介護事業部

介護事業部 ホームケア土屋

三浦耕太

札幌 オフィスマネージャー

自分の柱となるものは、クライアントに「変わらない生活」を少しでも長くしてほしいという願い

 《interview 2022.06.09》

ホームケア土屋 札幌のオフィスマネージャー・三浦 耕太。これまで働いてきた経歴全てが介護職という彼に、この仕事を続けてきた理由を聞きました。出会いと対話を通して築いてきた、クライアントとの人生。三浦が見つめる目の前のいのちと、その先を追います。

CHAPTER1

ホームケア土屋 札幌。北海道という土地のおおらかさと、明るさと

北海道・道東。海と自然に囲まれた厚岸(あっけし)町に生まれ育った三浦は、現在、ホームケア土屋 札幌でオフィスマネージャーを務めています。

三浦 「北海道の方って土地柄のせいかわからないんですけれども、なんとなくおおらかなイメージがありますね。マイペースって言ったら怒られるかな(笑)。皆さん本当に明るいですし、何かこう和気藹々じゃないですけど、雰囲気はいいのかなと思っています。

今、札幌事業所のメンバーは70名近くになりつつあるんです。大所帯になってきてはいるんですが、何か困ったことがあったら直接お会いしたり、zoomを立ち上げて極力早めの段階で面談を行うようにしています」

「ふざけすぎてもいけないんですが」と三浦は続けます。

三浦 「仕事の緊迫感があるからこそ現場を離れたミーティングでは緊張をほぐしてもらうために笑いを入れつつ、その人の笑顔を引き出しながら話を聞くことによって本心って出やすいのかなと思うんです。真面目な話をする時はもちろん緊張もするんですが、最後は笑顔で終われるような環境づくりは日々心がけています」

札幌事業所のオフィスマネージャーとなって、この春でちょうど一年。

三浦 「最近は『できるかできないかではなく、やるかやらないか』という言葉が口癖になっていますね。できる・できないで考えた時、不安がない人なんていないと思うんです。オフィスマネージャーの話をいただいた時も『まずはやれるだけやってみます』と応えました」

20歳の頃から今に至る18年間、介護職を続けてきた三浦。これまで仕事の上で大切にしてきたのが「客観性を失わないこと」だと言います。

三浦 「この一年は、いかに自分を客観的に見て『人にどう思われるか』ではなく、『人にどう伝えるか』を常に考えてやらせてもらいました。

長い目で見て、事業所としてこれだけの規模を存続させることを考えると、どこかにだけ比重を置くことはしちゃいけないなって考えてきましたね」

離職率が高く、人員の入れ替わりが多いと言われる介護職。札幌事業所は、昨年一年、安定した基盤をつくることをチーム一丸となって取り組んできたと言います。

三浦 「今ようやく安定して、人員が増えてきて、若干ですが売上も上がってきました。そこはもう、事業所の皆さん一人ひとりの力です。本当に必然だと思っていますので、規模としてまだまだ大きくできるな、と思っています。

ただ会社の理念にある『小さな声』という部分に関しては、まだまだ地域のニーズに応えられていないので、そこは注力していきたいですね」

CHAPTER2

問題行動の鎧の中の「ほんとうのあなた」と

高校卒業後、専門学校で保育士と幼稚園教諭免許を取得した三浦は、当初、保育士を目指していましたが、担任から「福祉をやってみないか」と声をかけられたことがきっかけで介護業界へ足を踏み入れます。

三浦 「正直、『人の世話なんてできない』というところから介護を始めたんです。周囲からは『間違いなくすぐ辞める』って言われていたんですよね。

でも、元々、何かができないで終わるのがあんまり好きじゃないんでしょうね。言われれば言われるほど意地になって続けていたんですけれども、介護の仕事を始めて1年半が過ぎる時に、困難ケースのクライアントの担当を持たせてもらえたんです」

当時働いていたのは身体障害者療護施設。ある時、三浦は施設長から『保育士資格を持ってるなら、彼の担当をやってみないか』と話をされます。そこで出会ったのが自傷行為が頻発していたクライアントでした。

三浦 「その方に対して、周囲は、腫れ物をさわる──じゃないですけど、距離を空けるんですよ。不穏な状態になると自傷行為をするので、なかなか止められないとか報告書を上げないといけないという理由からです。 私は担当であってもその方一人だけに向き合うことはできなかったんですが、皆さんお手上げという状態だったし、せっかく保育士資格も持っているし、自分なりに色々やってみようと思って」

奇しくもそのクライアントと三浦は同じ年齢だったそう。

三浦 「いいことかどうかわからないんですが、凄く一緒に遊んだんです。子どもが好むような用語を使って笑わせたり。

その方は叱られるという行為が自傷行為に直結する方だったので、誰も叱ることができなかった。でもこれではいけないと思って、信頼関係を築く中で『それはダメなんだよ』と伝えていく段階をちょっとずつ強めていきました。すると、私がその方の名前を呼ぶと応えてくれて、凄く笑うようになったんですよ」

やっと信頼関係が築き上げられてきた──そう思えた時には、1年半という年月が経っていたと言います。

三浦 「その方の担当は2年間させていただいたんですけれども、その間一度も自傷行為がなかったんです。施設を辞める時に、上司から『お前がやってきた2年間で自傷行為が一度もなかったというのは結果じゃないのか』と言ってもらえたことがもの凄く嬉しかった。

介護って見返りを求める仕事でもないけれど、ただ一番に、その方の体を守ってあげられたのかなっていうのが今でも忘れられません。何か大きなものを、自分にもたらしてくれたんですよね。その方との出会いや関係性というものが今も自分の中で続いていて、原点と言えるような出来事ではありました」

CHAPTER3

在宅と施設。自分の家で暮らすクライアントの表情には「安心」があった

「都会はあまり好きではなくて」と話す三浦が、「介護の知識や技術をつけるために」地元から札幌へ出てきたのは24歳の時。

その後、今に至るまで、重症心身障害者施設や認知症デイサービス、介護保険会社等、さまざまな職種に就きながら介護という仕事を続けてきました。

三浦 「『もう介護はやめよう』と何度か考えたことがあります。実際に、他職種に面接に行ったことはあるんですよね。でも、自分でそうしたいと思って行動してるのに、内定をもらっても凄く心がざわつくんですよ。で、気づいたら断っちゃってる(笑)。

何がそんな行動を取らせるのか自分でもわからなくて。そのモードに入っちゃうと、いつの間にかまた、介護の求人に目がいってしまうんです」

わからない何かに引っ張られるように、介護職を続けてきたという三浦。

三浦 「重度訪問介護を始める前も、正直、色々考えてはいたんです。

もう介護をやめて、年齢的にも別職種で社員になるなら遅くない方がいいのかな、とか思いながら。ちょっとぼーっとする期間があったんですけれども、入社のきっかけになったのは、たまたま<重度訪問介護・医療的ケア>の文字を見て、『介護でこんなことできるんだ』という興味本位からでした。だから無意識ですね、いつも。パッと体の方が先に、どちらかというと細胞が感じているんでしょうね(笑)」

2019年、重度訪問介護(重訪)の世界に飛び込んだ三浦は、アテンダントからスタートし、コーディネーターへ。そして株式会社土屋入社後、半年足らずでオフィスマネージャーとなります。

施設勤務の長かった彼が、<在宅/一対一/長時間>という新しいかたちの介護に触れた時、感じたのは。

三浦 「介護はよく『痒いところに手が届く』っていう言い方をしますけれども、まさにそれだな、と思います。在宅は見えない分、不安やリスクもありますが、対応までのスピードや内容が大きく違う、と私自身は支援現場に入った時に感じました。

そうなった時、クライアントの表情が全然違うんですよね。自分の家で生活するのと集団の中で生活するのとでは。施設では『ご飯の時間だよ』『お風呂の時間だよ』と日課に合わせて時間が決められていて、自分の生活スタイルはないですよね。やっぱり安心と不安の違いって大きいです」

施設勤務時、三浦はよく「話なんか誰も聞いてくれない」というクライアントの声を耳にしていたと言います。

三浦 「重訪は、本当に手厚い制度だな、と感じていますね。凄くいい制度だとは思うんですけれど、逆にこれを施設の方にしてあげられない心苦しさを感じてもいます。在宅だからできる制度であって、施設に入所されている方はまだ知らなかったり。逆に入所してる方が一斉に在宅にいった時に、明らかに介護者が足りない。2025年問題も含めて、どうなるのかなという思いはあります」

CHAPTER4

クライアントに「変わらない生活を少しでも長くしてほしい」という願い

仕事の上で、これまでも、そして今も客観性を大切にしてきた三浦。そこには、対人の仕事を続けてきた中でのさまざまな出会いと対話がありました。

三浦 「利用者も職員も平等だよっていうところは間違ってないなと思っています。私も若い頃は、本当にやり過ぎたなって言うぐらい口も出ましたし、どれだけ暴言を浴びせられたかわからないです。でもそこは、目の前の方と対峙して向き合ってきた中で、そういう言動の激しい方とも最終的にもの凄く仲良くなるパターンが多かったんですよ。ただそれは、逃げずに向き合って客観的に見る姿勢を崩さないできたからなんです」

「あなただけ特別にはできないんだよ」──三浦はそう伝え続けてきたと言います。

三浦 「客観性を大切にしてきたのは、ブレないように、というところがあります。平等な目線を崩さないための自分の柱となるようなものでもあって。自分も人間なので、『これぐらいしてあげたい』と思うことはあるけれど、そこで崩してしまわない何かというか。

その先にあるのは、クライアントに、変わらない生活を少しでも長くしてほしいという願いです。言われたことをやってあげるのって正直、簡単なので。自立支援という面で、制度も含めて、『私らは身内でもなんでもない』という距離感を保っていくことで崩れないのかなとは思うんです」

そう語る三浦が今、思う介護の仕事とは。

三浦 「クライアントは自分の人生の大先輩である方ももちろん多い。その方たちの話をきちっと聞くことで学べることがあるというのが、ようやくこの年齢になってわかってきました。

教えをもらって、次に伝えていく。そこを考えると、介護業界というのは人の生き方に介入できる職業なのかな。特にこの重訪は。まぁ、なんですかね。人生の歩みじゃないですけど、手伝うという言葉は好きじゃないし、一緒にやるというのも違う気もするし。自分の人生の一部ですよね。そこに、クライアントと」

プライベートでは大の犬好き。20代の頃から保護犬と生活を共にしてきたという三浦ですが、現在の愛犬・きゅー太(写真上)もまた「ペットショップで目が合って、気がついたら連れてきちゃった」のだそう。

三浦 「人間と犬を一緒にすると、『何言ってるの』と言う人もいると思うんですが、傍にいると我が子のようにかわいいんですよね。特にワンちゃんが出す、あの幸せホルモン。愛犬が横にいても、動画まで観てにやけています(笑)」

「前世は犬だったのかも」──と常に人を笑わせながらも、「生涯を共にしていきたい動物です」と凜とした面持ちで話す三浦。

介護現場という前線で、常にいのちの先を見つめてきた三浦は今、重度訪問介護という新たな地平で、“笑顔”と共に日々を歩んでいます。


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