《interview 2025.05.22》
強度行動障害に特化する支援を続ける生活介護事業所 アクティブプレイス土屋三重。
名前の通り、「優しさ一番」で生きてきたという島田優一(しまだゆういち)は、2023年からこの場所で働いています。
今、ふたりのこどもを育てる島田。
日々、できることが増えていくこどもたちの傍らで感じた「人の成長に立ち会う喜び」――その喜びは、長年続けてきた障害福祉の仕事とも重なる「命あるもの」への思いでもありました。
そんな島田の“仕事”と“生活”を訪ねます。
アクティブプレイス土屋
三重 支援員
アクティブプレイス土屋
三重 支援員
強度行動障害に特化する支援を続ける生活介護事業所 アクティブプレイス土屋三重。
名前の通り、「優しさ一番」で生きてきたという島田優一(しまだゆういち)は、2023年からこの場所で働いています。
今、ふたりのこどもを育てる島田。
日々、できることが増えていくこどもたちの傍らで感じた「人の成長に立ち会う喜び」――その喜びは、長年続けてきた障害福祉の仕事とも重なる「命あるもの」への思いでもありました。
そんな島田の“仕事”と“生活”を訪ねます。
CHAPTER1
“シマちゃんファンクラブ”の会員証は、友達の証
―島田さんが生まれ育ったのはどちらですか?
生まれ育ったのは三重県桑名市です。
うちの両親はともに学校の先生でして、妹も今、小学校の先生をしているんです。そんな教師一家で生まれ育ちました。
ゆるいところもたくさんあったんですが、ちゃんとせなあかんところは厳しくされて育ちましたね。小学生の頃、母は小学校の特別支援学級に勤めていたんです。
僕は当時から動物が好きやって、家でも犬や猫、ウサギや文鳥を飼っていました。ウサギや鶏に餌をあげたり、掃除をする飼育当番の用事があって、最初、母が勤めていた学校へ手伝いに行ったんですよ。
その時に障害を持った方も当番で来ていて、一緒にウサギや鶏の世話をしてーー障害を持つ方と最初に出会ったのはそこやったんですが、その他にもバザーや地域の催し物があって、よく参加してました。
飼育当番の時に出会ったのは、今思えば、知的障害を持った方だったんやないかと思います。
喋らへんし、「自分とは違う何かを持ってる方や」「なんでこれができないの?」と不思議に思うことが多かったんです。
そのことを母に尋ねたら、ちゃんと説明をしてくれてー―「いろんな人がおるんやな」と世界が広がって、そこからは「一緒に遊ぼうぜ」なんて言って楽しく遊んでいた記憶があります。
―島田さんご自身はどんなお子さんだったんでしょうか。
小学生までは結構目立ちたがり屋だったんです。
今はちょっと違うんですが(笑)。いろんな人と友達になってましたし、男女関係なく仲が良かったですね。
そういえばーーこれは今思うと恥ずかしいんですがーー“シマちゃんファンクラブ”っていうのをつくってましたね(笑)。
―それはどんなクラブだったんでしょうか(笑)。
勝手に「あなたは会員ナンバー1番」「あなたは2番」なんてお手製のカードをつくって、友達の証として配っていました。
いい思い出です(笑)。
そんな感じのこどもだったので、男女も関係なく、障害のあるなしに関わらずいろんな人と遊んでいました。
―当時、どんなものになりたかったですか。
その頃は車等の乗り物が好きやったので整備士になりたかったんですよね。
でも整備士は趣味でもできる、とも思ってーーそんな中で親の影響もあって障害福祉に興味を持つようになり、福祉系の大学へ進学しました。
車やバイクは今も趣味として楽しんでます。
CHAPTER2
スタッフ間の連携も含め、より専門的な支援ができることが嬉しい
―これまで、どんなお仕事を経験されてきたんでしょうか。
大学を卒業してからこれまで、障害福祉の仕事を続けてきました。
生活介護事業所に5年ほど、入所支援施設に10年ほど、地域生活支援センターに5年ほど勤め、
障害のある方のホームヘルプサービスをしたり、生活支援員やサービス管理責任者としてクライアントと関わっていました。
この仕事はトータルで21年になります。
―さまざまな事業所をご経験されています。転職は島田さんにとってはどんなタイミングで訪れるんでしょう。
転職する時というのは、嬉しいことにその度にお声かけをいただくんです。
大学が大阪だったので、関西に住んでいた頃は自分で転職先を探すことが多かったんですが、三重県に移ってからはいろいろと縁がありました。
もともと働いていたのが障害福祉施設だったので、同じ地域の中で他事業所さんともつながりがあったものですから、面接に行くと、「君やったんか」みたいなこともありましたし(笑)。
そういう縁に助けてもらうことも多かったですね。
土屋で働くようになったのも、今の上長の野呂一樹さん(のろかずき;アクティブプレイス土屋三重マネージャー)と接点をいただき、「アクティブプレイスでは強度行動障害の状態の方の支援をしているんです」という話を伺ったところからです。
自分もこれまで重度の障害をお持ちの方と関わることが多かったので、「お手伝いできることないかな」と思って入社をしました。
―アクティブプレイス土屋三重で働き始めて1年半ほどになります。
以前働いていた生活介護の事業所では、さまざまな障害特性を持つ方が混在していました。
でもアクティブプレイスには強度行動障害の状態の方だけが来ている。
大きく違うのはここだと思うんです。強度行動障害の状態の方に特化した支援ができるので、やっぱりそれぞれの特性に合った中身の濃い支援ができています。
スタッフ間の連携も含め、より専門的な支援ができるので僕としては嬉しいですね。
そういう意味では、アクティブプレイスに来てから、自分の力を発揮しやすいと思いますし、充実した支援ができていると思ってます。
―スタッフ間での連携については、どんなふうにやり取りをされているんでしょうか。
基本的に月から金に開いているんですが、営業日に関しては、送迎が終わった後に毎日スタッフのミーティングがあってその中で1日の振り返りをみんなとしてます。
朝礼はほとんど時間がないので、最低限のやり取りにとどまるんですが、帰りのミーティングでは、お互いのその日の経験や情報を共有しながら、
それぞれが支援に対する考えやアイデアを出したり、聞いたり、すり合わせをして、「じゃあ、今度はこういう支援がいいね」と形にすることを毎日やってますね。
CHAPTER3
悩んだ時も、間違ってるかもしれんけど、自分の考えを大事にして進んでいけばおのずと道ができてくる
―今までお仕事の中で印象に残ってる利用者の方はいらっしゃいますか。
アクティブプレイスで働き始めてから出会った方で印象に残ってるのはーー水に強いこだわりのあるクライアントがいらしたんですが、
その方への支援の仕方を工夫したことで、水にこだわるような行動をほとんどしなくなったことですね。
そのクライアントは重度の知的障害を持つ方で、三重県内に強度行動障害の最後の砦となる事業所があるのですが、
その事業所から受け入れを拒否され、アクティブプレイスを利用するようになった方でした。
利用開始直後からアテンダントに対する噛みつきや、無理やり洗面所に走っての水飲み行為があったんです。
それでスタッフ全員でその方の行動を観察し、「そのクライアントがそうしてしまう理由がどこにあるのか」を話し合って
「『水を飲みたい』という要求を伝える方法を知らないことで、噛みつき等の行為が表出しているのではないか」という仮説を立てました。
そこからは「正しく水を要求することができれば、水をもらえること」「加害行為を行なっても、要求が叶えられることはないこと」ということを段階にわけてクライアントに伝え、
動作や写真カード等を使って、正しく要求する方法を学習してもらいました。
その後、アテンダントへの噛みつき行為もなくなり、以前のような行動はなくなり、水分摂取量も激減しました。
―アクティブプレイスの動画でも事例報告をされていましたね。
そうですね。
クライアントが誤って認知してしまった“誤学習”を、我々が支援の仕方を工夫することで、正しい認知を“再学習”し、
クライアント自身が落ち着いた生活を送れるようになったことは本当に嬉しかったですね。
―これまで一緒に働いてきたスタッフとのやり取りの中で、心に残っている出来事はありますか?
一緒に働いていた仲間から言われたことで印象に残っているのはーー以前の職場で同僚から「あなたのやり方でやったらいいよ」と言ってもらったことですかね。
みなさん、やっぱり比べたがりますよね。
「この対応でよかったのか」「あの人の対応の方が良かったんじゃないか」とかーー。
もちろん、その方は僕の性格を知ってる方やったということもあるし、僕との間に信頼関係があったからだとも思います。
でも、「ここから違うやり方をするかもしれんけど、島田さんは島田さんのやり方を通したらいいよ」とーー「自分の考えを大事にしたらいい」っていうことですよね。
悩んだ時も、間違ってるかもしれんけど、自分の考えを大事にして、進んでいけばおのずと道ができてくる。
そんな言葉には背中を押してもらったところがありました。
同じ職場の中で、お互い助け合いながら、そんなことを言い合いながら、これまでやってきたのかな、と思います。
CHAPTER4
名前の通り、今も「優しさいちばんの人になりたい」
―島田さんが人と関わる時に大切にされてることを教えてください。
人の悪いところではなく、いいところを見つけるように心がけてますね。
もともと自分は――自分で言うのもなんですがーー優しい性格だと思ってます。「親につけてもらった通りに生きなあかん」と思っとったので、名前の通り今も「優しさいちばんの人になりたい」と。
その考え方は昔から変わってなくて、「優しい人や」とよう言われてきてたんです。
優しくすると優しくされますよね。
それと同じで、人って欠点は見つけやすいけど、逆にいいところをこちらがまず見つけてあげられれば、
「私も(目の前の人の)いいところを見つけてあげなあかんかな」とお互いなるかなと思っていて。だから今の支援では褒める支援をしているんです。
誰でも怒られたら嫌な気持ちになるし、褒められた方が気持ちがいい。
そうなったら「じゃあ、次からもそうしよう」って前向きになれると思うので。そこは「悪いところでなく良いところ」、「怒るのではなく褒めるところ」を大事にして、関わる誰もが“オールハッピー”になれたらいいかなとは思いますね。
ただ、逆にーー以前、「優しすぎんねん」「怒らなあかん時は、怒らなあかんで」って上司に怒られたこともありました。
「優しい」ってことは裏返せば「甘い」とも言えますから。
そのことは勉強になりましたね。でも、自分のポリシーとしては、「クライアントであれ、アテンダントであれ、優しく接する」っていう点はずっと変わらずですね。
家では多少、嫁さんに当たる時はあるので、反省はするんですけどね(笑)。
CHAPTER5
「嫌だな」と思うことは世の中にたくさんあるけど、「もしかしたら自分のために言ってくれたことかもしれん」って考え方を変えてみる
―20年ほど介護や福祉の業界で働かれてきた中で、ご自分が変わってきたところはどんなところでしょうか。
やっぱり「人が好き」ということですよね。
もともと自分は、“嫌いな人”ってあまりいない方なんだと思います。もちろん、「嫌だな」と思うことは時々ありますよ。
でも関わってるうちにその人のいいところが見つかってくるんです。プライベートであっても、「嫌だな」と思うことは世の中にたくさんあるじゃないですか。
その時は嫌な気持ちはしますけれども、でも「なんであの人はそういう言葉を言ったんかな」「もしかしたら自分のために言ってくれたことかもしれん」って考え方を変えてみたり、
違う視点から見ることで、自分に注意喚起してくれてることも中にはあったりするな、とーー。
もちろん、いろいろ考えますよ。
表現がうまいことできへんかったがためにそういう表現してしまった人もいると思うし、「こういう表現で言った方がいいのになぁ」と思うこともあります。
でも「自分のために言ってくれてることもあるんかな」と思えば、「そういう人も大事にせなあかんな」と思えるので、「嫌な人はおらん」と僕は言ってます(笑)。
クライアントとの関わりもそういうところがありますよね。
あたりまえですが、人間同士なので、こちらが考えていたようにいかへんかったり、
よかれと思ってしたことで怒らせてしまってこちらが引っかかれたり、私自身も支援現場で耳を負傷したこともあります。
それは結果だけ見ると「私が大きなケガをした」ということになってしまうんですが、
「かみつく」といった他害をすることで意思表示をする行動障害をお持ちのクライアントへの支援を私自身がおろそかにしてしまった面がありました。
そのクライアントはドライブが大好きな方で、ある時、「自分はドライブに行けないのではないか(留守番をさせられる)」と思い込んでしまったんです。
もちろん、その方をドライブに連れて行く予定でしたが、昼食を食べ終わっていなかったため、「あとで(2番目に)」連れて行くことを本人に伝えていました。
ただその時、本人への説明が口頭のみで終わっていて、写真カード等の視覚的な情報で伝えることができていなかったんです。
そのことで本人が「大好きなドライブに自分は行けない」と思われ、他害へとつながってしまったのだと思います。
このことを教訓として、僕らは支援を見直し、クライアントが安心できる支援をするようにしました。その後、その方は他害行為をしなくなりました。
そうやって、支える側の支援力を磨くことがクライアントにとってもよい結果になるーーそれがやりがいと、双方にとっての成功体験になったと感じてます。
そうやってクライアントの行動やその背景にあるものを知り、支援を磨いていくことでひとりの人を深く理解していくーー僕が「こんなひどいことされたから辞めよう」とならんでおれるのは、
そうやって相手を理解していくことと、自分自身を磨いていく相互のやり取りがこの仕事の魅力だからだし、それは「やっぱり人間が好きだからなんやろうな」とーー。
自分にはこどもがおるんですが、こどもに対する愛情と近い感覚がありますね。
人から見たら嫌なことをされていても、結局はその人のことが好きやから許してしまうのかもしれません。
そして支援や福祉という仕事が持つ、継続的で地道な関わりという面が見えた時、この仕事を続けている方々、続けてきた先輩たちへの信頼にもつながるようにも思います。
―島田さんは若い頃からそんなふうに思っていたんですか?
若い頃からそうだったかもしれませんね。
特に強くなってきたのが、大学出てからですかね。専門的に福祉を学び出した20歳を超えた頃。若い頃からそういう気持ちがなければ、福祉業界には行ってなかったと思います。
CHAPTER6
ソロキャンプをする時はテントを張って、七輪で肉焼いたり魚焼いたりーーこどもたちが大きくなったらまたそんなことしたいです
―お休みの日はどんなふうに過ごしているのか、教えてください。
今3歳の子と4ヶ月のこどもがおるんです。
休みの日も、休みの日以外も、家に帰ったら基本的にはこどもと過ごしてますね。日中は嫁さんがこどもたちを見てくれているので、仕事が終わって家に帰ったら、夜はお風呂に入れて寝かしつけるまでが僕の仕事。
次の日は朝早くに出るので、ここは役割分担してますね。
こどもはふたりともまだちっちゃいので、休みの日は、公園に行ったり、ドライブに行ったりが多いです。
上の子は最近、滑り台が好きなんですよ。
雨の日は「雨やなぁ、公園行けへんけどどうしよう」ってみんなで相談して。先日は「水族館でも行く?」「でも水族館、高いしなぁ」なんて話して、結局、カラオケに行きました。
上の子は音楽が好きやから、その時は『ジングルベル』を歌って、上の子がワンマンライブしてましたよ(笑)。
―おひとりの時にすることはありますか?
もともと、僕は趣味がようけありまして、こどもがおらん時は、ソロキャンプしたり、釣りに行ったりすることがよくありました。
大学の時に、キャンプインストラクターの資格を取ったことがあったんです。
なので、キャンプだったらレクレーションをしたり、テント立てたり、ロープやタープを貼ったりーーそんなこともやってましたし、
ひとりで行くときはちっちゃいテント張って、七輪を持っていって、肉焼いたり魚焼いたりしてね。
最近はできてないんですが、こどもたちが大きくなったらまたそんなことはしたいですね。
CHAPTER7
日々の中に、「こんなこともできるんか」「こんなことも言えるんか」ってことがいっぱいあって
―島田さんにとって、お仕事や生活の中での喜びや嬉しさってどんなところにあるんでしょう。
プライベートで言うと、上の子は最初、喋り出すのがゆっくりだったんですね。
僕の影響か、最初に出た言葉が「でんしゃ」やった。そのうち「でんしゃ」が「アーバン」になり、「急行電車」「特急電車」「普通電車」……言える言葉がどんどん増えてきて、今では、『ジングルベル』の歌が好きでずっと歌ってます。
最近、すごく言葉が増えたんですね。
どんどん成長していく姿を見ながら、あたりまえなんですけど、「こんなこともできるんか」「こんなことも言えるんか」ってことがいっぱいあって。
自分で服を着れるようになったり、知らないうちに自分で靴下を履けるようになったりーー本当に些細なことですけれども、僕が仕事から帰ると、
「○○ができるようになったよ」って嫁さんから教えてもらって、「どれどれ」「おお、すごいやないか」ってーーそれはそれは嬉しくて。
クライアントも同じですよね。
できないことがあったり、もしかしたらスピードは遅いかもしれないけれど、そこにはちゃんと成長がある。
そうやってその人の成長に立ち合えることが「嬉しいな」と思えるし、それはプライベートでも仕事でも一緒だなと思います。
―アクティブプレイスのこれからについてはどんなことを思っていますか。
そうですね。
全国的に見ても、強度行動障害に特化した事業所ってないと思うんです。専門に支援ができるところが少ないので、そういう場所を増やしていくのはこれからの課題なのかなと思ってます。
そういう事業所が増えていったらいいし、事業者もどんどん増えていったらいいですよね。
強度行動障害の状態の人は、専門的な支援を必要とする人やと思うので、せっかく特化してるんやったら、それを広めていけたら内容の濃い支援が広がっていくのかなと思います。
CHAPTER8
自分の性格をよく理解した上で、自分に合った方法で他者との関わりを持ち、関係を築いていくこと
―20年ほど障害福祉の仕事を続けられています。島田さんにとって、福祉の仕事を続けることができた原動力になってるのは、なんでしょうか。
今もこの仕事が出来ているのはやはり「人が好き」「クライアントが好き」ということに尽きるかなと思います。
特に、つらい時等はクライアントの笑顔に救われたり、クライアントに良い変化が起きた時には「この仕事をしていて本当に良かったな」と心から思います。
また、この仕事について理解をしてくれて、いつも自分を支えてくれている家族の存在も大きいです。
うちの嫁さんとは、以前、働いてた障害者の入所支援施設で出会ったんです。
一緒に仕事をしていたので、お互いがどんな支援をしていたかも知ってるし、障害福祉という仕事に関する理解があることでずいぶん助かってますね。
そういう面でもとても感謝してます。
―仕事とプライベートの両立について、工夫してることってありますか。
そうですね。いちばんは「休憩を挟むこと」ですかね。
休息や息抜きがうまく取れてるから今、働けているんであって、そうでなければどこかでいっぱいいっぱいになって息が詰まってしまうかなと思うんです。
なので、1日のどこかで、ちょっとでもリフレッシュする時間をつくってます。
例えば、仕事であれば、家に帰ってきて、こどもたちが寝てからひとりの時間ができるので、その時にリフレッシュしたり。
嫁さんに「今日はイライラするから、ちょっと頭冷やしてくるわ」ってお願いして外に出ることもあるんです。
「ちょっと海見てくるわ」ってね。
それで海のさざなみを聞いてると、「落ち着いたから帰ろ」ってなる時もありますし。あと、最近、懐メロをよく聞いてます。
昔の曲に浸りながら、しみじみしてーーそうやって音楽を聴くことが助けになったりもしてますね。
―島田さんにとって、“自分らしく働く”とはどんなことですか?
仕事とプライベートを両方充実させていくためにも、仕事については可能な限り楽しく、自分のペースでコツコツと行なうことは大事にしてますね。
そう考えると、“自分らしく働く”って、自分の性格をよく理解した上で、自分に合った方法で他者との関わりを持ち、関係を築いていくことなのかな、と思います。
仕事もなんでもそうですが、自分は性格的にも一気に花咲くタイプではないかな、と思っているんです。
だからコツコツ積み上げて、地道にやっていけば「いつか花が咲くかな」と。
そのためにも休憩しながら、その都度リフレッシュしながら仕事も生活も続けていく——それが“自分らしく働くこと”につながってるのかなと思ってます。