「とにかく土屋を”ちゃんと”知ってもらおう」と、各ステークホルダーに対して、代表の高浜さんを知ってもらうための取り組みを行いました。

まず土屋を知ってもらった上で、少しずつ社会課題の方にフォーカスを移していきました。

例えば、当時プレジデントオンラインさんで公開いただいた記事がこちらですが、こういった企画を進行する上で、

「わざわざこういった話題を出す必要はないのでは」といった意見を社内の方からいただくこともあったのですが、

結果的にこれまで目立ったネガティブな出来事はなく、むしろ多くの立場の方からポジティブな反応をたくさんいただき、成果が圧倒的に上回る機会となりました。

レジデントオンライン様にて掲載された記事】
https://president.jp/articles/-/54903?page=1

次に「重度訪問介護という制度が世に知られていないのはおかしい」という視点でPRを進めていったら、想像以上にいろんな様々な立場の方から「それは深刻ですね」と言っていただけた。

重度訪問介護の必要性と、今起きてる社会課題の「何が問題なのか」を僕なりにキャッチアップして、どんどんアウトプットを行いました。

メディア露出が一時期、一気に広がったのは、この辺りがうまく噛み合ったからかもしれません。

―楠橋さん自身は、医療や介護系のPRは今までされたことあったんですか。

そんなに多くはありません。

PRに関しては、医療や介護っていう業界ごとの経験を持っていることよりも、”課題解決に向けたアプローチ”として捉えれば、本質は共通してるところがあります。

今ある課題を分解していく時に必要なのは、一定の業界の知識があった上で、世の中で何が起きているのか、どういったインサイトがあるのか、どういう前提で何が起きているのかを探り、

どこでどういった行き違いが起き、格差が起きているのかなどを分析する力、あとは分析で辿り着いた仮説に対して思い切ったアクションを行うことが大切だと考えています。

介護の知識については走りながら身につけた、今も日々勉強中というイメージが近いと思います。

―私自身も、重度訪問介護を初めて知った時には「こんな制度があるのか」と驚きました。と同時に、「なんでこんなに知られていないんだろう」と。

そうですよね。

ただ、俯瞰してみるとどの業界にも「何でこんなあたりまえのことが認められてないの?」みたいなことって結構あって、格差が存在する、という事実だけでは人は簡単に動かないし、動けなかったりします。

重度訪問介護の場合、課題が”命”に直結しています。
だからこそ様々ある課題のなかで、世の中に振り向いてもらう必要があります。

こういった前提に対して、自分自身が問題だと感じていることでもつエネルギーや各種ノウハウを掛け合わせた動きを日々行っています。

マクロとミクロを行き来し続けて物事を見るのはめっちゃ大事だな、という実感があります――そこはPRをしながら強く意識するところではあります。

―その後、2024年からは土屋の最高マーケティング責任者として関わられています。マーケティング部はどんな部署なんでしょうか?

マーケティング部は今、10名弱のチームです。

ホームページをつくったり、集客だったり、各種売り上げだったり、人材採用も含めて、介護や土屋のサービスを必要とする方々の採用に向けたマーケティング活動や、

サービスを必要としている方々に情報を届けるためのマーケティング活動を行なってます。

マーケティングの第一歩は、人々が本当に何を求めているかを考えることだと思うので、こういったことはよく考えるようにしています。

CHAPTER5

企業として、"前提"をどこに設定して動くか。どういうメッセージを発信するか。

どこで"前提"が行き違ってるのか、どう擦り合わせをしていけばいいのかを考え続けていくこと。

―ここまでお話を伺ってきて、楠橋さんがされている仕事は社会課題を知ってもらったその先に何か大事なものがあるのでは、と感じました。こういうものを見ている――といったものってありますか?

日々、各種コミュニケーションや情報発信を行う中で、「前提」や「文脈」を意識しています。

「社会の”前提”って、今総合的にみると多少の差はあるけど、こういう状況と捉えられているから、それぞれに対してこういったアクションが必要だよね」というメッセージを受け取ってもらうのも、

その”前提”が揃わない限り、また揃っていなくても揃えるための努力をしない限り、うまくいかないことが多いです。

それぞれに解像度や理解の濃度が違う中で、どこで”前提”や“文脈”に違いが生まれているのか、どう擦り合わせをしていけばいいのか――。

やっぱり”前提”をすり合わせ続けることはめちゃくちゃ難しいことだと実感しています。

でも、新しい視点を提供することもすり合わせのひとつの方法ですし、上手く伝われば、何かに反対する人がいたとしても、

「こういう考えやこういう効果が社会にあるんだったら、それをもっと推進するべきだ」って思う人も増えるでしょう。

“前提”を共有することで人って動いていったりしますし、時には「誰なら味方になってくれそうか」といったことも検討することがあります。

CHAPTER6

「自分ってなんだろう?」と問い続けること。"ありのままの個人"でいること。

幸せを追求することをあきらめない。

―価値観の部分で、楠橋さんが大事にしてることをお聞きしたいです。

個人個人がもつ「違い」は力になるというのは意識しています。

「違い」ってネガティブなことに捉えられがちですが、適切なアプローチを行うことで、唯一無二の価値に変換できると信じています。

僕自身、これまで学校や会社の中で浮くことが多く、馴染みきれないことがあったのですが、戦う場所を変えたり、開き直ったりすることで、違いが全部パワーに変わっていった経験があります。

あとは、誰もが「幸せになりたい」と願ってるはずなのに、本当に幸せを追い求めてるかというと、多分、そうじゃないなと感じることがあるんです。

幸せでいるためには、自分の人生の主導権をちゃんと持っていなきゃいけないし、自分の体調が悪くなったら労わってあげなきゃいけない。

「嫌なことはちゃんと嫌だと伝えた上でステークホルダーとのコミュニケーションから逃げない」みたいなことを積み重ねることで「幸せになるためには、幸せをちゃんと追求しよう」という考えに至りました。

CHAPTER7

点と点をつなぐ

縦横無尽に本を読むこと、子どもとたくさん遊ぶこと。

―お休みの日はどんなことをして過ごしていますか。

そうですね。僕、本読むのが趣味というか、空き時間はずっと本読んでるぐらい本好きなので。

新婚旅行に行っても本読んでましたね(笑)。

―本は関心があればどんな分野でも読まれるんですか?

そうなんですよ。

今だったらこういう「江戸の読書会」っていう本だったり、すぐに何かの役に立たなそうな本とかもめっちゃ好きです。

分からないことに対して勉強するために読むこともありますし、漫画も読みます。

―個人的に最近、歴史を知ることが盛り上がってまして――先ほどの「江戸の読書会」もそうですが、歴史を知る本も読まれますか?

歴史は――そうですね。
最近は世界の近代の歴史が好きでよく読んでいます。

今当たり前とされている価値観が生まれた時の話とか、色々な本を読んで、点と点がつながった時とかはなんとも言えないいい気持ちになります。

あと、休みの日は……小学校低学年の娘の同級生とか、近所の子とよく遊んだりはします。

僕は頭の中が小学生男子なので、ほとんど同じ気持ちで遊んでいます。
夫婦二人でも結構でかけたりします。

CHAPTER8

「今、やるしかない」――限りある時間と資源を使って僕らができること

動いたら、動いた分、社会は変わっていく

―土屋と関わられて4年ほど。介護の仕事と関わるようになって出会ったもの、もしくは見えてきたものはどんなところですか?

そうですね。2023年に千葉県・松戸市でA L Sの男性が起こした訴訟で、24時間重度訪問介護が認められるようになった事例は、とても希望を感じました。

たくさんの社会課題がある中で、確実に課題解決に向かって前進したと思います。

見過ごされている社会課題がたくさんある中で、大きな一歩を間近で見れたことはとても大きく、直接は関わっていませんが、自分が取り組んできた情報発信は間違えていなかったと確信できる出来事でした。

―これからのところも聞かせてください。今後、土屋ではどんなことを行なっていきたいですか?

土屋の価値を正しく知ってもらうため、会社の認知度を上げることで仲間を増やし、各所のコミュニケーションが行われるようになることが僕の重要なミッションだと考えています。

これまではPR寄りの視点が多かったんですが、今後はマーケティング視点も取り入れ、アピールしていければいいかなと考えています。


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